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東海大学の水族館は、深海魚の展示がとても充実しています
◎2011年に初めて食べたラーメン
記憶では確か1月の3日か4日に蔵前家に行ったんですけど、なぜかデジカメの中にその時の写真が無い、、、 確かに行ったんだよ。その混み具合に「今日が再開日だったんだね、ラッキー」と思ったもん。その あと2日置きぐらいで行っていたと思うが、手元にある写真で2011年の物は1/9から。あれ?
年が明けてから、私の勤務は朝番が多くなり、大体16時~18時ぐらいにはあがれることとなったため、蔵前家には寄りやすくなった。(夜番だと23時~24時の帰宅が多いのです)
ただ、この新年最初の時はお客さんが豊富で、滅多にない事に座る席まで指定され、とてもいきりたった雰囲気で、でも店主は休憩中か店内にはおらず、ちっちゃいにーちゃんとひょろながいにーちゃんたちの雑談も見られた。
◎12月27日 むつみ屋(浜北大橋店)
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2010年に最後に食べたラーメンでした。
幻の醤油、こってり。
思えば3年前浜松に引っ越したての頃、イオンの志都呂店にあったむつみ屋で、この幻の醤油ラーメンを食べた時の感想は忘れられない。…忘れはせられられないんだけど、以後なぜか、幻の醤油を食べる度に最初の体験とは違う感想を持つようになってしまう。あの最初の思いでは何だったのだろう。
味は濃く、いささかしょっぱい。魚の粉がとても印象的である。
このお店では、今は「月形」の醤油ラーメンの方が好みかな。
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◎12月10日
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深海魚;アカグツ
この日はラーメンを食べなかったです。ラーメン日記じゃなくてごめんなさい。でもこの場じゃないと旅行記は書けないから。
昨晩、伊豆高原でラーメンを食べたあと、近くのネカフェで睡眠を取ろうとしたんですが、この店が最悪。なんでも改装中で入店する時に「道具が散乱していますがごめんなさい」と言われたんですが、なんと、夜中に至るまで作業してやがる。こっちが寝てる隣のブースでガーガーとドリルを回すのはともかく、夜中の3時に寝てる客の横で店員が大声で談笑してるってのはどういうことだ。2回ほど文句を言ったんですけど作業はやめず、一睡もできず。もともと物に横着せぬ私はカラオケ併設店でも普段はなんでもないんですが(どうせネカフェだしね)、今回ばかりは真剣に腹が立った。店員死ね。金返せっ
で、暗いうちに出立して、夜明け頃に椎の木三本。そこから下田市のペリーのモワイ像、吉佐美の八幡神社の頼政公の碑の写真を撮り直してから南伊豆町に向かう。下賀茂の道の駅に南伊豆町の観光協会があったので、「南伊豆町の大蛇伝説を巡っているんですけど、甲人の塔ってどこにあるかご存じですか?」って聞いたら、「庚申塔のことかな?」と言われた。(そりゃそうだ)。南伊豆は庚申塔もかなりあるそうで、職員さんは丁寧にいろいろ調べてくれたすえ、ついでに図書館の場所を教えてくれた。(感謝してます)
で、図書館に行ってみると甲人の塔についての説話がたくさんあるじゃん。もーー、誰も知らない物を私は求めているのかと思っちゃったよ。(でもこの図書館での一番の収穫は、吉佐美の石碑で言及されていた『吉佐美古記録』のコピーがあったことでした。なんとここに、われらが浜松の英雄、猪の早太が登場するんですよ。、、、、丹念に読んだ結果、井の早太と伊の早太は別人だという結論に至りました。吉佐美古記録の叙述者は源頼政らしいんですけどね)
そこから蛇石峠に向かって石になった大蛇を見て、松崎町に出てから素晴らしい「室岩洞」と源頼朝と文覚上人が会談した文覚山円通寺を見学し、一転して婆娑羅峠の大蛇院に寄ってから、戸田の町を目指しました。
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やっぱり、深海魚で始まった旅だから深海魚で締めくくらなきゃってね。
西伊豆海岸の戸田村は、日本で唯一深海魚のフルコースが楽しめる町です。
今回の旅も、非常にもりだくさんでした。ごちそうさま。
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深海魚の天麩羅定食は1400円で、以前に食べた時は「意外とアッサリ、いくらでも食べられる」と思ったんですが、今回は味に強い癖を感じられた。もちろんいくらでもたべられますが。
メギスの丸干しは確か5匹で500円。これはいくらでもビールが進む小憎い味ッ …車で来たのでガマンガマンですが。
お土産に、戸田特産の金目鯛と栄螺の良く出来たストラップを買って新しいケータイにくくりつけてから、浜松に帰りました。
◎12月9日 吉田家(伊東市吉田)
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柿木魂神社から見る小白ヶ沢。狩野城からさらにさかのぼったここには、石橋山の戦い後に狩野氏をおそった悲しい落城伝説が残る。
だが、この付近は似たような景色ばかりなので、このコシラガサワの場所を特定してその場に立つまでに、3年ぐらいかかりました。
伊豆の国から天城を超えるとその先は河津の町です。下田市に5年、伊豆の国市には4年住んだ私ですが、「将来老後に伊豆で過ごす場所を決めるとしたら」、選ぶのはきっと河津町なんです。河津には仕事で2年ほど通いましたが、ありとあらゆる道を走り込んだゆえに河津の町には非常な愛着がある。こんなに、小路の奥ごとにバラエティに富んだ違った顔を持つ魅惑の町がほかにあろうか。メルヘンの町であります。なぜか私にとって、小野不由美の『屍鬼』のイメージもこの町です。ここを舞台にしたらどんな物語だって書けると思う。源義朝公13歳の時の首の埋まる小鍋神社や見高高原、縄地の秘境などを巡っていたら暗くなってしまったので、風呂に入る為に下田を目指し、金谷旅館の千人風呂に入りました。ここもかつてgardenflower嬢やAKINONA嬢と来た事があるね。懐かしい。
風呂に入ってさっぱりすると、やっぱり食べたくなるのはラーメン。
天城の坂を戻ってふたたび鯨さんに行く事も考えましたが、ここは意を決して吉田家に行ってみる事にしました。
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昨日はからずも松福のラーメンに違和感を感じたわたくし。
おそるおそる吉田家のラーメンを口に運んで自分の記憶の中の傑作と見比べてみますと、あらまあ
うまーーーーい
そもそも吉田家のラーメンは「しょっぱい」というのが私の頭の中にある記憶ですが
すごいしょっぱいのを想定しちゃっているから、食べる度に初口の甘みと旨みに悶絶しそうになる
食べ進めていけば、ちゃんとショッパくなるんですけどね(笑)
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とはいえ、吉田家は何度来てもウマイ。
私の根底が六角家基準の蔵前家となってしまった今でも、吉田家は別個の傑作。
これはすごいことだと思います。お店ではなく私自身が変わってしまっているわけですから
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◎12月9日 一匹の鯨(伊豆の国市南条)
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旅行の2日目は、朝6時ぐらいに函南町のネットカフェで目覚め、一路北上。
ちょっと前に三島市の宝鏡院とゆかりの深いおいもさんに「ホウキョウインという名前のお寺が関東にあるかどうか、探してみる」とお約束したのですが、すごく近い小山町足柄の竹之下に、「大雄山宝鏡寺」というお寺さんのあった事を知って。
室町幕府の2代将軍である“寶篋院殿”足利義詮公の院殿号が、何に由来しているのかというのを追求するのが今の私の夏休みの宿題です。ウィキペディアには「愛する楠木正行の首の埋まった横に自分の宝筐印塔を建てたから」然のことが書かれていますが、そりゃねーだろー。「真の寶篋院」は関東地方のどこかにあるに決まってます。
…でも、結果から言うと、何も分からなかったです。
「どうしてこのお寺は宝鏡寺という名前なのか」という説明は現地には全く無かったし、朝早すぎてそれを訊ける人も近くにはいなかった。もともと善光寺といったこのお寺が宝鏡寺と改称したのは1344年だそうです。その頃、寶篋院殿(=義詮)は関東一円の支配者として鎌倉にいたのです。そもそもこのお寺のある一帯は箱根竹之下の古戦場でして、足利一門としてゆかりのないわけがないのですが、それらを結びつけるいわれは何もないらしい。なんだろうこのモヤモヤ。さらにして、三島の宝鏡院との結びつきも全くナゾでした。むー。
なお、関係ないんですが、このお寺は箱根山麓小田原側の天狗のお寺・大雄山最乗寺の末寺ですってよ。
小山町と御殿場市で、最乗寺の天狗信仰と関わりのあるらしいお寺をいくつか見ました。宝筐院という名前のお寺が他にも無いか引き続き探してみる予定ですが、そろそろ関東北部に遊びに行きたいから、埼玉県あたりにねーかなー。
で、その後は長泉町にある一柳の首塚と三島市にある宝鏡院に寄ってから、ふたたび伊豆長岡を目指しました。ちょうど昼時になる頃を見計らってなっ!
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伊豆に来たのは昨日なのに、大好きな鯨さんへ昨日行かなかった理由。
それは「9のつく日は鯨の日」、そして水曜日は鯨屋さんの定休日だからです。(でもそういえばちょっと前の鯨屋さんのブログで、「定休日を無くした」という記述があった事を、行った後に気づきました)。
9の付く日は2つも限定メニューがある。
その一つ目は、“R30ラーメンの義理の妹”山葵香るR35らーめん(750円)です。
2年ぐらい前に、このラーメンの試作品を食べさせて貰った事があるんですよね。
ワサビ味のラーメン、おいしくないわけがなく、2年前、ツンとくる味わいとR30との相性のよさに本当にびっくりしたのですが、その時は「Rは32ぐらい」と紹介された。
それが年月を経て制式化されたこれは、Rは35でR30の義理の妹となっという。このお店では、R40が辛くてR50は酸っぱいので、そのどちらかと結婚しているってことですよね。
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またウッカリ太麺に換えてもらうのを忘れていました。細麺で来ちゃった。
記憶にあるものよりツンとくる具合は控えめで、なのにワサビの風味がひどく心地よかったです。すっごーい進化していましたよ。素晴らしい完成度。これは毎日食べたい。バージョン違いもいろいろ味わえるようにして欲しい。山葵大好き、、、、あああ、伊豆に帰りたい。
細麺だったせいか、何の苦もなくツルリンと食べきってしまいました。太麺でわしわしと食べたいですなあ。
折角なので、もう一つの限定メニュー、「ヘルシー豚骨SOY豚」(800円)も注文してみました。豆乳が入ってて、健康にいいんですってよ。
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またまたうっかりしちゃって太麺で頼む事を忘れてて、慌てて奥に走って「太麺に換えてください」って言いに行ったら、「SOY豚はもともと太麺ですよ」とのことでした。ホッ。
見た目は鯨やさんの塩味豚骨そのものですが、さすが豆乳、甘い。
が、私の知っている浜北の美濃口屋の豆乳ラーメンとはまたひとくち違った味わいで、これは面白い体験でした。濃くてさまざまな味わいが立ち替わりノックしてくるのが鯨やさんです。さわやかではない。
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さらに、R30も一度だけ食べた味噌ラーメンまた食べ直してみたかったんですけど、、、、
さすがにお腹一杯、「ちょっと天城にでも行って温泉にでも入ってお腹減らしてまた来るかな」と思って、車に乗って… 狩野城に寄って買ったばかりのケータイを駆使しながら念願の“コシラガ沢”に到達できて、調子に乗って天城峠を越えてしまって、、、、 その後再び伊豆の国に戻る事は出来ませんでした(涙)。
◎12月8日 松福(沼津港)
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旅行の一日目。
旧清水市から富士市へ移動し、暗闇の中をウロウロしておりました。
山川出版社の『静岡県の歴史散歩』には、富士市の頼朝史蹟として「平家越えの碑」「源太坂」「鎧掛け公園」などが挙げられています。でも私が過去に1年ほど富士市に住んでいたとき、源頼朝に関心がほとんど無かった為、それらに訪れたことも無かったのです。その頃の私の関心は「北条早雲」と「富士山の洞窟探検とその伝説」だったのですが、今も変わらぬ出不精だった為、「善得寺城」とか「竹採り公園」とかも行ったことがなかった。
今年、満を持して富士市を探検! …と思ったんですけど、あまりにも暗くて今回も吉原にある「平家越え」だけで断念してしまいました。あはは。
だってこんな中で写真を撮ってたら、変な霊とか写りそうだもん。
富士川の戦いについてもちゃんと調べ直したいと思って、はや5年。がんばれ、俺。
さて、そこから伊豆長岡へ移動し、暗い中、懐かしくて心配している場所をぐるりとしたあと、沼津港に戻って、松福で「うまいラーメン」(700円)を注文しました。
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私が伊豆から浜松に引っ越してきて、もう4年です。
伊豆に住んでいる頃は家から20分の位置にあるこの松福は、一、二を争うお気に入りで、それはそれは頻繁に食べに来たものでしたが、、、、、 久しぶりに食べに来て、あれまぁ、想像していた味と違う。
決してこのお店の味が変わったんではなく、私が変わってしまったんです。
今の私にはすっきり洗練されまくった「蔵前家」のラーメンが根底にあるから、それに較べると松福のラーメンは甘みのある泡が表面に立ち、一方でスープの中身は暑い頃の海の中のように凪いでいて、麺は黄色くて歯応えがあるのにぬるっとしている。これはこれでウマイんですが…
私の中の記憶のうまいラーメンってどんなのでしたっけ?
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メニューの中に、「うまいラーメンⅡ」というのが新登場していました。ただ券売機にはどんなラーメンかという説明が無く、「どんなのだろう?」と興味を持ちつつ、この日はこれまで通りのうまいラーメンを注文してしまった。あとで家に帰って調べてみたら、これまでのラーメンに対してまー油を入れて魚介風味を増やしてあるらしい。まー油といえば、これまでの「黒うまいラーメン」とどういう差異があるんだろう?
食べ比べてみたいけど、この日は2杯目を食べる気力がもうありませんでした。