椿組2024年夏・花園神社野外劇 『かなかぬち 〜ちちのみの父はいまさず〜』。
主宰の外波山文明さんに「花園野外劇は今年が最後」と言われてしまえば、馳せ参じないわけにはいかない。
新宿花園神社境内「特設ステージ」ということだが、立派なテント劇場が組まれている。
客席はしっかりと組まれていて、人と人の間の距離も確保されていて、今年一番の暑さの日だったが、思いの外、快適だった。団扇も配られる。もちろん私は氷入りの魔法瓶を持参していったのだが。はい。少しは焼酎も。
南北朝時代を舞台とした、中上健次の戯曲。野外ゆえセリフはときに聞き取りにくく、いささかわかりにくいと思う人もいるかもしれないが、ストーリー上の重要点は繰り返されるし、展開ごとに衣裳やムーブメントの趣向が凝らされていて、飽きずに観られるという意見が多いようだ、
舞台美術デザインは、燐光群の仲間うちでもある、加藤ちか。
舞台美術デザインは、燐光群の仲間うちでもある、加藤ちか。
11年前にも上演されているとのことだが、どうやら私は、そのときも観ている。
写真は、猛暑対策ということもあって、開演前の劇場内で冷たいビール、水、お茶の販売をしている様子。
終演後は客席で打ち上げ。知っている人が多く、これも楽しい。長居はしなかったが。
椿組・花園神社野外劇 『かなかぬち』の上演は本日23日まで。
じつは外波山さんのテントで私たちも公演したことがある。1990年だからもう34年前じゃないか。新宿ではなく、浅草であった。
[浅草・天幕芝居祭’90]というイベントが開催され、外波山文明さんたちが建ててくれたテントであるその「浅草六区・天幕劇場」で、外波山さんたち以外の三劇団も加わって、テントでの連続公演が行われたのである。
燐光群が上演したのは『OFFSIDE 1990年の危険な話』。1988年に全国ツアーをした『OFFSIDE 危険な話』の再演。戯曲は1991年に而立書房から出版されている(『トーキョー裁判 / OFFSIDE 危険な話』)。この再演直後に、劇中に「冤罪」として描かれる、中曽根政権時代の「自民党本部放火事件」の容疑者だった藤井高弘氏が、再審で無罪となって釈放された。公安事件での再審無罪は珍しいことで、私たちの上演がいささかは貢献したのかもしれない。この劇は、当時の日本ではあまり知られていなかった「検察審査会」を描いたものでもあって、それなりに注目されたと思う。当時私は「陪審裁判を考える会」に入っていたのである。当時は現在のような「参審制」が導入されるとは夢にも思わなかった。「参審制」はないよりマシだという人もいるようだが、私は批判的である。一般人が「有罪・無罪」だけでなく「量刑」まで判断するというのは、無理があると思うからだ。その話はまたいずれ。
音楽は、当時私が一緒にバンド活動をしていた、吉野繁、中尾勘二、末村成生による呼び込みの生演奏もあった。街と表現がもっと猥雑に絡み合っていた時代である。
十日間の公演で、テント番で泊まり込んだりしたのも、楽しい思い出であった。
https://rinkogun.com/1983-1990/entori/1990/6/22_OFFSIDE_-_A_Dangerous_Story_in_1990.html