オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

天野遠景殿。

2024年06月12日 13時51分35秒 | 今週の気になる人

浜松市でアマノさんといったら、犬居の瑞雲寺の天野家墓所なんですけど、
浜松インターの入口にある天野回漕店がもっとも目立ちます。本社は旧清水市だそうですが、磐田や袋井でもこの回漕店はとても存在感を放っています。浜松と清水の仲は天野さんが保っている。カヌーとかスワンボートとかヨットとか咸臨丸とかを売ってるお店なのだろうなと思います。(※違います)

私が一番お世話になっているのはブックスアマノで、浜松市には5店舗ぐらいあります。最も行っていたのは三方原店で、今はもっぱら有玉店に通っていますが、三方原店がアマノ書店の本店なんですって。谷島屋書店が広く支配する浜松で、アナログゲーム図書が一番充実していたイケヤ文楽館高林店が10年ぐらい前に亡くなった今でも、アマノ書店さんはクリトューリトゥーの呼び声系書籍をとても充実させてくださっていたんですけど、一週間前に行ったらもう新刊を入荷するのをやめてしまっていたみたいでした。悲しい。(※というのは有玉店の話で、『クトゥルフ神話プレイングガイド』は三方原店で買いました。『赤虫村の怪談』というとてもおもしろい小説も買いましたよ)

アマノ書店が経営している施設。三つの心臓。

アマノ気賀工場。
タイムカードの最大手、という認識ですが、私の今の会社と前の会社はどちらも(浜松市だけど)アマノさんを使ってなかったな。時間と空間と清浄を管理するアマノは浜松市の旧細江町気賀が本拠地の企業さんですよ。
・・・というような記事を書こうと写真をいじくっていたら、きのうアマノのへんちくりんなCMを見てびびりました。

どのアマノだよ。

 

タカトシさん。
いつもいろいろ考えさせてくださるコメントありがとうございます。
私の側の事情ですみませんが、一元化をしたいために勝手にコメントをこちらに転載させていただきます。事後承諾で申し訳ございません。

 

(2024-05-26 19:15:04)
ネットにないようなことをお知りになりたいという事であれば、山梨で天保騒動の打毀しの奥衛門家は、じつは江川韮山代官さまの男系子孫、多分農民だか士族待遇という事が内々に、2010年代極一部で知られました。
さて、遠景本名は蓮景なのか、天野はそもそも西国や北陸や甲斐や相模やどこが本家なのか、よく解らないのでは。ただし日本の上流層は、最高身分を得た家を本家とするので、浜松天野は従五位あたりを最後に頂いたことが確認出来るのでは。
家康公が全ての天野を安堵する流れで家系図を収公され、多分摂関家のいずれかに渡ったのではと推察するのです。理由は、やはり皇室に近い系図があったからでしょう。
天野は、本家があれば戦前岡部子爵家と同格の筈です。ただし岡部家は藤原南家流、天野は実は後三条源氏な訳なので、庶民か武士か公家子孫かである家康公の家臣というのとは、別扱いだったと思います。南朝子孫が、和歌山藩に匿われた伝承のような感じだと思います。
さて、いずれにせよ皇室は、伝統的に六親等を超えたら継承できない(権力闘争は有り得ない、つまり終了)。七親等になるまでの皇親は、権力者たちによって皇統を替える対象になり得るのです。神器(神鏡と神剣は、仮体器。御璽は本体)の渡御や所在だけの問題ではないのだと思います。

つまり、応神天皇(1親等)→ 武烈天皇(6親等孫)旧皇統断絶系(6親等内で継承出来ない血筋は皇統では断絶、但し後世、南北朝合一宮家として存続を認められ、皇統存続と権力闘争排除の必要性もあり皇統に入ることもあり得た。他は飛鳥奈良朝以降、源氏平家など賜姓で野に下る。天野も)。
応神天皇(1親等)→継体天皇(6親等孫)現皇統。次に継体天皇(1親等)→山背大兄王(5親等孫、聖徳太子の子、子孫断絶)、継体天皇(1親等)→舒明天皇(5親等孫)現皇統。
舒明天皇(1親等先祖)→天智天皇の4親等孫である桓武天皇(5親等)、舒明天皇(1親等)→天智帝弟の天武天皇の4親等孫である聖武天皇の皇子三名(すべて舒明帝の6親等孫)早生と廃絶。
醍醐天皇(1親等)→花山天皇と弟の三条天皇の孫の孫世代(6親等)、醍醐天皇(1親等)→白河天皇(6親等)これで輔仁親王異母兄の白河天皇の醍醐天皇からの皇統継承は確定。
白河天皇(1親等)→六条天皇(6親等孫)男系断絶、現皇祖ではない。白河天皇(1親等)→後鳥羽天皇(6親等)現皇統。白河天皇の孫である鳥羽天皇(1親等)→四条天皇(6親等孫)11歳前にして崩御、現直系皇祖ではない。鳥羽天皇(1親等)→後鳥羽上皇の孫である後嵯峨天皇(6親等孫)現皇祖。
さて天野遠景が、後三条帝(1親等)→輔仁(母は三条源氏基子、三条天皇のひ孫)→有仁→基仁→蓮景(5親等)男系と仮定すると6親等まで広い意味での野に下った皇親(皇統に関わり得る男系血族)傍系として、白河上皇やその六親等孫の後鳥羽上皇との何らかの手紙のやり取り等は、あったかも知れず、十五葉様の菊紋を後鳥羽さまから副紋として下賜されていた可能性も無いとは 言えないかも、と思いますが、余りに古い話とて風化甚だしいと思います。
但し、藤原南家天野にあるいは田代に皇統からわかれた5、6親等での男系養子猶子があったならレアな事案で、近衛前久の子に後陽成天皇の皇子が養子に入った以外見当たらないかもしれず、天野は鎌倉幕府要職は外され、唯の地頭にさせられた。しかし家柄だけは天野より上の家柄の方々から一定の評価をされていたと思います。
さて、後嵯峨天皇の二人の子が、南北朝に分かれたのも、後三条天皇の遺言(白河帝の次は輔仁に皇位を継がせる)が、母方三条天皇流の方々の影響も排するためもあったと思いますが、持明院大覚寺両統が、迭立を原則としたのも、後三条天皇の時の反省もあったと思います。しかし、後嵯峨天皇(1親等皇祖として)→崇光天皇(六親等皇孫)、南朝皇統は、後嵯峨天皇(1親等)→長慶天皇と後亀山両天皇(6親等孫]。
したがって南北朝合一の背景には、応神天皇の傍系皇統への継体天皇六親等皇孫継承の先例があり、後小松天皇も苦慮されたかと思います。
ちなみ足利義満が太上天皇に擬せられそうになったのも、女系男系混系で義満(1親等子孫)→母が紀良子→母は智泉聖通→父は四辻宮尊雅王→父は無品善統親王→順徳天皇(6親等祖先、現直系皇祖では無い)→母は藤原南家巨勢麿流の重子の男系廃絶傍流系統に対する北朝からの忖度か敬意か。

 

・・・わたしがいろいろ調べていたのは15年も前なので、もう大部分を忘れてしまっています。あのころはそもそも本もネットも全然充実していなかったので、わずかな断片をもとにきっぱり断言するのがとても楽しかった。今はもう事情が違います。資料がたくさんありますので、また学習しなおさねばなりませんね。おっくうなことですが、それは楽しくもあります。本当にありがとうございます。
「日本の上流層は、最高身分を得た家を本家とするので、浜松天野は従五位あたりを最後に頂いたことが確認出来るのでは」という文章につきまして、これは和泉守・長門守護となった天野政景のことをおっしゃっていますか? でも天野政景公って遠景以上にぼんやりとした存在のように感じるのです。秋葉山の天野貫景もどちへんなしの天野康景も遠景殿の栄光を前面に押し出していたと思いますが。(以下続考)

 

(7月19日追記)
この項を書くにあたって「昔から疑問に思ったことを確かめるために図書館へ行こう」と思っておりましたのに、生来の怠惰により、1月経ってもそれは果たされておりませぬ。
目下の課題点を記しておきます。

伊豆出身者には当たり前の説なのですが、「天野遠景が後三条天皇の息・輔仁親王の3代の後裔」という話は何が元ネタなんでしょうか? 静岡県の図書館だったらどこにでも置いてある中野貢氏の『葛城の里 伊豆長岡の歴史と文化 源頼政・菖蒲御前伝説とその回廊』(2005年)に(※わたしは直接氏のお宅に電話して一冊譲っていただきました。それからまもなく氏は亡くなられてしまわれたので直接お礼を申し上げる機会はなかった)組み入った論考がなされているのですが、決定的な説明は書かれていないように思われます。
こういったのにお詳しいのはさすがミヤカナさんで、「加州金沢藩に伝わる能州天野氏の系図(尊経閣文庫)」と、水戸藩が編纂した『大日本史』とそれに基づく『続群書類従』、長州毛利氏の明治24年の『天野氏譜録』を挙げておられます。つまり江戸時代には各地でそういう伝承があったということですよね。それらの実の記述を私も図書館で目に見てみたい。中野氏が「照らして補完した」と記しておられる『萩藩閥閲録』。これも良く聞く書名ですが、その実態も私はよく知らぬので、それも図書館に行って調べてみたいと思っております。浜北の図書館にあるかな。(でも私は潜在的に図書館がキライ)
伊豆においては、天野郷に小川家という名家があって、その家が江戸時代の後期に韮山の江川代官所に提出した『天野小川家文書』というのがあって、そこに「輔仁親王が伊豆天野に住まった」と書かれています。また同じく天野に隣接する伊豆長岡古奈の名家「松本家」にも輔仁親王とあやめ御前に言及した伝説があり、江川家の賛助によって成立した秋山翁の『豆州志稿』を、明治時代になって豊富な注釈をほどこして出版した萩原正平の『増訂豆州志稿』の調査に協力した三島・河津の神官・石渡延美の残した『温故誌』にも、簡潔な調査記録があります。中野貢氏は「温故誌は石渡家では門外秘出で、写真も筆写も許されてはいない」と書かれているのですが、平成23年(2011年)に伊豆市教育委員会によって書籍化され、韮山の郷土資料館等で購入することができます。・・・あれこれ伊豆市の教育委員会編か。わたしこれどこで入手したんだっけ。
で、いまになって私は天野遠景と田代冠者信綱が同一人物に感じられてならないのですが、3年前の大河ドラマで天野藤内遠景も加藤次景廉も田代冠者も登場しなくて未だに愕然としている有様なので、これらもちゃんとふたたび文章で書いてみたいですね。(田代郷の研究も中断している)
そんなことより、吾妻鏡にちゃんと出てくる武功者なのに一切の記録が途絶えている天野平内光家こそ私が最も知りたい人物なのですが。天野氏・工藤氏の源流とされる駿州清水の入江氏についても、調べたら詳しく調べている本とかありそうですよね。

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