
戦争が起きているのが「常態」の、いまの現実、だが、
核戦争の脅威をあらためて厳しく感じる。
「反核」の動きがもっと根本的な世界的なものになっていればと思うし、
わが国がそこに背を向けている現実に耐えがたさを感じる。
それ以上にこの国の,現実感を伴わない「戦争体制」への急傾斜の、愚かさ。
批評を頼まれて深夜に新作の戦争にまつわる映画のスクリーニング試写を観る。
最初の辺りは駄目だったが途中から良くなる。
しかし、映画の出来がそれなりに良いと感じることとは別に、
あたかも
「戦争が消費されている」という感覚に陥るのは、
どういうことか。
わが国はどうしても「第二次世界大戦」=戦争、という誤った刷込みが、あるが、そこに絞った話に関しても、戦争体験者がお亡くなりになるということの重みは、かなりのものがある。
命の重みが感じられない世界になってきている。
戦争を「選択する」可能性を否定しない人間たちが、この国に溢れている。
写真はイギリスの戦争博物館。
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