
「教皇選挙」を「コンクラーベ」というらしいときいて、すぐに「根比べ」という駄洒落を思いつく人は私だけではなくて、松元ヒロさんも最新の「ひとり立ち」でネタにしていた。
で、なんと現実世界でも教皇が死んだためにまさにいま教皇選挙が行われることになるらしいという絶妙なタイミングで、『教皇選挙』を上映している映画館も軒並み動員アップで満席になったという。
この間のアメリカという国の血迷い方には、トランプ以前にキリスト教宗教右派の影響増大が根拠になっているらしいことは,ここ数年指摘されている通りだ。このことはより詳しく客観的に観察されていかなければならないことだと思う。
映画『教皇選挙』は、『クイズ・ショウ』の頃など紅顔金髪ハンサムの若手二枚目だったレイフ・ファインズがハリー・ポッターで怪役をやってくらいからどんどんオッサン化している中で、ぴったりの役だったが、まあ、ストーリーを運ぶ役である。怪役といいってもふつうの人間である。レイフ・ファインズと劇作家デヴィッド・ヘアーが組んだ二本の劇『悪魔をやっつけろ』『ストレイト・ライン・クレージー』を燐光群が日本初演した関係もあって、とくに『悪魔をやっつけろ』ではレイフ・ファインズが作者デヴィッド・ヘアーを演じたその役を私自身もやったのでなんとなく他人事に思えないという、まあ、だからなんだ、である。ネタばれになるので映画の中身は言えない。あるていど映画ずれしているというか勘のいい人はこのオチになるのは途中から気がつくだろう。
映画『教皇選挙』は映画館ではなく飛行機の中で観た。教会の中のディティールなど大画面の映画館で観るべき映画だった。いささか後悔。
あまり飛行機の中で真剣に映画を観るのもと思い、帰りの飛行機では、軽い気持ちで『異端者の家』というのを観たが、これもなんと宗教ホラーで、なんだか宗教もの映画連続になった。で、こっちも何か言うとネタばれになりそうなので内容には触れない。主演のヒュー・グラントは、私が初めてイギリスに行った頃には『ノッティングヒルの恋人』の二枚目だったし、その頃私の戯曲『くじらの墓標』をレパートリーとして上演してくれたゲートシアターが1996年当時はそのノッティングヒルにあったのだが、私が感情移入するかどうかはともかく、こちらのヒュー・グラントも、ひたすら怪演しているのであった。
最近、もともと二枚目だった人がトシを取ってトンデモな役をやるのが流行っているみたいな気がする。
まあそれはそういうものなのだろう。
飛行機の中で映画を観るのも,昔に比べればそれぞれの席に画面がありオンデマンドになっており、乗客個別の時間ということになる。隣の人と同時に観て体験を共有しているわけではないのだ。便利だが淋しい気もするのである。まあしかし飛行機は映画館ではないのだ。
昔は飛行機の中で映画を観ると涙もろくなるという人がいて、私もときどきそうなった気がするが、今はそんなことはない感じかな。
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