昨日は、笠間市の共産党議員の歴史を紹介しました。
このブログは、市役所関係の方も多く見てくれています。その方たちにも知ってほしく、桜川市の共産党議員の方々を故人も含めて紹介します。
一番古いのは、昭和30年代の岩瀬町の「宮田さと」さんです。
岩瀬駅前に住んでいた方で、農地解放運動などで活躍した写真が残っています。落選したあと、岩瀬を去られました。
菊池節子さんが立候補した時には、応援をしてくださいました。
その次の古い方は、真壁町白井の「井坂儀一」さんです。私が真壁高校に赴任した当時は、すでに議員ではなかったのですが、現役の役場の方が相談に来るほど、博識でした。
とにかく、数字に強かった人です。
ある建物を見ていた時です。
井坂「菊池君、これはどのくらいでできると思うか」
菊池「検討つきません」
井坂「これは1500万円となっているが、実際は1000万円くらいで、あとは儲けにとられている よ」
3番目は、真壁町仲町の「小堀常雄」さんです。20代の若さで議員になりました。私が真壁高校赴任後に立候補した方です。私は、真壁高校の教員でしたが、真壁の選挙は夏休み中に行われるので、小堀さんの家で、裏方の仕事をしていました。
4番目が、岩瀬町の「菊池節子」さんです。当時は、鍬田の教員住宅に住んでいたため、選挙事務所を捜すのに苦労しました。初めの選挙は、借りた家には選挙事務所の看板は遠慮してほしいということで、教員官舎に選挙事務所の看板を立てて、教育員会で問題になったとか、なかったとか。
5番目が真壁町新宿の「中内武七」さんです。当時の真壁の共産党はかなりがんばっていて、複数立候補に挑戦し、小堀さんと中内さんの二人とも当選させたのです。
中内さんは、学校の教頭までやった方ですが、レッドパージで首を切られ、ラーメン屋さんをやっていました。「一平の先生」としてとても人気があった方です。桃山中、桜川中の建設には貢献をされました。
6番目は、真壁町白井の関武雄さんです。この方は補欠選挙で無競争当選をし、半年間ほど勤められました。
7番目は、大和村高久の「青谷ゆき子」さんです。だんなさんの強力な後押しもあり立候補し、大和村初の共産党議員となりました。「金権選挙で有名な大和村」で、共産党議員の誕生に、周囲はびっくりしたものです。
8番目は、大和村青木の「野沢ひろし」さんです。岐阜県から野沢家にお婿さんにきたかたです。野沢さんの選挙の時は、私は奥さんと一緒に、私の教え子さんの家を訪ねて歩きました。
野沢さんの選挙で忘れられないのは、「案分票」ことです。
その選挙では、野沢さんは「同点最下位」となっていました。ところが、その選挙では、「ひろし」と書いた票が5票あったのです。「ひろし」と名のつく候補者は3人いました。1人が2票案分でもらい、野沢さんは1.5票もらい最下位を脱出したのです。無事当選できたのです。
9番目が、私、「菊池のぶひろ」となるのです。
自分でも、ああ、こんなにも多くの先輩の後を継いでいると、改めて知った次第です。
このブログは、市役所関係の方も多く見てくれています。その方たちにも知ってほしく、桜川市の共産党議員の方々を故人も含めて紹介します。
一番古いのは、昭和30年代の岩瀬町の「宮田さと」さんです。
岩瀬駅前に住んでいた方で、農地解放運動などで活躍した写真が残っています。落選したあと、岩瀬を去られました。
菊池節子さんが立候補した時には、応援をしてくださいました。
その次の古い方は、真壁町白井の「井坂儀一」さんです。私が真壁高校に赴任した当時は、すでに議員ではなかったのですが、現役の役場の方が相談に来るほど、博識でした。
とにかく、数字に強かった人です。
ある建物を見ていた時です。
井坂「菊池君、これはどのくらいでできると思うか」
菊池「検討つきません」
井坂「これは1500万円となっているが、実際は1000万円くらいで、あとは儲けにとられている よ」
3番目は、真壁町仲町の「小堀常雄」さんです。20代の若さで議員になりました。私が真壁高校赴任後に立候補した方です。私は、真壁高校の教員でしたが、真壁の選挙は夏休み中に行われるので、小堀さんの家で、裏方の仕事をしていました。
4番目が、岩瀬町の「菊池節子」さんです。当時は、鍬田の教員住宅に住んでいたため、選挙事務所を捜すのに苦労しました。初めの選挙は、借りた家には選挙事務所の看板は遠慮してほしいということで、教員官舎に選挙事務所の看板を立てて、教育員会で問題になったとか、なかったとか。
5番目が真壁町新宿の「中内武七」さんです。当時の真壁の共産党はかなりがんばっていて、複数立候補に挑戦し、小堀さんと中内さんの二人とも当選させたのです。
中内さんは、学校の教頭までやった方ですが、レッドパージで首を切られ、ラーメン屋さんをやっていました。「一平の先生」としてとても人気があった方です。桃山中、桜川中の建設には貢献をされました。
6番目は、真壁町白井の関武雄さんです。この方は補欠選挙で無競争当選をし、半年間ほど勤められました。
7番目は、大和村高久の「青谷ゆき子」さんです。だんなさんの強力な後押しもあり立候補し、大和村初の共産党議員となりました。「金権選挙で有名な大和村」で、共産党議員の誕生に、周囲はびっくりしたものです。
8番目は、大和村青木の「野沢ひろし」さんです。岐阜県から野沢家にお婿さんにきたかたです。野沢さんの選挙の時は、私は奥さんと一緒に、私の教え子さんの家を訪ねて歩きました。
野沢さんの選挙で忘れられないのは、「案分票」ことです。
その選挙では、野沢さんは「同点最下位」となっていました。ところが、その選挙では、「ひろし」と書いた票が5票あったのです。「ひろし」と名のつく候補者は3人いました。1人が2票案分でもらい、野沢さんは1.5票もらい最下位を脱出したのです。無事当選できたのです。
9番目が、私、「菊池のぶひろ」となるのです。
自分でも、ああ、こんなにも多くの先輩の後を継いでいると、改めて知った次第です。