Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

重要な情報は、迅速に、無制限に、公開されなければならない

2014-05-20 | Weblog
朝日新聞の報道によれば、東京電力福島第一原発事故当時、当事者中の当事者というべき「所長」で、実質的な事故対応の責任者だった吉田昌郎氏が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)というものが存在するのだという。聴取時間は正味28時間に及ぶ。事故当時の現場責任者であった「吉田所長」の調書は、事故の事実関係を知るうえで、テレビ会議の記録と並ぶ、もっとも重要な資料となるだろう。
それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。具体的には事故発生4日目の3月15日午前6時ごろ2号機から衝撃音があり、吉田所長は「第一原発構内での待機」をテレビ会議で命じたが、「誰かの指示で」大半の職員は福島第二原発まで避難していたというのだ。
「事故当初英雄的に語られた「フクシマ50」って、69人以外が命令に反して逃げちゃったっていう話だったのか」という想田和弘さんの感想は、ちょっと笑えないブラックなものだが、本当にそういうことだろう。
その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの場面を「録音していなかった」として、吉田所長の命令内容を隠し、報告書にも記さなかったという。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきたのだ。
「吉田所長」は2013年死去しているので、この資料はなお貴重だ。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は朝日新聞の取材に「読んでいない」と答えたという。
現場の詳細な証言を記した資料が規制組織のトップに届いていないのでは、正確な事故の反省もできず、対応策にも生かされないではないか。
政府事故調解散後に調書を引き継いだ菅義偉官房長官は閣議後の記者会見で「吉田元所長を含めヒアリングは公開しない」と語り、調書を今後も非公開とする考えを示した。調書を非公開とする理由について菅氏は「事故を二度と起こさないように施策を政府をあげて行っている。それ以上でもない」と明言を避け、政府に保管されているとされる調書は「読んでいない」としている。
「吉田所長」自身は政府事故調の聴取に対し、聞き取り内容の公開を了承している。おそらく本人が公開を望んでいたであろうものを、なぜ隠すのか。
菅直人元首相は公式ブログで、「吉田所長」が「清水社長が撤退させてくれと菅さんに言ったという話も聞いている」と証言している事に触れ、「実際海江田経産大臣から「清水社長が撤退したいと言ってきている」と連絡があったのが3月15日午前3時ごろ。清水社長を呼んで撤退はありませんよと止めたのが4時過ぎ。東電本店に乗り込んだのが5時半ごろ。そこで会長、社長を含む東電幹部を前に撤退せずに頑張ってほしいと強く発言し、同時に政府東電統合対策本部を東電本店に立ち上げることを宣言した。2号機の衝撃音は私が東電本店にいた午前6時ごろ。今考えると一番厳しい時だった」としている。
事実こそが証明できるものがある。
未解明要素を解決するためにも、テレビ会議の記録と吉田所長の調書を公開すべきである。
「逃げた人を責める権利はない」ともいえるのかもしれないが、撤退させなかったという一点では当時の菅首相を評価しなければフェアではない。
日本原電は19日、東海第2原発(茨城県東海村)の安全審査(再稼働)申請を20日に行うと発表したが、18メートル以上の防潮堤建設やフィルター付きベント設備などの「過酷事故対策」を自慢されたところで、避難計画が策定されてないこと以前に、福一の事故の決着もつかず、「将来の事故の対策」など、どの口が言うのだ。想像を越える事態が起きたことを受け止めないで、再稼働など、あり得ない話だ。
そして「聴取結果書」(吉田調書)の存在そのものが隠蔽される可能性があるという一点でも、「特定秘密保護法」など、あってはならないのだ。
コメント
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