小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

河野談話の作成過程の経緯が明らかになったのに、なぜ安倍内閣は談話の再検証を拒むのか。①

2014-06-23 05:47:46 | Weblog
 通常国会の事実上の閉会日(20日)に、政府はいわゆる「従軍慰安婦」問題についての河野談話(1993年8月に宮沢内閣の河野官房長官が発表したもの)の作成過程の検証結果を公表した。NHKはニュース7で「検討結果」としたが、「検討」と「検証」とでは、重みが月とすっぽんほど違う。ほかのすべてのメディアが「検証結果」としているのに、なぜNHKは「検討結果」としたのか。
「検証」とは、事実の有無についての調査の結果、明確になったこと(あるいは明確にすること)を意味する言葉である。「検討」とはまだ事実が明確でない時点で事実関係についての判断を行った(あるいは行っていること)を意味する言葉だ。だから政府が有識者会議を設置した段階では事実関係を明確にするという意味において設けられた「検討会」だった。その検討会が行った作業が、河野談話の「作成過程の検証」であり、事実関係が明らかになったので「検証結果」を発表したのである。言葉尻を捉えるわけではないが、最近のNHKは明らかに政治的意図を含めた言葉を使っている。
 安保法制懇の位置付けにしてもそうだ。読売新聞と産経新聞は「政府の有識者会議(懇談会)」と位置付け、朝日新聞と毎日新聞は「安倍総理の私的有識者会議(懇談会)」と位置付けていた。日本経済新聞は「政府の」とか「私的な」といった冠言葉を付けずにただの「有識者会議」としていた。メディアの安保法制懇についての位置付けは、当然のことだが各社の政治的立場を反映した表現になる。だから安保法制懇の正式な報告書が出る前からメディア各社は報告書の概要について関係者に取材してスクープ合戦を行った。
 それはNHKも含めてメディアとして当然のことだが、なぜか政治的中立性が義務付けられているNHKは、ニュースでアナウンスやテロップ(字幕)で安保法制懇の動向を報道する場合、「政府の有識者懇談会」とオーソライズした表現を繰り返していた。当然私は何度もNHKの上席責任者に電話し、安保法制懇を「政府の」と位置付けることは、現在のメディア各社の位置づけ方から考えてもNHKが「集団的自衛権行使容認」の立場に立ったことを意味すると抗議した。閣議決定を経て政府が設置した有識者会議(懇談会)の場合は、政府に対してかなりの強制力を持つ(決定権ではない)からだ。
 結局NHKは私の抗議を受け入れて、4月末くらいからだったと思うがアナウンスやテロップの表現も変えた。「安倍総理が設置した有識者懇談会」としたのである。この表現が、一番政治的中立性を明確にしたもので、NHKの報道局内部での良識派がニュース報道の主導権を握ったのではないか、と私は考えていた。確かNHKとのやり取りの経緯と結果はブログで書いたはずだが、タイトルにそういう表現を加えていなかったようで、いつ書いたのか思い出せない。
 いずれにせよしばしば欧米人とのやり取りで日本人が使用する「検討します」という言葉が「YES」や「OK」を意味する言葉と誤解されて問題を起こすケースが生じた時期がある。日本人は相手を傷つけないようにやんわり拒否するニュアンスの言葉だということが分かっているが、なんでもYESかNOかはっきりさせたがる欧米人にとっては日本人が日常的に使う、相手への気遣いを込めたNOのサインだということが分からない。最近は日本の政治家やビジネスマンも欧米人の言葉に対する感覚と日本人のそれとは違うということが分かってきて、相手に誤解を与えないような対応を心掛けているようだ。
 そういう意味も含めて政府は、まだ事実関係が明らかでない段階で「検証」という強い意味(つまり河野談話そのものに対する否定的な見解を出すこと)を使用せず、また「河野談話」そのものの信ぴょう性を明らかにすることが目的ではないことも言外に匂わせた「河野談話の『作成過程』の検討会」としたのであろう。
 が、調査の結果事実関係が明らかになったら、検討会が提出した報告書の内容は「これから検討する」段階のものではなく「明らかになった事実を検証したもの」ということになる。素人なら「うかつだった」ですむが、メディアが使う言葉はつねに一定の政治的意味合いを持つ。さんざん安保法制懇の位置付けについて言葉の持つ意味と重要性をNHKにはお教えしてきたはずだが、なかなかご理解いただけないようだ。

 とりあえず、検討会が行ったのは河野談話そのものの信ぴょう性ではなく、談話の作成過程がどうだったのかを調べましょうということだった。そのきっかけは、河野官房長官と一緒に「従軍慰安婦問題」の調査に当たった石原信雄官房副長官(当時)が今年2月20日、衆院予算委員会で「日本政府あるいは日本軍が強制的に募集することを裏付ける資料はなかった。証言の事実関係を確認する裏付け調査は行われていない。談話の作成過程で韓国側と意見のすり合わせというものは当然、行われたということは推定される」と証言したことによる。
 その結果、にわかに河野談話の信ぴょう性を検証する必要があるという世論が高まった。そうした経緯の中で、安倍内閣は「河野談話の内容」についての検証ではなく、「河野談話の作成過程を調べる必要がある」として「検討会」を設置したのである。では河野談話とはどういうものだったのか。

 韓国の元慰安婦らが1991年、日本政府に補償を求めて提訴した。政府は調査の結果として、93年8月に宮沢内閣の河野洋平官房長官が公表したのが河野談話である。慰安所は「当時の軍当局の要請により設営された」とし、慰安所の設置や管理、慰安婦の移送について「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」と強制性を認め、「心からお詫びと反省の気持ち」を表明した。

 これが「河野談話」の骨子である。この「お詫びと反省」は日本政府を提訴した16人の元慰安婦への聞き取り調査の結果として行われた。つまり16人の元慰安婦の証言が真実であると、聞き取り調査を指導した河野氏が確信したということを意味する。
 その後、16人の元慰安婦の証言について様々な疑問(たとえば証言に具体性がないとか、つじつまが合わないといった)がメディアによって指摘されたが、それは大した問題ではない。元慰安婦が日本政府を訴えたのは自分たちが慰安婦として日本軍兵士の性欲のはけ口になったのは提訴の50年も前のことであり、仮に当時の元慰安婦が20代半ばの年齢だとしたら、すでに75歳前後にはなっている。現在の調査研究によると、日本人の場合だが65歳以上の高齢者の認知症有病率は8~10%と推定されている(厚労省)。日本人の食生活が通常になったのは1950年ころと言われているから、先の戦争時における朝鮮の食生活の水準から推測しても元慰安婦の証言にあやふやな点があったからといって、証言がでっち上げだったとは私は考えていない。むしろ、証言の内容が完全無欠で矛盾点がなかったとしたら、そのケースの方がでっち上げを疑うべきだと思う。
 問題は、日本政府を訴えた16人の元慰安婦の証言だけで、慰安所の設置が「軍当局の要請により設営された」と断定し、慰安所の設置や管理、慰安婦の移送についても「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」と、河野談話では断定していることである。
「木を見て、森を見ず」という格言もある。あるいは「木を見て、森を見る」ともいう。
 16人の元慰安婦を、仮に20万本の木でうっそうとした森のあちこちに生えていた枯れ木だったと考えればいい。その16本の枯れ木を見て、「この森は枯れ木で埋まっている」と断定することができるだろうか。河野談話はそういう性質の談話だったということなのだ。
 16人の元慰安婦は、恥を忍んで日本政府を訴えたくらいだから、確かに大変つらい思いをした方たちだったと私は思っている。が、慰安所の設置、管理を軍当局、具体的には大本営なり陸軍参謀本部なりが各部隊に指令したとしたら、必ず軍当局が関与したことを証明する文書がどこかに残っているはずだ。朝鮮全土に展開されていた日本軍の各部隊に電話などで通達するなどということはありえない。そういったことは、各部隊に軍当局がわざわざ通達するまでもなく、部隊の駐留先で自由に行えていた時代だったから、と考えるのが自然であろう。戦後も「赤線・青線」が残っていたくらいで、公娼制度はほぼ世界中で公認されていたのが実態である。
 例外はアメリカだ。アメリカは母国でいい仕事にありつけなかったり、事業に失敗したヨーロッパ人(中心はアングロ・サクソン系)が新天地に夢を託して移住して作り上げた人造の国家である。彼らの多くは、セックスに対する極めて厳しい倫理観を持ったキリスト教徒である。現在もアメリカは州によっては避妊や堕胎を禁じている。不倫はご法度であり、当然公娼制度などない。
 レディファーストは、もともとは中世ヨーロッパの騎士道に端を発したと言われているが、実は世界共通のルールにしたのはアメリカではないか、と私は考えている。というのは、新天地にわたった若い男性にとって最大の問題は女性をどうやってアメリカに呼び寄せるかだった。荒れ地を開拓して生活基盤を築いたのはいいが、女性がいないと家庭も作れないし、子供も作れない。そこで「アメリカは女性にとって天国だよ」とヨーロッパの女性に呼びかける必要があった。要するに北朝鮮が在日朝鮮人に「北朝鮮は天国だ。早く帰っておいで」とプロパガンダしたのと同じ手口を使ったのだ。
 だが、アメリカは北朝鮮のような一党独裁の軍事政権ではない。そのプロパガンダがウソだということになると、ヨーロッパから若い女性を呼び寄せることができなくなる。そのため、アメリカは本当に「女性にとって天国」のような社会にする必要があった。それがアメリカにレディファーストが定着した理由であり、だから公娼制度はかなり古くから認めていなかったのではないだろうか。アメリカは男性の不倫に対しても厳しい社会だが、おかしいのは元大統領のクリントンがホワイトハウスで実習生の若い女性と「不適切な関係」を持ったが、その行為はSEXではないということで世論の集中砲火を免れたというアメリカの倫理観である。日本では売春婦は「キスは許さない」ようだが、国によって性的モラルの基準が異なるのも、おかしな話といえば言えなくもないような気がする。
 そうしたモラル基準があって、アメリカは公娼制度を認めていない。そのため、おそらく先進国で性犯罪が最も多いのはアメリカではないだろうか。実際ノルマンディー作戦を成功させてフランスに進駐した米兵たちがフランス女性を片っ端から強姦した事実はもはや公然たる秘密とされているが、橋下徹氏がその事実を公言するのはちょっとまずかった。私がブログで書く分には何の問題も生じないが、日本の将来を担おうという政治家が口に出すのはいかがなものか。(続く)