ミケ嬢にタダ券を貰ったので、反町隆史版『蒼き狼~地果て海尽きるまで~』を観に行ってきました。
反町隆史のチンギスハーンはとてもアクの強い物でしたし、登場人物の顔はみんな日本人顔、セリフも日本語でしたので違和感はありましたが、それさえ受け入れてしまえば思ったよりは凄く楽しんで観られました。(だってわたくしたちにはかつて大岡越前がチンギスハーンを演じたという珠玉の宝物がありますもの)。何よりもオール・モンゴルロケの素晴らしさったら無く、衣装もなかなかに凝っていましたので、それだけで観に行った甲斐(タダでしたけど)があったってものです。2時間30分という時間はいささか短く、大事な場面を印象深く見せるほどの余裕は無かったようでしたが、基本的にチンギスハーンの身に起こった事を述べるという意味では、とても模範的で教科書的と言ってもいいような作品になっていたと思います。面白味はなかったけれど、映像が綺麗、物語のめんどくさくて細かい所が全部はしょられていて、とてもわかりやすくなっていたと思うのです。(←半分ホメて、半分文句を込めています)
一番良かったのは、もちろんチンギスハーン生涯最大の好敵手ジャムカ様と、それから異論はあるでしょうが松方弘樹演じるトオリル・カンでしたよ。このトオリル・カンは最高です。若い頃は分別あふれる最高の武将だったことでしょう。そして今はその分別は完全に失われている。映画中では反町隆史からプレゼントされた黒テンの皮ごろもを身に纏うシーン。チンギス本ではこの「黒テン」は必ず出てきますので「そんなもの贈られて何が嬉しいのか」と疑問に思っていたのですが、只の黒い毛皮がいったん松方弘樹の身にくるまれると、なんとまぁ!何とも威厳があること。わたし松方弘樹に惚れちゃいました。そして極めつけは、コイテンの戦いでテムジンには勝てないと分かったときにジャムカに告げる「わしゃもう逃げる。お前は好きにしろ」と言ったときの松方弘樹の表情でしたね。あれは最高でした。
物語は、私の知っているチンギスハーンの物語のややこしい部分を大胆に省略し、そして若干創作を加味した感じだったのですが、それがただ無思慮に行われのではなく、一定の意図によるものがあった感じでしたよ。いうなれば怨みの連関。これは怨恨がグルグルと因果して繰り返される、そんな物語だと思いました。
(1).モンゴル族の若き族長・保坂尚希(イェスゲイ)は手の付けられない乱暴者。ある日尚希はメルキト族の花嫁行列を襲い、花嫁の若村麻由美(ホエルン)を奪ってしまう。この映画の尚希は意外とエロい。十ヶ月後に反町隆史(のちのチンギスハーン)誕生。
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(2).奪われた当初、若村麻由美は「きっと絶対必ずメルキトの者が復讐に来るんだから!」と激しく尚希をなじるが、案に反してメルキト族は麻由美を助けに来なかった。
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(3).保坂尚希は立派に息子を育て、隆史は品行方正な青年となるが、尚希の不慮の死後、反町隆史は部族の者たちから「メルキトの種だからモンゴル族の族長の資格は無い」となじられ、苦渋を味わう。
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(4).苦難の末、隆史はなんとかモンゴル族を立て直すが、まもなくメルキト族がモンゴルを襲い、反町の新妻・菊川怜(ボルテ)が奪われる。反町は復讐を誓う。
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(5).反町隆史は義兄弟の平山祐介(ジャムカ)と町内会一番の有力者・松方弘樹(トオリル・カン)に助勢を仰ぎ、メルキトを襲って妻を奪還するが、愛する妻は既にメルキトの子種を孕んでいた。この時の反町の復讐のむごたらしいこと。
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(6).残党狩りをしていた反町隆史は、ある日メルキトの娘クランを捕虜に。彼はその彼女の男気に惚れて、彼女を愛妾のひとりに加えるのだった。その時の反町チンギスの曰わく「オレたちは女性を戦利品にはしない!」。…お前が言うな。
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(7).日満ちて菊川怜から息子誕生。反町隆史は激情に駆られて息子をくびり殺そうとするが、菊川怜の哀願によって思い止まる。「ジュチ(よそ者)」と命名。
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(8).長男・松山ケンイチ(ジュチ)が長じても反町は子に対してよそよそしい態度を捨てきれない。父は息子に対する猜疑でいっぱいだが、息子は武将として立派にふるまい、そして死んでいくのだった。
上のおおざっぱなあらすじの中で、テムジンが「敵の血を引いた男児だと言われ邪険にされた」という部分だけがフィクションです。しかしここでこのようなフィクションを挿入することにより、「父イェスゲイが、息子が自分の子ではない可能性がありながら立派に育てたのに対し、チンギスハーンはその疑いにより息子を悲劇のうちに死なせた」ということを描いて、物語にテーマを与えようとしたらしいことが伺えます。まー、それによってチンギスハーンという英雄像に対して卑小な感じも大きく加味されていましたけども。また、チンギスハーンには弟が3人いて、息子のジュチにも弟が3人いたはずなのに、この映画ではチンギスハーンの弟のカサル・ジョチがただひとり登場し、一方でジュチの兄弟(オゴタイ、チャガタイ、トゥルイ)は登場しません。映画では弟のカサルは甲斐甲斐しく兄に尽くし(史実のジョチ・カサルは微妙な立場で、むしろもう一人の弟のテムゲ・オッチギンがその役に当たるべきなのですが)、一方では悲しい息子ジュチにはその役に当たる弟が出てきません。(オゴタイやチャガタイは乱暴な弟だったのでその役は無理でしたのでしょうが、如才無いトゥルイはそれができたと思うのです)。とことん孤独なジュチ。ジュチとジョチの名前の相似から考えて、このフィクション追加と事実エピソードの削除は計算の上での措置なのでしょうね。そう思いました。
父イェスゲイのアンダ(義兄弟)・トオリル・カンは父にとっては役に立たない義兄弟だったのに息子に対しては役に立ち、そのテムジンの義兄弟・ジャムカはテムジンにとっては害となる存在となり、その上でお互いに真剣に愛を示そうとする。
奪われた妻ホエルンは昔の夫のことなどすぐに忘れ去ってしまうのですが、当の男の方は20年後に復讐を果たし、ボルテを孕ませる。今度は奪われたボルテの方が生まれてくる男児に憐憫を感じて助命を嘆願する。
史実のチンギスハーンは必要以上にボルテを愛している印象がありますが、この映画では後半以降常にクランが戦場のチンギスハーンの傍らに立ち、ボルテ(菊川怜)の印象は意外と薄い。皮肉です。そんな風に、皮肉な感じの連関に満ちていたのですよ、この映画。
という意味で、わかりやすく物語の対立点が描かれ、観ていて楽しい作品だったです、私にとっては。
一番の見所は、「ジャムカとの対決」の戦闘シーンでした。
私は普段は人畜無害な平和主義者ですが、映画の中では戦闘シーンってとってもいいものですねえ。燃えます。この映画のこの戦闘、最高級に秀逸と言っていい。モンゴル軍って本当に騎兵だけで構成されていたんですねぇ。奇跡的なことだと思います。映画では金国への攻撃直前までが描かれていたので(さすがに2時間半ではチンギスハーンの生涯を描くには短すぎる)、このジャムカとの戦いが一番のクライマックスだったのですが、この戦闘画面が最高でしたのですよう。
実際には、テムジンとジャムカの決戦は2回(十三翼の戦い1189年とコイテンの戦い1201年)あったのですが、映画の構成上それは融合され、一回の戦いとして描かれました。それはまぁ構成的には仕方のない事で、意外と丁寧に描かれ盛り上がりも充分でしたがねモンゴルファンとしては失われた面白そうな場面も多そうなのが残念でしたね。個人的には「十三翼の戦い(ダラン・バルジュドの戦い、またはクルテンの戦い)」という呼び方がかっこ良くて好きなのですが、2つの戦闘を組み合わせてしまったため、この会戦の呼び名を決めがたくなっていたのが残念。テムジンが勝利を収めたという点では「コイテンの戦い」だと見た方がいいのかなぁ。この合戦シーンが迫力満点でして、作戦も陣形もなにもあったものではない騎兵の大軍のぶつかり合いが、すごく満足のいく充実度で見られます。丘また丘のモンゴル平原で無尽に湧き出てくる騎馬兵たち。指輪物語のレゴラスさながらの曲芸的なモンゴル兵の弓の打ち方も披露されていましたよ。かっこいい。
惜しむらくはジャムカ役を演じた平山祐介のセリフがなんだか棒読み気味だったこと。この人、見た目は私の理想のジャムカ像に近いのにな。世界史の中で、主人公と限りなく親愛の情を交わしたのに最終的に敵になってしまった人物として、ジャムカほどステキな人物はいません。平山祐介は私の愛する『逆境ナイン』でお茶目なサッカー部の部長を演じた人で、またテレビ版電車男ではニヒルなイケメン同僚をやっていましたが、逆境ナインではヘンテコな役を大げさに大胆に印象深く演じていたのにな。この映画でもあのハッタリ具合が存分に発揮されていたらな、と思ったのですが、それは不燃焼でした。春樹の意向だったのかな。でも、十三翼の戦い(?)でジャムカがテムジンにどうしても勝てないと悟ったその瞬間の平山祐介の表情は、とてもとてもとても最高でした。