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精一杯、自分の人生を生き抜いた拓己のこと

 このブログで父さんが初めて書きます。
このブログは、日記をよく書いていた母さんに父さんが頼んで、拓己の成長を綴り記録していくため、母さんに始めてもらいました。母さんが丁寧に拓己の成長、そして家族の日々の暮らしを残してくれてきたことに感謝しています。

拓己がどんな子であったか、父さんが簡単には説明はできません。ブログに母さんが書いてくれた通りの子でした。このブログは後から振り返って書いたのではなく、そのときのありのままの拓己と家族のこと、そして母さんの思いが綴られていて、私たちにとって本当に大切な記録です。でも拓己のことを一言でいえば、日々を一生懸命生きた子、毎日を楽しく過ごした明るく前向きな子、母さんや父さんやお兄ちゃん、そして周りにいる多くの人に喜んで貰いたいと頑張り、いやしを与えてくれた子、多くの苦難も逃げることなく我慢強く乗り越えた芯の強い子でした。

拓己が生まれ1年位が過ぎ、改めて自分を見つめ直し、父さんもこれまでの自分勝手な考えや行動を改め、拓己や家族を第一に考えた暮らしをしようと思いました。ブログはその頃に母さんにお願いして始めてもらいました。

でも今考えると、本当に拓己のことをありのままに受け入れていたとは言えないと思っています。生まれつきの病気や知的障碍、そしてその後の身体障碍についても、いつかは少しずつ良くなる、教育や訓練などでいろいろなことができるようになると思い、拓己にいろいろなことを親の思いを優先させてチャレンジさせて来たように思います。それで何かができると喜んだりしていました。ありのままの拓己とその思いに向き合い、本当に拓己のことを最善に考えた暮らしや、拓己にとって本当に必要な成長や発達のための寄り添い、扶け、支援、援助とはなっていなかったと思います。母さんは拓己のために本当に精一杯尽くしましたが、私の考え方や行いに影響されたところもあったでしょう。

今、拓己との暮らしについて、自分自身の行いを後悔だけしても意味がありませんが、拓己とのたくさんの思い出や、拓己との暮らしで教えられた多くのことがあります。それをいつも心に留め、家族3人、両親たちと本当に愛し合い、励まし合い、助け合って、生きていきたいと思います。

私たち家族がもしイエス・キリストに出会っていなければ、母さんは拓己を失った悲しみから抜け出せずにいたのではないでしょうか。そして家族もその重荷を背負い、なぜ拓己がこのような苦しみにあったのか思い悩み、時間がそれを解決するのを待っていたように思います。前向きな人生を送ることが難しかったかもしれません。
でも拓己が、本当の愛がなかった私にイエス・キリストに出会わせてくれました。これからも家族3人で、イエス・キリストそして教会とともに、これからの人生を歩んでいきたいと思っています。

母さんと拓己が教会に行くようになり、イエス・キリスト、そして教会の兄弟姉妹に出会いました。母さんと拓己は教会からよいものをたくさん得ていましたが、私は信じていなかったので、教会にも行きませんでした。教会そして聖書も道徳のようなものと思っていたので、教会でのよいことを聞かされても、イエス・キリストの存在を信じることはなかったです。

拓己の危篤のときに、拓己は本当に頑張り、そして拓己のまわりでたくさんの不思議なできごとが起こりました。そのときに私の中に聖霊が入った気がして、そこからイエス・キリストを信じ、イエス・キリストの愛に真理があると信じました。そのときのことについて少し書いてみたいと思います。

母さんと拓己が教会に行くきっかけは、母さんの愛、母の愛、真実の愛でした。拓己が入院していて退院前日に、病院内を楽しそうに散歩していた拓己が転びそうになり、母さんは自分の体を投げ出し、拓己の体が廊下に打ち付けられることから護りました。でもそのときに母さんは右肘を脱臼骨折する重傷を負いました。私なら拓己の腕を引っ張って、間に合わずに拓己が廊下に打ち付けられるか、拓己の腕の方を痛めたでしょう。骨折で母さんが拓己の入浴介助ができなくなり、ヘルパーとして来てくれたのが、教会の姉妹でした。
今日、退院します - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

その後も拓己は病気の悪化がありましたが、これまでのようにいつも前向きで頑張っていました。私は仕事が忙しいと、拓己と一緒にいる時間を多くは持ちませんでした。拓己と母さんは教会に行くようになり、多くの恵みを受けていました。私も教会がよくしてくれることをうれしく思ってはいましたが、神様の存在を信じていなかったので、拓己と母さんのよい居場所と思っていました。
教会大好き - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)
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元気になるよ、教会 - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

それからしばらくして状態が悪くなり入院中に、ついに拓己が危篤になりました。アンビューという手で動かして呼吸を助ける器具をして、何とか拓己は頑張っていました。でもアンビューは何時間もできるものではないので、医師と家族でこれからの処置について話し合いました。最も大事なことは、人工呼吸器を付けるかどうかということでした。医師との話し合い、その後の家族での話し合いでもすぐには決断できませんでした。一度人工呼吸器を付ければ、取り外すことはできない、そしてこれから拓己が意思疎通できるくらいまで回復することも期待できない。状態が悪くなる中で延命治療することは、拓己を苦しめることにならないか。でもすぐには決断できませんでした。

1時間位経って、決断ができないまま拓己の病室に行くと、拓己は自発呼吸を取り戻していました。決断できない私たちに、拓己が考える時間、拓己に向き合える時間を作ってくれました。本当に驚きました。そして拓己に感謝でした。それから私たち家族は、すぐに拓己に人工呼吸器を付けるなどの延命治療はしないと決断しました。
みんなのために - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

その日、私は拓己と二人きりで病室にいる時間がありました。そのときに聖霊が私の中に入ってくるような気がして、イエス・キリストを信じる気持ちが沸き上がり、ベッドの上の拓己に「拓己、父さんはイエス・キリストを信じるよ」と初めての信仰の告白をしました。その後、母にも電話で信仰告白し、拓己の病室の中で、御見舞いに来てくれた牧師先生にも信仰告白をしました。母さんは拓己の急変を心配し、すぐに私、母さん、拓己の三人で病室洗礼をしたかったのですが、一週間後の次の土曜日にすることにしました。私はなぜか次の土曜日まで拓己は元気だと信じていました。
バイタル安定 - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

拓己の入院中、いつも賛美のワーシップソングのCDを掛けて、拓己に聴かせていたのですが、危篤があったその日、再生が終わりそのままとなっていました。でもいきなりひとりでに再生が始まり、病室内に賛美のワーシップソングが流れました。それだけでなく再生がリピートされ一日中再生が繰り返されました。私たちは不思議なできごとを喜びそのまま聴いていました。そして夫婦二人が拓己の病室で付き添いとして休むことになり、消灯した後に再生は終わりました。ぐっすり休むようにと神様が言ってくれていると信じました。

その翌日、私が拓己に朝の光を届けようと病室のカーテンを開けたとき、二重の虹が垂直に立ち、南部から読谷まで届くように架かっているのが、目に飛び込んで来ました。約束の虹でした。この虹に多くの教会の家族が気付き、撮られました。私たちはこの虹に本当に励まされました。
2017年2月12日の約束の虹 - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

危篤から一週間後、私たち3人は病室洗礼を受けました。危篤のときからの回復以降、一度も急変することなく、本当に拓己はしっかり生き続けていました。
洗礼式 - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

拓己が危篤から回復して、引き続き入院していましたが、容体は安定していました。私はどうしてもやらないといけないと自分で決めてしまった仕事をするため、休みを入れながらも出勤していました。危篤の後からは、ずっと休んでいればよかったと今になっては思っています。
酸素マスク外れました - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

そしてその仕事を終え、やっとこれから拓己とずっと一緒にいられる、ずっと休みをいれようと、その日の夕方に病室に行きました。拓己に「ただいま」といい、そこに教会の方から届けられたお弁当があったので、食べようとしました。その後、拓己に急変が起こりました。でもそれから拓己は2時間も生き続け、家族、先生方、教会の方々が看取る時間をつくりました。そして皆に見守られるように、苦しむことなく静かに召天しました。本当に最後の最後まで、頑張った子でした。その直後、牧師先生・副牧師先生が到着しました。そして牧師先生は拓己が天に凱旋したことを伝え、今は拓己が苦しみから解放されて御胸に抱かれ、平安があることに感謝して、祈りを皆で捧げました。これも神の時だと思いました。
2月23日 パパの帰りを待って - ひろ君の成長記 (goo.ne.jp)

その後に拓己の召天式がありました。それを執り行って下さった教会と牧師先生に感謝します。そして私はそのすぐ後から、母さんとともに教会で礼拝する者になりました。あれから4年が経ちましたが、自分自身まだまだ成長の足りないクリスチャンだと思っています。でも聖書は真理であり、主であるイエス・キリストが今も生きておられ、私たちのそばにいて下さると信じています。これからも家族で礼拝し続け、イエス・キリストの愛で家族そして皆と愛し合い、イエス・キリストを証しし、その栄光を現わす者となれるように、生きていきたいと思っています。シャローム
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