Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

ゴップの本拠地・チェンマイ

2016-08-11 | Weblog
今回のアジア国際共同企画・タイ・ツアーは、「ゴップ」こと、ナルモン・タマプルックサーさんの協力なしにはあり得ない。
首都バンコク出身であるのに高校時代からチェンマイに住む彼女は、まさにチェンマイ演劇界のキーパーソンであり、ニコン・セタン、「トゥア」ことプラディット・プラサートーンと共に、タイ演劇を牽引している。
私と彼女とは1999年にニューヨークで出会っている。当時二人ともACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)のグランティーで、しばらく同じチェルシーのアパートに住んでいたのだ。私は五階、彼女は二階だった。
彼女が部屋でパフォーマンスをするというので中華街で買ったキムチを持って観にいくと、チベットについてのその一人芝居の主演者がオカワ・アヤで、それが私とアヤの出会いでもあった。このアパートはオンポロだが古い作りで広く、ゴップの部屋は途中に段差があったりして、ちょっとした上演に向いていた。私の部屋も広く、ワンフロアであのように広い部屋に住んだことは他にない。ちなみに私のいた部屋にその前年に住んでいたのはマキノノゾミ氏である。
当時アヤは俳優として引っ張りだこで、オフ・オフ版『不思議の国のアリス』に主演していたりしていた。この年の秋には日本に来て燐光群『天皇と接吻』に出演することになる。
アヤと、やはり『天皇と接吻』に出演するために来日したジョシュ・フォックス(後に映画『ガスランド』でアカデミー賞にノミネートされる)と、一緒に「International Wow Company」を結成したのが、ゴップである。「International」は、まず、アメリカとタイの繋がりの部分から始まっていたわけだ。
当時、ローラーブレードでニューヨークの街を滑走するゴップを見て、私もローラーブレードに挑戦し、ハドソン川沿いの真っ直ぐな道を今はなきワールドトレードセンターわきを抜けて自由の女神の見えるバッテリーパークまで走ったことなど、たまに思い出す。ニューヨーク二十世紀最後の年だった。
ゴップは「ホテル・グランド・アジア」に至る国際共同製作の一員としても、何年か日本に通っている。

ゴップは演劇以外にも社会活動家としても活躍している。
自宅はもう「村(ビレッジ)」というべき広々とした敷地に何棟もの建物が建ち、蓮の生えた池もある。台所と繋がった部屋はゲストハウスで、鈴木アツト君も何週間か滞在したそうだ。五間×六間の畳敷きの部分のまわりも広々とした廊下のある大きな道場もある。
道場、というのは、彼女は大学やその場所で仲間たちと合気道を教えたりしているのだ。
彼女がたまに出張して子供たちに合気道を教えるという「バーンロムサイ」は、HIVの母子感染の孤児たちを集めたことから始まった孤児院である。昨日そこにも取材した。「バーンロムサイ」は「大きなガジュマルの樹の下で」ということで、じっさいに施設が始まってから二十年近くの間におそろしく巨大化したこの地を象徴するガジュマルがある。この地でも、この樹にキジムナーを棲まわせる沖縄同様、ガジュマルは子供たちを守ると言い伝えられているのだ。

それにしても、いろいろなところに行くたび、ゴップの話題になる。彼女に会えば誰でも思うだろうが、凄いバイタリティーだ。
ほんとうに、感謝、感謝、である。
写真は、ゴップ宅の広大な庭にて。(撮影・古元道広)

リーディングはほんの一部で、日々休みなく取材とミーティングを重ねている。八時頃朝飯を食ったら出発で、帰宿は夜遅くになる。なかなかハードな旅だがチェンマイは魅力的で、アジアで最も静かで落ち着いた街と言割れているのも頷ける。タイ式マッサージには一度だけ行った。服役中の皆さんが施術してくださる特殊なところのようだったが、行ってみると普通で、トリップアドバイザーでも高得点を得ている。そこと一番古い寺院を駆け足で見学した2時間弱だけが観光的な時間であった。
まもなくバンコクに移動する。

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