A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

TOUCHING WORD 015

2007-10-04 23:24:44 | ことば
晩年のセザンヌが、ガスケに言う。「芸術家は、いろいろな感覚の集積所、脳髄、自動記録装置……」、あるいは「感光板」だと。これらの感覚は、<色>だけについてのものではない。たとえば、絵画は<匂い>の感覚を、「色において」実現しなくてはならない。「太陽の下で鼻を衝く松の樹々の真っ青な匂いは、そこを毎朝冷気で満たす草原の緑色の匂いや、石ころの匂い、サント=ヴィクトワールの遠い大理石の香りと結び付かなくてはならない。[…]感覚がその絶頂にある時、それは一切の存在と調和する。脳髄の奥にある世界の渦は、目や耳や口や鼻が、それぞれに固有のリリシズムで受け取っているあの同じ運動になっていく。……それに、芸術というものは、私たちを恩寵の状態に置く。宇宙全体の情動が、言わば宗教的に、しかしごく自然に、私たちの前に表れてくるようなあの恩寵の状態に。さまざまな色のなかにある全体的な調和、私はそうしたものを至るところに見出さなければならない」。Joachin Gasquet, Cezanne, 1921, Cynara, 1988, p. 133(p.97 「セザンヌ 画家のメチエ」前田英樹 青土社 2000.2)




未読日記106 「BIOMBO」

2007-10-04 23:10:16 | 書物
タイトル:BIOMBO/屏風 日本の美
監修:榊原悟(群馬県立女子大学教授)
デザイン:アウトサイドディレクターズカンパニー
発行:日本経済新聞社
発行日:2007年9月1日
金額:\2500
内容:
2007年9月1日-10月21日に東京六本木のサントリー美術館にて開催された「BIOMBO/屏風 日本の美」展の展覧会カタログ。BIOMBO(ビオンボ)とは、ポルトガル、スペインにおいて「屏風」という意味。このように、南蛮貿易を通じて日本の屏風が西欧にもたらされたことを、屏風という絵画形式を辿りながら紹介した展覧会。

購入日:2007年9月28日
購入店:サントリー美術館 ミュージアムショップ
購入理由:
購入日の前週に一度見に行き、思ったより屏風という絵画形式の多様さ、美しさに刺激を受けおもしろかったのだが、もう一度見たいと思った。それは、人の多さでもっとゆっくりと見たいということ。カタログを買おうか迷ったが給料日前であきらめたため、次回もう一度見たときに再検討したいということ。そして、翌日から展示替えされる作品で見てみたい作品があったこと。これらの理由から仕事帰りに足を運んだ。
一回目に見たとき堪能したのは、「武蔵野図屏風」(江戸時代)である。画面下方の薄、萩、菊、桔梗がリズミカルに画面に描かれ、秋の武蔵野を感じさせる。この画面構成にまず驚く。6曲1双の屏風を上下に分割した画面構成で武蔵野を描くとは江戸のモダニズムの一端を感じさせてくれる。
また、今回の展覧会で私が最も期待していたのが、地図が描かれた南蛮屏風である。1回目には「二十八都市・万国絵図屏風」(17世紀)、2回目には「レパント戦闘図・世界地図屏風」(17世紀)が出品され、私の研究テーマである「地図と美術」において貴重な鑑賞経験になった。永く見ることを望んでいた作品だっただけに地図の世界に没頭した。桃山時代にこのような地図が描かれたということ。これは地図が現在の測量上間違っているなどということではなく、「美術」としてもっと評価されていいのではないかと思う。このように世界を図像化、視覚化することができたということ。その世界に対するまなざしに異国への、世界への当時の日本人が感じたであろうまなざしがこの屏風の中には生きている。また、狩野山楽筆と伝えられる「南蛮屏風」(17世紀)を見れたことも、京都で開催される<狩野永徳展>への参考となるだろう。
2回目に行った時に見たかったのは、「墨松図屏風」狩野素川寿信(安政三年)である。松の巨木を描いた水墨画なのだが、下地が金地なのだ。墨画金屏風で墨の黒と地の金が見事なコントラストを見せ、われわれの眼に金の光が射す。
また、合戦図屏風、洛中洛外図屏風などの作品を見るにつけ感じたのは、甲冑などの武士の服装や、都市に生きる人々の姿が大量に描かれていることだ。どれくらいの絵師が参加したのかわからないが、どれも細密に描かれ、その技術の高さに今の日本画が失ってしまった生命があることに感嘆する。「日本画」という言葉をこのような江戸時代期の屏風に使うのはふさわしくはないが、言葉の問題より、現在の日本画がこのような技術がないということに落胆する。きらめく色彩の洪水、描写力、デフォルメの仕方、大画面の構成など、いまの日本の美術界(絵画)では到底及ばない水準を示している。ここには伊藤若冲も雪舟もない。一見すると地味な展覧会かもしれない。だが、屏風という大画面フォーマットで描かれた日本絵画のひとつの到達点を存分に堪能することができるだろう。