権力を持つ者は、それが間違ったことでも、その権力を行使することで自らの存在価値を確かめるということなのか。
内容のない、権力を持つべきでないものこそ、大袈裟な、大きな、極端なことをしたがるもののようである。
「非常事態」の大安売りはおことわりである。
本当に狼が来たときに、誰も本気になれない世の中になっている。
与党からしてみれば、明日の全国各地での選挙の投票率を下げることも目的の中にあるのかもしれない。
それが自分たちにとって有利だと読んでいるのかもしれない。
まったく、度しがたい。
多くの劇場人が泣いている。
コロナに泣いているのではない。
権力を持つ人間の無神経に泣かされているのである。
初日が千秋楽になってしまった公演。
本当の千秋楽を残して終えてしまわなければなくなった公演。
今やろうとしていた公演こそが以前できなかったために代替として行うはずだった公演。
それらが、夢と消えようとしている。
検査をしないで、海外からの流入阻止に本気で立ち向かわないで、目の前のことだけ追ってきた。
海外の成功・失敗から学ぼうとしない。
一年前に気づいていてやろうと思ったらできたはずのことを、していない。
究極の無責任体制である。
オリンピックのせいにはさせない。
言い訳は聞かない。
責任は取ってもらう。
そもそもオリンピックがきちんと行われる可能性は、ほとんど失われている。
飛び込み豪代表が、東京五輪予選の出場を辞退したニュースは、その皮切りになるだろう。
オリンピック最終予選とテスト大会を兼ね、来月1日から6日まで東京で行われる予定の、飛び込みのW杯について、オーストラリア代表チームが、渡航が「安全ではない」として出場を辞退したのである。
「安全ではない」という以上に、「現況を踏まえれば、今回は公平で安全な五輪の予選イベントは可能ではないというのが、われわれの明確な立場だ」ということのようだ。(AFPによる)
開催しさえすれば何とかなると思っているかもしれないが、このままでは「不完全なオリンピック」として歴史に刻まれるはずである。それをわかっていて強行しようとしている者たちがいるのだ。
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