A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記115 「高松次郎-1970年代の立体を中心に」

2007-10-17 23:55:27 | 書物
タイトル:高松次郎-1970年代の立体を中心に
編集:千葉市美術館
発行:千葉市美術館
発行日:2000年5月16日
金額:2,000
内容:
2000年5月16日-7月16日に千葉市美術館にて開催された<高松次郎-1970年代の立体を中心に>展の展覧会図録。

収録論考
「高松次郎と見えないもの」中原佑介(美術評論家/京都精華大学教授)
「高松次郎における1970年代-立体造形の展開について」藁科英也(千葉市美術館学芸員)
再録文献
「高松次郎 演習ゼミ」
「物質性と存在性」
「金網の柵に沿った長い道」

購入日:2007年10月6日
購入店:千葉市美術館 ミュージアムショップ
購入理由:
<文承根+八木正 1973-83の仕事>展関連イベントとして開催されたシンポジウム<1970年代・高松次郎以後>(講師:中原佑介、峯村敏明、建畠晢)に参加後に購入した図録。

息の合った3人によるシンポジウムは現代美術の現場で長年作品を見てきた者だからこそ語りえる同時代者のひとつの証言だった。ここで語られた話は語らなければ書物にも残らず消えてしまう記憶であり、体温であり、感情だった。1970年代という今から約40年ほども前のことを語れる人はこれからますますいなくなっていくだろう。「現代美術」の「現代」はいつまでも「現代」なのではない。そう、過去の「昭和」の美術が語られる機会はあまりに少ない。1970年代は検証するにはまだ新しすぎるのかもしれない。だが、この時代を生き、この時代の美術をリアルタイムで見てきた人々の記憶がなくなる前に、その記憶の一端に触れたいと思うのだ。

シンポジウム終盤、峯村氏と中原氏が高松次郎の作品が八木正へ与えた影響について日本語と英語のタイトルの話になった。高松次郎の「複合体」は八木正では「COMPLEX WORKS」。高松の「単体(英題ONENESS)」は八木「ONENESS」(展覧会未出品)という具合だ。この符号はとても偶然とは思えないだろう。シンプルだが奥の深い言葉を選ぶ高松に言葉の感度のよさを感じ、ならばと作品図版も見たくなり、かつて千葉市美術館で開催されたこの展覧会図録を購入した。図版は全頁白黒図版ながら、ひとつの写真作品としても美しい1冊。

追記:シンポジウムの中で峯村氏が「京都イズム」という言葉を使っていた。とても興味深い言葉だったので書きとめておきたい。おおざっぱに要約すると、京都出身あるいは京都を活動拠点とした作家たちが質素な(チープな)素材を使いながらも、それがみすぼらしく見えないというような趣旨の発言だった。これは私も感じていたことだったのだが、いったい「京都」という都市文化の影響は美術にどれくらい影響しているのだろうか。東京出身の私が京都論を語れるはずもないし、地方の特色ですべてが語れるわけでは当然ないけれど「京都思考」というものがあれば知りたいものだと思う。