小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍総理の憲法改正への意欲は買うが、「平和憲法」が幻想でしかないことを明らかにしないと無理だ。①

2014-01-22 06:35:55 | Weblog
 最初に私のスタンスを明らかにしておく。私の基本的立場は現行憲法無効論である。従って護憲派でもなければ改憲派でもない。現行憲法は無効なのだから、国会で十分憲法論議を尽くしたうえで新憲法草案を策定し国民の審判を仰いで新憲法を制定すべきだ、というのが私の基本的立場である。自民党が公表している改正案も、事実上現行憲法の一部改正ではないから結果的には私が主張する手続きと同じプロセスが必要になるが、基本的スタンスが違う。
 とりあえず、現行日本国憲法が制定されたプロセスを検証しておこう。 
 1945年7月にドイツ・ベルリン郊外のボツダムで開かれた米(トルーマン大統領)英(チャーチル首相)ソ(スターリン書記長)三国首脳会談で合意し、中華民国の蒋介石主席の合意を得て、26日に米英中三国首脳の名で無条件降伏を求める「ボツダム宣言」を日本に突き付け、米トルーマン大統領が戦争の早期終結のためという口実で広島・長崎に原爆を投下したことにより、日本政府もボツダム宣言を受け入れざるをえなくなった。その日が1945年8月15日ということになっている。が、実際には長崎に原爆が投下された直後の午前2時半、政府は御前会議を開いて国体維持を条件にボツダム宣言を受諾することを決議し、連合国に申し入れ、海外放送でもその旨を発表している。が、その日に終戦に至らなかったのはボツダム宣言が「無条件降伏」を要求していたため、ソ連はこの申し入れを無視して攻撃の手を緩めず、多くの日本兵を拘束し(のちシベリアに抑留)、北方四島も占領してしまう結果を招く。
 すこし話が横道になるが、トルーマンは世界史上最大級の戦争犯罪者だと私は考えている。そもそもボツダム会議に対日戦争当事者でもなく、日本と中立条約を結んでいたソ連の首脳であるスターリンを招いたのは、激しく抵抗する日本軍に手を焼いて、ソ連を連合国側に巻き込んで日本を早期に降伏させることが目的だった。原爆はすでに開発を終えており、いつでも投下できる状態にあった。だから、人的被害を最小限にとどめる小さな島に原爆を投下して、「無条件降伏しなければ皇居に原爆を投下するぞ」と日本政府を脅せば、その時点で戦争は終結していた。
 が、トルーマンはソ連に日ソ中立条約を破棄させることで、戦争は終結できると考え、スターリンをボツダム会議に呼んだのである。だが、米英ソの三国連名でボツダム宣言を日本に突き付けるわけにはいかず(まだその時点ではソ連が名を連ねる名目がなかった。「盗人にも三分の理あり」ではないが、イラクがクウェートに突然侵攻したのもイラクなりの「正当な理由」があったし、アメリカがベトナム内戦への軍事介入に踏み切ったのも南ベトナム政府の要請があったからである。)、日本軍と熾烈な戦いを行っていた中華民国の蒋介石・国民政府国家主席に呼びかけて米英中の三国首脳の名でボツダム宣言を発表したという経緯がある。
 スターリンにとっては、トルーマンの要請はまさに「タナボタ」だった。スターリンとしてはドイツと日本の挟み撃ちにされてはかなわないという思惑で日ソ中立条約を締結しており(日本も中国侵略戦争の背後からソ連の脅威を除いておきたいという意図があった)、ドイツの脅威が消滅した時点で日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告をしたくてたまらなかったが、肝心の中立条約破棄の名目が立てられなかった。だからトルーマンの対日参戦要請はまさに「渡りに船」だったのだ。日本側としても、ソ連の「裏切り」は当然織り込み済みだった。だから満州国のソ連との国境には相当の兵力を配備してはいた。
 ここから先は推測の域を出ないが、もしソ連が連合国軍の一翼として対日参戦に踏み切った場合、日本本土での地上戦になったらアメリカよりソ連のほうがはるかに有利だ。海空軍は米軍が圧倒していても、地上戦となるとソ連軍のほうが地の利がある。おそらく米政府内で、トルーマンがスターリンに対日参戦を要請したことに対する厳しい批判があったのではないだろうか。だから日本政府がボツダム宣言を「黙殺する」と発表した8月5日の翌日に広島に原爆を投下して、ソ連が参戦する前に日本政府にボツダム宣言を受け入れるよう促したのだと思う。が、それでも日本政府は降伏しなかった。バカというより、気が狂った判断としか言いようがない。
 アメリカの原爆投下作戦と、それにも日本が降伏しないのを見てスターリンがこのチャンスを逃すわけがなかった。トルーマンの要請を受けて「大義名分」を得たスターリンは背後の憂いがなくなったことで、極東(ソ連にとっては)の兵力を着々と整えていた。そしてついに8日、対日宣戦布告を発して関東軍と戦火を交える。ソ連の参戦であわてたのがトルーマン。翌9日には長崎に2発目の原爆を投下して日本の息の根を止めた。この日、日本政府は御前会議を開いて国体維持を条件にボツダム宣言の受諾を連合国に通知する。が、国内では極秘とされ、15日正午に玉音放送で終戦が公にされたが、それまでの間に北方四島はソ連軍に占領された。
 いったい、この時期日本政府の中でどういう動きがあったのか、今となっては検証のしようがないのかもしれないが、しかるべき資料が見つかったら『日本がボツダム宣言を受諾した日からの6日間』という題名のノンフィクションを書いてみたいとは思っている。
 これまで私は何度もブログに書いてきたが、「勝てば官軍、負ければ賊軍」はつねに歴史認識を左右する基軸なのだ。日本軍の「些細な」非人道的行為が戦後70年近くになっても中韓から非難され続けるのは仕方がないことなのだ。スポーツに「たられば」は禁句だが、歴史認識はつねに「たられば」を頭の片隅に置いて検証していかないと、先の大戦の教訓を後世に残すことはできない。
 ともあれ、日本政府は原爆投下によってボツダム宣言の受け入れを決定し、連合軍の占領下におかれた。連合軍ということになってはいるが、事実上連合軍らしきことが行われたのは「東京裁判」だけである。実際に日本を占領下に置いたのはマッカーサー総司令官をトップに抱いたGHQだった。
 GHQが日本を占領下において行ったことの数々はいろいろな形で検証されており、私も『忠臣蔵と西部劇』と題した著作で一部検証したが、現行日本国憲法はそういう状況下で制定されたことを念頭に置くことが、憲法改正問題を論じる場合のスタート・ラインでなければならない、と私は思っている。その場合、GHQに押し付けられたとか、憲法の条文は日本人が書いたか書かなかったかとか、いちいちGHQにお伺いを立てたか立てなかったか、といった論争は私に言わせれば愚の骨頂である。
 そもそも護憲派だけでなく、多くの日本人が現行憲法を「平和憲法」だと思い込んでいる(たとえばNHKで理事待遇まで昇り詰めたアナウンサーは「日本のこれから」の司会をしているが、無意識かどうかは不明だが何の疑問も持たずに「平和憲法」なる思想的表現を乱発している)ことの無意味さをここでまず明らかにしておこう。共産党や旧社会党だけでなく、それほど左翼的思想に染まっているとは思えない市民団体ですら「日本が戦後、平和を維持できたには憲法9条があるからです。憲法9条を守りましょう」と街頭で道行く人たちに呼びかけ、署名活動をしているが、その人たちにお尋ねしたい。「あなたはアメリカの憲法の1か条でも知っていますか。そもそも学校でアメリカに限らず外国の憲法の1か条でも教わりましたか」と。「日本人がアメリカの憲法の1か条も知らないのに、外国の人たちが日本の憲法9条を知っているはずがないでしょう」と。「日本は平和憲法を守っている国だから、日本を侵略してはいけませんといった学校教育をしている国がどこにありますか」と。「日本はかつてこんなひどいことをした国だから、日本に気を許してはいけませんよ、という学校教育をしている国はありませんか」と。「戦後、日本が平和でいられたのは、日米安保条約によってもし日本が侵略を受けたら、日本を防衛するために米軍がしゃしゃり出てくることを各国政府は知っているからではないんですか」と。
 だが、米軍だっていざとなったら当てにはできない。現に日本固有の領土である竹島が韓国に占領されても、日本政府は口先の抗議しかできない。日本政府は「占領されている」とは口が裂けても言わないが、「実効支配」とは占領のことである。自衛隊が竹島を奪還すべく軍事行動に出ても米軍は間違いなく日本の軍事行動にストップをかけてくる。北方領土にしても同じだ。尖閣諸島に関してはアメリカ政府はいまのところ「日米安保条約の対象になる」と言ってくれてはいるが、米中関係次第でスタンスがどう変わるか、わかったものではない。
 そもそも日本政府やマスコミは日米関係について勝手に「同盟国」と位置付けているが、「同盟」関係とは「攻守同盟」のことであり、アメリカにとって同盟国と確実に言えるのはイギリスだけだと思う。少なくともケネディ駐日大使が着任したときの第一声は「日本とのパートナーシップを大切にしたい」だった。つまり、アメリカにとって日本は単に友好国のワン・オブ・ゼムに過ぎないということを頭に叩き込んでおく必要がある。安倍総理が必至になって日米関係を同盟関係に一歩でも近づけようと努力していることは、私もこれまでの総理にできなかったことを成し遂げようとしているという意味においては高く評価しているが、「集団的自衛権の行使」についての憲法解釈変更が無意味であることに気づいたのであれば、「積極的平和主義」などというわけの分からない新概念を強調するより、現行憲法がどういう状況下で制定され、1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約によって日本が独立を回復したにもかかわらず、独立国家としての「自分の国は自分で守る」「生まれ変わった日本が国際社会の中で果たさなければならない義務と責任は何か」という国家の尊厳を明確に盛り込んだ新憲法案を作成し、国民の審判を仰がなかったのはなぜか――それを明らかにして憲法論議を国民と一緒に行うべきではないだろうか。(続く)

 

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