非戦を選ぶ演劇人の会は、以下の、「組織的犯罪処罰法改正案(「共謀罪」法案)の廃案を求める」提言(神奈川大学憲法を考える会)に賛同します。
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組織的犯罪処罰法改正案(「共謀罪」法案)の廃案を求める
組織的犯罪処罰法改正案、いわゆる「テロ等準備罪新設法案」は、実質的には危険な「共謀罪」法案であり、私たちはその廃案を求める。
こんにち、「テロ」という言葉は人びとの不安をかきたて、「テロから安全な社会を守る」という理由づけは、それだけで思考を停止させる力を持つに至っている。だが、そのような時勢だからこそ、立ち止まって熟慮することが求められている。
第1に、政府は、東京オリンピック・パラリンピックまで引き合いに出しながら、法案の目的を、国際社会の一員として、テロを含む組織犯罪を未然に防止し、これと闘うための枠組みである国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)に加入して、国民の生命・安全を守るため、と説明している。しかし、同条約に関わる立法手続についての国連「立法ガイド」の執筆に関与した国際刑法学者を含め、国内外の専門家は、パレルモ条約はテロ対策とは別の組織的金融犯罪などの対策を目的としたものであり、条約に加わるために共謀罪の新設は必要がないことを指摘している。政府は、このような指摘に対して説得力のある応答を行なっていないどころか、自らも理事国である国連人権理事会の特別報告者によるプライバシー侵害の懸念に対して正面から向き合うことなく、個人的な見解にすぎないかのようにみなして無視しようとしている。このことは、「国際社会の一員」としての役割をはたすためという政府の説明がもともと方便にすぎなかったのではないか、という疑いを強めるものである。
第2に、政府は、法案は「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」を対象とするものであり、「一般人」には関わりがないかのような説明を繰り返している。しかし、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」には明確な定義がなく、政府の答弁も、別の目的をもった集団が「組織的犯罪集団」に性格を変える可能性を否定していない。法案の適用対象となる277もの犯罪には、例えば組織的威力業務妨害が含まれている。威力業務妨害罪は、「テロ」とは無縁の住民運動などに対しても適用される可能性のあるものであり、実際、岐阜県大垣市では、風力発電計画について勉強会を行なっていた住民たちが、「過激な運動を起こす可能性」があるという名目で警察による監視の対象となる事件が発生している。結局、「組織的犯罪集団」に当たるかどうかは、捜査当局の判断にゆだねられているのである。
第3に、政府は、新設される「テロ等準備罪」は「準備行為」が要件とされているので共謀罪とは異なる、という説明を行なっている。しかし、「花見に地図と双眼鏡を持ってゆく」(金田法相)というようなそれ自体としては危険な行為とは言えない「準備行為」を、その前提となっている犯罪「計画」の準備だとするためには、結局、「計画」(=共謀)の存在をあらかじめ認定しておかざるをえない。このことは、目をつけた“危険な”対象が「何を考えているか」についての情報を、捜査当局が尾行、盗聴・盗撮、メールやLINEの閲覧などあらゆる手段で系統的に蒐集することを正当化し、また“熱心な”捜査当局はますます“効果的な”捜査手段の獲得を主張するようになるだろう。これが、「テロ対策」の名のもとに強行されようとしている法案が「一般人」にもたらすであろう 、もっとも現実的な脅威である。
このように深刻な問題を孕む法案についての国会審議の状況は、目を覆うばかりである。現行法で対応することは本当にできないのか、「組織的犯罪集団」とは何を指すのか、盗聴が拡大されるのではないかなど、肝心な点をめぐる数多くの疑問に対する政府の答弁は定まらず、議論は深まらない。それは、単なる担当大臣の「答弁能力」の問題ではなく、根本的にあるのは、標榜された法案の目的と法案の実質とのあいだの説明困難な懸隔にほかならない。にもかかわらず、「ひたすら『審議時間』の長さのみを頼りに、予定された結論を急ぐ民主主義の矮小化」が繰り返されようとしている。
2015年に強行採決された安保法制に対する異議申立てのうねりは、世の中の動きに疑問があれば集まって議論し、意思表示し、場合によっては街頭にも出ることが当たり前の民主主義社会へ、市民たちが表現の自由を堂々と行使する社会へと、日本社会を一歩前進させるきっかけとなった。私たちも声を挙げた。しかしそのとき、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と述べた与党幹部がいたことを思い出そう。「テロ」という言葉は容易に濫用され、社会について真摯に考えようとする「一般人」を危険視する者たちによって悪用されかねないことを、改めていま私たちは目にしている。集まって議論し、声を挙げることを「怖い」と思わせるような方向に、社会を後退させることがあってはならない。
2017年6月2日
神奈川大学憲法を考える会 世話人
出雲 雅志(経済学) 大庭 絵里(社会学) 木村 敬(物理学) 窪谷 浩人(物理学) 郷 健治(英文学) 小森田秋夫(比較法学) 小馬 徹(文化人類学) 杉田 弘也(政治学(オーストラリア)) 鈴木 陽一(中国文学) 辻子美保子(言語学) 東郷 佳朗(法社会学)
〔五十音順〕
http://ruseel.world.coocan.jp/KUappeal.htm
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組織的犯罪処罰法改正案(「共謀罪」法案)の廃案を求める
組織的犯罪処罰法改正案、いわゆる「テロ等準備罪新設法案」は、実質的には危険な「共謀罪」法案であり、私たちはその廃案を求める。
こんにち、「テロ」という言葉は人びとの不安をかきたて、「テロから安全な社会を守る」という理由づけは、それだけで思考を停止させる力を持つに至っている。だが、そのような時勢だからこそ、立ち止まって熟慮することが求められている。
第1に、政府は、東京オリンピック・パラリンピックまで引き合いに出しながら、法案の目的を、国際社会の一員として、テロを含む組織犯罪を未然に防止し、これと闘うための枠組みである国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)に加入して、国民の生命・安全を守るため、と説明している。しかし、同条約に関わる立法手続についての国連「立法ガイド」の執筆に関与した国際刑法学者を含め、国内外の専門家は、パレルモ条約はテロ対策とは別の組織的金融犯罪などの対策を目的としたものであり、条約に加わるために共謀罪の新設は必要がないことを指摘している。政府は、このような指摘に対して説得力のある応答を行なっていないどころか、自らも理事国である国連人権理事会の特別報告者によるプライバシー侵害の懸念に対して正面から向き合うことなく、個人的な見解にすぎないかのようにみなして無視しようとしている。このことは、「国際社会の一員」としての役割をはたすためという政府の説明がもともと方便にすぎなかったのではないか、という疑いを強めるものである。
第2に、政府は、法案は「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」を対象とするものであり、「一般人」には関わりがないかのような説明を繰り返している。しかし、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」には明確な定義がなく、政府の答弁も、別の目的をもった集団が「組織的犯罪集団」に性格を変える可能性を否定していない。法案の適用対象となる277もの犯罪には、例えば組織的威力業務妨害が含まれている。威力業務妨害罪は、「テロ」とは無縁の住民運動などに対しても適用される可能性のあるものであり、実際、岐阜県大垣市では、風力発電計画について勉強会を行なっていた住民たちが、「過激な運動を起こす可能性」があるという名目で警察による監視の対象となる事件が発生している。結局、「組織的犯罪集団」に当たるかどうかは、捜査当局の判断にゆだねられているのである。
第3に、政府は、新設される「テロ等準備罪」は「準備行為」が要件とされているので共謀罪とは異なる、という説明を行なっている。しかし、「花見に地図と双眼鏡を持ってゆく」(金田法相)というようなそれ自体としては危険な行為とは言えない「準備行為」を、その前提となっている犯罪「計画」の準備だとするためには、結局、「計画」(=共謀)の存在をあらかじめ認定しておかざるをえない。このことは、目をつけた“危険な”対象が「何を考えているか」についての情報を、捜査当局が尾行、盗聴・盗撮、メールやLINEの閲覧などあらゆる手段で系統的に蒐集することを正当化し、また“熱心な”捜査当局はますます“効果的な”捜査手段の獲得を主張するようになるだろう。これが、「テロ対策」の名のもとに強行されようとしている法案が「一般人」にもたらすであろう 、もっとも現実的な脅威である。
このように深刻な問題を孕む法案についての国会審議の状況は、目を覆うばかりである。現行法で対応することは本当にできないのか、「組織的犯罪集団」とは何を指すのか、盗聴が拡大されるのではないかなど、肝心な点をめぐる数多くの疑問に対する政府の答弁は定まらず、議論は深まらない。それは、単なる担当大臣の「答弁能力」の問題ではなく、根本的にあるのは、標榜された法案の目的と法案の実質とのあいだの説明困難な懸隔にほかならない。にもかかわらず、「ひたすら『審議時間』の長さのみを頼りに、予定された結論を急ぐ民主主義の矮小化」が繰り返されようとしている。
2015年に強行採決された安保法制に対する異議申立てのうねりは、世の中の動きに疑問があれば集まって議論し、意思表示し、場合によっては街頭にも出ることが当たり前の民主主義社会へ、市民たちが表現の自由を堂々と行使する社会へと、日本社会を一歩前進させるきっかけとなった。私たちも声を挙げた。しかしそのとき、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と述べた与党幹部がいたことを思い出そう。「テロ」という言葉は容易に濫用され、社会について真摯に考えようとする「一般人」を危険視する者たちによって悪用されかねないことを、改めていま私たちは目にしている。集まって議論し、声を挙げることを「怖い」と思わせるような方向に、社会を後退させることがあってはならない。
2017年6月2日
神奈川大学憲法を考える会 世話人
出雲 雅志(経済学) 大庭 絵里(社会学) 木村 敬(物理学) 窪谷 浩人(物理学) 郷 健治(英文学) 小森田秋夫(比較法学) 小馬 徹(文化人類学) 杉田 弘也(政治学(オーストラリア)) 鈴木 陽一(中国文学) 辻子美保子(言語学) 東郷 佳朗(法社会学)
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