2012年10月7日の体育の日、筆者は、いつもの東京発9時12分の上越新幹線に乗車した。今日の東京は生憎の雨!佐渡も雨だが午後からは晴れるとの予報だ。9月の最終連休から2週間ほどで再び佐渡へである。佐渡金銀山遺跡が世界遺産に登録されても、その恩恵を被るのは、相川の宿泊施設や飲食店、土産物屋くらいだろうと思っている佐渡島民は意外に多いのではないだろうか?いくら、佐渡市が「佐渡金銀山遺跡を世界遺産に」と音頭を取り、気勢を上げてもその運動がさほど盛り上がらないのは、失礼ながら、佐渡島民の理解力の低さに鑑みれば容易に推測できようかと思う。多くの佐渡島民は、「佐渡金銀山関連遺跡は相川地区だけにとどまる」と理解しているからだ。佐渡市は、この辺の理解不足を補い、啓蒙する努力が足りないように思う。佐渡金銀山関連遺跡には、相川以外に、西三川の砂金跡、新穂銀山、金の積出港の小木、そして相川から小木までの旧相川街道、沢根の吉祥寺跡などが含まれており、それらは、言わば佐渡島全体に及ぶ包含、包括的な遺跡であり、島民全員が、その居住する地域に寄らず、等しく守り続けるべき貴重な遺跡なのだ。世界遺産登録の動機が、その後の観光振興や地域起こしであるとすれば、それは不純な動機であり、人類全体で貴重な遺跡を守っていくと言うユネスコの趣旨に反する。世界遺産登録後の観光客の増加などは副次的なものであり、あくまでも主目的は、世界に冠たる佐渡金銀山遺跡を守り、それを後世に伝えて行く事なのだ。この事が理解できず、自分たちが住む地域の利益だけを考える、地域エゴに陥った島民が多すぎるので、一向に登録運動が盛り上がらないのだと思う。
列車は定刻の10時49分に新潟駅に到着したが、筆者は、佐渡汽船行きのバスは、11時5分発だからゆっくり行けばいいやと鷹揚に構えていた。ところが、10時55分にバスターミナルに到着したら、9月には無かったはずの、10時55分発のバスが待っていた。何だ、時刻は毎月変わるのか?ゆっくり歩いても余裕で間に合ったので、次回は焦る必要はあるまいと思った。佐渡汽船新潟港ターミナルの切符売り場に着いたら、けっこうな人が行列を作っていた。見ると、11時半新潟発のジェトフォイルは、土日祝日限定の特別割引のお蔭で満席のご盛況!改札口では係員が、「乗船券のバーコード部分を、改札ゲートのタッチパネルに当てて下さい」と書かれた掲示板を掲げていた。ジェットフォイルに乗り込んだら、筆者の座席は、1階の15G、この座席は前後部分のピッチが長いので楽ちんである。筆者の左隣には、お受験を控えたらしき幼稚園年長組の女児を連れた親子三人組がいて、右隣には、2歳の女児を連れた母親が座っていた。
2012年10月7日の午前11時半新潟発のジェットフォイルは
お陰様で満席のご盛況!