混合診療の規制を、大幅に緩和する方針を政府が打ち出した。
これまでは健康保険では医療行為ができなかった高度な先端医療は「自由診療」が原則だった。「自由診療」とは、健康保険では治療行為が行えない高度治療を患者が希望した場合、その病気の治療についてのすべてが患者の自費負担になるという制度である。
それに対し、健康保険で行える治療は保険で治療が受けられ、保険適用外の治療については自費負担で、というように高度治療を受ける患者の負担が減り、また受ける治療の選択肢も広がるという制度が混合治療である。
結論から言うと、大いに結構な制度である。
この混合診療制度の導入は民主・野田政権の時代に浮上したものである。が、医師会が「国民皆保険制度の崩壊につながる」と真っ向から反対し、厚労省も同じ趣旨で混合医療の導入には足踏みしてきた。
もともと、健康保険制度の崩壊が社会的問題になるはるか以前から(つまり厚生省時代から)、最先端の医療器具や医薬品の認可が日本では遅すぎると海外から(とくにアメリカから)批判されていた。なぜ遅かったのか。
別に厚生省の役人が怠慢だったからではない。日本の「国民皆保険制度」というのは、厚生省が「安全で効果がある」と認めた場合、原則として、その医療器具や医薬品を使用した医療行為はすべて健康保険の対象になることになっているからだ。だから高額な医療行為につながる最新の医療器具や医薬品の承認には、も厚生省慎重にならざるを得ないという事情もあった。
いまの若い人は知らないだろうが、かつては現役世代の健康保険の自己負担率は二つに分かれていた。国民健康保険の加入者は3割負担、国民健康保険以外の健康保険の加入者は1割(ただし、その扶養家族は3割)負担という時代が長く続いていた。国民健康保険以外というのは、会社員や公務員など給与所得者が加入する保険である。が、医療費の高騰に伴って会社員や公務員の負担率も2割になり、いまでは国民健康保険と同じ3割になっている。負担率が軽減されるのは70歳以上の高齢者になって以降で、今まではいっきに1割負担に軽減されていたが、今年4月からその1年前に70歳になった前期高齢者は74歳まで2割負担になった。法律では前期高齢者の負担率は2割になっていたのだが、経過的措置として1割負担に軽減されていたのだが、保険財源が維持できないということで法律通り2割負担になったという経緯がある。また高齢者でも現役並みの給与所得者は3割負担になった。
アメリカはオバマ大統領による医療保険制度改革によって、いちおう混合診療制度に移行したが、それまでは自由診療制度だった。なんでも個人の権利と責任を重視するのが原則であるアメリカでは、「自分の安全は自分で守る」という建前で銃規制もままならない。同様に、「病気になるのも、病気を治すのも」自己責任という考え方が医療の世界にも定着してきた。
そのため、アメリカ国民は自分の経済力に応じて民間の医療保険(日本の生保や損保と同様、アメリカの医療保険会社はいくつもあり、また保険のプランもたくさんある)に加入する必要があった。富裕層は高額な医療費がかかる高度な医療を受けられる保険会社と契約できるが、貧困層は医療保険にも加入できず、病気になったら医者にも診てもらえないという状態が長く続いた。
どちらかというと富裕層を選挙基盤とする共和党に対し、貧困層を選挙基盤としてきた民主党は混合医療制度の導入に積極的だった。実際には共和党と民主党の違いはそんなに単純化できるものではないが、歴代の民主党政権にとって貧困層の医療救済制度の導入は大きな政治的課題だった。前政権のクリントン大統領時代も、ヒラリー・クリントンが必死に医療制度改革に取り組んだが果たせず、オバマ大統領がようやく第1期目のとき実現した。が、その医療制度改革が、いま民主党では足かせになってしまった。医療制度改革に伴う財政負担が予想より大きく、民主党への国民の支持率が低下したためである。
日本では、国民皆保険制を維持するため、医療費が高額化する高度医療の承認はなかなか認められず、一方健保財政の悪化を健康保険加入者の負担を高めることによって補ってきた。この保険負担率を上げることに対しては医師会は一切反対したことはない。自分たちの商売には響かないからである。
が、混合医療制度が本格的に導入されることになると、患者による医療機関の選別が始まる。これは、「みんなで一緒に儲けましょう(その逆も同じ)」という日本的平等主義に反するからだ。実際には、すでに患者の医療機関選別は始まっており、「いい病院」や「いい医者」を紹介するテレビ番組や雑誌の特集、単行本などはいま掃いて捨てるほどある。
医療の世界を目指す学生たちも、自分の親が開業医で、跡を継ぐというケースを除くと、将来の自分の人生設計を基準に専門分野を選ぶ。一時、歯科医は「儲かるし、国家試験も楽だ」といった時代があり、いまは歯科乱立になってしまった。乱立しても、お客さん(患者)が減らなければ問題ないのだが、最大の顧客層だった幼児が減少し、高齢者も歯磨きの進歩などで歯医者にかからなくなった。今は、親が歯科医の子供でも歯科医になりたがらないという。
はっきり言って医療もビジネスである。だから医者がビジネスを目的とした医療行為を行うことを私は否定しない。その代わり医療は、ビジネス社会に求められるモラルの最高水準を満たす必要がある。患者は食品や衣服を買うのとは違って、医療の方法を自分で選ぶことができない。つまり医療過誤が生じた場合の自己責任は、患者側には一切問われないのである。これはアメリカでも同じで、だからアメリカの医療機関は患者から訴えられた場合に備えて莫大な保険をかけている。
今月、東京女子医大病院で、2歳の男児に人工呼吸中に投与してはならないプロポフォールを麻酔科医が過剰に投与し、男児が急死した事件があった。その医療過誤をあえて公表したのは同大の医学部長だった。本来医療過誤を隠すべき立場にある医療部門の最高責任者だ。その行為をメディアは「勇気ある行為」とほめたたえたが、私は非難するわけではないが、医学部長が医療過誤を公表したのは権力闘争の表れとみている。それほど純粋な医者だったら、権威ある医大で医療部門のトップになれるわけがないからだ。
ただ、この内部告発の意味は大きい。力によって内部の不祥事を闇に葬ろうとした場合、権力を失いかねないということを医療の世界に明らかにしたことだ。東京女子医大の理事長は、引責辞任を免れない。もし免れるとしたら、何らかの方法で医学部長を懐柔するしかない。が、医学界にこれだけ大きなショックを与えた事件を、うやむやにしたら、医学部長は理事長ともども社会的信頼を永遠に失うことになる。そのくらいのことは医学部長も心得ているとは思うが…。
いずれにしても、混合医療の解禁は医療を患者の手に取り戻す大きな機会にはなるだろう。と同時に、日本の医療機器産業、医薬品産業にとっては大きなチャンスでもある。医療分野は日本にとって今後成長が期待される産業でもある。だが、医療産業界は国民皆保険制の壁に阻まれ、健康保険の対象として認可が取れる可能性が大きい分野にしか研究開発に力を注いでこなかった。だが、混合医療の解禁によって新しい市場が生まれるということになると、この分野での研究開発が活発になると考えられる。またアメリカ型の医療保険ビジネスも日本で定着するかもしれない。
ただ、自由診療が原則だったアメリカは、医療過誤や医薬品などの不正研究に対しては非常に厳しい。医薬品大手のノバルティスファーマ社と大学医学部がつるんだ不正な臨床研究は、アメリカだったら間違いなくノベルティファーマ社は潰されているし、大学の研究者も医学界から永久追放されている。混合医療の解禁については、厚労省は医療界や医療関係産業界に対してもそのくらいの厳しい姿勢で臨む必要がある。
これまでは健康保険では医療行為ができなかった高度な先端医療は「自由診療」が原則だった。「自由診療」とは、健康保険では治療行為が行えない高度治療を患者が希望した場合、その病気の治療についてのすべてが患者の自費負担になるという制度である。
それに対し、健康保険で行える治療は保険で治療が受けられ、保険適用外の治療については自費負担で、というように高度治療を受ける患者の負担が減り、また受ける治療の選択肢も広がるという制度が混合治療である。
結論から言うと、大いに結構な制度である。
この混合診療制度の導入は民主・野田政権の時代に浮上したものである。が、医師会が「国民皆保険制度の崩壊につながる」と真っ向から反対し、厚労省も同じ趣旨で混合医療の導入には足踏みしてきた。
もともと、健康保険制度の崩壊が社会的問題になるはるか以前から(つまり厚生省時代から)、最先端の医療器具や医薬品の認可が日本では遅すぎると海外から(とくにアメリカから)批判されていた。なぜ遅かったのか。
別に厚生省の役人が怠慢だったからではない。日本の「国民皆保険制度」というのは、厚生省が「安全で効果がある」と認めた場合、原則として、その医療器具や医薬品を使用した医療行為はすべて健康保険の対象になることになっているからだ。だから高額な医療行為につながる最新の医療器具や医薬品の承認には、も厚生省慎重にならざるを得ないという事情もあった。
いまの若い人は知らないだろうが、かつては現役世代の健康保険の自己負担率は二つに分かれていた。国民健康保険の加入者は3割負担、国民健康保険以外の健康保険の加入者は1割(ただし、その扶養家族は3割)負担という時代が長く続いていた。国民健康保険以外というのは、会社員や公務員など給与所得者が加入する保険である。が、医療費の高騰に伴って会社員や公務員の負担率も2割になり、いまでは国民健康保険と同じ3割になっている。負担率が軽減されるのは70歳以上の高齢者になって以降で、今まではいっきに1割負担に軽減されていたが、今年4月からその1年前に70歳になった前期高齢者は74歳まで2割負担になった。法律では前期高齢者の負担率は2割になっていたのだが、経過的措置として1割負担に軽減されていたのだが、保険財源が維持できないということで法律通り2割負担になったという経緯がある。また高齢者でも現役並みの給与所得者は3割負担になった。
アメリカはオバマ大統領による医療保険制度改革によって、いちおう混合診療制度に移行したが、それまでは自由診療制度だった。なんでも個人の権利と責任を重視するのが原則であるアメリカでは、「自分の安全は自分で守る」という建前で銃規制もままならない。同様に、「病気になるのも、病気を治すのも」自己責任という考え方が医療の世界にも定着してきた。
そのため、アメリカ国民は自分の経済力に応じて民間の医療保険(日本の生保や損保と同様、アメリカの医療保険会社はいくつもあり、また保険のプランもたくさんある)に加入する必要があった。富裕層は高額な医療費がかかる高度な医療を受けられる保険会社と契約できるが、貧困層は医療保険にも加入できず、病気になったら医者にも診てもらえないという状態が長く続いた。
どちらかというと富裕層を選挙基盤とする共和党に対し、貧困層を選挙基盤としてきた民主党は混合医療制度の導入に積極的だった。実際には共和党と民主党の違いはそんなに単純化できるものではないが、歴代の民主党政権にとって貧困層の医療救済制度の導入は大きな政治的課題だった。前政権のクリントン大統領時代も、ヒラリー・クリントンが必死に医療制度改革に取り組んだが果たせず、オバマ大統領がようやく第1期目のとき実現した。が、その医療制度改革が、いま民主党では足かせになってしまった。医療制度改革に伴う財政負担が予想より大きく、民主党への国民の支持率が低下したためである。
日本では、国民皆保険制を維持するため、医療費が高額化する高度医療の承認はなかなか認められず、一方健保財政の悪化を健康保険加入者の負担を高めることによって補ってきた。この保険負担率を上げることに対しては医師会は一切反対したことはない。自分たちの商売には響かないからである。
が、混合医療制度が本格的に導入されることになると、患者による医療機関の選別が始まる。これは、「みんなで一緒に儲けましょう(その逆も同じ)」という日本的平等主義に反するからだ。実際には、すでに患者の医療機関選別は始まっており、「いい病院」や「いい医者」を紹介するテレビ番組や雑誌の特集、単行本などはいま掃いて捨てるほどある。
医療の世界を目指す学生たちも、自分の親が開業医で、跡を継ぐというケースを除くと、将来の自分の人生設計を基準に専門分野を選ぶ。一時、歯科医は「儲かるし、国家試験も楽だ」といった時代があり、いまは歯科乱立になってしまった。乱立しても、お客さん(患者)が減らなければ問題ないのだが、最大の顧客層だった幼児が減少し、高齢者も歯磨きの進歩などで歯医者にかからなくなった。今は、親が歯科医の子供でも歯科医になりたがらないという。
はっきり言って医療もビジネスである。だから医者がビジネスを目的とした医療行為を行うことを私は否定しない。その代わり医療は、ビジネス社会に求められるモラルの最高水準を満たす必要がある。患者は食品や衣服を買うのとは違って、医療の方法を自分で選ぶことができない。つまり医療過誤が生じた場合の自己責任は、患者側には一切問われないのである。これはアメリカでも同じで、だからアメリカの医療機関は患者から訴えられた場合に備えて莫大な保険をかけている。
今月、東京女子医大病院で、2歳の男児に人工呼吸中に投与してはならないプロポフォールを麻酔科医が過剰に投与し、男児が急死した事件があった。その医療過誤をあえて公表したのは同大の医学部長だった。本来医療過誤を隠すべき立場にある医療部門の最高責任者だ。その行為をメディアは「勇気ある行為」とほめたたえたが、私は非難するわけではないが、医学部長が医療過誤を公表したのは権力闘争の表れとみている。それほど純粋な医者だったら、権威ある医大で医療部門のトップになれるわけがないからだ。
ただ、この内部告発の意味は大きい。力によって内部の不祥事を闇に葬ろうとした場合、権力を失いかねないということを医療の世界に明らかにしたことだ。東京女子医大の理事長は、引責辞任を免れない。もし免れるとしたら、何らかの方法で医学部長を懐柔するしかない。が、医学界にこれだけ大きなショックを与えた事件を、うやむやにしたら、医学部長は理事長ともども社会的信頼を永遠に失うことになる。そのくらいのことは医学部長も心得ているとは思うが…。
いずれにしても、混合医療の解禁は医療を患者の手に取り戻す大きな機会にはなるだろう。と同時に、日本の医療機器産業、医薬品産業にとっては大きなチャンスでもある。医療分野は日本にとって今後成長が期待される産業でもある。だが、医療産業界は国民皆保険制の壁に阻まれ、健康保険の対象として認可が取れる可能性が大きい分野にしか研究開発に力を注いでこなかった。だが、混合医療の解禁によって新しい市場が生まれるということになると、この分野での研究開発が活発になると考えられる。またアメリカ型の医療保険ビジネスも日本で定着するかもしれない。
ただ、自由診療が原則だったアメリカは、医療過誤や医薬品などの不正研究に対しては非常に厳しい。医薬品大手のノバルティスファーマ社と大学医学部がつるんだ不正な臨床研究は、アメリカだったら間違いなくノベルティファーマ社は潰されているし、大学の研究者も医学界から永久追放されている。混合医療の解禁については、厚労省は医療界や医療関係産業界に対してもそのくらいの厳しい姿勢で臨む必要がある。