A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記74 「舟越直木」

2007-08-20 19:58:45 | 書物
タイトル:舟越直木
発行:なびす画廊
発行日:1992年
内容:
1992年1月8日-1月18日に東京・なびす画廊にて開催された「舟越直木」展のカタログ。
作品図版9点、作家コメント、作家略歴
テキスト「星座の生きもの」峯村敏明
収録

寄贈日:2007年8月4日
舟越が作り出すブロンズ製の多肢体彫刻は、生きもののようにも、ドーム型の骨組みのようにも見えます。舟越は生きものやドーム型の立体物を出現させたかったのでしょうか。しかし、わたしたちがそこに見ているのは、その足の隙間に形作られた空洞です。足とも見えたものは地に付いてないものもあり、生きものとしても何かの建築物としても不完全で奇妙な印象を与えます。その多肢体が作り出してしまった小さな空間こそ、じつは彫刻として見えてくる場所ではないでしょうか。

未読日記73 「大森博之」

2007-08-20 19:40:57 | 書物
タイトル:大森博之
発行:なびす画廊
発行日:1991年12月16日
内容:
1991年12月16日-12月28日に東京・なびす画廊にて開催された大森博之展のカタログ。
作品図版8点、作家略歴
テキスト
「衣服の乱」峯村敏明
「更衣の規則について」大森博之(1990年「第三回アクリラーアート展」カタログより転載)

寄贈日:2007年8月4日
彫刻家大森博之の作品はメダルド・ロッソを思わせる「塊り彫刻」といえる作品を制作している。しかし、ロッソを引き合いにださなくとも、その作品の襞、皮膚ともいえる表面の艶やかさに魅了され、見ることのダイナミズムに身を預けるしかない。わたしたちにできるのはただ冷静さを装う身振りに苦心するだけだ。

未読日記72 「頼純純」

2007-08-10 23:44:42 | 書物
タイトル:頼 純純 JUN T. LAI
発行:なびす画廊
発行日:1991年9月30日
内容:
1991年9月30日~10月12日になびす画廊で開催された「頼純純」展の展覧会カタログ。
作品図版9点、作家英文コメント・日本語略歴、峯村敏明によるテキスト収録。

寄贈日:2007年8月4日
場所:なびす画廊
このカタログで初めて知ったアーティスト。頼純純は台湾出身で個展開催時サンフランシスコ在住(略歴には1989年サンフランシスコ移住とあるので、現在もそうかもしれない)。絵画を主体としているが、図版では彫刻も手がけていることがわかる。階層的にさまざまな絵の具によるストロークが作り出す層によって重厚な絵画空間を作り上げている。実物を眼にしていないので判断はつきかねるが、書のように文字が書かれた作品もあり、東アジア的なアイデンティティも見出せる。



TOUCHING WORD 006

2007-08-10 23:32:41 | ことば
「答えは自分の中に有ると思うな、他の人の中に有ると思え!」
「最終日の今日は、「プレゼン力」。 社長の前でチョロキューを走らせ、from-aの創刊を勝ち取る。プレゼンで「わからずや」など相手や上司を批判していては、絶対にプレゼンは通らない。プレゼンそれはまるで結婚を承諾してもらう時の相手の親のようだ。それぞれ相手の不満を捉え、相手をニコットさせる様な内容を提案。そして、なにより相手(やること)を本当に充分愛しているかが重要。」
株式会社あそぶとまなぶ代表取締役 くらたまなぶ
「WAKE-UP TOKYO」(81.3FM J-WAVE)Weider POWER YOUR MORNINGより

朝聞いていたラジオで気になった一言。
この言葉は他人の意見になんでもしたがうということではない。他者の中にこそ自分の求めている答えや解決策が秘められているという意味でわたしは理解した。

未読日記71 「長沢英俊」

2007-08-09 23:48:59 | 書物
タイトル:長沢英俊
発行:なびす画廊
発行日:1991年
内容:
1991年に東京のなびす画廊で開催された「長沢英俊展」のカタログ。

寄贈日:2007年8月4日
なびす画廊の方より頂いたもの。
長沢英俊と言えば、イタリア在住の彫刻家だが、この展覧会はドローイング展として開催されたもののようだ。彫刻としてあれだけ緊張度のある作品を制作している長沢だけに、ドローイングもまたしかり・・と思いきやおおらかでのびのびとしたドローイングが並ぶ。しかし、もともと長沢はそういう作品を制作する作家なのかもしれない。本人の容貌から緊張感のある作品だと勝手にこちらが勘違いしていただけなのかもしれない。展示風景の写真を見ると、床に近い低い位置に間隔をあけずに淡々と展示されていてそれも予想外だった。
ちなみに、今年、長沢英俊展が日本で開かれるという情報を昨年末聞いたのだが、結局どうなったものやら。



TOUCHING WORD 005

2007-08-08 23:10:53 | ことば
「「かりにわたしが生きている間たえず自分の意識の中で、わたしとはいったい何かと、自分に問うとしたら、「考え、感じている何か、つまり、まったく自分独自の方法でこの世界に応対しているもの」と答えるだろう。わたしが自分の自我として意識するのはそれだけであり、それ以外には何もない。いつどこでわたしが生れたか、いつどこで、現在考えたり感じたりしているように、考えたり感じたりしはじめたのか、などということについて、わたしはまるきり何一つ意識していない。意識がわたしに告げるのはただ、わたしは存在している、わたしは現在おかれているような世界との関係で存在している、ということだけだ。」
(p.162 「人生論」トルストイ 新潮社/新潮文庫、2006年2月刊62刷)

未読日記70 「北辻良央」

2007-08-08 00:08:12 | 書物
タイトル:北辻良央
発行:なびす画廊
発行日:1990年
内容:
1990年4月9日-4月21日に東京・京橋のなびす画廊にて開催された「北辻良央」展のカタログ。
峯村敏明によるテキスト収録。
なお、テキストの日付は「1990.7.29」とあり、このカタログが展覧会終了後に発行されたことがわかる。

日:2007年8月4日
場所:なびす画廊
画廊の方より、なびす画廊でいままで開催されたカタログをまとめていただく機会を得た。今となっては入手が難しいと思われるものばかりで、たいへん貴重な資料である。そのラインナップもすごいので<私>なびすコレクションとして順次紹介していきたい。
まずは、展覧会の開催年度に沿って紹介していきたい。その1回目は北辻良央。関西を中心に活躍しているため、あまり東京・関東圏では発表の機会が少ない。私は北辻作品に接するとなぜかオリーブの香りを思い出す。彼の作品には「香り」がこめられている気がしてならない。思い出すと言えば、北辻の初期の作品には思い入れがある。地図を何重にもトレースし続けた作品を卒論で取り上げたことがあるからだ。北辻作品には思考・観念の足跡がとても丁寧に垣間見え、その物質と作品内に封印された観念の「間」に漂う気配が南方でありイタリア的な気候を感じさせて、いつも風を感じるのだ。言葉は悪いが日本のアルテ・ポーヴェラとも言えそうな、物質の錬金術師。

TOUCHING WORD 004

2007-08-07 23:37:46 | ことば
「私にはわかっていた、批評というものは、ずっと前から光り輝いていたものを闇のなかに葬ったり、また永遠に暗闇のなかにいるべく定められているように見えるものをそこから引き出したりして楽しむもので、しかもそれが長い幾世紀にもわたる期間に作られた多数の作品同士のあいだで行なわれるだけでなく、同じ一つの作品の内部においても起こるのだ。」
(p.340 「失われた時を求めて6 第三篇ゲルマントの方Ⅱ」マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社文庫2006.8より)

未読日記69 「京都五山禅の文化展」

2007-08-06 23:46:34 | 書物
タイトル:足利義満六百年御忌記念「京都五山禅の文化」展
編集:東京国立博物館、九州国立博物館、日本経済新聞社
発行:日本経済新聞社
発行日:2007年7月31日
金額:\2,500
内容:同名展覧会の図録。
「このたび、京都五山第二位相国寺の協力を得て、「京都五山 禅の文化」展を開催することになりました。京都五山と五山に関係の深い寺院の中世の遺品を一堂に集め、中国風の禅文化が、京都にどのように受け容れられ、定着していったかをたどります。
 南禅寺、天龍寺など京都五山の寺々を訪れて拝観できるのは、ほとんど近世の建築、襖絵などで、創建当時の中世の遺品に触れることはなかなかできません。禅僧の肖像、墨蹟、水墨画、詩画軸、仏像、仏画など禅宗寺院の宝物は蔵に保管されているか、参詣者が立ち入り出来ない奥深くに安置されている作品がほとんどだからです。禅僧の肖像彫刻の迫真の存在感、死の直前に筆をとった壮絶な墨蹟、雪舟の師、周文の作とされる水墨画、五山僧が水墨画の上に漢詩を寄せ書きした詩画軸、中国的な造形を示す仏像、仏画など200点を越す名品が集まります。間近に接することのできるこの機会にぜひご観覧ください。」(東京国立博物館ホームページより)
収録テキスト
「日本文化と禅宗」浅見龍介
「京都五山の頂相」救仁郷秀明
「京都五山の水墨画」畑靖紀
「京都五山禅宗高僧の袈裟」沢田むつ代
「京都五山の彫刻」浅見龍介

購入日:2007年8月1日
購入店:東京国立博物館平成館
購入理由:
もともとは仕事で行ったのだが、仕事を忘れて見ることに夢中になってしまうほど良質な作品が揃った充実の展覧会。仏画、仏像、水墨画の名品にため息が出る。館内を歩いていると、眼が止まる、足が止まる、体が止まるのだ。するともうだめだ。離れられないのだ。作品がもつ吸引力、体が目の前の作品を見ることを欲しているような感覚。この縛られるような、しかし感覚は開いている、そんな感覚を味わったのは久しぶりだった。
今回は、雪舟の師といわれる周文の作品をあらためて見ることができた。