オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

麁鹿火の内容記念したかも(BlogPet)

2007年08月28日 07時55分49秒 | 自分について言う


歌声喫茶テケリリが麁鹿火は麁鹿火は見た目とか突貫された。だけど、麁鹿火の内容記念したかもー。*このエントリは、ブログペットの「歌声喫茶テケリリ」が書きました。
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地図伊豆にきけ!

2007年08月28日 00時25分24秒 | 伊豆の歴史

うーー、ちょっと体調と気分を悪くしてました。
今は、一番悪いのは顔のアトピーと手足のとんでもないあせもです。暑いからなぁ。
でも大丈夫。

ちゃんと動かないと人間って本当に腐れるものなんですね。
一日中寝ているのには飽きてしまいましたから、ちょっと動いてみようと思う。

とりあえず、突貫で以前書きたいといっていた伊豆の地図を充実させてみることにしました。
突貫工事なのでまだまだ途中なのですけど、公開。

ひとつめ

伊豆の妖怪の伝説の地図

 

作業しつつも、早くもうんざりです。私の手持ちの4,5冊の本を参照しているだけで作業がちっとも終わらない。きりがない。
あらかじめ言っときますが、伊豆は他の地域に比べても極端に妖怪のバリエーションが少ない土地です。←大の妖怪本好きの私だから分かる。伊豆には目立った(変わった)妖怪がいないのです。妖怪の豊富な島根や四国や北九州がどれだけ羨ましかったことか!!
しかし敢えて蒐集してみると、驚くのは伊豆の妖怪昔話の数の多さ。美味しくないけども料理は量で勝負、っていう感じです。天狗や河童や猫や狸などというありふれた妖怪を題材に、どこかできいたような物語の群ればかりなのですが、伊豆の人々は細部に手を入れて少しずつ独自なものにしちゃってる。「目立つことはしない、でも個性は保つ」、なんとも伊豆の人々の県民性を象徴しているようです。
伊豆は海国なのに海の妖怪よりも山のものが多い、とか、歴史上の伝説も多いのにそれは妖怪伝説とは交差しない、とか、熱海と沼津と伊豆長岡には少ないが三島と箱根と伊東には多い、とかいろいろな研究論文が書けそうですね。さりあえず魚関係の怪談がもっと欲しいところです。海坊主は伊豆全体に良く出るんですけど船幽霊は少ない。
現在80項目ほどですが、おそらく最終的に150超ぐらいになるでしょう。一番やっかいなのをまだ書き込んでいません。(狸和尚のやつです。あれだけで20項目ぐらいになるんだ)。伊豆で一番重要な妖怪は「一つ目小僧」ですよー。南伊豆から東伊豆一帯に、ほぼ同じ物が存在しています。さらに房総・駿河・伊勢を支軸としてまったく同じ物が全国的に分布しているらしいです。(伊豆が中心地ですけどね)

ついでてすから、とりかかったばかりの記事も公開しておきます。まだ見るところは無いですけどね、ちまちま充実させていくつもりです。

全国に散らばる源頼政の伝説の地図

頼朝とあやめと妖怪以外の伊豆の歴史地図

おっと、ついでに、

伊豆の源頼朝伝説の地図

 

ブログで文章を書き連ねるのも楽しいのですが、どうもブログって一覧性に欠けるんですよねー。記事ごとにまとまっているから読みやすいっていえば読みやすいんですが、自分の書いた記事ですら遡って辿るのがめんどくさく感じます。私は概観できる感じがいいんですよねー。ブログだと写真とか変なところに力を入れすぎて億劫になるし。
とは言っても私の書く記事は文章が長すぎて、この地図のページも、私のパソコンでは重すぎてとんでもないことになってしまっているんですが、私が重視しているのは一覧性なので、それには全然気にしないことにします。重いぐらいがなんだ。
生きている限りちまちまと上の地図のどれかを付け加え続けますので、それをもって私の生存報告とすることとします。
ちょっとの間、ブログはおやすみー。
余力があったら、「伊豆のおいしいものマップ」「伊豆のラーメンマップ」「伊豆の名字分布図」「伊豆のうみうしマップ」「伊豆のドライブマップ」「伊豆の山登りマップ」等も作りますよー。(←言うだけです)

コメント (6)
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カッパドキア。

2007年08月12日 16時27分52秒 | シルクロード日記

別にゲームばっかりしているわけではありませんが、今は特別キャンペーン期間だということで(パーティを組んでいる場合に限り)「経験値が倍増」だそうで、ついつい張り切ってしまいまして、早くも28レベルにまで成りました。
24レベルの時には到底無理だと思っていた「歩いてサマルカンドまで行く」のは全然平気になり、一撃で突き殺されていたチョコボも返り討ちできるようになりました。サマルカンド名物・綏靖コーチンの焼き鳥は美味しい。ただ、サマルカンドの近くには鶏よりももっと凶暴なペリュトンがいて、こっちの方はまだ強敵です。ペリュトン、、、、 ってこんな所にいたんですっけ? じゅるり。

「小アジアから先はきっと艱難を味わうのだろう」と思っていたので、サマルカンド到達のあまりのあっけなさにビックリです。「中国編」では20レベルの時に敦煌まで至ったたのですが、それ以降はちまりちまりとしか先に進めなくなったんですよね。
ヨーロッパ編は地形の作りがすごく大雑把。広い平原に延々同じ敵しか出てこないんですもの。しかし一方で、最初は何の為にあるのかよく分からなかった「ユピテル神殿」とか「黄金の林檎の樹」とか「トロイの木馬」とか「クレオパトラの門」とかは、ある特定の宿題の時にだけ重要な意味を持つ(各宿題独自の怪物が出現する場所となる)事が分かり、ただひたすら単調な狩りを繰り返していただけの中国編とは物語的な差異を設けようとしていることが伺われます。(そんなに大差はありませんけど)。まあまあ良くできているゲームになっていると思いますよ。

そんな今回のヨーロッパ編で最大の突っ込み所となっているのが、「アララト山」。
アララト山、標高5165m、トルコとイランとソ連と三境を接する要衝に位置し、聖書ではノアの箱船が飛来した伝説の地となっているのですが、なぜだかこのゲームでは、アララト山は小アジアの中央に位置し、奇岩地形カッパドキアがアララト山の中にあることになっているのです。
(※実際は小アジア中央にあるカッパドキアとメソポタミアのアララト山とは600kmも離れていますよ)


<アララト山遠景>

…っておいおい、これがアララト山かい。
無茶にもほどがある。アララト山塊の中にカッパドキアがあるというよりもアララト山がカッパドキアそのもの。つい最近安彦良和の『クルドの星』を読み返した私にとっては驚愕しきりです。恐ろしいことにこれはマジなのです。地図上のアララト山の範囲は広いのですが、すべてこのような形状の山景の連なりなのです。これが5000mもの高さがあるのでしょうかね。もちろん登攀はできなくなっていますが、これはまるで私の中にあるドラゴンパスの「冬の峰(ウィンタートップ)」のイメージそのものだ。(ウィンタートップは裾野の範囲が20kmぐらいで標高12000m)。
地図マニアであり細かいことにだけ神経質な日本人でもあるわたくしは、「シルクロードを舞台にしたゲームを作ったらあんなことやこんなことがいろいろできるだろうなぁ」と夢想するあまりに、こんな暴挙には本来なら憤慨するところでしょうが、そもそもこのゲームは韓国製なのでした。たったそれだけで感想は正反対な方向に向かってしまう。どうして韓国人はアララト山とカッパドキアをこんな風にしてしまったんでしょうね。あははははは。ひとごと。そんなのがまた楽しくもある。

カッパドキアとは、幻想の国トルコにおけるイスタンブールに次ぐ人気観光地で、壮大な奇岩風景をもってなす。10世紀頃にローマ帝国の迫害から逃れようとしたカッパたち(一説にはイエズス会士たち)が作ったとされている一大修道院密集聖地です。
キノコ状の奇岩に覗き窓が刻まれていることからも分かるように、隠棲者たちはこの奇岩の内部をくり抜いて住居としたんですよ。これがアララト山だととしたら5000mの高さのある古代の超高層建築ということになるのかしら。すごいや。
地下迷宮好きの私としてはこのカッパドキアは死ぬまでに一度は絶対訪れておきたい場所でしたが、どうもその夢は叶いそうにないです。でもゲームで来れたからいいや。
しかし、形がちょっとヒワイね。

折角の迷宮都市なのに、中には入れないのかなと思ったんですが、残念ながら入れるようではありません。そのうち何かの宿題で中に潜り込むイベントがあるのじゃないかと思いますけど。ただ、アララト山の南に聳えるテーブル状台地に「イビルオーダー要塞」という名前の盗賊たちの一大巣窟があり、そこを歩いていたら地下への入り口がありました。ここからカッパドキアの地下まで続いているのかしら。喜び勇んでそこに入ろうとしたら、入り口付近で狼の群れに取り囲まれて惨殺されました(-_-)
いつか再挑戦を・・・・・

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きのうは緊張したの(BlogPet)

2007年08月10日 13時50分21秒 | 追加カテゴリー
きのうは緊張したの?

*このエントリは、ブログペットの「歌声喫茶テケリリ」が書きました。
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サマルカンドは世界の半分。

2007年08月06日 05時38分46秒 | シルクロード日記

私の新しいキャラもLv.20に育ってしまい、またなかなか成長しなくなりました。ちぇっ。
ヨーロッパキャラはパーティプレイを重視しているせいか、中国側であった「サソリを200匹狩ってこい」とか「植物お化けを1000匹×3セット狩ってこい」とかいう拷問のようなクエストが少なくなって、「楽だぁ~」とちょっとだけ思っていたのですが、それも20レベルまでだったみたい。そろそろしんどくなってきています。とりあえず今言われてるのが「貝の殻に入った魔女を100匹狩ってこい」。…さすが中世ヨーロッパ。魔女にもいろいろいるみたいです。
でも、コンスタンティノープル近辺は何の障りもなく歩けるようになりましたよ。
西ヨーロッパには行けるようにならないのかしらね。

帝都コンスタンティノープルの作りの細やかさに比べて、帝都周辺の広大な田野の荒さには泣けてきます。こんなに面白そうな地名を散りばめておいて、逆に面白そうな事件は一向に起きないんですもの。黄金の林檎の木とか神の庭とか、いったい何があるのかと思うじゃない。しかし何も無いんです。それがシルクロード、地名は単なる通過点です。
しかし、そんな嘆きもレベル20まで。これ以降は、ひとつの地名を乗り越えるのに多大な労力を要するようになるのでしょう。これはそういうゲームです。

貝殻魔女のクエストは19レベルの時に受け、多分これが終わったら海(といってもあまりにも狭いマルマラ海)を越えて小アジアに行けるのでしょうが、敵はすごく凶悪で20レベルの今でもそれが簡単にはこなせるとは思えませんので、それを放棄してサマルカンド観光に行く事に決めました。
嗚呼! 憧れのサマルカンド!!
コンスタンティノープルはさすが帝都、都市の中心に「次元門」というものがあり、5000円払えば瞬時にいろんな都市へ瞬間移動することができます。

青い町、サマルカンド。

わぉ、この建物はグリ・アミール廟(ティムール大帝の墓所)かビビハニム・モスク(最大級のモスク)か、それとも中央広場沿いにあるからにはウルグベク・マドレセか… おそらくこのゲームの事ですからそのどれでも無いのでしょうね。でも右に見えるより大きいのがビビハニムかな。…しかし今が何世紀なのか、再び悩む。

私が都市サマルカンドが大好きな理由(当然行った事はありませんけど)は、ある歴史人物が関係します。私は日本史の二十倍も世界史の方が好きだった時期があるのですが、なかでも、私が英雄中の英雄と崇めていた16世紀のザヒールッ=ディーン・ムハンマド・バーブルの故地だからです。…って言われても「だれ?」と思われるでしょうけど(^_^)、ちょうどこの時代は日本でも戦国時代なのですが、長篠の戦いよりも35年も前に鉄砲と大砲を効果的に運用した戦術を繰り広げた武将なのですよ、バーブルは。

(※参考;パーニーパットの戦い

話がどんどんずれちゃいそうですけど、バーブルはチンギスハーンとティムール大帝の血を引く由緒正しい家柄。12歳でフェルガナの小領主となるのですが、ご先祖ティムール帝にすごく憧れていまして、15歳の時に突如ティムールの都であったサマルカンドを征服。しかしすぐにウズベク族に攻め込まれまして、サマルカンドを追われます。18歳まではこのサマルカンドを舞台に取ったり取られたりの攻防を続け、このウズベクの首領シャイバーニー・ハーンが彼の生涯の最大のライバルとなります。(結局勝てなかった)
どうやってもシャイバーニー・ハーンに勝てないので作戦を変え、力を蓄える事にして、アフガニスタンに進出。カブールとカンダハールを征服した後、ついでにヒンドゥスタンまで征服しちゃいました。しかし彼が手にしたヒンドゥスタンは彼の故郷の中央アジアのオアシスより遥かに広大で肥沃だったのに関わらず、「空気がじめじめしている」「果物が不味い」という理由で嫌い、死ぬまで故郷のサマルカンドへの憧れを抱き続けたといいます。

で、どうしてそのバーブルの憧れが私の憧れに重なるのかといいますと。
バーブルは丹念に日記をつけていまして(散逸してしまった部分も多いのですが)、それを『バーブル・ナーマ』というのですが、この本(もちろん日本語版です)私の持っている中で一番高い本なのです(笑)。1998年、松華堂刊。16000円(税別)。

 
                           ≪バーブル帝(位;1526~30)≫

本好きな人だったら分かっていただけますよね(笑)。自分が集める本について一冊一冊に込められる意味を。自分の持ってる本で一番高い本。(ブックオフに持っていったら100円だという事が分かっていても)。私は趣味にはお金を惜しまない人間でしたが、極度の貧乏人でもありまたただの一般愛好家の身分ですので、1まんえんを越えたら普通買いません。(…よね?) そんな金銭感覚と本の虫趣味の狭間で一番ギリギリ悩んだ結果が、この本だったというわけです。 この本を買ったのは10年も前ですが、「インド史を自分のテーマにしよう」とその時決めた。(まだ探求の途上です)。さすがに1まんえんを越える本、ボリュームはすさまじくて読むのも大変なのですが、たぐいまれなる英傑バーブル帝(イスラーム世界を代表する詩人としても知られています)の手によってくりかえしくりかえし書かれているのは、故郷のサマルカンドの甘い匂いと果物(とりわけメロンの美味しさ。そして、サマルカンドは私にとっても憧れの町となりました。

町から一歩出たら、おお! そこにはチョコボがいた。
しかし油断して近づいて撫でようとしたら、一撃でつつき殺された

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