今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

十字架に現れた神の愛

2022-04-10 00:01:14 | ローマ

 

ローマ5:6-11

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。

 

いつ神様の愛を一番感じていますか?

 

主の十字架を見ても何とも思わない人もいます。

ある人は十字架の主を見て悪口も言います。

 

しかしある人は十字架の主を見て、その愛と恵みに涙を流します。

どのような愛と恵みを受けたことで涙を流しますか?

 

私も十字架の主を見ると、未だに涙が出て来る時があります。

なぜならイエス様は、私が弱い時に私のために十字架にかかりました。

 

弱い時とは、不信仰の中で肉の情欲に従って歩んでいた時です。

私が罪人であった時に私のために十字架にかかりました。

 

罪を犯して法廷に立っている犯罪人のような私に、誰も自分のために弁護する者がいない時に私のために主が立ち上がって私の罪の代わりに自分が罪を背負って刑罰を受けました。

 

私が神に敵対している時に、主は私のためにいのちを捨てて下さいました。

敵を愛する主の深い愛が自分に注がれ、魂が救われたことを忘れることは出来ないです。

 

これほど大きな主の愛と恵みがあるでしょうか。

 

【関連聖句】

ヨハネの福音書3:16

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

【聖書通読】

-子どもたちへ-

  • 箴言5-7章

 

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