オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

『葵 徳川三代』~大一大万大吉~。

2007年07月31日 20時12分57秒 | 小説・漫画

一ヶ月も前にニコニコ動画に登録したんですが、利用者制限とかでずっと見る事ができなかった。それがようやく「利用できる人数を拡大したよ」という通知が来ました。うをおおおおー、すごいいろいろな映像があるんですねぇ。
その中に、すごく見たかった2000年のNHK大河ドラマがあったので、それをまず見てみることにしました。
NHK大河ドラマは見たり見なかったりなのですが、この『葵 徳川三代』は私の記憶の中で、『真田太平記』『武蔵坊弁慶』『宮本武蔵』『独眼流政宗』『太平記』『炎立つ』と並ぶ、もっとも最高峰に立っている作品なんです。もっとも最初の「関ヶ原編」しか見なかったですけどね。
(※今の「風林火山」もGacktの上杉謙信が出てきたシーンぐらいしか見てないです。)

・・・・えーーと、いまニコニコ動画は著作権的にいろいろなことが問題となっているんでしたっけ。その画面をキャプチャするだなんてことは、いけないことなのかな。…でもまいいや、私は各役者の表情のクセが確認したいだけですから。

といっても私が見始めたのは、関ヶ原の戦いを描いている第11回と第12回。
このドラマは前半終始関ヶ原を描いていた気がしてたんですが、合戦その物は11回目なんですね。それまでの過程をこんなに丹念に描いていたんですね。覚えてないけど。これまでの10回分は何をやってたんだっけ。そう言えば、前哨戦の第10回の大津攻めでは立花宗茂が登場してた記憶がかすかにあります。
しかし、この「関ヶ原編」はまるで神のような合戦映像です。
総集編なんていらないから、この2回分だけをDVDにしてくださらないかしら。すごく欲しいです。すごく凄いです。こんなに見事な関ヶ原は無いと思う。
津川雅彦の徳川家康と、江守徹の石田三成、両方最高!!!
最初はこの江守徹の石田三成を見て、「え~~?」と思いました。しかしすぐにこの江守のおかげ、三成好きになっちゃったんですよね。この後あわてて司馬遼太郎とかを読みました。津川の徳川家康の方は、初回から私の一番理想の家康様です。

ちょっとだけ残念なのは、私の中での関ヶ原は最初から東軍・西軍互角(西軍にも勝つ可能性は少しはあった)で、軍略も得意な石田三成はヤル気満々だったでしょうし、徳川家康は恐がっている場面(爪を噛んでいるエピソード)も多々あったはずだと思うのに、このドラマでは最初から石田三成の表情は景気が悪いし、徳川家康はイライラしているか高笑いしているかのどっちかで、塞ぎ込んでいる場面がほとんど無かったことです。
この大河ドラマは放映当時「視聴率が低い」と盛んに言われていたことを覚えています。私も見始めた頃は「何で今さら関ヶ原なんか」と冷めた気分でしたが、最初の数回でその想いは熱狂に変わった。しかし一般的には視聴率はズルズル下がるままで、「おもしろいのに~」と残念に思った。
実際、金を掛けた合戦シーンをやる大河ドラマはこれが最期になったようですね。(残念。おっと、北条時宗も金がかかってましたっけ)
ウィキペディアを見ると、このドラマに対する視聴者の反応が書き込まれていて、面白いです。初回で、物語の盛り場となるべき関ヶ原の一番金の懸かったシーンが流されたのですが、「正月から血なまぐさいもの見せるな!」。徳川家康がイライラしたときに爪を噛むクセがあったことに対し、「食事どきにその映像は不潔である」。(これに対し津川雅彦が「その前に、メシを食いながらテレビを見る姿勢を改めよ」と言ったという) ぶわははははは。徳川家康がウ○コ漏らす三方原の戦いは大河ドラマで放映できないですね。

 

また、このドラマで最も印象に残っているのが、関ヶ原における福島正則(=蟹江敬三)と黒田長政(=山下真司)の圧倒的な存在感でした。まだこの頃私には豊臣恩顧派に対しての思い入れなどほとんど無かったのですが、この福島と黒田の熱演は強烈で、以後私の中での脳内映像では正則と長政は常にこのおふたりです。すごかった。そしてそのイメージが、のちに志木沢郁氏の御本を読むときにどれほど役に立ったか!
可児才蔵ももちろん登場します。さ、笹… 本当に笹背負ってる! ステキ!
(残念ながらニコニコ動画だと映像が荒い。だって関ヶ原は常に霧が立ち篭めているし)

 

 

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意味(BlogPet)

2007年07月31日 10時44分40秒 | 自分について言う

きょうは、麁鹿火の意味っぽい樹立するはずだったの。
*このエントリは、ブログペットの「歌声喫茶テケリリ」が書きました。

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きみ子、イスタンブールへ行く。

2007年07月29日 06時34分50秒 | シルクロード日記

長らく続けていたゲーム『シルクロード漫遊記』。
(歩いて)ローマ帝国に辿り着くまでがんばる!」という誓いを立てて楽しんでいたのですが、とうとう出てしまいました、最終目的地“ローマ帝国の都”コンスタンティノープルの地図が! 

凄くゆっくりとした速度で世界を広げていたこのゲーム、2年前に長安から始まったのですが、ようやく今年の初め「ロック山」(=たぶんパミール高原のあたり)というところに辿り着いた所だったのです。
いきなり「次はコンスタンティノープル」と言われて私たちは驚いたのなんの。(←ってアナウンスがあったのも半年ぐらい前ですが)。何でも中国側の地図の開発はしばらく置いといて、今度は反対側のヨーロッパから新たなキャラで出発できるようにすると。ゲームのルールも中国とヨーロッパでは違うそうな。ただいずれ地図がひとつに繋がったとき、中国キャラがヨーロッパにも行けるようになるし、逆もまた可。これは異なる文化圏の交流を描いた壮大なゲームだという。
…と聞いても、私たちは正直言って複雑な心境。できたら今やっているキャラでクリアを目指したいじゃないですか。さらにヨーロッパルールでは「パーティプレイが主体となる」と聞き、「嗚呼、我々はのんびのマイペースに旅を楽しみたいから、ヨーロッパキャラで遊ぶ事は無いだろうな」と思ったのでした。だって、オンラインゲームでのコミュニケーションほどめんどくさいことはない。限られた人数の中で自分の役目をきっちり果たさねばならぬなんてなんと窮屈か。私はかつてファイナルファンタジー11を半年楽しんだときも、一度もパーティを組まなかったことがありました。やっぱり現状のままが気楽で、適度にパーティだってできるし、これでいい。

ところが、さっそくコンスタンティノープルが登場すると、私はいてもたってもいられなくなってしまいました。(こういう男だ、私は)。だって、この1年、タクラマカン盆地の和田(ホータン)から先に進めていないんだもん。もう飽きたー。この調子だとあと30年かかってもローマ帝国に着きようにありません。

早々に新データをダウンロード。
げっ、ゲーム全体をインストールしなおさねばならないんですって。私のパソコンでは、ダウンロードだけで1時間半かかってしまいました。それから再インストールに30分。そしてin。確実にゲームが重くなっている。「ゲーム開始」のボタンを押してからキャラ作成画面に行くまでさらに10分かかります。なんだこれ。
「新しいキャラを作る」ということが自分の中で罪悪感があるのか、「できるだけ(外見的に)似たキャラを作ろう」と決めていました。ヨーロッパ編では役割分担が重視されているので、D&Dみたいに「戦士」「魔法使い」「補佐職」みたいな分担があります。(中国編はルーンクエストみたいな感じでした)。私は常にガツンガツンぶつかりたいタイプなので当然戦士。キャラが何種類か用意されていまして、使用する武器によって差別化されているようです。結構キャラ数が少ないのに、身につける装備と術によって完全に個性的なキャラばかりになるところがこのシルクロードの不思議な所でしたが、ヨーロッパ編はどうなのでしょうか。中国で使っていた槍を選びたかったのだけど、ヨーロッパでは槍は無かったので、かわりに斧の二刀流を選びました。

そして、満を持してゲームにinしたときの光景が上の画像。
うをーーー、広場の中央に巨大な地球儀が。USJかっ。

inしてみて最初に驚いたこと。
コンスタンティノープルの街路の作り込みが凄すぎる。いや、コンスタンティノープルがあまりにも広すぎる。長安の4倍はあるんじゃないでしょうか。なんだこの製作の意気込みはっ。明らかにこんな広さ必要ないです。そして、関係の無い部分の街路がまるで迷路です。ただひたすら感嘆。でも、広すぎて移動に時間が掛かりすぎて不便。
inするときはあんなに重かったのに、入ってしまった後は嘘のようにただひたすら快適。あまりに広すぎて人が分散してしまっているからでしょうね。よかよか。

イスタンブールは行ったことはありませんが、オスマン帝国好きのわたくし、何冊も写真集を持っていて、憧れの都であります。グラフィックは手が込んでいて、非常にいい感じです。霞んで遠くに王宮も見えます。トプカピ宮殿が無い頃の王宮は“真珠宮殿”って言うんでしたっけ? 今のブルーモスクのあたりにあったんですっけね。しかし… 異国情緒が意外と感じられないな。その原因は、民家がなぜか中世ドイツ調と東欧の石造り建築が入り交じった感じのたたずまいになってるから(笑)。しかしすごい都市だ、コンスタンティノープルは。思わず無駄に走り回ってしまいます。何の為にこんな広い都市を用意したんだろう、このゲーム?
(一時期、ゲームの停滞期に敦煌やその周辺や砂漠でかくれんぼをして遊んでいた人がたくさんいたことを思い出しました)

アヤ・ソフィア。
イスラムモスクとしての4本の塔(ミナレット)もちゃんと立っている(笑)。一体今は何世紀だ?(中国の都が長安だから唐の時代だと思ってたんですけど)。そういえばビザンツ帝国ではガス灯もそんなに古くからあったんでしたっけ?、なおこの大聖堂を守っているのは「司祭ガブリエル」という人物なんですが、他のNPCがこの人物の事を女性として語っているのに、見てみるとどう見ても男です。どうなっているんでしょう? 不思議の帝都イスタンブール。

当然ローマ帝国ですから巨大なコロッセオもあります。これがまた、やたら巨大なのに中には入れません。そのうち入れるようになるのかしら。

(ちょっと郊外に出れば)これまた異様に巨大な水道橋もありますよ。まさかこれはヴァレンス帝の水道橋?(←は市内にあるはずですが) 都に近いのに不自然に高いです。

帝都から一歩外に出てみると、びっくりするぐらい牧歌的な光景が広がっています。(彷徨っている化け物の数も多いですけどね)。このゲームの最大の特徴は、不必要にも感じる美麗なグラフィックだ、とつくづく痛感しました。どう見ても東欧じゃなくてフランスのブルゴーニュかアイルランド付近の牧歌的な世界です。いいね。

郊外には化け物がうようよしているんですが、民家がいっぱい建っていて、夜になるとそれぞれの家にともしびが灯ってたりするんです。こんなに細かな演出は中国側には無かったね。ジブリの映画とかを思い出してうるっと来てしまいました。

 

帝都近郊にいる最初の敵たち。見た目はあれですけどすごく弱い。中国側の藁人形に相当するヤツらです。とくにグレスプやエデンプとかいう小鬼族は、草むらの中を飛び跳ねたり駆け回ったり、完全にイナカの子供たちですよ。狩るのにちょっと罪悪感が湧きました。

 

もうちょっと離れると凶悪そうな奴らが出てくるんですが、こんなに凶暴そうな見た目なのにアクティブ(向こうから襲ってくる敵)じゃなくてパッシブ(こっちから攻撃を仕掛けないと反撃しない)なんです。

やたら地図は広くてホラーっぽい地形もいくたりかあるのに、こんなおとなしそうなやつらばかりを配置してどうするんじゃ。

やっぱり中央アジアの砂漠で1年もウジウジしていたこともあって、初日だけで10レベルもupしてしまいました。あぁ、ゲームって最初の頃が楽しいなあ。「パーティ組むのイヤ」と言っていたのに、仲の良いパーティ友達も1人出来ました。うんうん、やっぱり話し相手がいた方がゲームは楽しいよね。

そして今回一番驚いた事。
「中国側は一旦置いといて」という話だったのに、コンスタンティノープルと同時に「トロイ海岸(アナトリア)」、「アララト山」、「サマルカンド」も出現し、中国側と見事に繋がってしまっていたのです。うりゃーーーー。(もちろん私のキャラでは弱すぎて通過できませんが)。でもすごいラッシュ! とすると、世界で一番凶悪な地域(最も強い敵が出現する地域)はこれまでのロック山なんですね。今後、さらに「エジプト」、「インド」、「仙界」、「天界」が出現すると予告されてるんですが、、、、、 どうなるんでしょ?

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ベートーヴェン作曲 『戦争交響曲(ウェリントンの勝利、あるいはヴィットリアの戦い)』。

2007年07月28日 05時50分52秒 |   歴史音楽の部屋

まぁた、クラシック音楽の記事かぃ。見て下さる人もうんざりでしょうけど、私も飽きっぽいんですよね。なんてクラシックばっかり聴いてるんだろう。でも仕方がないです、私はもう外には出かけないので。(暑いし)

ベートーヴェンの爆裂音楽として有名なのがこちら。
30代の時に交響曲『エロイカ』を書いて英雄ナポレオンの精神を称えたのもつかのま、ナポ公の皇帝就任に激怒してその楽譜(の表紙)を破り去り、その後一貫して(?)ベートーヴェンはナポレオンの最大の敵・英国を賛美するような曲を作り続けます。エロイカの10年後の作品がこれ。「欧州で唯一ナポレオンを打ち破れる男」として名を馳せていたウェリントン将軍(ウェリントン公アーサー・ウェルズリー)の勝利を称えた音楽です。もっとも有名なワーテルローの戦いはまだ起こっていませんので、その2年前のスペインのヴィットリアという場所で起こった局地戦での勝利を讃えてるんですよ。

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ヴェルディ作曲 『諸国民の讃歌』。

2007年07月25日 23時47分02秒 |   歴史音楽の部屋

1862年、作曲者49歳円熟期、ロンドン万国博覧会のために作曲。ばんぱくばんざい。ロンドンは記念すべき第一回の万博が開催された場所ですが、長い万博の歴史の中でロンドンが舞台となったのは2回しか無いんですね。(パリは7回)。残念ながらこの1862年はクリスタルパレスの作られた第一回ロンドン万博(1851年)ではなく、2回目ものなのだそうです。
この万博では、この時代の各国を代表する音楽家たちに一曲ずつ曲を依頼し、演奏されたのだとか。いかにもヨーロッパ中心の開催っぽい。英国はウィリアム・ベネットの『テニスンの詩による讃歌』、フランスはオーベールの『行進曲』、ドイツはマイヤベーアの『行進曲形式の序曲』だったんですって。イタリアの代表が国会議員にもなっていた(分裂状態の長かったイタリアはこの前年にサルディーニャ王国によって統一されていました)

この曲は、マニアの間には爆裂音楽として知られています。
なにが爆裂なのかと申しますと、いろんな国の国歌を組み合わせて作った作品となっているのです。正確に言うと、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」、英国国歌「ゴッドセイヴザクイーン」、イタリア国歌「マメーリの讃歌(イタリアの同胞よ)」の三曲なんですが。なかなかないですよ、「国歌を組み合わせる」って。ラ・マルセイエーズのみはチャイコフスキーやベルリオーズやシューマンが使っているのでおなじみなのですが。ここで疑問に思うのが「ドイツ国歌は無いの?」ということですが、、、、、 統一ドイツの誕生は4年後なんですね。マイヤベーアはドイツのどの国の代表として参加したんでしょう?(ドイツ連邦全体の代表なのかな)
曲全体は13分程度の音楽です。最初の8分ぐらいはテノールがひとりで朗々と気持ちの良い歌を歌う。これがまた、いかにもヴェルディっぽい勇壮な音楽で、『ドン・カルロ』に混じっていても違和感がないんじゃないかしら、と思うぐらいの力作。いや立派です。ヴェルディがノリにのっていることが窺えます。豪壮に続いてうっとりするような独唱。しかし、私の手持ちのCDには歌詞が付いていなくて、何て歌っているのか不明なんです。きっと「万博万歳」とか「こんにちわ~こんにちわ~世界の国から」とか歌っていたと思うんですけどね、(こちらのサイトさんに英訳された歌詞があるんですけど …小さくて読めなーーい)

8分半ごろから、テノールがうっとりと歌ってるところに、さりげなく英国国歌の旋律が入ってくる。続いて「英国」→「フランス」→「イタリア」→「英国」の順番で国歌が陳列されるんですが、最初はそれはそれはお行儀良く歌われるんです。(でも歌詞が不明なので国歌をそのまま歌っているのかどうかはわかりません)。次からがヴェルディの本領発揮、このみっつの国歌をごちゃごちゃに入り混ぜて(でもやりすぎないようにして)しまうのです。
やっぱり歌っていて一番迫力があるのはフランス国歌ですね。勇壮。この国家を持つ国民はきっと自慢鼻高々でしょうねえ。しかし次にその何倍も歌ってて気持ちよさそうなイタリア国歌が乱入。さすが歌の国だなイタリアは。と思わせつつ、一転して厳かな英国国歌が現れると一気に雰囲気が落ち着く。さすが紳士の国大英帝国。 ・・・などなどと、それぞれの国歌のいい部分を同時に味わえるような構成になっているのです。うん、この国歌、3つともすごーく良い曲だよ。
ところが終結部、この3つの国歌すべてをねじ伏せるように、ふたたびヴェルディ節炸裂。まるでアイーダ行進曲のコピーのような素晴らしいいい旋律が、3つの国歌をねじ伏せてしまうのです。うーーん、ヴェルディの勝ち!

さらにさらに、私の持っているCDはトスカニーニの指揮した1943年盤なのですが、このCDはさらにとてもとんでもないことになっているのです。
アルトゥーロ・トスカニーニはイタリアが誇る歴史的英雄指揮者なのですが、第二次大戦中ムッソリーニのファシスト政権を嫌って、米国へ亡命。最初は亡命を機に引退を表明したのですが、それを惜しむアメリカ国民の声が大きく、NBC交響楽団というトスカニーニ専用の楽団まで用意されて彼にプレゼントされるほどだったのです。私の持っている録音は、アメリカ時代のこのトスカニーニによるものなのですが、なにしろ1943年は大戦が最も佳境の時期、トスカニーニの手によってヴェルディのこの曲は改変され、英仏伊の国歌に続いて、ソ連の国歌「インターナショナル歌」と米国の「星条旗」が付け加えられ(ヴェルディの原曲にドイツの歌が含まれていないことが幸いでした!)、卑怯にもファシスト政権の権化となったイタリアの国歌の歌詞を「イタリア、裏切った祖国」という歌詞に替え歌して上演したのです。はっきりいってこの2つの国歌を付け加えたことが異様な熱気を生み出している!
米国とソ連の国歌を並べて聴けるだなんて! ソ連の国歌だなんていうからどんな変態な歌かと思いきや、これはすごく良い曲ですよね。ソ連の根本精神が“団結と調和”だということが良く分かる。(とはいえ、これはもともとはフランスで歌い始められた歌です)。他の4つに比べてアメリカの国歌は戯画的で極めて俗っぽいのですが、これが最後にでーんと鎮座ましましてすべての取りまとめ役と化す事には、これまた変な説得力がある。
(※例えばこのサイトさんで、すべての国歌が聴けたりしますので聞き比べて見てくださいね。これを全部組み合わせるのが、いかにエキサイティングな試みであることか)
「万国博覧会」という“世界の国はみんな仲良し”“みんなの長所を披露し合おう”という場のために作曲された作品が、祖国から信念のために亡命したひとりの偉大な指揮者の手によって、「悪のファシズムに対抗する連合国の聖戦の歌」となってしまう。作曲者のヴェルディは自分の国の国歌を「どうだ気持ちの良さそうな歌だろう」と示しただけなのに、演奏される場面に応じて「邪悪な裏切り」「イタリアは自由の国のはずなのに!」と責められる手段と変わってしまう。これほど興奮的な格好な歴史的素材はありましょうか。

なお、この諸国民の讃歌はイタリア在住時代からの得意曲でして、こちらのサイトさんによりますと、アメリカに移ってからの改変版の演奏の記録は3つあるそうなのですが、なぜかトスカニーニは、その際異様にやつれていたのだそうです。これまた非常に興味深いですね。

 

(※前半部分)
ここは、つまらないっていえばつまらないですね。

(※後半部分)
ここがキモ。
[1:42]のところで微妙な感じに英国国歌が始まり、[2:10]で無難にフランス国歌、[2:39]で気持ちの良さそうなイタリア国歌が始まる(一番長い)。[3:10]で英国国歌に荘厳に回帰し、[3:37]でさりげなくラ・マルセイエーズに戻るんですが、このときの歌手の表情がたまらない。[4:20]でまた英国国歌、[4:33]のところで3つの国歌をぐちゃぐちゃに混ぜたあと、[5:14]のところからアイーダによく似たヴェルディ独自の(どこの国歌でもない)ヴェルディ節を強引にぶちこむ。[5:45]は完全にアイーダ行進曲だね。[6:08]からトスカニーニの暴走。何の捻りもなく米国国歌をやったあと、、、、 あれ、ソ連のインターナショナル歌は?(この映像ではソ連は省略されているみたいです。あそこが一番天国的なのに。CDにはちゃんと入ってますから、聞いてみてネ♪ CDではソヴィエトたちの歌は米国の前です)

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