
『KYOTO』は製作母体の半分がRSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)だったわけだが、じっさい、イギリスの劇は多かれ少なかれ、シェイクスピアの影響下にある場合が多い、あるいは、勝手に関連づけられて考えられがちである。
ロンドン・ナショナル・シアターのブックショップには、もちろん,古今東西の英語になっている戯曲が並んでいるが、シェイクスピアの戯曲だって多く並んでいる。
そして、写真のようなポスターが貼ってある。
「誰もが死ぬ」(Everybody Dies)
と記され、
多くのシェイクスピア作品で死んだ者たちを並べて記しているのである!
シェイクスピア作品では、じつに多くの人が死んでいる。
人が死んでこそドラマ、ということのようである。
いま取り組んでいる私の新作では、誰も死なない。
はずである。
回想場面に例外はあるかもしれない。
しかし、死なないはずだ。
シェイクスピアさん(唐十郎さんは「シェイちゃん」と呼んでいた)、
人が死ななくてもドラマになっているように,今回はやってみます。
あなたの作品にも人が死なないものが幾つもあるのを、私は知っていますぜ。
私がいま取り組んでいるのは、『高知パルプ生コン事件』である。
「事件」が付いているからといって、人が死ぬとは限らないのです、シェイちゃん。(シェイクスピアさんは没年でも現在の私より一回り若いので、「ちゃん」で呼ばせていただきました)
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