羽茂城落城の際に、お姫様の守り神たる千手観音(現在は弘仁寺にある)を犬に食わせて逃がしたと言う言い伝えがある。犬が観音像を食うなどと言う、奇想天外、荒唐無稽な作り話を仕立て上げるのが伝説の伝説たる由縁だ。犬が観音像を口に咥えるならまだ現実味はあるが、これでは逃げる途中で落としてしまう危険性があるし、第一、すぐに敵に見つかってしまう。だから「喰わせた」と、架空話に仕立て上げたのだろう。この犬が追っ手を逃れ山中へと落ち延び、とうとうこの滝の所で力尽き、滝へ落ちてしまった事から、この滝が「犬落の滝」と命名されるようになったと言うのが落人伝説である。まあ~面白い作り話ではあるが、肝心の滝はと言うと、水量が乏しいために滝壺などはないようである。ようだと書いたのは、滝は杉木立に隠れていて、滝壷まで辿り着けず、そこを確認できなかったからだ。大崎の「イロハカエデ」のお家から更に丹坂の里方面に進むとやがて右手に「犬落の滝」と書かれた標柱と、長塚節の第三文学碑があった。前方は杉木立で、滝の音は聞えてくるものの、滝の姿の全貌までは見えない。わずかに目を凝らすと、杉木立の合間に、白糸の滝のようなものが垣間見えた。長塚は、「博労に案内されて、藪をかき分けながらこの滝まで行った」と文学碑には書いてあった。
「犬落の滝」から更に丹坂の里方面に500~600メートルほど進むと、「左折すると長塚節の文学碑と負渡しの池」と書かれた案内看板を見つけた。徒歩で進むと、500メートルほど行ったところで、T字路になり、その手前の左手に池が見え、右手に長塚節の第四文学碑があった。T字路を右に曲がると林道笠取り線に続き、左に曲がると赤泊に至る。「負渡しの池」とはどういう意味なのだろうか?「博労が、牛を籠の中に入れ、それを背負って渡った池」と言う意味だろうか?博労達がそこに生えている草を取り、それらを寄って牛用の草履紐にしたと言う小島も現存していた。長塚節は、「犬落の滝」から「負渡しの池」を経て赤泊に至る道を平内博労に案内されながら踏破し、その時の印象を、小説「佐渡が島」に記した。http://www.digibook.net/d/2254a99b805d0c7173293da6ce21b64a/?viewerMode=fullWindow