オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

骸骨の顔。

2018年09月23日 14時04分13秒 | 小説・漫画


これから読みます!



山童さん、
折を見てこちらをご利用ください。
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七王国の玉座。

2013年09月20日 00時38分03秒 | 小説・漫画


9月になってめっきりヒマになってしまったわたくしです。
10月11月はさらにもっとヒマになるだろう。

さて、ここ10日ほどわたくしが夢中になっていたのは、『氷と炎の歌』という小説のシリーズでした。
これは日本でも2006年ぐらいに翻訳が刊行されたという人気シリーズだそうで、わたくしも名前ぐらいは知っていたような気もしますが、一年ぐらい前に「改訳新版」が出まして、わたくしは半年ぐらい前にそれを買った。こやつがとてつもなく分厚い小説でして、私も半年間ぐらい少しずつちびちび読んでたんです。
で、10日ぐらい前にようやく第二部「王狼たちの戦旗」の上巻を読み終わりまして、ふと「他の人の感想も読んでみたい」と思ってネット検索してましたら、この小説の米国ドラマ版も発売されていることを知り、アマゾンで注文してみたんです。そしたら翌日の朝届いてビビった。



(※以降の文章は激しいネタバレを含みます)
小説の方は、わたくしは心の中で「米国のグイン・サーガ」と名付けていました。
原著でも第5部までしか出ていないそうで、長さとしたらあのグインサーガには果てしなく及びませんが、雰囲気が似てる。とくに「どうでもいい細部の描写にこだわって話が全然進まないダラダラとした感じ」が。第一部『七王国の玉座』は文庫本にして1200ページに及ぶ大部ですが、マイクル・ムアコックならばこのくらいの内容なら二章で書ききるでしょう。(もっとも栗本薫ならばこの描写と展開に35巻ぐらいかけたでしょう。)
主人公は数人いて、それぞれがてんでばらばらに自分の好きな事をやっています。狭い大陸の北や南や西や東に主人公がそれぞれいて、それぞれ別の物語が同時進行していて噛み合わず、それが交互に語られるという手法もグインサーガに似てる。
また、「作者は主人公級の登場人物には幸せな未来を与えるつもりがない」ことをあからさまに見て取れるところも共通しています。全員が不幸になり、冷静に考えて先の展望があまりありません。

私が買ったのはブルーレイ5枚組全10話の第一部で(それでも8000円弱の格安)、その頃小説の方は第二部の後半に取りかかっていたのですが、何をとち狂ったのか私は第二部の下巻と第三部の上巻を取り違えてしまって、ドラマ版を見ながらそれをちまちまと読み進めていました。第三部の冒頭には作者により「この巻のお話は、時間的に前巻につづいてない部分がたくさんある」と書かれていたので、わたしが読んだ時点からいきなり超展開になっているところがいくつかありました(だって第二部の下巻を読んでないんですから当たり前です)。しかし「作者め、手法を変えたんだな」と思うばかりで、自分の方が間違っているとはしばらく気付きませんでした。登場人物のほとんどがさらに不幸になっていまして、でも「当然この展開も予想できたね」と思うばかりでした。結局、自分が「どうも読んでない部分があるな」とうすうす気付いたのは第三部上巻を半分以上読み進めたあたりでございまして、慌てて第二部の下巻に戻って読み直し始めたものの、「こんなに分厚い(720ページ)のに話はあれしか進まないのかよ」とげんなりした気持ちに襲われました。そこから下巻を読み終えるのに5日もかかったんですよ(笑)
そういえば、十二国記でも『風の万里 黎明の空』を上巻よりも先に下巻を(半分ぐらい)読んでしまった事があります。意外と読んでいるときは勝手に頭の中でいろんなことを補完しながら読んでしまうものですよね。

以下順不同に気になったところを述べます。



物語の舞台となるのは「七王国」という場所です。「ウェスタロス大陸」という名前が付いています。
詳細な設定があるようですが、その設定書が未だ公開されていないので、全体像がいまいち不明瞭。(わたくしは設定マニアなのです)。ウェスタロス“大陸”と名付けられていながら、わたくしにはこの大陸がグレートブリテン島ぐらいの広さぐらいしか無いように思えてならない。(そもそも名前が「七王国」だし)。とはいえ北部と南部では全然気候が違ったり、「ウィンターフェル城から狼の森まで3日」とか「トライデント河からダリー城まで半日」とか「地峡を渡るのに12日かかる」とか「ウィンターフェル城の北部の森から灰色沼の物見城まで数千㎞ある」(まさか!)とかいう漠然とした描写はちらほらあるのですが、どうなんですかね、わざと地理が詳説されないという気もする。さらに主人公の一人、“失われた王国の女王”デナーリス・ターガリエンの活動の場は七王国の外の土地なのですが、海を越えた遙かな大地の地理は、読者には全くよくわからなくされています。

で、題名にもなっている「七王国」。
七王国と言いながら現在はひとつの王国に統一されています。この物語では各地方は「城」の名前で呼ばれるのですが、「この七王国とは具体的にどの7つだろう」とずっと頭を悩ませながら読んでいました。小説を読みながら漠然と考えたのは、“北の冬の王国”ウィンターフェル城と“王都”のある南東部のキングス・ランディング、それから西部にある“獅子の王国”キャニスター・ロック城、ウィンターフェルとキャニスターの磐山城の中間にある“河の王国”リヴァーラン城、東部にある“岩山の谷間の王国”アイリー城、そして南西部の“豊かな薔薇の王国”ハイガーデン城の6つは確かだとして、あとの1つは何? 南部にある“ドーン”という謎の大国がそうだと思いますが、なんか地図を見てもよそ者扱いされてるようなんですよね。意外と“簒奪王”ロバート1世の出身地・“嵐の王国”ストームエンド城がそうかもしれん。“鉄の王国”鉄諸島というのもあったな。
それが米国ドラマ版では、映像で地図が表示されていました。
えーーっ、なんだこれ。
これによると、「ストームエンド城」とドーンの「サンスピア宮」を合わせた領域が“第七の王国”とされているように見えます。(もっともこの地図ではストームエンドとドーンの間にある“ドーン海”が無い事になっているので信憑性が無いのでもありますが)
そもそも第二部・第三部で重要な拠点となる「ハレンの巨城」ばかりかその遙か南部のあたりまでがこの地図ではリヴァーラン城の領域となっていることになってるんですよね。物語の描写的にそれはかなりおかしい。また“狭い海の東側”の大陸も小説第三部に掲げられている地図といささか違う。このドラマ版は小説第三部の原著が出る前に制作が開始されたのかしら(まさかね)。どちらにせよ、ドラマを見ても「七王国のナゾ」が解明されるわけではありませんでした。
(※さらに、ブルーレイ同包の解説書では、七王国は“狼のスターク家”(ウィンターフェル城)、“鹿のバラシオン家”(王都キングスランディング)、“嗣子のラニスター家”(キャニスター・ロック城)、“鱒のタリー家”(リヴァーラン城)、“鷲のアリン家”(アイリー城)、“大烏賊のグレイジョイ家”(鉄諸島)、“三頭龍のターガリエン家”(旧王家→東大陸へ亡命)の七つとなっている。“薔薇のタイレル家”(ハイガーデン城)がないじゃん)
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最近買った本。

2009年09月25日 11時04分33秒 | 小説・漫画

私が最も不幸だった時期(2007年)に夢中になって観ていたテレビドラマがありまして、松山ケンイチ主演の『セクシーボイス アンド ロボ』。いちいちわたくしのツボに嵌る箇所が多々あって、あの地獄のどん底だった日々に誠に力を貰ったのでした。ただひとつ、全11話中の第7話“ハンバーグさん”だけが、「当時起こった陰惨な事件が劇中のお話の設定と似ていた」とかいう理由で放映がされなかった。これがわたくしには非常な心残りだったのでありまして、でもそれが実はDVDボックスには収録されていたとのことで、それを今日観ました。ううううう、おもしろーーーい。・・・っていうかアマゾン見たら放映は07年6年に終了してるのに、DVD化されたのは07年9月じゃん。もっと早くこの事実を知りたかった。もっと早くハンバーグさんを見たかった。ま、あの当時は到底買えもしなかったんですけどね。(ちなみに私が最も好きだった話は「プッチーニ」(前編)です)。さらに言うと、こんなに大好きなのに、『大日本天狗党絵詞』も大好きなのに、セクシーロボの原作は読んだことが無いですけどな
・・・哀悼の意味も込めて。

 

さてさてさてさて。
最近の私は本すら滅多に買わなくなってしまったわけです。(たまに本屋には行くがね)。でもさっき本屋に行ったら、いつの間にか面白そうな本がずらーーっと並んでいるのです。それを見て、「ああ、このままじゃいかんのだな。私という人間は本を買わないと死んでるのも同然なのだ」と思いました。自分が現在何に興味を持って生きて動いているのかすら分かんなくなってしまってはお終いです。だめだよ君。だから、ちゃんと、買った本の記録ぐらいはしておかなければと。経験上、適当に流すと決めておけばエントリだけは気楽にできますので。目的は記録だと割り切るんだ俺。
個人的には、買った本は2割ぐらいしかまともには読まないですね。だがしかし、買った本が役に立つのは10年後ぐらいだということも実感しています。即ち、本を買うことによって自分の興味関心が蓄積してゆき、語りたいまでにそれが肥大化するのが数年後と言うことです。だから、ここではちゃんと感想を言うこともあればちゃんと何もいわないこともあります。

今日本屋に行って一番びっくりしたのがコレ。
クラーク・アシュトン・スミスの作品集ダーーッ!!!!
東京創元社、2009.8.28、1,200円(税別)。高ッ!
くるせるり(H.P.L.)の全集を完結させハワードのコナン新全集の刊行も半分まで進めた東京創元社は、とうとうスミスの作品集にも手を伸ばす気になったか! かくいう私はスミスの作品は意外と好きなのですが、単行本としては『イルーニュの巨人』と少し前に求めた『エイボンの書』しか持っていないのです。スミスの代表作はゾティーク短篇集というもので、それは日本では創土社から74年(!)に出た『魔術師の帝国』という本にしか収録されていなかったのですが、それがとうとう読めるようになったということでした。
わたくしにとっては、そのゾティークについては高校生だった頃に新紀元社の『幻獣ドラゴン』という本に大要が紹介されているのを読んで、それ以来の垂涎のものになっていたのでした。
ちなみに創元推理文庫からは最近、イルーニュの巨人とアーカム計画も復刊されています。これは絶対に買いの本です。どうしたんだ東京創元社! もちろんわたくしは両書を所有してるんですが、ただの再刊で表紙の変更もなく、昔の物が黒背で(現在の創元推理文庫は背表紙が白くて本棚への並び映えが悪いのだ)ありますので買いかえる必要も無いのですが、ただひとつ、私は軽度の“帯フェチ”でもありまして、帯の付いていない自分の手持ちの本はなんとなく金タマの座り心地の悪い気がしてしまって、その点にだけ悩んでしまっています。(昔の私はオビなんて捨ててしまっていたんです)。復刊の本のオビなんて悪趣味なものなんですけどね。でもなんせ私、マニアですから。

 

『「幽霊屋敷」の文化史』。
講談社現代新書、2009.4.20、760円(税別)。
私、小さい頃から祟られた屋敷が大好きなんですよね。
高校時代はトンネルズ&トロールズで幽霊屋敷ばっかり作っていた思い出があります。
幽霊屋敷の何が面白いって、それは「場所と雰囲気に込める人間の強い思い」なのでしょうが、この本ではディズニーランドの「シンデレラ城」と「ホーンテッドマンション」の造形を中核として、人間の隠靡な物に対する精神の発展史を概観しています。
本来なら「崇め奉るべきもの」を、萌え・娯楽に作り替えてしまう事は現代の歴史や民俗学やさらには宗教的なものにまで敷延して見られる物なので別に驚くべき事ではありませんが、この本ではその源流を18世紀後半のホラス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』に求めています。作家ウォルポールは大いなる金持ちで(だって英国の大宰相ロバート・ウォルポールの息子なのですから)、ゴシック的な物に憧れる余り自分の邸宅を巨大建築に作り上げ、自分の邸宅の雰囲気を元にその『オトラント城奇譚』を書き上げてしまったという人なのですが、この本ではウォルポールを筆頭に、19世紀の似たような人たちの列伝となっている第2章が一番おもしろい。『オトラント城奇譚』や『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』や『アッシャー家の崩壊』は有名だけれども、ウィリアム・トマス・ベッグフォードの『ヴァテック』やアン・ラドクリフの『ユードルフォの謎』は未だに日本では読めませんものね。
だがしかし、欧州の幽霊屋敷文化は本当に19世紀のゴシック(=ゴート人的な文化の)ブームから語るのが相応しいんでしょうか。英国には幽霊屋敷は大昔から無数にありましたし、一方ゴシックブームは12~18世紀の長~い『騎士道文学ブーム』の延長にあるとみなすべきで、だがその流れをこんな薄い新書なんかで概観することも不可能なんですよね。ホラス・ウォルポールの父のロバートが偉大なる英国宰相を務めていたハノーヴァー朝初期は、騎士道文学の集大成としてバロック音楽の巨人ジョージ・フレデリック・ヘンデルが『リナルド』『オルランド』『ゴールのアマディージ』などを次々と発表していた時期でもありました。
結局の所、歴史と民俗学上の要素に雰囲気(アトモスフィア)的に重層的な効果を与え、それを厚塗りした目に見える建築物に仮託してストレートな形で表現したのがゴシック・ブームで、一方それに対する反主題としてやや遅れて成立したのが(目に見えない恐怖を語る)クトゥルフ神話なのですよね。この両者は19世紀後半~20世紀初頭にかけての人類の叡智活動の鏡像なのですから、ちゃんと真っ正面に捕らえて対比する批評もしてみたいものです。

 

『倫敦幽霊紳士録』。
1993.7.4、リブロポート、2,884円(税込)。
ロンドンは幽霊だらけ。これは私の大学時代に夢中になって読んだ本で、「世界の三大亡霊都市」といえばロンドンと京都とニューデリーだそうで、ロンドンと京都についてはこんなに幽霊について充実した本があるのだから、「では私はニューデリーの幽霊についてたくさん調査しよう」と思った経緯がある。ニューデリーもなかなかですよ。

『オトラント城奇譚』。
1978.2.15、講談社文庫、240円。
2005年くらいに伊豆高原で仕事中に(営業をさぼって)読み終えたため、個人的には伊豆高原の秋の林を駆け抜ける風の香りと共に思い起こされる本。ホラスは意外にもその後の英国文壇で重鎮的な役割を占めることになり、たまに変な場面で登場するので、サイト上で「変な人列伝」で取り上げるつもりだったのですが、それは果たせませんでした。
でも、オトラントは読んだけどこの本と同時に“ファンタジー小説の祖”と並び称される『ゼンダ城の虜』(※日本語版がある)をまだ私は入手してないです。

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『ムガル皇帝歴代誌』。

2009年05月20日 04時13分19秒 | 小説・漫画


現在描いているムガル帝国初代皇帝ザヒール=ッディーン・ムハンマド・バーブル・ミールザー

相変わらず宿題が何件も重なっているのに、新規の記事を書いちゃってスミマセン。
絵もなかなか描ける時間を取れないのですが、とりあえずpixivには3点の絵を上げました。で、そこで「インドの帝王シリーズを描こうと思う」と言ってみて、「イランの大帝王シャー・アッバースに「抱いて」と言おうとしたインドの大帝王ジャハーンギールの絵」を描き始めたら、その途端に、さっき本屋に行ったら『歴代誌』シリーズの最新刊、『ムガル皇帝歴代誌』が並んでいて、びっくらこいた。創元社刊、4200円(税別)。
前巻『古代エジプト女王・王妃歴代誌』が出たのは1年前だよ。あれが最終巻だと思っていましたのに、年に1冊ずつ刊行するつもりなのかな。それにしてもどれだけマイナーな道を突き進むつもりなのだ歴代誌シリーズ。そしてなんてタイムリーなのだ。以前私が個人的に「ローマ教皇と聖マラキの予言リスト」を作成していた時(1999年)に『ローマ教皇歴代誌』が、ヘンデルのオラトリオ『ユダ・マカベウス』の記事を書いていたとき(2000年)に『旧約聖書の王歴代誌』が出た事を思い出しました。次こそ『古代オリエント諸王歴代誌』もしくは『神聖ローマ皇帝歴代誌』だッ。

この本の表紙のこの絵は「ムガルの皇帝バーブルに帝冠を授けようとする超大帝ティムール」を描いた物だそうで、当然中央がティムール大帝、左の人物がバーブル帝。それから右側の人物はそれを見守るフマーユーン帝(=バーブルの息子)だそうです。この絵が描かれた年代を大体推定できますね。

「インドの歴史」といっても、よほどの歴史好きでも愛好している人は少ないと思います。ところが本を読んでみると、これが滅法おもしろいんですね。特に「中世」に相当する「デリー=スルタン朝時代」。次々に新しい征服者が現れては新王朝を繰り返していく様子は、アングロサクソンの歴史や三國志・五胡十六国の時代が大好きな人間にだったら堪らないものがあるでしょう。インドの歴史は混沌と暴力と不透明性の連続で、それに人の統制の及ばないカースト制度や酷い暑さや複雑な宗教慣例や強烈なスパイス臭などが組み合わさって、非常に強烈な性格を醸し出しているのですが、それでもなお、一方でインド史は非常な英傑に大変恵まれた世界であるのです。
13世紀~15世紀のデリー=スルタン朝時代がまず大変な英雄時代なのですが、それに先立つ8世紀~10世紀はパーラ朝・プラティハーラ朝・ラーシュトラクータ王国の三國志状態であり、それぞれ個性ある君主が頻出しておもしろい。10~12世紀は南インドにおいて強大なチョーラ王国とチャールキヤ王国の抗争が起こっていて、これも面白い。征服者であるトルコ民族はアフガニスタンの方向から入ってきましたが、アフガニスタンに成立したガズナ帝国の面々は、アフガニスタンなのにインド史の方に組み入れられていて面白い。ガズナの後を次いだゴール朝は逆にトルコ王朝なのに、バグダッドの影響を大きく受けているため、微妙な位置づけです。で、そのトルコ・アフガン民族から侵入された側の古来からのインド民族のことをこの時代「ラージプート」と言うのですが、本には「ラージプートの人々は戦争をスポーツだと見なしていた」とか書いてあって、これまた目を引くのです。
わたくしたちのイメージの中のインドとは、どうしようもないドロドロとしたカリーのような混沌の大地だと思うのですが、意外なほどインドの歴史上の出来事を思い浮かべること、釈迦やアショカ王やラーマーヤナやカーマスートラや大航海時代や植民地時代のインド(セポイの反乱)等の「世界史の教科書で習った」わずかな物を除いては、イメージを重ね合わすことは難しいでしょう。だが、その「新規感」を取り払えば、あの厳格で閉鎖的な身分制度があるにかかわらず、インドの英傑たちのなんと生き生きしていることか。まさにインドは中国史に劣らず、英雄に満ちあふれた世界です。人を見るだけでも、(中国や日本に比べても困難に満ちあふれている世界であるがゆえに)十分に楽しい。
わたくしはこのインドの歴史にかなり前から惹かれておりまして、10年ぐらい前には硬軟に優れた魅惑的なスルタン(=インドでは正確には“パードシャー”(大帝王)といいます)、フマーユーン帝を題材にした拙いホームページまで作っていたことがあります。
残念ながら私の悪いクセで、いつもの如く、一番大事なところに入る直前で制作を放棄してしまっていることが惜しいところですが、その後、大好きな「歴史フリークス」さんのジョンケ欠地王ファンサイトで、「フマユーンの物語」が公開されていることを知る。これを見ると、私の目の付け所は全く間違ってなかったじゃん。ばんじゃーーい。(あとはですね、“神聖ローマ帝国”の小説サイトも作っていたことがあるんですヨ)
そして歴史フリークスさんにはこんな手の込んだ動画まで!(ゲーム動画ですが)。バイラム・ハーンすげえ! ムガル兵すげえ!(騎兵だらけ)。そしてヌコ!

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フォーク並びは徹底してほしい。

2008年09月23日 23時57分15秒 | 小説・漫画

何の広告で見たんでしたっけ?
大好きなのに寡作(?)の漫画家・遠藤淑子の新作が4冊も同時に出る!と聞いたので、大慌てで本屋に行ってきました。1週間半ほど前ですけど。そんなに著名でもないこの人の本がそんなに出るとは、一体何が起こったのかと。もしかして○んじゃったのじゃないかと。
うち、2冊が既刊のコミックスの文庫化で、2冊が新刊。うれしい。

わたくしは少女漫画が結構好きです。
それは遥か昔、わたくしが大好きだった女の子が一生懸命選りすぐって良い物ばかりを勧めてくれた影響であります。20年経った今でも、その子がくれたオススメはとても大事な愛読書です。いい審美眼を持った最高の女性でした。正義感が強く、頑張って勉強して武道と韓国語も極めて婦人警官となってしまったほどの子ですが、一番幸せだった時期に「私たちはこんなに気が合うんだから、やがて別れることになっても連絡は取り合う仲でいようね」と堅く約束したのに、つまらないことで口争いになってカッとなった私が「もう二度と連絡してくるな」と言ったために、仲が途絶えてしまった。(もちろんそのしばらく前から愛想を尽かされることをいっぱいしていたんで、この時のそれがきっかけとなっただけなんですけど)。1年後に「結婚しました」という手紙が一通だけ来て「最期の最後まで律儀な人だったなー」とじーんとしたのですが(彼女は文通魔だったのです。対して私は筆無精)、「では私もちゃんと結婚して幸せだという報告を彼女に送ろう」と思ったのに、なかなか果たせずそれから十年。何やってるんだろうねわたし。なんだか未だに不幸のどん底の底の底から這い上がっていないし。あの女性には、教えを請いたかったことがいっぱいある。が、もう私は今後は恋愛そのものをしたくないので、彼女と連絡をとろうとする機会は金輪際無いのでした。淋しい。
ま、ともかく、彼女が示してくれたくらもちふさことか大和和紀とか聖千秋とか多田かおるとか小沢真理とか清水玲子とか日渡早紀とか篠原千絵とかと並んで、この遠藤淑子の諸作品がありました。あの子は「絶対あなたに合う作家だと思う」と言ってこれを私にくれたんでしたよ。最初はやっぱり私も「絵が…」と思った物の、速攻で大ファンとなった。本当に彼女は私というものを心の底から判ってくれていた。めそめそめそめそ。

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