小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

最終段階に迫った「集団的自衛権行使」問題をめぐる攻防――その読み方はこうだ。①

2014-06-18 07:16:21 | Weblog
 防衛大学名誉教授の佐瀬昌盛氏が、産経新聞【正論】で『集団的自衛権行使は「戦争」に非ず 煽動と説得とは大違い』と題する「集団的自衛権行使」容認論を展開した。佐瀬氏はこの論文で大江健三郎氏が中心になって結成した「九条の会」の集会での発言と、朝日新聞の社説について「馬鹿も休み休み言うがよい」と切って捨てた。
 私は別に大江氏や朝日新聞の肩を持つつもりはないが、集団的自衛権行使については大江氏や朝日新聞とは別の意味で問題があると考えている。
 言うまでもなく、日本が集団的自衛権を行使する場合、その実行部隊は自衛隊である。佐瀬氏もそれは否定しないだろう。そして歴代日本政府は憲法9条と自衛隊の関係について「憲法は自衛権の放棄を定めたものではなく、その自衛権の裏付けとなる自衛のための必要最小限度の実力を行使することは当然に認められている」との苦しい説明をしてきた。
 憲法9条は「戦争の放棄」と「戦力の不保持」および「交戦権の否認」を定めている。そのため海外からは明らかに「軍隊」「戦力」と見なされている自衛隊を「軍隊」とも呼べず、「戦力」とも言えず、意味不明な「実力」と定義してきた。そのことを前提に「集団的自衛権行使」の意味について改めて考えてみたい。
 佐瀬氏によれば、大江氏は集会で「戦争の準備をすれば、戦争に近づいていく」と語ったという(佐瀬氏自身が直接聞いたわけではなく、報道で知ったようだ)。朝日新聞については同紙5月16日付の社説『集団的自衛権 戦争に必要最小限はない』の中見出し「自衛権の行使=戦争」という表記を取り上げ、両者とも「集団的自衛権の行使イコール戦争だと捉えている」と断定した。
 確かに与党内で、集団的自衛権の行使についていくつかの事例に限定して検討されている。それらの事例の大部分は、自衛隊が直接実力を行使せずに済むケースである。だが、基本的には自衛隊も軍隊である以上、限定された条件の中で行動していたとしても、戦争に絶対巻き込まれないという保証はない。
 たとえば戦場ではない地域での、米軍への後方支援に自衛隊が従事していたとする。確かにその時点では自衛隊は直接米軍と共同行動をとっているわけではないが、米軍の敵国からすると自衛隊の後方支援活動は自国に対する敵対行為にみえるだろう。戦場においては敵軍の兵站線を絶つというのは、非常に重要な作戦行動である。自衛隊にはその気がなくても、否応なく戦火を交えざるを得なくなる状況は覚悟しておかなくてはならない。そうした事態が起こりうることまで佐瀬氏は否定するのだろうか。
 
 佐瀬氏はこうも言う。
「私は自分の経験から集団的自衛権について有権者の99%は理解ゼロだと考え
る。有権者1億400万強の1%は104万強だが、この抽象的概念を曲がりなり
にも説明できる人数はそれ以下だ。99%の有権者にとり、それは正体不明の〈妖怪〉なのだ」
 確かに佐瀬氏は、数少ない理解者の一人であることは私が保証する。その理由は、国連憲章51条を意図的に改ざんして集団的自衛権の行使容認論を主張しているからだ。理解していなかったら、憲章を意図的に改ざんしたりはしないはずだからだ。改ざんした箇所を指摘しておく。
「日本国憲法は『戦争の放棄』を謳(うた)う。これは『戦争の違法化』を法典化した国連憲章と整合関係にある。その憲章51条が全国家に『個別的、集団的自衛権の固有の権利』を認めている」
 佐瀬氏が意図的に改ざんした箇所は、読者にはもうお分かりだと思う。憲章51条の全文を転記するまでもない。
 国連憲章は、大原則として国際紛争を武力で解決することを全加盟国に禁じている(※大騒ぎするほどのことではないが、佐瀬氏が「全国家」としている部分は間違い。正確には「全加盟国」である。佐瀬氏は大江氏や朝日新聞について「用語には人一倍うるさいだろうと思ってきた」とお叱りになったくらいだから、ご自分も用語は正確にお願いしたい)。が、それでも国際紛争が生じた場合に解決するためのあらゆる権能を国連安保理に与えることにした。
 国連安保理に与えられた権能は41条(非軍事的措置)と42条(軍事的措置)に明記されている。言っておくが国連憲章が制定されたのは1945年6月。この憲章42条を行使して、2か月後に米軍が広島と長崎に原爆を投下した。国連憲章によって正当化された権利の行使である。佐瀬氏も、それを忘れてもらっては困る。
 戦後、憲章が基本になって国際連合(国連=本当は「連合国」)が45年10月に結成された。
 1946年11月3日、現行憲法が公布(施行は47年5月3日)。
 1951年9月8日、サンフランシスコ条約に調印、同日日米安全保障条約調印。翌52年4月28日に両条約が発効し、日本は主権を回復した。が、自衛権すら否定したと解釈されかねない憲法は国民の審判も得ずそのまま存続。なお憲法制定時の総理であり、独立回復時の総理でもあった吉田茂氏は、のちに回顧録『世界と日本』で「独立国日本が、自己防衛の面において、いつまでも他国依存のまま改まらないことは、いわば国家として未熟の状態にあるといってよい」と、憲法改正への手順だけでも作っておかなかったことを後悔している。
 1956年12月18日、国連総会で日本は国連に加盟。

 さて国連憲章51条は、41条及び42条で安保理に国際紛争の解決のためのあ
らゆる権能を付与したが、安保理(現在は15か国)のうち5大国(米英仏露中)
が拒否権を持っており、とくに冷戦下においては安保理が国際紛争の解決のために付与された権能を行使することはできなかった。そのことは憲章制定時に当然予測されたし、特にラテンアメリカ諸国が自国防衛のために、安保理が国際紛争を解決できない事態に対処するための法的根拠として共同防衛による集団的自衛権を、加盟国に「固有の権利」として明記するよう強く主張、それが受け入れられて51条が制定されたという経緯がある。防衛大学校の名誉教授である佐瀬氏が「それは知りませんでした」とは、まさか言うまい。
 つまり集団的自衛権は、国連安保理が解決できないような国際紛争が生じて、自国の安全が脅かされた場合に、(同盟国などと)共同で自国を防衛する権利なのである。だから、憲章51条の肝心の部分はこう明記されている。
「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
 この「個別的又は集団的自衛の固有の権利」という個所を、佐瀬氏は「個別的、集団的自衛の固有の権利」と意図的に改ざんした。「または」と「、」とでは接続詞(句読点を含む)の使い方としてまったく異なる意味を持つ。解釈が180度変わってしまうといっても差し支えない。
「又は」という場合、二つのうちどちらか、という選択肢を意味する接続詞である(おそらく英語の原文ではorとなっているはず)。したがって権章51条で加盟国の権利として認められた自衛権は、自国の軍隊だけで敵国からの攻撃を防いでもいいし(個別的自衛権の行使)、自国の軍事力だけでは攻撃を防げない場合は(同盟国などと)共同で敵国の攻撃を防いでもよい(集団的自衛権の行使)という意味に解するのが文理的である。が「、」で二つの自衛権を結びつけた場合、これらの自衛権の意味があいまいになってしまう。
 いま安倍=高村ラインは「個別的」と「集団的」を区別せず、いっしょくたにしてしまうことで集団的自衛権の新解釈を強引に閣議決定に持ち込もうとしている。大江氏や朝日新聞の用語法に噛み付いたくらいだから、佐瀬氏が「うっかり」して「又は」を句読点に置き換えたとは認めにくい。(続く)