佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

犬落の滝(佐渡市羽茂大崎)    投稿者:佐渡の翼

2013年04月15日 04時46分22秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

羽茂城落城の際に、お姫様の守り神たる千手観音(現在は弘仁寺にある)を犬に食わせて逃がしたと言う言い伝えがある。犬が観音像を食うなどと言う、奇想天外、荒唐無稽な作り話を仕立て上げるのが伝説の伝説たる由縁だ。犬が観音像を口に咥えるならまだ現実味はあるが、これでは逃げる途中で落としてしまう危険性があるし、第一、すぐに敵に見つかってしまう。だから「喰わせた」と、架空話に仕立て上げたのだろう。この犬が追っ手を逃れ山中へと落ち延び、とうとうこの滝の所で力尽き、滝へ落ちてしまった事から、この滝が「犬落の滝」と命名されるようになったと言うのが落人伝説である。まあ~面白い作り話ではあるが、肝心の滝はと言うと、水量が乏しいために滝壺などはないようである。ようだと書いたのは、滝は杉木立に隠れていて、滝壷まで辿り着けず、そこを確認できなかったからだ。大崎の「イロハカエデ」のお家から更に丹坂の里方面に進むとやがて右手に「犬落の滝」と書かれた標柱と、長塚節の第三文学碑があった。前方は杉木立で、滝の音は聞えてくるものの、滝の姿の全貌までは見えない。わずかに目を凝らすと、杉木立の合間に、白糸の滝のようなものが垣間見えた。長塚は、「博労に案内されて、藪をかき分けながらこの滝まで行った」と文学碑には書いてあった。

「犬落の滝」から更に丹坂の里方面に500~600メートルほど進むと、「左折すると長塚節の文学碑と負渡しの池」と書かれた案内看板を見つけた。徒歩で進むと、500メートルほど行ったところで、T字路になり、その手前の左手に池が見え、右手に長塚節の第四文学碑があった。T字路を右に曲がると林道笠取り線に続き、左に曲がると赤泊に至る。「負渡しの池」とはどういう意味なのだろうか?「博労が、牛を籠の中に入れ、それを背負って渡った池」と言う意味だろうか?博労達がそこに生えている草を取り、それらを寄って牛用の草履紐にしたと言う小島も現存していた。長塚節は、「犬落の滝」から「負渡しの池」を経て赤泊に至る道を平内博労に案内されながら踏破し、その時の印象を、小説「佐渡が島」に記した。http://www.digibook.net/d/2254a99b805d0c7173293da6ce21b64a/?viewerMode=fullWindow


佐渡の翼の人気の秘密?     投稿者:佐渡の翼

2013年04月14日 05時09分58秒 | 佐渡の翼addictiion釣ネタ記事

何故に「佐渡の翼」ブログはこれほど人気があるのだろうか?佐渡観光情報から性風俗ネタまでを扱うジャンルの幅広さに加え、書き手の個性溢れる軽妙洒脱さだろう。飲食店情報に至っては、ピンは、一流料亭、客単価が三万円の銀座の寿司屋、ミシュラン★★★のフレンチレストラン、キリはB級グルメラーメン屋、ファミレス、大衆食堂と、守備範囲が誠に広く、しかも神出鬼没と軽快である。その読者層は、金持ちはもとより、一般貧乏人にまで裾野が広がり、佐渡の全人口の一割近くの支持を固めている。その知名度は、実像が見えない分、市長や地元の有力議員などよりも遥かに高い!3年後の市長選への立候補をちらつかせ、その野望を秘めているかのような幻想を振りまく手法は、生まれも育ちも佐渡島の根っからの島民には到底真似の出来ない洗練された荒技、いや、神技としか言いようがなかろう。その時々の政治経済文化ネタを盛り込みながら分かりやすく解説した日記風記事や、過去の華々しい経歴を紹介した記事を食い入るように読み貪る、佐渡の翼中毒症患者まで、その支持層に取り込む大胆豪放磊落さに人々の熱い視線が注がれている。この「佐渡の翼ブログ」は、若い女性読者に人気があるのが強みだ。猿山の世界では雌猿にそっぽを向かれたらボスになれないのと同様、昔から、選挙では女性からの支持が高くなければ勝てないのが常識だ。このブログの記事内容は、書き手の多趣味やその歩んで来た破天荒な人生の裏表かもしれない。かくも愛され、そして時にはくさされ続ける不思議な人物「翼」君!佐渡島民が興味を示すニュースとは、やれ、火事だ、泥棒だ、救急車だ、パトカーだと言った事件事故、そして、やれ、どこの島外資本のチェーン店が上陸しただの、どこに飲食店が新規開店した、どこの店が潰れた、どのスーパーが潰れそうだのと言った他愛もない日常の出来事である。そしてどこのスナックには可愛い子、若い子がいるの?ラーメンならどこが美味いのか?お勧めの居酒屋は?と言った、飲食店ネタである。だから翼君の釣りネタ記事などは格好の井戸端会議の話題に上る。「翼君は、金持ちでかっこよさそうな人らしいけど、どんな人なんだろうね?」と、かくして島民の翼君に対する興味は尽きない。高身長、高学歴、高年収と3Kが揃った完璧な翼君だが、唯一の弱点は、交際相手が貧乏人の娘と言う不釣合いだ。「釣り合わぬは不縁の元」と言うので、翼君にふられた島内女性読者達は、これを根拠に二人の交際破局を願っているのかもしれまい。

記事内容が「単なる願望、嘘、妄想、食言」ではなく、全て実体験に根ざしているから説得力がある。説得力があるからこそ、新興宗教同様、熱狂的な信者は騙されながらも付いて来る。これも5年間地道に取材を続け、書き続けたからこそ、これだけの信用を勝ち得たのだ。無論、この信用はただで手に入れた訳ではない。佐渡取材旅行に毎年約60万、5年間で総額300万近い先行投資をした結果である。そして佐渡島民にささやかな権力行使が出来るだけの環境を整えた。これらは運では無く、全て努力の賜物だ。そして誰にも真似のできない教祖崇拝のシステムを作り上げ、翼王国を築き上げる事に成功した。実に用意周到であり、いくら冗談とは言え、佐渡の政界関係者は少なくとも向こう3年間はこのブログから目を離せまい。

蜂の巣を突付っついたかの如く、島民を上を下へと大騒ぎさせた、あの5年前の盗作事件はすっかりと色褪せ、次第に人々の記憶から忘れ去られようとしている。米国のビル・クリントン元大統領同様、かつての国民的な人気をすっかり取り戻した翼君、今では、中傷・羨望輩に対する攻撃的な姿勢は影を潜め、温かみすら感じさせるブログを書くようになったと感じる読者は多いのかもしれない。これもひとえに挫折を経験したからこそである。

地蔵院(佐渡市羽茂滝平)    投稿者:佐渡の翼

2013年04月13日 04時31分08秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

下川茂から羽茂大崎へと向かう県道の途中に「滝音」と言うバス停がある、ここを左折してしばらく行くと、地蔵院に至るし、その向こうが千手院である。

古記によれば地蔵院は後鳥羽天皇の御代、文治5年(1189年)に、善観法師が開基したとの記録が残されている。現在の連綿住職は42世で、その間約800年の星霜を経ている。なおその間、一時衰微の時期があったが、天文元年(1532年)に、宥秀が中興し、今日に至っているため、宥秀を中興開山としている。寺宝に狩野流と伝えられる波切不動尊の掛け軸がある。

地蔵院の石段の両脇には、それぞれ約2.7mの社寺号標石が建てられており、左側標石の上には観音様が、右側標石の上にはお地蔵様が乗っていた。そして右側標石のさらに右脇に、四国八十八ヶ所の霊場標石が建っていた。階段脇には江戸時代前頃に彫られたと見られる庚申信仰の「見ザル」「言わザル」「聞かザル」の三猿石仏がある。その階段を63段上がったところに彫り物が美しい山門があった。特に山門裏側に「瓜」の彫り物があり、瓜門(うりもん)と呼び親しまれているそうだ。なぜ、三猿石仏がここに祀られているかについて、次のような言い伝えがある。「昔はこの場所に青面金剛が祀られていたが、たたりや不幸が相次ぎ、占いの結果あまり適した場所ではないと判断され、その後、高塚山中腹の人里離れた場所に祀られることとなった。青面金剛は庚申(かのえさる)とも呼ばれ、ニ鳥、三猿がつきもの(何故つきものなのかは知らない)。庚申の日の縁日の夜、胎蔵界の二羽の鳥が金剛界の三猿を起こし、その三猿が三子というものを起こす(何故そうなるのかは知らないが。。)。この三子が起きて、中傷などの悪い事をした人を天帝に告げるため、この晩は善男善女が寄り集まり、鐘の音を朝まで響かせていた」。つまり、青面金剛は三猿に繋がるので、青面金剛無き跡に、この三猿を祀ったと言いたいらしいのだ。

山門をくぐると左手すぐのところに十王堂があり、閻魔大王が祀られていた。十王堂と名前がついたお堂は珍しく、佐渡でもあまり見かけないそうだ。右手すぐのところには、神仏混合の名残で、お稲荷さんが祀られていた。十王堂の奥には鐘楼があるが、残念なことに第二次世界大戦の際に鐘を持ち出され、今は楼閣だけしか残っていない。

本堂内には江戸時代初期頃の作、ご本尊の地蔵菩薩(木像)が祀られていた。地蔵院の山号の宝珠山は、お地蔵様が持っているマニ宝珠からきたものと言われている。桃の形に似たマニ宝珠は水と炎という、相反するエネルギーを併せ持つ最高の宝珠とされ、室内空間の「気の浄化」に効果があり、霊視できる(現実にはそんな事は不可能だろうが)人によれば、周囲から黒い煙が吸い込まれ、突起部分から白くなって排出される様子が伺えるそうだ。

以上、地蔵院のHPに掲載された「開基由緒と境内案内」に関する、分かりにくく理解し難い説明文を要約引用しながら、理解力の低い読者層にも分かり易いような文体に直し、このお寺の現況を観察説明してみたが、あまり面白い物ではなかろうか。。。http://www.digibook.net/d/26958d7f81980e757bcfbfa6e639b71c/?viewerMode=fullWindow


快適さを金で買うと言う事     投稿者:佐渡の翼

2013年04月12日 05時16分14秒 | 国内旅行記

筆者の場合、佐渡からの帰途は、両津発午後4時5分のカーフェリーの特等に乗り、新潟港から新潟駅まではタクシーで移動し、新潟駅で午後7時23分発の上越新幹線のグリーン車に乗車するのが定番になっている。つまり、周囲の乗客からの騒音を完全にシャットアウトし、プライベートな快適空間を確保するためには、16000円ほどを支払わねばならぬ計算と言う事なのだ。グリーン車内は、普通車と違い、乗客数が少なく、しかも金持ちは貧乏人ほど声高にしゃべらないので、周囲の乗客の話し声はほとんど気にならない。座席が広いのに加えて静寂性も保たれているし、子連れであっても親の躾が厳しいので、子供はおとなしくしている。つまり金さえ払えばこういう快適さは幾らでも得られるのである。過去の佐渡旅行は全てその方式で行ってきた。新潟駅に到着すると、新幹線改札前の駅弁屋で1000円程度の弁当を買い求め、それを構内の待合室で食べてから列車に乗り込んでいた。だが、昨年の10月8日は、少し気分を変えて、おおさど丸の船内売店で、400円のおにぎり弁当を買い求め、それを特等室で6時頃に食べた後、新潟港から新潟駅まではバスで移動してみた。汽船と列車の接続時間は48分もあるので、この手段でも充分に間に合う。料金は快適移動の場合が2千円に対し、庶民移動ではわずかに600円で済んだ。だが、おにぎり弁当は、こしひかりを使っている割には、御飯がべとついており、美味いとは言い難い代物だし、バスでの12分の移動中は、大声でしゃべりまくるパープリン男女の会話がうるさくてしょうが無かった。よほど、どたまをかち割ってやろうかと思うくらい低俗な会話内容が耳に入って来たので、幾ら安いとは言え、今後二度と、新潟港からはバスには乗らないと心に決めた。だが、新潟駅前のバスターミナルから佐渡汽船に向かうバスの乗客にはまともな人が多いようなので、佐渡へ行く時は新潟駅からバスを利用しようと思っている。


「たいせい」のラーメンのお味     投稿者:佐渡の翼

2013年04月11日 05時51分38秒 | 佐渡の翼addictiion釣ネタ記事

注文後5分ほどで素早くラーメンが出来上がった。おやじは、丼に、練った醤油スープの元を入れ、そこへ、やや澄んだ感じの暖かいスープ汁を注ぎ込むと、奥さんが手早くそれをかき回す。そして、湯がいた麺を放り込み、具材をトッピングするだけの調理方法なので5分もあれば充分だろう。出来上がるまでの間、おやじの、麺の湯切り動作を観察してみたら、完璧なフォームで湯切りを完結させていた。これぞプロの技である。佐渡の「食い処、ひきの」や「三代目ラーメン」さんにはその爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいの見事な湯切り動作であった。だから、麺とスープの絡まり具合は絶妙であった。醤油味のスープの表面には豚の背脂が浮かんでおり、それは魚介ベースで、これに豚骨スープを合体させたような感じだが、グルタミン酸の効かせ具合がやや強く、そして甘味が少々口に残る感じである。ラーメンの丼を置く台が菱形で、少々小洒落た感じだが、習志野某が言うところの「オサレー」などとは程遠い、所詮は場末のラーメン屋である。6千円のフランス料理のフルコースを食べに行く時と同じファッションの筆者は浮きまくりであった。具は、白ネギの細切りと青ネギのみじん切りに、メンマ、チャーシュー、煮卵、海苔である。チャーシューはとろけるように柔らかいが薄い!煮卵は中身が冷たく、半分齧っただけで残した。麺は中細で、その量はほど良かったが、「総じて可もなく不可もなしと言う感じで、行列してまで食べるラーメンにあらず!」が筆者の結論である。5年前に、この店のラーメンを激賞した、習志野某や、佐ガット覆面調査員の味覚には首を傾げざるを得ない。佐渡の高千の「赤ちょうちん」さんのラーメンの方がよっぽど美味いと思った。筆者は、この炎天下(訪問当日の最高気温は29度と真夏日一歩手前であった)の中、外で待たされている中年カップルに席を譲ってあげるため、3分ほどで食べ終え、そそくさとこのお店を去った。席数わずか8席の、東京の田舎23区たる葛飾区亀有の片隅にひっそりと佇む、田舎ラーメン屋「たいせい」。炎天下の真夏や、寒風吹きすさぶ厳冬期に外で待たされる客はたまったものではなかろうに。行列してまで食べる価値のあるラーメンとは思えないので、そうした時期に店内が満席ならば、他のラーメン屋に行く事をお勧めしたい。「行列が出来る店で食べる料理に大した物は無し!」の筆者の定理は今回も生きていた。

亀有駅前の両津勘吉の銅像

麗子像

香取神社境内の両津勘吉の銅像

醤油半熟味付け卵ラーメンを注文した

平日のランチ時のみ、ご飯が無料のうれしいサービス。

 


ラーメン屋「たいせい」(東京葛飾区亀有)    投稿者:佐渡の翼

2013年04月10日 05時03分17秒 | 佐渡の翼addictiion釣ネタ記事

佐ガット覆面調査員のパクリ記事で一躍その名を佐渡じゅうに轟かせたラーメン屋「たいせい」さん。佐渡では、いまだに、佐ガット覆面調査員が、このお店を訪ねもせずに、習志野某のブログ記事をパクり、訪問記事をでっちあげたと主張する輩がいるようだが、佐ガット覆面調査員の名誉のために言っておくが、佐ガット覆面調査員は、2008年4月10日にこのお店を確かに訪問していた。その際の店内写真(画像2、3)を証拠として提示しておくゆえ、今後、そうした趣旨の書き込みをする輩に対しては当ブログは容赦はしないので御留意頂きたい。筆者は怒ると怖い!既に更新を停止した「きまぐれエッセィ」と言うブログの書き手(新穂在住で、かつては筆者と誤認された事がある)は、当ブログを評してこう言った、「まるでヤクザブログ」のようだと。その指摘は、当たらずと言えども遠からずである。筆者は、普段は顧客に対し笑顔で接しているが、こちらの指示通りに動かないスタッフに対しては秋霜烈日、烈火のごとく怒る、まるで、やくざさながらにだ。そうしなければ組織の秩序が保てない以上止むを得まい。だから、当ブログを論評する輩共に対しても同様に接しているのだ。

2012年の10月中旬のとある日、筆者は、北千住から常磐線に乗り、二つ目の亀有駅で下車した。北口に出たら、目の前に、奇しくも、佐渡両津から、その名を取ったとされる、「こちら亀有派出所の巡査部長、両津勘吉」の銅像があった。そこから右折してガード下方向へ進み、環七通りへ出たら左折した後、北上したら、右手に「たいせい」の看板を見つけた。午前11時20分にお店に到着したら、既に二人の親子連れと二人の大学生が並んでいた。筆者は5番目に並び、次いで二人のおやじが並んだ。11時半の開店と同時にこの7人がカウンター席に座った。店内にはテーブル席はなく、8席のカウンター席があるだけだった。入り口で食券を購入してから席に着くシステムになっており、筆者は、このお店の人気ナンバーワンである「醤油半熟味付け卵ラーメン(800円)」を注文した。厨房内にはおやじとその奥さんとがいて、二人でお店を切り盛りしていた。筆者の隣の大学生は、一人はヨットパーカーを羽織り、もう一人は、柄シャツ、ストライプ柄クロップドパンツ、柄物靴下、とガラガラ蛇スタイルで、コレクテイブかABCマートで買ったような安っぽい、明らかに合皮と分かるマウンテンブーツを履いていた。漏れ聞こえて来る会話内容から、二人が早大生だと分かった。筆者が日頃から馬鹿にしている早稲田の学生だ、センスに欠けるファッションなのはむべなるかなか。さすがに早稲田慶応では、目をつぶっていても答案を書かないと合格させてはもらえないが、駅伝大学などは、東大の合格証明書を見せさえすれば、何も書かなくとも合格させてくれた時代に育った筆者であるが、現在では何か書かないと合格させてはもらえないようである。

2008年4月10日、佐ガット覆面調査員訪問時のおやじの後ろ姿

2008年4月10日、佐ガット覆面調査員訪問時の店内

2012年10月、筆者が訪問した際の店内。カウンター席が黒色に塗りかえられていた。


下川茂の太郎杉遺株(佐渡市赤泊)   投稿者:佐渡の翼

2013年04月09日 04時56分51秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

下川茂の五所神社から南東に1.5kmほど離れた山中に、太郎杉公園がある。県道・真野赤泊線を静平方向から下川茂に向けて走行し、下川茂郵便局の手前で右折する。そして最初の道を左折し、十字路を越した向こう側の小高い尾根上に八角形の展望台が建てられているのを見つけた。外付けの鉄の階段を上がりドアを開けると中は回廊になっていた。真下を見下ろすと。江戸時代末期に切られた言う「太郎杉」の切り株があった。日本一大きな杉の切株だそうだ。何せ、10人以上の樵が、この切り株の上で酒盛りをしたほどの大きさで、切り終えるまでに半年を要したと言う。太郎杉は大き過ぎるため、佐渡の樵では手が出せず、能登から呼び寄せた樵によって伐採された。並の長鋸(のこぎり)では短くて用を成さないので、地元の鍛冶屋が継ぎ合わせて1本ののこぎりに仕立てた。伐採時は、幹に遮られて相手が見えないため、間に合図をする者を置き、その人が調子を合わせて伐採したと言う。太郎杉の切り株には幾つかの民話が語り継がれている。

この遺株は、真ん中部分が抜けており、切株を寄せ集めたような感じに見える。回廊内に、切り立ての切株の写真が掲示されていたが、それに比べるとかなり古い感じである。山の中にあった大杉を伐採した後の切株を展望台の中に移し、それを保存したものなのだろうが、確かに巨大な切株であったhttp://www.digibook.net/d/0844eb93819b0e30ebe9b5243c33764c/?viewerMode=fullWindow


吾潟の観音堂(佐渡市両津吾潟)   投稿者:佐渡の翼

2013年04月08日 05時22分19秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

県道南線のバス停に「吾潟観音堂前」と言うのがある。このバス停の背後に吾潟集落開発センターがあり、その左隣に墓地があり、その奥に吾潟の観音堂があった。お堂の中央には「藤堂」と書かれた額があり、右手には「光明福照十方界」と書かれた板があり、左手には「念仏衆生摂取不捨」と書かれた板があった。お堂の中には神輿のような物が祀られており、藤堂の左隣には、シャインと名付けられた、どこかの下請けのような、裁縫工場があった。佐渡なびでは、マピオン上で、この観音堂の場所を示す緑の矢印を、県道の加茂湖よりのバス停付近に置いていたが、実際の観音堂の場所は、その正反対の方向であった。地図のURLはhttp://www.mapion.co.jp/m/38.045352850048886_138.4480754129396_10/が正しいと思う。この観音堂の由緒や吾潟の語源などは分からぬが、民家の片隅にあるお堂と言うのも珍しい。

追記:4月9日付けで、相川在住の「けんぱ」様より、「この記事中の観音堂は、吾潟観音堂ではなく、吾潟の「藤堂」である」とのご指摘があった。読者諸氏にお詫び申し上げて訂正すると共に、後日、正しい吾潟観音堂に関する記事を掲載予定である事を予告しておきたい。http://www.digibook.net/d/d0c48bbfa05f0e7d7fafbf20622bf61c/?viewerMode=fullWindow


カフェロータリーのカレー(佐渡市両津夷)   投稿者:佐渡の翼

2013年04月07日 04時46分04秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

昨年の10月7日、筆者はジェットフォイルから降り立つと、昼食を食べるべく、彩花亭へと向かった。ところが生憎とこの日は臨時休業だったため、止む無く、カフェロータリーへ行き、自慢の辛口カレー(700円)を注文した。店内にはいずれも地元の人たちとおぼしき方々が8名ほどいらしたが、男性は一人だけで、残りは全員女性であった。お手伝いのウエイトレスのおねーさんに、一人客である旨を告げると、「女流将棋教室」なるコインゲーム機兼用のテーブル席に座るように促された。店内にはクラシック音楽が流れ続けており、後から来店したカップルと地元の二人のおじさんとで、お店はほぼ7割ほどの入りとなった。厨房内には、眼鏡をかけたサスペンダー姿のマスターと、ママさんがいた。カレーはマスターが作ってくれたように記憶しているが、注文後8分で出来上がった。いつものように、カレールーの量が多く、そして激辛なカレーである。だが、味はいつもと変わらず美味しい!ビーフのコマ切れが3個入っていたが、いずれも柔らかくて分量もほどよい。渋谷のエスタシオンカフェで食べたビーフカレーには、ビーフのコマ切れ肉がこれでもかと言うくらい入っていたが、カフェロータリーのカレーは、それに比し、価格は半額ながらもお味は二倍くらい美味い!かつてJALが機内食としてカレーの提供を試みた事があったが、その強烈にして独特な匂いが機内に充満するため、提供を断念した経緯があった。その後、調理法を変えて提供にこぎつけたようであるが、筆者はかつて、フイジーからの帰途、ニュージーランド航空が機材の故障で欠航となったため、JAL便に振り替えられて帰国した事があった。搭乗時は、御巣鷹山でのジャンボ機墜落事故直後の9月であり、JAL側の乗客に対する気の使いようは尋常では無かった。この便でカレーが出されたのだが、それに良く似た味である。横須賀海軍カレーと言ってもいいかもしれない。今回は、激辛を中和するための茹で卵は無かったが、野菜サラダである程度、口の中を静めた後に、ほぼ全量を食べ終えた。「翼君の美味しいお店リスト入り」を不動のものとした、カフェロータリーさんだった。

お店の入口

佐渡の青少年の健全育成       投稿者:佐渡の翼

2013年04月06日 05時00分23秒 | 佐渡の翼の独り言

筆者は、昨年の9月下旬に佐渡を訪問した際、何気なく佐渡テレビのチャンネルを捻ってみた。すると、青少年の健全育成に関する懇談会の模様が放映されていた。出席者の一人である、佐渡高校野球部監督の某教諭が「佐渡島民が一体となれるような教育をしていきたい」とその胸の内を語っていた。佐渡高校野球部が甲子園初出場を果たした時は、それこそ全島民一丸一体となって応援した。筆者は、「教諭がその時の思いが忘れられず、あのような発言に繋がった」のだと解釈したが、教育者の発言としては少々不用意であると、同じ教育者として、そう感じたので筆を執った次第である。

筆者は「佐渡島民が一体となる」とは、「全員が同じ思いをもてるような」と言う意味であり、そのような教育とは、「全島民が仲良くして同じ思いを共有できる」ようになるための教育だと解釈した。だが、甲子園出場や朱鷺の雛誕生などの他愛もない事象に対しては、誰もが、「頑張れよ、勝ってくれ、無事に育ってくれ」と同じ思いを抱くのが通例であり、別にそれらは、教育されるべき事でも何でもない。教諭のこの発言をもっと踏み込んで考えれば、「佐渡島民が一体となれるような教育」とは、生徒に対し、「同じ思いを持て」、「同じ考え方をしろ」と教育する事だと解釈する(たとえそれが誤解であるにせよ)人だっているだろうと言う話なのだ。あえて曲解と言われるのを覚悟で言うが、「同じ考え方をするように」教育したら、生徒の個性を損ないかねない。それは戦時中の大政翼賛会を思い起こさせ、「欲しがりません勝つまでは」と一様に頭に刷り込まれる教育が幅を利かせた戦時教育と何ら変わらないのではないかと思う人だっているだろうからだ。

佐渡高校が甲子園出場を果たした時に、佐渡市が応援予算として数千万円を増額したが、島民の中には、「たかが甲子園、それも予選で勝ち上がったのではなく、21世紀枠での出場に、島民の貴重な血税を投入する意味はあるのか?」と捻くれた考え方をする人間だっていてしかるべきと言う話なのだ。考え方、感じ方、感受性、それぞれが微妙に異なる生徒一人一人の個性を伸ばす教育こそが重要であり、画一的な考え方をする人間を育てる教育方法は間違っていると言いたい。教諭がどういう意図で「佐渡島民が一体となれるような教育をしていきたい」と語ったのか分からぬが、筆者のような受け止め方をした人もいたと思うので、あえて指摘させて頂いた次第である。


陽石(佐渡市真野椿尾)   投稿者:佐渡の翼

2013年04月05日 05時32分45秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

佐渡には石器時代の出土品としての陽石が島のあちこちに奉納されている。陽石とは男根の形をした石碑である。画像は、椿尾の六地蔵前にある男根石碑だが、赤泊のおさすり神社や小木宿根木の幸福地蔵のある付近や、羽茂のウッドパレス妹背の温泉施設前などで見る事ができる。まさか、人間のように、さするとムクムクと大きく膨らむ訳ではあるまいが、女性が、これをさすると子宝に恵まれるとの言い伝えがある。だから、男がさすってもご利益はないだろう。あるとすれば、精力が増すくらいのものか?羽茂のつぶろさしのように男根信仰は昔からあり、男根は子孫繁栄、夫婦和合の象徴である。いやらしさよりもひょうきんさを感じさせる、これらの男根石碑は、佐渡以外の本州各地でも見る事ができる。中にはそれらの集合体を秘宝館として運営し、商売に利用している地方都市もある。外国では、韓国、タイ、ベトナム、カンボジアなどにも、それらを祀った寺院がある、興味のある方は、このサイトをご覧頂ければと思う。


秋の佐渡路      投稿者:佐渡の翼

2013年04月04日 05時29分15秒 | 国内旅行記

2012年10月7日の体育の日、筆者は、いつもの東京発9時12分の上越新幹線に乗車した。今日の東京は生憎の雨!佐渡も雨だが午後からは晴れるとの予報だ。9月の最終連休から2週間ほどで再び佐渡へである。佐渡金銀山遺跡が世界遺産に登録されても、その恩恵を被るのは、相川の宿泊施設や飲食店、土産物屋くらいだろうと思っている佐渡島民は意外に多いのではないだろうか?いくら、佐渡市が「佐渡金銀山遺跡を世界遺産に」と音頭を取り、気勢を上げてもその運動がさほど盛り上がらないのは、失礼ながら、佐渡島民の理解力の低さに鑑みれば容易に推測できようかと思う。多くの佐渡島民は、「佐渡金銀山関連遺跡は相川地区だけにとどまる」と理解しているからだ。佐渡市は、この辺の理解不足を補い、啓蒙する努力が足りないように思う。佐渡金銀山関連遺跡には、相川以外に、西三川の砂金跡、新穂銀山、金の積出港の小木、そして相川から小木までの旧相川街道、沢根の吉祥寺跡などが含まれており、それらは、言わば佐渡島全体に及ぶ包含、包括的な遺跡であり、島民全員が、その居住する地域に寄らず、等しく守り続けるべき貴重な遺跡なのだ。世界遺産登録の動機が、その後の観光振興や地域起こしであるとすれば、それは不純な動機であり、人類全体で貴重な遺跡を守っていくと言うユネスコの趣旨に反する。世界遺産登録後の観光客の増加などは副次的なものであり、あくまでも主目的は、世界に冠たる佐渡金銀山遺跡を守り、それを後世に伝えて行く事なのだ。この事が理解できず、自分たちが住む地域の利益だけを考える、地域エゴに陥った島民が多すぎるので、一向に登録運動が盛り上がらないのだと思う。

列車は定刻の10時49分に新潟駅に到着したが、筆者は、佐渡汽船行きのバスは、11時5分発だからゆっくり行けばいいやと鷹揚に構えていた。ところが、10時55分にバスターミナルに到着したら、9月には無かったはずの、10時55分発のバスが待っていた。何だ、時刻は毎月変わるのか?ゆっくり歩いても余裕で間に合ったので、次回は焦る必要はあるまいと思った。佐渡汽船新潟港ターミナルの切符売り場に着いたら、けっこうな人が行列を作っていた。見ると、11時半新潟発のジェトフォイルは、土日祝日限定の特別割引のお蔭で満席のご盛況!改札口では係員が、「乗船券のバーコード部分を、改札ゲートのタッチパネルに当てて下さい」と書かれた掲示板を掲げていた。ジェットフォイルに乗り込んだら、筆者の座席は、1階の15G、この座席は前後部分のピッチが長いので楽ちんである。筆者の左隣には、お受験を控えたらしき幼稚園年長組の女児を連れた親子三人組がいて、右隣には、2歳の女児を連れた母親が座っていた。

2012年10月7日の午前11時半新潟発のジェットフォイルは

お陰様で満席のご盛況!


新春放談その2     投稿者:佐渡の翼応援団

2013年04月03日 05時47分04秒 | 佐渡の翼addictiion釣ネタ記事

司会者:では翼様、佐渡経済活性化に繋がる施策のご提案はございますか?

翼氏:現在自衛隊の駐屯地が妙見山の手前にあるが、国仲平野にも大規模な基地を誘致する計画を持っている。さすれば、北朝鮮の脅威に対する本土防衛の拠点になりうるし、自衛隊員が佐渡島内の商業施設に落すお金は莫大な額なので、地域経済の活性化に繋がる。佐渡空港の滑走路を延伸し、ジェット機や自衛隊機の離発着を可能にする、官民共用空港として整備する。更に大型ヘリコプター用のヘリポートも併設する。カーフェリーの欠航時に、このヘリで物資輸送を行えば、欠航時にコンビニから弁当が消えたり、病院への医療物資の供給が途絶えるなどと言う離島ゆえのハンデイから救われる。ジェット機の就航により、佐渡羽田線の開設が可能になるのでアクセスがよくなり、首都圏からの観光客の集客効果が高まる。つまり、自衛隊基地誘致と佐渡空港の整備をセットで行えば一石三鳥である。

観光関連業者:ジェット機や自衛隊機の離発着に伴う騒音が朱鷺の生息環境に悪影響を与えるのではと言う指摘がありますが。

翼氏:それらの騒音が羽茂の山奥まで届くと言うのかね?それに、朱鷺の雛誕生と巣立ち効果で島民の暮らしが豊かになったとでも言えるのかね?もっと現実を直視したまえ。基地を誘致し、佐渡経済が活性化すれば、税収が増え、その結果島民への行政サービスが向上し、生活にゆとりが生まれるだろう。朱鷺の保護も大事だが、それ以上に島民の生活レベルの向上の方がもっと大事だ!文句あるか。

とある佐渡市民:高齢者と少子化対策に関する公約は?

翼氏:75歳以上の高齢者の医療費を無料化します。そんな事をすれば、佐渡病院が老人で溢れ返ってしまうではないかと反論する人がいるだろうが、選挙で勝つためにはこの程度の飴も必要なんだよ。少子化対策としては、中学生以下の子供がいる子育て世帯に、その所得額に関わらず、毎月一万円のときめき共通商品券を配布する。使用期限のある商品券ならば貯蓄には回せないので、地域に必ず金が落ち、地域起こしに繋がる。

市役所関係者:翼様、現在、市長の給与は翼様の半額でしかありませんし、奥様(正確には奥様候補)が冬の佐渡を嫌がっておられるやに聞いておりますが、このハードルは越えられますか?

翼氏:条例を改正して、市長の給与を今の倍にすればいいし、ジェットフォイルとグリーン車使用で、出張名目で、毎週東京へ行かせてやれば奥方になりたがる人も文句は言うまい。

市役所関係者:翼様が市長になられますと、自分の気に入らない部課長達を閑職に追いやり、周りをイエスマン達だけで固めるだけだとの懸念を漏らし、戦々恐々となっている幹部連中がいますが。

翼氏:当たり前だろう!市長がやり易い環境を整備し、強いリーダーシップを発揮してもらわなければいつまでたっても佐渡はよくならんよ。

とある佐渡市民:翼様の公約が実現不可能となった場合はどう言い訳するお積りでしょうか?

翼氏:民主党政権の時と同じように、「その時々の経済状況により、実現不可能なマニフェストもあった。お詫び申し上げる」と言えばいいだけの話さ。

画像は、2012年1月1日の相川やまきのロビーの飾り付けである。なお、この新春放談は架空の笑い話です。真面目に受け取らないようお願い申し上げます。

 

 

 

 


遅ればせながら新春夢の大座談会      投稿者:佐渡の翼応援団

2013年04月02日 04時50分09秒 | 佐渡の翼addictiion釣ネタ記事

司会者:巷では、佐渡の翼氏が、3年後の佐渡市長選に立候補するとの噂で持ちきりですが、今日は地元の人々にお集まり頂き、仮の話として、もし翼氏が立候補したらと仮定した、新春初占いの大放談会を企画いたしました。皆さんよろしくお願いいたします。まず始めに、佐渡の翼様、もし市長に当選したとしたら真っ先におやりになりたい事は何でしょうか?

翼氏:佐渡市議会の議員定数の半数削減と、市役所に於ける不要の人員整理、そして職員の給与の1~5%削減でそれを民間並みに揃える事ですね。これでかなりの人件費が削減できるので、浮いた分を島内弱者向けのばらまき予算に回せます。まず、観光商工課の撤廃から始めます。特に観光課などは県の地域振興局と業務の大半が重複しているので、観光振興などはそちらでやって頂く。それから、佐渡観光協会への補助金支給は中止し、独立採算制で運営して頂く。佐渡観光協会は、旅行業収入とHPやブログに貼り付けた広告収入だけで運営して頂く。観光協会事務所の家賃は市が負担しますけどね。

観光関連業者:お言葉ですが、そうなりますと、観光PR事業に支障がでかねかねず、観光振興の逆行化が懸念されますが。。。

翼氏:うるさい!君達のそういう甘っちょろい体質が佐渡観光を駄目にしたんじゃないか。それくらいの危機意識を植え付けねば、HPの頻回更新やブログの毎日更新なんてやらないだろう。大体、「佐渡の翼」なんて匿名ブログ頼みの佐渡観光宣伝しかできないようでは話にならんだろうが。

司会者:のっけから厳しい御指摘で痛み入ります。では翼様、観光客誘致と島の若者離れを食い止める妙案はございますか?

翼氏:ありますよ。佐和田地区に三階建ての大型商業施設を建設する。佐渡伊勢丹構想のようなね。勿論、佐渡で初めての映画館も併設させます。佐和田地区や両津地区の開発を徹底的に進める意味で、どちらかの地区にカジノを誘致する構想も視野に入れている。更に、島民が大好きな、ケンタッキーフライドチキン、ユニクロ、スターバックス、吉野家の牛丼店などの島外チェーン店を誘致し、性風俗店の開設も解禁する。佐渡へ行けばいい嬢がいるとなれば、わざわざ新潟から船に乗ってやって来る好き者だって出てくるじゃないか。後は、短大でもいいから大学の誘致ですね。これで調和の取れた街になる。既存の専門学校だけでは駄目です。船といえば、佐渡汽船の経営にも大鉈を振るう。公約どおり、直江津航路と両泊航路を廃止します。こがね丸を両津航路に投入し、三隻体制で運行すれば、午後9時台発の夜間便を復活させられる。更に、佐渡汽船の子会社としての、格安汽船会社を設立し、アイビスを投入して越佐航路をピストン輸送させる。格安汽船は4月から10月までの季節限定だが、船賃がカーフェリーの半額程度で、所要時間がカーフェリーよりも短縮されるとなれば絶対に需要はある。特に夏場の観光客からの需要増で誘客効果は高まるはずだ。佐渡には刺激がないから若者が集まらないし定着しない。刺激とは、風俗、大型商業施設、島外資本のチェーン店だ。これらを誘致すれば間違いなく人は集まる。神社仏閣、史跡、風景の宣伝ばかりでは老人しか集まらないんだよ。

司会者:あのお~、もし、性風俗店の営業を解禁したら風紀の乱れが心配されますが。。

翼氏:馬鹿者お~、その昔、金山華やかなりし頃に、同じ性風俗店である「遊郭」が多数存在したが、風紀など乱れなかったじゃないか。

画像は、タオルで出来た和菓子です。この放談会、明日も続きます。


情けないぞ若造よ     投稿者:佐渡の翼

2013年04月01日 04時51分14秒 | 佐渡の翼の独り言

筆者は若い!若いが更に若いのが20代の連中だ!この頃、こういう若い連中と話す機会が増えたが、彼らはいずれも考え方が甘っちょろいのだ!昔は結婚相手に三高と言って「高収入、高学歴、高身長」の男性を求めたものだが、今では、いずれも平均的なのを求める所謂「三平」希望女性が増えているそうだから、若い女共よ、しっかりせえ!と言いたくなる。男に到っては、リスクを取ろうとせずに安全安心な道しか選ばない。そして石橋をコンクリートで補強した後、更にそれを叩いて渡るくらいの堅実さだ。筆者が20代の頃は、若気の至りで、随分と向こう見ずで無鉄砲な事をしたし冒険もした。若い時は怖いものは何も無かったからだ。今思えば身震いするほどの危険な事もした。そうやってリスクを取ったから高いリターンが得られ、今の自分がある。だが、今ほどの分別が無かったから随分と親や周囲の人々に迷惑をかけた。筆者の現在の人生はそうした人々に対するお詫びと反省行脚でもある。今の20代世代にとって「少年よ大志を抱け」は完全に死語になりつつあるし、「若いときは二度とない、どお~んとやれ、人のやれない事をやれ」と言っても怖気づくだけである。そのくせ、よっぴいて飲み歩き、夜明けに所構わず大声で騒ぎ立てるのだから、お前ら、まだ子供か?と言いたくなる。こういう馬鹿者連中の性根を叩きなおすには、日本も徴兵制を敷き、彼らを戦場に送り込む以外に手はあるまい。

バブル崩壊直前に絶頂期を迎えた、ディスコ「ジュリアナ東京」は、その頃の人々の記憶の中でだけ咲いた徒花である。普通のOLが、そのお立ち台に上がり、ボデイコン姿で扇子を振りながら、毎夜、男達を上から目線で見下ろしつつ、「自分がいい女である事」を実感できた時代から早20年あまりが過ぎた。その頃の20代のいい女も今では40過ぎのばばあと化した。人間、あっと言う間に年を取る。20代の若さを誇示できるのも数年でしかない。若者よ、リスクを恐れず、当たって砕けろの精神で物事に向き合え!

画像は、2008年に一夜限りで復活した「ジュリアナ東京」の姿。画像の出典アドレスはhttp://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20080909/1018559/01_px450.jpg。JULIANAのJが抜けており、TOKYOのTが抜けたパロディー版である。踊っているのはいずれも40代の糞ババアばかりである。

 

 


i8ロードスター動画1

i8ロードスター動画2

i8ロードスター動画その3

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