Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

チェーホフさんと私

2019-06-14 | Weblog

チェーホフさんと私が似ているという人がいる。

だが、彼の銅像の前に立ってみて、やはり似ているようには思われない。

モスクワ芸術座はす向かいのチェーホフ像前にて。先週。

 

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上田での劇作家大会にて、新人戯曲賞受賞作のリーディング開催。出演者決定のためのオーディション、詳細発表。

2019-06-12 | Weblog

劇作家大会大分大会で公開審査が行われ選出されたことも記憶に新しい、第24回劇作家協会新人戯曲賞受賞作・ピンク地底人3号 『鎖骨に天使が眠っている』。

同作品を、来る八月の劇作家大会上田大会でリーディング上演することが決定。作者自身が演出します。上田にて 7 日間、滞在しながら作品づくりをします。

つきましては、出演者を募集します。

出演者決定のためのワークショップ&オーディションを、東京と上田で開催。詳細が発表されました。 

応募締切は、6 月 23 日(日)24 時。

ワークショップ&オーディションは、7 月 3 日 東京:サンモールスタジオ稽古場 + 7 月 4 日(木)上田:サントミューゼ 

ふるってご応募ください!



【出演者募集! 新人戯曲賞受賞作品を上田大会でリーディング上演】
2018年度日本劇作家協会新人戯曲賞受賞作『鎖骨に天使が眠っている』(作:ピンク地底人3号)を劇作家大会でリーディング上演!出演者を決定するためのワークショップ&オーディションを東京と上田で開催いたします。

締切は6月23日(日)24時
ふるってご応募ください!

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2018年度新人賞受賞作 
「鎖骨に天使が眠っている」
        滞在製作&リーディング出演者募集

日本劇作家協会関西支部では、2018 年度日本劇作家協会新人戯曲賞受賞作「鎖骨に天使が眠っている」(作:ピンク地底人 3 号)のリーディング上演を、劇作家大会 2019 上田大会にて企画しています。
リーディングという形式をとりますが、本作品の作者で演出家のピンク地底人 3 号と共に、現地(犀の角)にて 7 日間、滞在しながら作品づくりをします。その参加者(出演者)を決定するため、ワークショップ&オーディションを開催いたします。オーディション会場は東京と上田の2カ所です。
皆さまのご応募を心よりお待ちしております。

【ワークショップオーディション】

〈日程〉
・7 月 3 日(水)①14 時~17 時 ②18 時~21 時  
 東京会場:サンモールスタジオ稽古場
  (東京都新宿区富久町16-8 新宿ユニオンビルB1)
 ・7 月 4 日(木)19 時~21 時 30 分  
 上田会場:サントミューゼ
  (長野県上田市天神 3-15-15)
※多くの方が参加しやすい東京会場と、劇作家大会が行われる地元の方が参加しやすい上田会場の2カ所で行いますが、どちらの会場を希望されても、選考結果には影響いたしません。

〈参加費〉500 円

〈募集条件〉・2019 年 8 月 12 日から 18 日まで上田に滞在できる方。
・日本語でコミュニケーションが取れる方。
・以下の登場人物に沿った選考を行います。出演者は 8 名です(ト書き話者を加える可能性があります)。

坂本透♂ 10 代~20 代男性を演じられる人       
桐野義男(透の親友)♂ 10 代~20 代男性を演じられる人                         
桐野京子(義男の母)♀ 中年または年配の女性を演じられる人   
桐野建人(義男の父)♂ 中年または年配の男性を演じられる人            
桐野一恵(義男の姉)♀ 20 代女性を演じられる人                
武田柚香(一恵の友人)♀ 10 代~20 代女性を演じられる人   
緑川昌美(拓次の妻)♀ 中年女性を演じられる人           
緑川拓次(戦場ジャーナリスト)♂ 30 代~40 代の男性を演じられる人

〈特記事項〉
・出演が決定した場合は、参加費(大会参加費 1000 円+レジデンス参加費 5000 円)が必要となります。
・交通費、食費、宿泊は自費となります。(大会期間中の宿泊は犀の角レジデンス施設を使用します。
・1泊 3500 円程度。自宅から通われる方はお知らせください)
・台本は現状関西弁で書かれていますが、出演者に合わせて書き換えを行う予定です。

〈応募方法〉メールの件名を「鎖骨ワークショップ参加希望」とし、氏名、生年月日、現住所、出身地(使える方言を知るため)、連絡先(携帯電話、メールアドレス)、希望するワークショップ参加会場(東京①14 時~or②18 時~、または上田)、プロフィール(出演履歴等、俳優経験の有無等がわかるもの)、写真(全身とバストアップ)をメールにてご応募ください。添付の場合は、Word か PDF のデータでお願いします。(応募者には、2 日以内に受付完了のメールを返信いたします)

〈募集〆切〉6 月 23 日(日)24 時
応募者多数の場合、書類選考を行います。6 月 26 日(水)までにワークショップオーディション参加の可否をご連絡いたします。

〈応募先、問い合わせ〉 
jpwa.kansai@gmail.com(日本劇作家協会関西支部 事務局・秋津)

 

写真は、大分大会で賞を授与するマキノノゾミ(劇作家協会副会長)と、受賞者・ピンク地底人3号。

 

 

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はじめての、つかこうへい作品

2019-06-09 | Weblog

情報解禁。

 

つかこうへい作品に取り組むことになりました。 初めての対面です。

 

戦後演劇の金字塔『熱海殺人事件』、 その発展形『売春捜査官』。

二人の「くわえ煙草伝兵衛」が、激突します。

 

http://rinkogun.com/Atami_vs_Baisyun.html

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ロシアも暑い

2019-06-09 | Weblog

日本は暑いらしいが、ロシアも暑い。

トルストイ邸のイヌ君、倒れていた。

やる気はないようだ。そもそも番犬ではないのであろう。

 

この倒れ方、去年、レイテ島で猛暑の中、気持ちよさげになのか、どうしようもなくだったのかは判然としないが、べたっと地面に倒れていたイヌ君と、ほぼ同じである。

暑いときのイヌの定番・倒れポーズなのであろうか。

考えてみれば、そもそもこのポーズ以外は、なかなか考えにくい気もする。

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トルストイの墓

2019-06-08 | Weblog

トルストイ原作のオペラを作ることになったので、一度は訪ねてみたいと思っていたロシアに、行くことにした。

関西でロシアの児童文学を研究している方々の会によるロシアツアーに、こんにゃく座の萩京子さん、神戸のオペラ歌手・濱崎加代子さんと一緒に、参加させていただいている。

モスクワの宿舎は、労働社会関係アカデミー学生寮である。男子三人の相部屋である。私は最年少。一般的にはいちげんの皆様と同室はいろいろと心配なもののようだが、考えてみれば私は大学に入ってしばらくは男子寮暮らしもしていたので、得がたい経験として、楽しくさせていただいている。

じつはこのツアー、チョコレートケーキの古川健さんもお誘いしたのであるが、諸事情で実現しなかった。村井健さんがご存命だったら、ツアーなんて坂手らしくない、とおっしゃったに違いない。だが、ロシアに精通した人たちの経験値は、侮れないというのも、確かである。

 

モスクワから南へ190キロ、トルストイの生地であり、トルストイが一生のほとんどを過ごした、彼の作品の背景にある土地、ヤーナ・ポリャーナを見学することができた。一日がかりである。

敷地内の端にはトルストイの墓がある。
墓石も文字もなく、苔むす緑、ただ土が盛り上がっているだけである。

このかたちは、トルストイ自身の選択である。

トルストイのこと、この地のこと、墓のことを語るモスクワのロシア人が、涙ぐんで昂揚していたのをその前日、目の当たりにして、かの地の人々がいかにトルストイを愛しているか、あらためて感じいった。

 

1993年からしばらく、私が初めて行った西欧の国は、もと東側の国ばかりだった。その後のツアーも、もと東側が多い。しかしロシアは初めてだったのである。ある意味ではべつだん際立った新情報に出会ったというわけでもないのであるが、いろいろな謎が氷解していくような、妙な感じもある。

 

1991年『汚名』は、私が、母とソヴィエトについて書いた戯曲である。全国ツアーもした。ただ、岸田戯曲賞受賞第1作にしては、思い切りテーマが狭いように思われたらしく、私が処世術が下手くそであるという評判も、何しろこのあたりから始まっているのであろう。

 

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「新潟カツ丼」とカレーの相性

2019-06-06 | Weblog

前回プログ写真の、「新潟カツ丼の店」についての質問に答える。

「新潟カツ丼の店」は、私がよく行くのは吉祥寺店。

新たな写真は、渋谷店の、「カツカレー」である。

この店にも山椒は置かれている。

 

タレ味の「新潟カツ丼」とカレーの相性については、個人的見解は控えさせていただく。

 

「新潟カツ丼」については、興味のある向きは、ご自分で調べてください。

発祥の店は新潟「えんとつシアター」に近い。

 

信州駒ヶ根のソースカツ丼に近いが、ソースでなくタレカツである。ワイルドではなく、品がある。

 

福島、岡山のソースカツ丼文化比較は、今までずいぶんしてきたので、今回は省略。

 
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山椒に惹かれる

2019-06-05 | Weblog

ここしばらく、なぜか山椒に惹かれる。

タレ味の強いもの系にはぜひかけたいと思う。

経堂のやきとん「K」でシロにかけて食べることを知って以来、取り憑かれている。

 

さっぱりした和え物にも加えるといいのも知っているが、なかなか試す機会はない。

さすがに山椒をふだんから持ち歩いてはいない。

 

写真は、新潟カツ丼の店で発見したもの。

 

完全に気分転換の投稿である。

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星野文昭さん亡くなる

2019-06-03 | Weblog

星野文昭さんが亡くなられた。

私が『ブラインド・タッチ』の主人公のモデルとさせていただいた方である。

二十年近く前、獄中結婚されていた暁子さんと文昭さんに、文昭さんが出所できた後のことを想定した戯曲を書いていいかと尋ね、承諾を得た。そう記憶していたが、暁子さんが芝居にして下さいと申し入れられたという話もあって、記憶は定かでない。ただ、私が獄中結婚の劇を書きたいと思い、その頃、文昭さんの冤罪を晴らすための運動に出会ったのは、確かである。もちろん『ブラインド・タッチ』はフィクションだから、お二人の現実そのままではない。

 

共同通信が発した文昭さん死亡の第一報は、関係者の話とされているが、おそらくそうではない。体制側の情報である。

星野さんは冤罪なのだ。無実の罪で無期懲役の判決を受けていた。

1971年の渋谷事件。沖縄返還協定反対闘争の一環である。警察官殺害の罪を被せられ、75年に逮捕。証拠を確かめれば明らかなことだが、事件当時彼は物理的に離れた場所にいて、「実行犯」にはなりえない。どうみても無実の文昭さんに対し、最高裁は87年、無期懲役を確定。44年間、獄の中に閉じ込められ続けてきた。

 

昨年夏の猛暑の中、文昭さんは倒れた。徳島刑務所はたった一日、病舎で休ませただけだったという。家族や弁護団が原因究明の検査を徳島刑務所に要求し続けたが、実施しなかった。本年3月4日になって初めて、腹部のエコー検査を実施した。だが検査結果は文昭さん本人には告げられなかった。

4月18日に突然、徳島刑務所から昭島の「日本成人矯正医療センター」に移送された。一般施設のように見えるが、外界との接触ができない、刑務所の中と同じルールで過ごさねばならない施設である(写真)。

そこでの検査で、肝細胞がんだと告げられた。

 

5月28日の肝臓からのがん摘出手術は成功と伝えられ、胸をなで下ろしていた。

翌日、容体が急変。出血が止まらず危篤状態になった。

医療センターに泊まり込んでいた暁子さんだが、面会には厳しい制限があった。危篤状態になってさえ、家族としての面会、付き添いが拒絶され続けた。弁護士や支援の皆さんが面会できるよう掛け合った。その努力は実り、ようやく十分間の面会が許された。

 

そして、30日木曜日、私が劇作家大会のための会議に出ていた正午過ぎ、暁子さんから「一日二回面会しています。ハグも握手も。」というメールが届いて、私は会議の真っ最中なのに、涙がこみ上げてくるのを抑えられなかった。

出会って33年の文昭さんと暁子さんが、文昭さんが死線をさまよう状態で、初めて直接ふれあうことができた。「ハグも握手も」。初めてなのだ。

 

そのあと昭島の医療センターに駆けつけた。支援者が見守る中、私ともう一人だけ、暁子さんに弁当を渡す係としてゲートエリアに入ることを許され、激励した。疲労の色は隠せなかったが、暁子さんの目は、真っ直ぐに現実を見据えていた。

その後、その日午後9時44分、文昭さんは逝去された。


鷺宮の葬祭ホールで、初めて、じかに、文昭さんのお顔を拝見した。暁子さんと一緒にいる文昭さん。このお二人が、私の肉眼に、ほんとうに、一緒に写っている。夢のような瞬間であるが、それが文昭さんが亡くなって初めて実現することだという残酷。

 

患者として四国から東京に移送する体制に問題はなかったのか、術後の管理は間違いのないものだったのか。法務省・徳島刑務所による、一種の医療放棄の疑いを指摘する声もあるという。そうした点も含めて、きょう、記者会見が行われる予定である。

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