我輩は凛太郎である/そしてその母紗夢猫(しゃむねこ)である+ワン!

凛太郎♂(18歳)ミニチュアダックスとハク♂(13歳)和犬雑種+その飼い主ニンゲンの皮を被ったネコ婆♀が繰り広げる日常

比較をしだすと幸せな時間が減る

2013-08-17 23:30:20 | そしてその母紗夢猫である

比較をしだすと人は幸せな時間が減る。

今週は比較から批判が出、長い1週間になってしまった。

ゴミ当番が毎日のように比較と批判を生み出した。この場合は膿み出したという文字の方が適切な気がする。

比較というものはおおよそ自分と比べて、あるいは自分から見た「あの人」と「この人」の比較から批判や羨望が出る。

大概の場合「自分の考え」がモノサシの基本である。

 

さて、観光地に行くと、人々は弁当を食したり、ジュースを飲んだりした空き缶やペットボトルをその地の「ゴミ箱」に捨てて帰ってくる。この場合そこに住む人たちのことは何も考えていない場合が多い。そこにゴミ箱があるから捨てる。それ以外は何も考えない。

ゴミ箱があふれていたら、ゴミ箱の傍に捨てる。そういう風景を見たことがないだろうか?

そのゴミがいつ回収されるのかとか、そのゴミがあって周囲の住民の方はイヤだろうな などということは多分微塵も考えない。

でも、もしそこにゴミ箱がなかったら人々はゴミを持ち帰るだろうか?

放置する人と、持ち帰る人と、帰りに寄ったコンビニのゴミ箱に入れる人と、その対応はいろいろだと思う。

自分が普段住まいしているところでは、ゴミ出しのルールは守るだろう。ゴミ当番もあるだろう。でも観光地に行けば、そういうことは忘れてしまうことが多いように思う。町をキレイにしたいのはその町に住む人なら誰でも思うのではないだろうか。

観光地に行っても、別荘に行っても、ゴミは持ち帰るように心がけたいものだ。あるいはルールを守り、町をキレイにする協力を。

そういう比較と批判で1週間の精神活動が徒労に終わったように思う。

どうでもいい話ではあるが、我が団地の缶ゴミ(リサイクル)の日は27日である。10日もむこうのゴミがすでに出ている。もっと言えば今週火曜日が缶ゴミの日だったのだけれど、その直後から捨ててある。
「27日まで捨てないで、洗って出して」と書いたものを缶ゴミの上に置いておいても、その紙をめくって缶を捨てる人が後をたたない。おまけに洗っていない。モラルって死語?

あたしゃゲンナリと徒労のお盆週間だったのよ!

比較をしだすと人は幸せな時間が減るという本日のタイトル通り、今週は幸せな時間を自ら減らしてしまいました。

おまけに今週はほぼゴミ愚痴話に終始してしまいましたね。今日で当番は終わりです。

読者のみなさんも「またかーーー」と思われたかもですね^^;ごめんなさいです。

ではまた明日
読んでいただいてありがとうございました。

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