
Farewell our friend , Ed Vassallo
さよならエド・バサロ。
『屋根裏』のニューヨーク・オフ・ブロードウェイ版に出演していたエドに会ったのはちょうど7年前の今の季節だ。
自作のオフ・ブロードウェイ・デビュー、スタッフキャストは全員アメリカ人、演出も自分ではないとはいえ、アメリカ流のあれこれに目を白黒させていた私に、がっしりとしたエドの現場へのサポートは、とても頼りがいがあるように映った。彼の活躍の御陰もあって制作した「プレイ・カンパニー」が同作品を対象にオビー賞を受賞した。
やがてエドに来日してもらい燐光群の新作『ワールド・トレード・センター』に出てもらった。国内ツアーもした。「9.11」に遭遇したエド自身の体験が劇中に登場する。熱演だが本当に彼自身の細やかさと情熱、まっすぐな人柄を感じさせた。
再々演の『だるまさんがころんだ』にも出てもらった。(写真)
強面だが二枚目。いつも元気、真剣で、悪戯とユーモアを忘れず、一緒にいる人たちのことを深く愛し支えていた。時に共に怒り共に笑った。
劇団の若い奴らをとてもかわいがってくれた。
独身の彼自身が養子を大事に育てていた。
その後ニューヨークに行ったときチャイナタウンで飯を食ったのがゆっくり話した最後だった。
この二年間ガンで闘病生活を送っていた。この間、私はアメリカに行けなかった。
そんな中、一年前には、留学中だった清水弥生のニューヨーク・シアター・ワークショップでのリーディングに、顔を出し励ましてくれたという。
……あの鋼鉄のような分厚い肉体を蝕むガンとは、いったい何だ。
あの優しい男から、あのまっすぐに澄んだ青い瞳から、奪わせてよいものは何もなかったのに。
君のフェイスブックページに、ニューヨーク中の演劇人が次々に追悼メッセージを寄せている。
哀しみに沈みつつ、彼の思い出を抱いて、私たち自身の生をこれからもう一度確かめたい。
ありがとう。
君と共にある。
さよならエド・バサロ。
『屋根裏』のニューヨーク・オフ・ブロードウェイ版に出演していたエドに会ったのはちょうど7年前の今の季節だ。
自作のオフ・ブロードウェイ・デビュー、スタッフキャストは全員アメリカ人、演出も自分ではないとはいえ、アメリカ流のあれこれに目を白黒させていた私に、がっしりとしたエドの現場へのサポートは、とても頼りがいがあるように映った。彼の活躍の御陰もあって制作した「プレイ・カンパニー」が同作品を対象にオビー賞を受賞した。
やがてエドに来日してもらい燐光群の新作『ワールド・トレード・センター』に出てもらった。国内ツアーもした。「9.11」に遭遇したエド自身の体験が劇中に登場する。熱演だが本当に彼自身の細やかさと情熱、まっすぐな人柄を感じさせた。
再々演の『だるまさんがころんだ』にも出てもらった。(写真)
強面だが二枚目。いつも元気、真剣で、悪戯とユーモアを忘れず、一緒にいる人たちのことを深く愛し支えていた。時に共に怒り共に笑った。
劇団の若い奴らをとてもかわいがってくれた。
独身の彼自身が養子を大事に育てていた。
その後ニューヨークに行ったときチャイナタウンで飯を食ったのがゆっくり話した最後だった。
この二年間ガンで闘病生活を送っていた。この間、私はアメリカに行けなかった。
そんな中、一年前には、留学中だった清水弥生のニューヨーク・シアター・ワークショップでのリーディングに、顔を出し励ましてくれたという。
……あの鋼鉄のような分厚い肉体を蝕むガンとは、いったい何だ。
あの優しい男から、あのまっすぐに澄んだ青い瞳から、奪わせてよいものは何もなかったのに。
君のフェイスブックページに、ニューヨーク中の演劇人が次々に追悼メッセージを寄せている。
哀しみに沈みつつ、彼の思い出を抱いて、私たち自身の生をこれからもう一度確かめたい。
ありがとう。
君と共にある。
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