小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

集団的自衛権行使容認問題――土壇場での自公協議成立の真相はこういうことだ。

2014-06-27 08:26:49 | Weblog
 押したり引いたり――とはこのことか。
 集団的自衛権行使容認問題で、自民・安倍執行部と公明・山口執行部の駆け引きのことだ。が、どうやら昨日公明党の閣議決定批判派(創価学会本部に忠実な議員と考えられる)を山口執行部が押し切って、自民執行部に歩み寄ることになったようだ(昨日NHKの『ニュースウォッチ9』での発言)。
 安倍総理にとっては、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することは、第1次政権時から持ち込してきた執念のようなものだ。
 そもそも歴代自民党政権が継承してきた「集団的自衛権」の定義は、「自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある他国が攻撃されたら、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」というものであり、「日本も固有の権利として持ってはいるが、憲法9条の制約によって行使できない」という見解が定着してきた。
 憲法9条の当初の政府案は、「個別的自衛権」すら否定するものだった。実際、政府原案作成の責任者である当時の吉田茂首相は、国会の答弁で「(9条が)一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と明確に自衛権を否定した(1946年6月26日)。
 当時日本国憲法の作成に深くかかわっていたGHQ総司令官のマッカーサーは、日本に自衛権も認めない方針だった(のちにマッカーサーは、そんなつもりではなかったと回顧録で弁解しているが、その方針を記した「マッカーサー・ノート」が残っており、マッカーサーの意図は明白である)。そのマッカーサーの方針に真っ向から反対したのが、実際に日本政府と憲法草案の作成について交渉していたGHQ民政局のホイットニー局長だった。
 この当時の憲法草案作成過程は、河野談話の作成過程ときわめて類似したものだったと考えてよい。最初のたたき台は日本政府が作ったが、その内容ではだめだと相手(憲法の場合はGHQ、河野談話の場合は韓国政府)から突き返されたり、こういう表現にしてほしいと要求されて日本側がその表現ではのめないが、この表現ではどうかといったやり取り=すり合わせが何度も行われて、最終的に憲法については吉田内閣の政府原案が作成され、慰安婦問題については河野談話が作成された。
 いずれにせよ、日本国憲法の政府原案も、慰安婦問題に関する河野談話も、そうした日米、日韓の裏交渉で作られた。

 実は今まで、自公間でも同じような状態が続いてきた。「集団的自衛権行使容認」問題で、与党がまとまらず、なかなか閣議決定に至らなかったのは、憲法原案や河野談話の作成過程と同じように「押したり引いたり」の交渉が長引き、いったん執行部どうしでは合意に達しても、それぞれが党に持ち帰って党内をまとめようとすると、党内で異論が続出して白紙に戻ってしまうといった状況が続いたからだ。
 憲法については、結局政府原案が修正され(いわゆる「芦田修正」)、最高裁
が後にこの芦田修正を根拠に「個別的自衛権」は憲法も否定していないという高度な政治的判断を打ち出し、自衛隊の合憲が確定したといういきさつがある(砂川判決)。ただこの裁判は旧立川基地の拡張計画に対して地元住民や学生たちが反対運動を起こし、またそれに呼応するかのように国会では自衛隊は違憲ではないかという論戦が自民党と社会・共産両党との間に繰り広げられていた。そうした中で、最高裁は米軍は日本政府の支配下にある軍隊ではないから憲法が定めている「戦力の不保持の対象には当たらない」としたのである。それ以降政府は自衛隊も自衛隊が有する戦力も、公には「実力」という意味不明な言葉で繕ってきたし、いまもそれは変わっていない。
 が、最高裁の判決によって自衛隊の合憲性は認められたが、自衛隊の持つ実力(戦力)の範囲も限定されたし、行動範囲も限定されてしまった。まず戦力の範囲は「専守防衛」のための必要最小限に限定され、行動範囲も日本の領土・領域内に限定されてしまった(※その範囲まで最高裁が限定したわけではない。その後自民政府が野党との国会論戦の中で自衛隊の合憲性の解釈結果として「個別的自衛権」の行使範囲を勝手に限定してきただけだ)。
 メディアは、自民党政府がこれまでも「解釈改憲を繰り返してきた」と決めつけているが、一体いつ自民党政府が憲法解釈を変えたことがあるのか。一度もない。安倍総理が「憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使」を可能にしようとしているのが、初めての「憲法解釈変更」の事例になる。
 吉田総理が自衛権をも否定したのは憲法の政府原案が国会に提出されたときの答弁であり、自衛権すら否定した内容になっていた憲法9条は芦田修正によって自衛力の保持は憲法に違反しないという判断を最高裁も下している。現行憲法は自衛権をも否定した吉田内閣が作成した政府原案ではなく、芦田修正が行われたものであり、吉田答弁は現行憲法に関してのものとは違う。それをメディアも安保法制懇も(ということは安倍執行部も)完全に誤解している。
 現行憲法が制定されて以降、政府が解釈改憲を行ったことは一度もないはずだ。念のためウィキペディアだけでなくネット上でいろいろ調べてみたが、政府が解釈改憲をしたという過去の事例を見つける事は出来なかった。いつものことだが私のブログは朝早く投稿するので、政府機関に電話で問い合わせることができていないが、ネットで解釈改憲の事例を見つけることができなかったということは、政府機関に問い合わせても分からないと思う。
 一体、なぜ「解釈改憲」説が定着してしまったのか。そのこともネットでは分からなかった。メディアに問い合わせても答えられないだろう。そこで私の論理的推測の出番になるが、55年体制の中で自衛隊の規模や軍事力の拡大・強化についての与野党の論戦のなかで、社会党が「非武装中立論」に基づく批判を行い、それに対する自民政府の答弁を「憲法解釈」に相当する、と勝手に社会党やメディアが決めつけてきたからではないかと思う。
 私に言わせれば、たとえ「専守防衛」であっても、その戦力は日本にとって脅威となる他国の軍事力の強化とともに(つまり国際情勢の変化とともに)、強化せざるを得なくなるのは論理的に考えて当然のことである。
 国会で北朝鮮による拉致問題を初めて取り上げた(1997年2月3日)衆院議員の西村眞悟氏は、「他国の核の脅威」に対する抑止力として日本も核を保有すべきだと最右翼の主張をしており、もしアメリカと日本が経済政策や外交政策で決定的に対立し、かつアメリカにとって中国や北朝鮮の軍事的脅威が解消されたときは、アメリカは負担が大きい日本の米軍基地を縮小する可能性も考慮に入れた場合、「専守防衛」の武力行使の範囲についての解釈も変えざるを得なくなる可能性が現実化する。
 ただ、それすら「憲法解釈の変更」に該当するのかどうかは議論の的になろう。「自衛のための必要最小限の戦力」とは固定したものではなく、また憲法にも「専守防衛」に限定した条項など、どこにも書かれていないから「解釈改憲」に相当するのかどうか、再び最高裁は高度な政治的判断を迫られることになる。誤解がないように言っておくが、私は西村氏の「核武装論」を肯定しているわけではない。論理的に考えると、そういう事態は絶対にありえないとは言えない、と考えているだけだ。
 いずれにせよ自公が週明け早々にも集団的自衛権の行使容認について閣議決定が行われる見通しとなった。いま現実に日本が差し迫った危機的状況にあるわけではないが、安倍総理は内閣支持率が高水準を維持している間に閣議決定に持ち込み、通常国会は閉会したのに秋の臨時国会を待たずに、緊急臨時国会を召集して短期日で国会で成立させたいようだ。

 が、ここに至るまでの経緯をざっと振り返っておこう。
 公明党が、集団的自衛権行使容認に向けた安倍総理の積極的姿勢に猛烈な反発を示しだしたのは今年に入ってからだ。昨年内は集団的自衛権問題について公明党はまったく無関心だった。
 公明党の目を覚ましたのは実は私である。今年1月6日、私は『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。 積極的平和主義への転換か?』と題するブログを投稿すると同時に、公明党事務局の政策担当者に電話して安倍総理が行おとしている憲法解釈変更の意味を説明した。公明党の政策担当者は、その時点ではまったく集団的自衛権行使の意味を理解しておら
ず、私は子供に言い聞かせるように噛んで含めるような説明をしなければなら
なかった。担当者はびっくりして私の説明を聞いた。「まったく考えてもいませんでした」と返事を返したのがその証拠である。
 が、その直後から公明党執行部が、「これはうかつには乗れない」と考え出したようだ。また私の公明党事務局への提言が創価学会本部にも伝わったのだろう。創価学会の広報が「この問題は憲法解釈の変更によるべきではなく、憲法改正で行うべきだ」という宗教団体としては異例のコメントを出した。政府与党内での自公の密接な関係にひびが入りだしたのはそれ以降である。このことは、いまごろになって、私が結果論で言いだしたのではない。何度もブログで書いてきたし、公明党事務局とは妙な関係にはなりたくなかったので、このブログは参考にしてもらいたいと思ったときに二度ほど公明党のホームページの「ご意見欄」にメールで「こういうタイトルのブログを書きました。ご参考までに」と送信するにとどめてきた。

 最後に、自公の駆け引きの中で重要なことだけ指摘しておきたい。安倍総理は公明の抵抗に手を焼いて先週末(事実上の国会閉会日)に突然「集団安全保障への武力行使」を集団的自衛権行使のケースに盛り込む方針を打ち出した。これにはメディアもびっくりしたようだが、押したり引いたりしながら行使が可能な事例をほとんど個別的自衛権か警察権の行使で可能なケースにまで自民を歩み寄らせてきた公明も「インド人もびっくり」(※ごめんなさい。これは差別用語です。削除はしませんが問題にされたら撤回することをあらかじめ申し上げておきます)一気に態度を硬化させ、自公協議は振出しに戻ってしまった。
 それであわてたのが自民の多くの地方議員たちである。先の参院選、また安倍政権が誕生した衆院選、この二つの選挙で自民が大勝したのは「民主が勝手に転んだ」という他力本願的要素もあったが、とくに小選挙区制での自民立候補者を公明が応援したことが大きかった。もし、煮え切らない公明に安倍総理が短気を起こして「もう公明の支持なんかいらない。すでにみんなや石原新党は賛成の意向を表明しており、結いと合併する維新もまだ正式な態度表明はしていないが前向きな姿勢を示している。公明抜きでも法案は通すことができる」と踏んだとしたら、自公連立は崩壊しかねず、そうなると次の国政選挙で自民候補者が勝てるかどうかわからなくなる、といった執行部の独走に対する反発が猛烈に噴き出したのではないだろうか。
 それが土壇場で、ほとんど公明の主張を丸呑みした「新3要件」への180度転換の真相であり、公明執行部も「そういうことなら、我々も内部をまとめる」となったのではなかろうか。公明も権力の座から滑り降りることは何が何でも
避けたかったのだろう。しょせん権力者の発想とはそういうものだ、ということを白日の下にさらけ出しただけでも、この騒動の意味はあったと私は考えている。
 ただし、このまますんなりいくとは限らない。憲法学者や弁護士、市民団体などが「憲法解釈の変更は憲法違反だ」と全国で提訴するのは必至だからだ。この訴訟は各地の地方裁判所の裁判官によって判断が分かれるだろうが、地裁のかなりは「憲法違反」と判断する可能性が高いと思われる。砂川判決(最高裁)が認めたのは「個別的自衛権」のみであり、集団的自衛権については何も触れていない。
 確かに最高裁判決は「高度な政治的問題については裁判所は判断することはできない」としたが、それは日本防衛体制強化を目的とした米軍基地の拡張計画についてのことであり、「憲法解釈を変更する」限度が裁判で問われるとなると、「高度な政治的問題だから」と逃げるわけにはいかない。憲法解釈に関する訴訟に最高裁が判断を下せないということになると、果たして現行憲法は有効なのかという疑問さえ生じかねないからだ。
 この訴訟は間違いなく最高裁まで行くだろうし、万が一、最高裁が憲法の有効性を否定するような判決を下したら、憲法を前提にした裁判はすべて無効となると考えるのが文理的である。