小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

法務省官僚と国会が世論とマスコミの感情的主張に屈して、とんでもない法律を作ってしまった。

2014-01-10 04:05:56 | Weblog
 今日から数回にわたって重いテーマの記事を連載する。非常に混乱しがちな法律用語も出てくるが、それは法務省のバカどものせいで、私が責任をとらねばならない話ではない。その代わり、この連載ブログを理解できたら、あなたの論理的思考力は格段に高度化するだろう。
 
 裁判員制度は、コンピュータで無作為に選ばれた数人の裁判員が、裁判官や書記から法律(刑法)の知識や過去の判例などを教えてもらい、ある程度の知識を得たうえで判決に参加するという制度である。昨年後半、裁判員制度による一審判決が二審の高裁で破棄・差し戻されるケースが相次いだ。高裁での判断は、過去の同様な犯罪に比べ一審の量刑が重すぎるというものだった。
 この高裁判決に対して、「裁判員制度導入の目的である市民感覚を判決に反映させるという趣旨を否定するものだ」と読売新聞が批判した(その記事が掲載された新聞はすでに古紙として処分してしまったので私の記憶による。記憶ミスだったらご指摘いただきたい)。
 裁判員制度による判決が厳しくなる傾向にあることは事実のようだ。だが、それに対して異を唱える法曹家の感覚のほうが時代遅れになっているのではないだろうか。私はこの問題については読売新聞の主張を支持する。
 そもそも刑法の原型は明治維新によって成立した新政府が西欧の法制度を参考にしながら犯罪に対する量刑の整合性を図ることを目的に作ったものだと思う。その刑法が戦後、GHQの指示により、当時の量刑が加害者の人権を軽視しすぎているとして改正されたのではないだろうか。その結果、裁判官が下す量刑が軽くなる傾向が強くなり、一般市民の感覚からすると違和感を抱かざるを得ないケースが多くなり、小泉内閣の時代に裁判員制度が導入されたという経緯だったと思う。
 上記の裁判員制度導入の経緯については、私は法曹家ではないので、ネットでいろいろ調べはしたが説得力のある記述が見つからず、私見として思い切った簡略化による解釈をしてみた。間違っていたらご指摘いただきたい。
 裁判官が下す量刑が被害者や遺族の目線に立たず、加害者の人権を重視しすぎているという被害者や遺族の反発をマスコミが大きく取り上げるようになったことが裁判員制度の導入に結びついたのはことは記憶の片隅にある。危険運転致死傷罪が作られた経緯も世論が大きく作用したと考えられる。
 私も多少誤解していたが、危険運転致死傷罪が成立したのは1999年11月に飲酒運転のトラックが前方を走行していた乗用車に追突し、乗用車が炎上して後部座席に乗っていた幼い姉妹がなくなった事故がマスコミで大きく報道され、その事故を起こした運転手に対する罰則が当時は自動車運転過失致死傷罪(業務上過失致死傷等罪の中で自動車事故に限って設けられた量刑)の適用で、7年以下の懲役または100万円以下の罰金とされており、「飲酒運転によって失われた幼い姉妹の命の代償がそんなに軽くていいのか」という怒りの声が全国的に広まったことがきっかけと思っていた(実際、ウィキペディアの「東名高速飲酒運転事故」の項目には、この事故に対するマスコミ報道が「危険運転致死傷罪の成立に大きく影響した」と記載されている)。
 が、同じウィキペディアの「危険運転致死傷罪」の項目によると多少この法律成立の経緯が異なっているようだ。同項目によれば、東名事故の翌年4月に神奈川県座間市で検問を猛スピードで突破して逃走した建設作業員が運転した車が歩道に突っ込み大学生二人を死亡させた事故が発生し、逮捕された作業員は無免許飲酒運転で、車も車検を受けず保険にも加入していないという極めて悪質なケースであり、被害所の母親が法改正のための署名活動をはじめ、その運動に東名事故の遺族も同調、全国的に署名活動が展開され、その運動をマスコミが後押ししたという経緯が正確なようだ。それまでは、自動車事故も刑法の業務上過失致死傷等罪の対象とされており、同罪の刑罰は「5年以下の懲役または50万円以下の罰金」とされており(先に述べたように自動車事故に関しては多少、重い刑罰が科せられてはいた)、この二つのケースに対する量刑はあまりにも軽すぎるという世論が爆発したのだと言えよう。
 そうした世論やマスコミの主張に配慮して業務上過失致死傷等罪から切り離して悪質な自動車事故に対する刑罰として2001年に危険運転致死傷罪が設けられ(最高懲役20年)、さらに自動車事故抑止のため2007年には自動車事故過失致死傷罪(最高懲役7年)が設けられた。また危険運転致死傷罪の成立によって一般犯罪の最高量刑も軒並み引き上げられ、有期刑の最長も20年から30年に引き上げられた。が、無期懲役刑はそのままであり、「10年以上の懲役で仮釈放が可能になる」という規定はそのまま残されたままだ。
 が、実際の仮釈放の適用は世論やマスコミの批判を恐れてか減少しつつあり、98年には仮釈放者が18人だったが、その後の平均は年間9.5人に減少し、07年には3人に減った(07年以降は不明)。
 また自動車事故に対する量刑も、裁判官が運転手を危険運転致死傷財に問うケースはほとんどなく(適用要因がきわめて限定されていて、立証が困難という検察側の事情もある)、大半は最長7年の懲役刑である自動車運転過失致死傷罪しか適用できない状態が続いていた。その後しばらく社会問題化するような自動車事故が発生しなかったため(厳密に書くとマスコミが大々的に報道するような事故のこと)矛盾が表面化することはなかったが、11年4月に栃木県鹿沼市でてんかんの持病を隠して運転免許を取得して操作していたクレーン車の運転手が児童6人を死亡させ、翌12年4月には京都府亀岡市で無免許運転の少年が集団登校の列に突っ込み生徒と保護者が死傷した事故が発生し、被害者や遺族が危険運転致死傷罪に問えるよう声を上げ、マスコミもこれを支持したため法務省も無視できなくなり、13年11月に「自動車運転死傷行為処罰法」という法律(あくまで罪名ではない。つまり道交法と連動した自動車事故の加害者に対する刑罰の隙間を法律で埋めるという小手先のごまかし)を成立させた。この法律の施行により危険運転致死傷罪の適用対象の拡大と同時に、「過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪」(最長12年の懲役刑)が設けられた。
 何度も繰り返すが、私は法曹家ではない。一人の良識人として素朴な疑問を
呈しておきたい。
 まず、なぜ自動車事故の加害者に対して一般刑法の中での量刑を適用しないのか、という疑問である。わざわざ自動車事故に関してのみ一般刑法とは別の量刑体系の罰則をなぜ設ける必要があったのかという問題である。
 答えはとりあえずわかっているので、書いておこう。これまで自動車事故の加害者には業務上過失致死傷罪(過失が大きい場合は重過失致死傷罪)という一般刑法を適用してきた。そこにそもそも重大な錯誤があったと考えるべきではないかと思うのである。
 ナイフや包丁は一般に凶器とみなされるか。否、である。だが、抜身のナイフや包丁を振り回しながら人ごみの中を歩いていたら、たとえ人を傷つける行為に至らなくても凶器とみなされ可能性があり、もし殺意や人を傷つけるつもりはなくても、他人を死に至らしめたり傷つけたりした場合は一般刑法に定める殺人あるいは傷害罪が適用される。その理由は、ナイフや包丁は本来の目的外の行為に用いた場合「凶器」と化す可能性が高く、そのことはナイフや包丁の持ち主は当然の常識としてわきまえているということが前提にあり「未必の故意」(人を殺傷したり事故を起こすつもりはないが、結果的にそうなることが予測できる行為をすること)と見なされるからである。
 また、この事実はかなり知られていると思うが(私自身ネット検索するまでもなく知っており、法務省の担当者に電話して間違いでないことも確認している)、空手やボクシングの選手がけんかをして相手を殴って怪我をさせたり死に至らしめた場合、こぶしは凶器とみなされる。
 では道交法は何を目的に作られているか(自動車を運転する場合に限定する)。「車は走る凶器だから、安全な運転をするよう規則を定めたもの」のはずだ。だからスピード制限や飲酒運転、薬物使用運転、てんかんなどの持病のある人の運転規制を定めているのである(運転状態にない駐停車禁止は別の目的=交通の妨害行為になるという理由)。つまり制限を超えたスピードで車を走らせたり、飲酒して運転したりする行為は自動車を「走る凶器」と化す危険性があると、取り締まる側(要するに警察)は考えており、スピード超過の度合いが増すほど危険性は高くなり、飲酒量が多いほど危険性が高くなるという前提で道交法の罰則規定は定められている。
 実はスピード違反による危険性や飲酒量による危険性は個人差があるのだが、その個人差も違反したときの健康状態などで変化するため、個人差を考慮せずに一定の制限をすべての運転者に適用するのはやむを得ないと私も思っている。無免許で登校中の行列に突っ込んだ少年に対して、「無免許でも相当の運転歴があり運転技術が未熟とはいえない」と危険運転致死傷罪の適用を認めなかった裁判官の判決を盾にとって被害者側は「それなら運転者の個人差を認めず一律の罰則を定めている道交法は憲法に違反している」と高裁に提訴してみたらどうか。裁判官にもよるが、憲法違反を認める裁判官もいるのではないだろうか。
 ま、それは半分冗談だが、「車は走る凶器」というのは運転者にとって常識で
あり、免許取得時だけでなく更新時や軽い違反で講習を受ける際も必ずしつこ
いほど講師から「安全運転の心構え」として頭に叩き込まれている。それを前提として考えれば、この裁判で裁判官が個人差を理由に危険運転致死傷罪の適用を認めなかったのは、はっきり言って道交法の趣旨を無視したものであり、それなら飲酒運転による人身事故の場合もその人が飲酒していたか、また飲酒量がどうだったかより、その人の飲酒による運転の状態を完全無欠に再現したうえで個人差を認定し、判決を下さなければならないことになる。
 言っておくが、私は犯罪者の個人的事情を斟酌すべきではないと言いたいのではない。道交法は個人的事情を斟酌していたら成立しない。たとえば制限速度を個々人の運転技術によって変化させるなどということは不可能だ。
 ということは道交法と連動させた自動車運転事故の罰則を一般刑法から外すべきではないという結論にならざるを得ない。「車は走る凶器」という認識を前提にすれば、道交法に違反した時点で車は「凶器」になったと判断されるべきで、従ってそういう状態で起こした事故に対しては一般刑法の傷害罪あるいは殺人罪を適用すれば済む話だ。そうすれば、個人的事情も勘案できるし、事故を起こした状況に対する情状も、一般犯罪と同じ基準で考慮すればよいということになる。
 
 さて書き出しの本題に戻る。刑事裁判での判決が重くなる傾向は私も確かに感じる。だが、それは自動車事故の加害者に対する罰則が強化されたのに伴って一般犯罪に対する量刑も重くなるのは、刑罰の整合性を重視すれば当然のことである。それを過去の判例を盾にとって一審判決を覆した高裁の判断こそ時代遅れと言わざるを得ない。そもそも刑罰の軽重は何を持って基準とすべきかの議論がなおざりにされているのではないか。
 私は刑罰の目的は三つあると思っている。「法曹家でもないのに」という人は、「新聞は絶対間違ったことは主張しない」という驕りの持ち主だけだろう。
① 犯した罪に対する社会的制裁
② 反省の機会を与え、社会復帰への意欲と努力を促す
③ 犯罪に対する抑止力
 この三つのうち何を最優先すべきかは、その時代における国民の意志であるべきだと思う。国民の意思は時代とともに変化するし、いかなる時代にも通じる絶対的基準というものはない。国民の意思がその時々の感情で左右されることも承知の上で、民主主義とはそういうものだという認識を国民すべてが持つようになれば、一時的な感情に流されて国の針路を誤らせる選択をしてはいけないという、集団心理的感情に対するコントロール機能が働く。民主主義はそうやって遅々たる歩みで成熟していくものではないだろうか。(続きは14日から)