オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

『蒼き狼~地果て海尽きるまで~』。

2007年03月30日 23時56分37秒 | 映画

ミケ嬢にタダ券を貰ったので、反町隆史版『蒼き狼~地果て海尽きるまで~』を観に行ってきました。
反町隆史のチンギスハーンはとてもアクの強い物でしたし、登場人物の顔はみんな日本人顔、セリフも日本語でしたので違和感はありましたが、それさえ受け入れてしまえば思ったよりは凄く楽しんで観られました。(だってわたくしたちにはかつて大岡越前がチンギスハーンを演じたという珠玉の宝物がありますもの)。何よりもオール・モンゴルロケの素晴らしさったら無く、衣装もなかなかに凝っていましたので、それだけで観に行った甲斐(タダでしたけど)があったってものです。2時間30分という時間はいささか短く、大事な場面を印象深く見せるほどの余裕は無かったようでしたが、基本的にチンギスハーンの身に起こった事を述べるという意味では、とても模範的で教科書的と言ってもいいような作品になっていたと思います。面白味はなかったけれど、映像が綺麗、物語のめんどくさくて細かい所が全部はしょられていて、とてもわかりやすくなっていたと思うのです。(←半分ホメて、半分文句を込めています)

一番良かったのは、もちろんチンギスハーン生涯最大の好敵手ジャムカ様と、それから異論はあるでしょうが松方弘樹演じるトオリル・カンでしたよ。このトオリル・カンは最高です。若い頃は分別あふれる最高の武将だったことでしょう。そして今はその分別は完全に失われている。映画中では反町隆史からプレゼントされた黒テンの皮ごろもを身に纏うシーン。チンギス本ではこの「黒テン」は必ず出てきますので「そんなもの贈られて何が嬉しいのか」と疑問に思っていたのですが、只の黒い毛皮がいったん松方弘樹の身にくるまれると、なんとまぁ!何とも威厳があること。わたし松方弘樹に惚れちゃいました。そして極めつけは、コイテンの戦いでテムジンには勝てないと分かったときにジャムカに告げる「わしゃもう逃げる。お前は好きにしろ」と言ったときの松方弘樹の表情でしたね。あれは最高でした。

物語は、私の知っているチンギスハーンの物語のややこしい部分を大胆に省略し、そして若干創作を加味した感じだったのですが、それがただ無思慮に行われのではなく、一定の意図によるものがあった感じでしたよ。いうなれば怨みの連関。これは怨恨がグルグルと因果して繰り返される、そんな物語だと思いました。

(1).モンゴル族の若き族長・保坂尚希(イェスゲイ)は手の付けられない乱暴者。ある日尚希はメルキト族の花嫁行列を襲い、花嫁の若村麻由美(ホエルン)を奪ってしまう。この映画の尚希は意外とエロい。十ヶ月後に反町隆史(のちのチンギスハーン)誕生。
    ↓
(2).奪われた当初、若村麻由美は「きっと絶対必ずメルキトの者が復讐に来るんだから!」と激しく尚希をなじるが、案に反してメルキト族は麻由美を助けに来なかった。
    ↓
(3).保坂尚希は立派に息子を育て、隆史は品行方正な青年となるが、尚希の不慮の死後、反町隆史は部族の者たちから「メルキトの種だからモンゴル族の族長の資格は無い」となじられ、苦渋を味わう。
    ↓
(4).苦難の末、隆史はなんとかモンゴル族を立て直すが、まもなくメルキト族がモンゴルを襲い、反町の新妻・菊川怜(ボルテ)が奪われる。反町は復讐を誓う。
    ↓
(5).反町隆史は義兄弟の平山祐介(ジャムカ)と町内会一番の有力者・松方弘樹(トオリル・カン)に助勢を仰ぎ、メルキトを襲って妻を奪還するが、愛する妻は既にメルキトの子種を孕んでいた。この時の反町の復讐のむごたらしいこと。
    ↓
(6).残党狩りをしていた反町隆史は、ある日メルキトの娘クランを捕虜に。彼はその彼女の男気に惚れて、彼女を愛妾のひとりに加えるのだった。その時の反町チンギスの曰わく「オレたちは女性を戦利品にはしない!」。…お前が言うな。
    ↓
(7).日満ちて菊川怜から息子誕生。反町隆史は激情に駆られて息子をくびり殺そうとするが、菊川怜の哀願によって思い止まる。「ジュチ(よそ者)」と命名。
    ↓
(8).長男・松山ケンイチ(ジュチ)が長じても反町は子に対してよそよそしい態度を捨てきれない。父は息子に対する猜疑でいっぱいだが、息子は武将として立派にふるまい、そして死んでいくのだった。

上のおおざっぱなあらすじの中で、テムジンが「敵の血を引いた男児だと言われ邪険にされた」という部分だけがフィクションです。しかしここでこのようなフィクションを挿入することにより、「父イェスゲイが、息子が自分の子ではない可能性がありながら立派に育てたのに対し、チンギスハーンはその疑いにより息子を悲劇のうちに死なせた」ということを描いて、物語にテーマを与えようとしたらしいことが伺えます。まー、それによってチンギスハーンという英雄像に対して卑小な感じも大きく加味されていましたけども。また、チンギスハーンには弟が3人いて、息子のジュチにも弟が3人いたはずなのに、この映画ではチンギスハーンの弟のカサル・ジョチがただひとり登場し、一方でジュチの兄弟(オゴタイ、チャガタイ、トゥルイ)は登場しません。映画では弟のカサルは甲斐甲斐しく兄に尽くし(史実のジョチ・カサルは微妙な立場で、むしろもう一人の弟のテムゲ・オッチギンがその役に当たるべきなのですが)、一方では悲しい息子ジュチにはその役に当たる弟が出てきません。(オゴタイやチャガタイは乱暴な弟だったのでその役は無理でしたのでしょうが、如才無いトゥルイはそれができたと思うのです)。とことん孤独なジュチ。ジュチとジョチの名前の相似から考えて、このフィクション追加と事実エピソードの削除は計算の上での措置なのでしょうね。そう思いました。
父イェスゲイのアンダ(義兄弟)・トオリル・カンは父にとっては役に立たない義兄弟だったのに息子に対しては役に立ち、そのテムジンの義兄弟・ジャムカはテムジンにとっては害となる存在となり、その上でお互いに真剣に愛を示そうとする。
奪われた妻ホエルンは昔の夫のことなどすぐに忘れ去ってしまうのですが、当の男の方は20年後に復讐を果たし、ボルテを孕ませる。今度は奪われたボルテの方が生まれてくる男児に憐憫を感じて助命を嘆願する。
史実のチンギスハーンは必要以上にボルテを愛している印象がありますが、この映画では後半以降常にクランが戦場のチンギスハーンの傍らに立ち、ボルテ(菊川怜)の印象は意外と薄い。皮肉です。そんな風に、皮肉な感じの連関に満ちていたのですよ、この映画。
という意味で、わかりやすく物語の対立点が描かれ、観ていて楽しい作品だったです、私にとっては。

一番の見所は、「ジャムカとの対決」の戦闘シーンでした。
私は普段は人畜無害な平和主義者ですが、映画の中では戦闘シーンってとってもいいものですねえ。燃えます。この映画のこの戦闘、最高級に秀逸と言っていい。モンゴル軍って本当に騎兵だけで構成されていたんですねぇ。奇跡的なことだと思います。映画では金国への攻撃直前までが描かれていたので(さすがに2時間半ではチンギスハーンの生涯を描くには短すぎる)、このジャムカとの戦いが一番のクライマックスだったのですが、この戦闘画面が最高でしたのですよう。
実際には、テムジンとジャムカの決戦は2回(十三翼の戦い1189年とコイテンの戦い1201年)あったのですが、映画の構成上それは融合され、一回の戦いとして描かれました。それはまぁ構成的には仕方のない事で、意外と丁寧に描かれ盛り上がりも充分でしたがねモンゴルファンとしては失われた面白そうな場面も多そうなのが残念でしたね。個人的には「十三翼の戦い(ダラン・バルジュドの戦い、またはクルテンの戦い)」という呼び方がかっこ良くて好きなのですが、2つの戦闘を組み合わせてしまったため、この会戦の呼び名を決めがたくなっていたのが残念。テムジンが勝利を収めたという点では「コイテンの戦い」だと見た方がいいのかなぁ。この合戦シーンが迫力満点でして、作戦も陣形もなにもあったものではない騎兵の大軍のぶつかり合いが、すごく満足のいく充実度で見られます。丘また丘のモンゴル平原で無尽に湧き出てくる騎馬兵たち。指輪物語のレゴラスさながらの曲芸的なモンゴル兵の弓の打ち方も披露されていましたよ。かっこいい。
惜しむらくはジャムカ役を演じた平山祐介のセリフがなんだか棒読み気味だったこと。この人、見た目は私の理想のジャムカ像に近いのにな。世界史の中で、主人公と限りなく親愛の情を交わしたのに最終的に敵になってしまった人物として、ジャムカほどステキな人物はいません。平山祐介は私の愛する『逆境ナイン』でお茶目なサッカー部の部長を演じた人で、またテレビ版電車男ではニヒルなイケメン同僚をやっていましたが、逆境ナインではヘンテコな役を大げさに大胆に印象深く演じていたのにな。この映画でもあのハッタリ具合が存分に発揮されていたらな、と思ったのですが、それは不燃焼でした。春樹の意向だったのかな。でも、十三翼の戦い(?)でジャムカがテムジンにどうしても勝てないと悟ったその瞬間の平山祐介の表情は、とてもとてもとても最高でした。

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ちょっとだけ腹が立ったこと。

2007年03月29日 22時53分06秒 | 伊豆の歴史

先日受けた「修善寺案内名人」の合格通知が届いたのです。
中には「合格した」と書いてある紙と(←私の取った得点は記されていませんでした)、下のような認定証とバッジが入っていました。

で、「欲しい人には店舗用のプレートをあげる」とあったので、さっそく修善寺の観光協会に電話してみたのです。
ところが。
伊豆の国市のお店で働いているから、まだ会社でそれが飾れるかどうか分からないけど、それは有料なのか無償で貰えるのか教えて欲しい、と言ったところ、しばらく電話の向こうで話し合う気配があったあと、「伊豆市の店舗でないとあげることはできない」と言われた。
なんだそりゃーーーーーーーーーーっ

このイベントは修善寺内だけでなく、近隣諸市へも広く呼びかけたイベントではなかったの? だから伊豆日日新聞や静岡新聞でも大きく取り上げられてたんでしょ。開会式でも「遠くの地域からも思いのほか人が集まった」と嬉しそうに言ってたじゃん。
それを、それを、ここにいたって「認定はしてあげるけど、修善寺の人じゃないからその知識を使っていろいろアピールできるできる機会はあげない」ってなんてこったい。わざわざ足を運んで修善寺への愛を示したというのに。百歩譲って「店舗用のプレートは、現実的に役に立てる物だから、面白半分の人や遠くの人にはあげられない」ということだったとしても、こっちは伊豆長岡の会社で働いてるってはっきり言ってるんだよ。悪いけど、週に3回は伊豆長岡を訪れた東京圏の人に修善寺の見所を説明してるよ。だから今回これに申し込んだんじゃないか。それを「違う自治体だから」という理由で断られるとは。しかも「伊豆市の人以外には…」ってことは、伊豆長岡はダメでも修善寺とは同じぐらい縁遠い中伊豆や土肥の人にはあげられるって事でしょう? 言っちゃ悪いけど天城湯ヶ島よりも韮山・大仁の方が遥かに修善寺との関わりは深いんだ。大体最初にどこにもそんなこと明記してないじゃんか。はーーーー、腹が立ってきた。そして、修善寺への愛が(ちょっと)薄れた。

結局の所、自分の点数も発表されなかったので達成度も明らかではなく(←多分私は100点満点だったと思うんだ。今だから何とでも言えますけど)、職場に飾れるプレートもいただけなかったので何の為に仕事の休みをもらったのかと空しく、なんともなんともな思い出になってしまったのでした。

と、つまらないことに腹を立てていてもしようがないので、

気を取り直して、大仁町にある「龍源院」に、見事なしだれ桜を見に行ってきました。
はぁぁぁぁぁ~~、大仁町もそろそろ桜の季節ですねぇ。
(伊豆では1月下旬に河津町で赤い桜が始まり、それから4ヶ月に渡って順繰りにいろんな桜が咲いていくので、いつが桜の季節なのかがはっきりしないのですが。私にはソメイヨシノと山桜の見分けが付きません)
北条屋敷のあった守山にも桜公園があり、そこの「さくら祭り」もあさってが開会式なのだそうです。源氏山の「美女桜」(←あやめ御前が手ずから植えたと言われている桜)もそろそろ咲き始めている頃かしら。

で、この龍源院というお寺、大仁町の山の斜面に巧みに堅牢に建てられた要塞のようなお寺で、なかなか見事なのですが、境内には無数の羅漢や仏像が建てられ、個性的な雰囲気。私、石像が大好きなものでそれらを無心に眺めていますと、一角にとても気になる看板が。

「←脇屋義治公の墓はこちら」

・・・・・なぬ?
なんでこんな所に南北朝時代の南朝側の武将の墓が?(伊豆は北朝方の領土でした)
簡単に説明しときますと、脇屋義治とは新田義貞の甥でして、なかなかの猛将。が、彼(とその他の新田一族)が活躍したのは主に北陸及び北関東でして、いくらなんでもそんな彼が伊豆で眠っているハズがない。しかし一方で、(中断してますけど)私はこのブログで太平記の新田義興のアホ活躍を訳しているところでして、そこに脇屋義治もちょこっとだけ出てくる。まさか彼が伊豆と関係があるとは知らなかったので、これを見て胸が躍るのも事実です。むむむむむむむむむむ~

境内にはこのお寺の由来書きなどはなかったのですが、ただ新田氏の系図だけが飾られていまして、それによるとやっぱりこの龍源院というお寺は「脇屋義治が開基」だというのでした。はてはてはて?

で、案内板に従って脇屋義治公のお墓を探していくと、いいかんじに荒れた奥には古いお墓がいっぱいあり、この中のどれが当の南北朝武将のお墓なのか、分かんなかったのでした(笑)


雰囲気的にコレかな?「脇田家」って書いてありますけど。

ウィキペディアで見るところ、脇屋義治が伊豆を訪れた可能性があるのは「箱根・竹ノ下の戦い」のときですけど、そのとき義治は13歳だぞ。(さすがにその歳で寺は建てないでしょう) 一方で彼は死んだ場所が不明であるので、もしかしたら最晩年にひっそりとこっそりと伊豆に訪れてなにか善行を施した可能性も無いわけがあるわけでもないかも知れなくも無くない。

しかし、脇屋義治と伊豆との関係について調べようとすると。
(私にとっては)恐ろしい事実に突き当たりました。
実は、この龍源院のすぐ近くに、旭化成の大きな工場があるのです。イヒ! この大仁町は「歴史の町・韮山」、「温泉の町・伊豆長岡」と並んで「牛の鳴く工場の町・大仁」のふたつ名で知られておりまして、中でもこの旭化成が最も大きな物だったのでした。その旭化成の広大な敷地の一角に、かつて「お酒を造る工場」が建っていました。「旭化成が作っているお酒」と聞くだけで、なんだかアルコールランプっぽく感じられて絶対美味しくないだろうと感じられてしまうのですが、なかなかどうして。通の間では意外とここのお酒は評判の良いものだったと聞きます。たとえばここの感想とか。太郎左衛門愛好家としては、かつて10年ぐらい前に韮山町が「幻の江川酒を復活させよう!」としたときに、その趣旨に賛同して「坦庵」という素晴らしいお酒を造って下さったのがこの旭化成の大仁工場だったんですよね。(現在は修善寺の万大醸造がこれを作っています)
で、惜しくも何年も前にこの工場は旭化成の方針転換によって閉鎖されてしまったのですが、しかしこの旭化成が生み出した大ヒット作のお酒がありました。その名は「菊源氏」。
うをう、なんといい名前だろう菊源氏!
伊豆は源氏の土地だし、菊の花はかつて名酒醸造家として知られた江川家を彷彿とさせます。(江川酒のうまさに感動した徳川家康が、江川太郎左衛門に菊の門と井戸を家紋とするようにと命じたのでした。江川家の家紋は天皇家のそれとそっくりです)
ところがここのサイトさんによると、、、、、、、 菊源氏の「源氏」とは、源頼朝の事じゃなくて、脇屋義治のことなんですって。ええええええっ!? 確かに新田氏も源氏なんですけど、、、、、

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『武田勝頼』(第三巻)。

2007年03月25日 23時48分15秒 |   戦国時代

新田次郎の『武田勝頼』を、終巻の第3巻だけ読み終えました。
「強いは強いだろうけど結局情け無いだけの、君主と呼ぶに値せぬほどの大将」(←ヒドイ言い方だ)武田勝頼を主題とした作品はなかなか無いのです。ですからとても期待と憧憬を持って読みました。

 

前半は、むしろ主人公は徳川家康でした。上杉や北条を敵にしていた父信玄と違って、勝頼は(北条だって主要な敵だったんでしょうけど)、終始徳川家康だけを相手にしていたのです。私がこの作品で面白いと思ったのは、徳川家康や徳川信康や酒井忠次の心理描写はふんだんに出てくるのに、勝頼のそれはほとんど現れないこと。いったい誰が主人公なのか。あまりにも勝頼の戦略が読み取れません。それはこれまでの2巻までに叙述されているんでしょうね。一方で、例えば苛烈に抵抗をしていた高天神の将兵に対してかける勝頼の言葉や、謀反を疑われる従兄弟の穴山の野郎(←こいつが悲劇の一番の元凶)とのやりとりは丹念に描かれていて、そこでの勝頼は積極性に欠けるものの充分に理知的なので(ちょっと情に寄るところも大きいが)、無機的な勝頼像の中の人間的な部分がちょっとだけ浮き出ていて、とても不思議な感じの「強い大将」が突き出されていました。・・・結局、この人の敗因は何だったの? という問いに対してこの作品を読むだけで10ぐらいの回答を差し出せるのが面白い。とってもいい人なのに。この本を読んでますます武田勝頼という悲しい人に対しての私の愛着は増しました。

 

この巻では、長篠の大敗戦の2年ぐらいあとの時点から語られ始めます。
私たちは長篠の合戦のあと瞬く間に武田氏は滅亡してしまったような印象を持っていますが、実際には武田氏が滅んだのは長篠の7年後で、勝頼は結構がんばっていたんですよね。ただ、7年持ちこたえたといっても、それは悪あがきでしか無く、結局は滅んでしまう。ただ、その間高天神城の攻防や新府城の建造などにも見られるように、意気はなかなかのものだった。(全てが悲しい結末に向かっていってしまいますが)。

武田の郎党はかなり後の時点まで「武田家の滅亡」なんてことがまさか起こるとは思っておらず、それらのことを丹念に書き込んだ緩慢な死の物語となっていたのでした。

 

伊豆好き的に面白かったのは、天正8年に高天神城が徳川に再び奪還されたあと、天正9年になって突然伊豆の戸倉城主・笠原新六郎が武田側に寝返った事件についての真相。笠原新六郎とはのちの小田原合戦の時に秀吉に寝返って醜態を見せた松田憲秀の息子なので「なんて親子だ」といままで思っていたのですが、この本ではその事件の展開を、「まさかそんなことが!」とは思うけれども爽やかな感じで描いています。松田親子、いいやつらじゃん。(つづく)

 

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今日買った本。

2007年03月17日 22時40分51秒 | 小説・漫画

うーーん、ますます本を読む時間が取れなくなっています。
・・・・などと言うと私がとても忙しい人間のようですが(笑)、当然ながらそんなことも無く、どうして本を読む時間はともかく日記を書く時間までうまく取れない有様になってしまったんだろうと考えると、、、どうやら睡眠時間が以前より増えたみたいなんですよね。以前は一日5時間ぐらい寝れば大丈夫だったような気がしますが、今は7、8時間ぐらいは寝てるかなぁ。一日3時間の差は大きいです。人ってどうして寝るんでしょう? こうして起きている今は、寝なくたって全然いいような気がするんですけど。・・・そういえば今は3月下旬でした。そうかーー春だから眠たいのか。数日ほんとにここ伊豆かとおもうくらい寒いので、今が春だという事をすっかり忘れていました。寒いのに春。寒いのに春だから素直に眠たくなる私の脳。正直な奴だぜ。

ともかく、本を読んだらここで詳細な感想を書きたいのです、私は。
だってここは備忘録。私の脳はいっぱい読んでも順番にきれいさっぱり忘れていってしまう性能なため、その過程も含めて自分が得た事を形として残し、それを2年か3年後に眺めてニヤニヤしたい。だからいっぱい本を読んで、いっぱい備忘しておきたいのに、その時間が取れぬ。最近、買った本の記録しか書いてないじゃないですか私。もったいないもったいない。
でも何も記録しないよりはマシだと思います。本を買う時、どうしてそれを買おうと思ったのかその理由だけをまとめて記すのは意義があると思います。実を言うと、本マニアである私にとって一番楽しいのは、本を読み終える感興よりも、本屋でブラブラしながら敵を選んでいる瞬間だというような気もするんですよね。
ま、この「今日買った本の記録」もまとめて何冊も買ったときしか書かないので、行動の備忘という意味ではすごく意味のないような気もするのですが。

わおーーーーん、前巻『スクレイリングの樹』を読み終えないうちに新刊、しかも最終巻が出てしまった~~。
私は本はいっぱい買いますが、基本的に小説はあんまり読むのが苦手なのです。最近は小説は仕事中に読む事にしているため(笑)、仕事熱心な真面目なわたしのこと(←ウソつき)、なおさらになかなか読み進まない。2日前にグインを読み終えて、現在武田勝頼を読んでいて(←これが面白いのだ)、さらに並行して何冊も読み、それが終わったらスクレイリングの樹だと決めているのに。
今日買ったこの本のオビを見ると、「ルーンの杖を求め暗躍するゲイナー。対するウーナ(光の皇帝エルリックと夢盗人ウーナの娘)の孫娘ウーナッハは、地下世界からホークムーンの暗黒帝国へ」という文字が。うほっ、舞台はルーンの杖秘録のあのヘンテコなグランブレタン帝国なのっ!? 読みたい読みたいこれ先に読みたーーい。このアオリだとホークムーンが暗黒帝国のヌシみたいだし、「白い狼の息子」というタイトルなのに主人公がエルリック(=白い狼)のひ孫娘なのはどういうこと?などとも思うんですけど、この爽やかっぽい表紙もあいまって、早く読んでみたいという気にさせますです。(←なら読めばいいのに)。でもこれで最終巻なんだと思うと感無量。
最終巻と言ったって、基本的にエルリックサーガは全6巻で、6巻目の『ストームブリンガー』で主人公エルリックは、全部を破壊し尽くしたあげくに信じていた物に裏切られて死んでしまうので物語は一旦そこで完結し、それ以後の作品は外伝的な体裁を取っているので、いまさら最終巻と言われても「なにをいまさら」という感が大きいのですが、一方で、エルリックサーガという物語は「永遠のチャンピオン」という壮大な叙事詩のうちの一作であり、その「永遠のチャンピオン」全体の最終巻はホークムーンの物語の最終巻、『タネローンを求めて』という本だとされている。でも、私がその本を読んだのは高校生だった頃で、それからはや数十年。当時と同じ(だと信じたい)純粋な心を持ったまま大人となった私たちは、再び、「最終巻」とされる作品を目にしているわけだ。
名作SFとされる諸作品は数あれど、この永遠のチャンピオンの一番すばらしいのは、「主人公がいっぱいいるてその物語が無尽蔵」という点に尽きます。三國志やグインサーガのような群像劇とは違います。出てくる人出てくる人がそれぞれ別の立派な物語の主人公でして、この世界はいろとりどりに織りなされたあやで変幻自在に満ちていると実感させてくれる、それにしびれる。ムアコックが現在何を考えているのか分かりませんが、舞台がまた暗黒帝国だという事は、ホークムーンの物語に準じて再び物語を終焉させようという気になったのかなぁ。だったとしたらビバ! とうとう物語が終わりなのかなぁ。
・・・・と思ったら、ハヤカワ書房は次に“実は色んな人だった”エレコーゼの物語を復刊させるつもりなんですってさ。がっくし。
なぁ、まりおんのらんだむとーくさんのレヴューによると、「スクレイリングの樹」の方もまるで「ヴィンランドサガ」のようで、極めて面白いのだそうです。

おぅ、出たー!
田中芳樹はかなり前からこの王玄策という知られざる英雄について言及していましたし、『中国名将列伝』の中では「中国の名将100人」のうちの一人に選定(三國志を見るだけでも、中国5000年の歴史の中から100人だけを選ぶなんてすごく大変なことでしょう!)するほど、とても高く評価していましたので、「満を持しての小説化」といった感じです。
「王玄策といってもその名を知ってる人も少ないでしょうが・・・・」の辞で文章を始めないとならないこと、田中芳樹ならずとも忸怩しながら憤怒してしまいますが、今ではもうネット上での情報も豊富でしょうから、適当に検索してみてください。ともかく、中国史上最も波瀾万丈の流転を重ねた英雄です。
田中芳樹の中国小説は大好きです。『創竜伝』とか『マヴァール年代記』とかは読んでて次第に腹が立ってきて読むのを辞めてしまいましたが(性に合いません)、中国モノだけは違う。『奔流』とか『紅塵』とか『海嘯』とか、大好きです。
イラストが藤田和日郎だというのが意外でした。といっても私はこの漫画家については、島本和彦の『吼えろペン』に出てくる、島本和彦の30倍も邪悪な変な姿しか知らないんですけれども。

単なる大河ドラマ便乗本かと思いきや、織田信長や豊臣秀吉ならともかく、こんな地味ーで精査が必要な本は、こんな折りじゃないと出ないですからね。武田信玄にはいまいち興味が持てないと以前言った事がありますが(志木沢郁の『上杉謙信』が好きだから)、武田勝頼が終生手本としようとした武田信玄の事ですから、いずれなにかしらのきちんとした本を読んでみたい。
とりあえず、源平時代の武田氏にも一章が設けられていましたが、武田信義の双子の兄については触れられていませんでした。信玄の伊豆経営については手堅く書かれておりました。好印象。

これも映画便乗本でしょうが、表紙の諏訪原氏のイラストに惹かれて購入。
学研は、以前かなり役にたつチンギスハーンの本を上下2冊で出していたのに、今回のこれはイラストの使い回しも多少あって、以前のの縮小版のような体裁です。(もちろん内容は新しいのですが)。価格も1300円で安価だし、以前の版は絶版になっているようだし、学研が既刊本のマイナーチェンジ版だけをリリースする方向に行く事に決めてしまったんだとしたら、悲しいことだな。(しかし次号は『激闘ローマ戦史』なのだという。喜んでいいのやら。学研さんが今後本格的に世界史に目を向けてくれるのならばありがたいのですが、でもローマ本も今はいくらでも豊富に本屋にありますからなー)
学研さんには、マニアックな本だけを出してもらいたい。そう期待するものであります。

と思ったら、やってくれるぜ学研!!
しばらく学研は第二次世界大戦をテーマにした『○○全史』と題した本をリリースしていましたが(私は買ったり買わなかったりでしたが)、その体裁に乗っ取ったガンダムシリーズの刊行開始です。これはまさにパロディ本です。
ヒトラーの帝国を描いた『ドイツ陸軍全史』『ドイツ装甲部隊全史』『武装SS全史』などと対比させると、すごく笑える。すごいです学研!
ただし価格は2100円で他の本に比べると割高。おのれ学研。
でも私、あの傑作『ドイツ装甲部隊全史(全3巻)』『武装SS全史』を、生徒に欲しいと言われて無邪気にホイとあげてしまったんですよねー。また復刊してくれないかしら(帯付きで)。
他の出版社じゃ絶対に取り上げてくれないであろう『地球連邦軍司令部全史』とか『連邦軍量産機開発全史』とかもそのうち出してくれるだろうととても期待しますが、それよりも『クロスボーン・ヴァンガード全史』とかVガンダムの『ヴェスパ全史』とか『リガ・ミリティア抵抗軍全史』とかを先に出して欲しいです。情報が少なすぎて全体像が不明すぎるけど、充分にエキサイティングな戦史だと思うので。

ほんとに、こういう本が出せるあたり、学研サマは凄いです。
そういえば私、何かの本で第一次大戦時のユトランド沖海戦の折りのラインハルト・シェア提督とジョン・ジェリコ提督の攻防を読んだ事があって、すごく興奮したことを思い出して、この本を買ってしまいました。

伊豆日日新聞で何度かこの本のことが取り上げられ、気になっていましたので、買いました。
偉大なる江川太郎左衛門の業績と誇張されて言われているもののいくつかには、実は石井修三というこの人の功業の割合も大きいようなそうでもないようなものなのだそうです。(「きをつけ!」「前にならえ!」などという号令とか、品川台場砲台の設計とか)
まさに、こういう細かいことは地元本ならでは。

 

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この絵を玄関のあたりに飾りたいです。…絵クダサイ。

2007年03月13日 21時46分08秒 | 伊豆の歴史

優しいお姉さまが快く休みの日を交換してくださったので、「修善寺検定」を受けに行けました。ギリギリになって申し込んだので、教則本を読み込んでいる時間があんまり取れず、ちょっと不安な気持ちを抱いた上での受験でした。(最近家ではすぐ寝てしまうので、ほとんど勉強は仕事中にしました。ゴメンナサイ)

試験以上に、私の関心があったのは、こういうイベントにどれほどの人が参加してそれはどういう人たちなんだろうということ。受付時間は12:30から13:20までだったのですが、私は早々に赴いて会場の雰囲気を観察していました。写真に撮ったのは来てすぐだったので人がまばらだったのですが、最終的に70名強の方々が受験に来ていたようです。会場は中くらいの会議室でしたがほぼぎっしり。話題づくりのイベントとしては初回にこの入りだったら成功だったんじゃないでしょうか。参加者は年代バラバラで(でも若い人たちでもわたしぐらいの年代だったです)、観光業界関係者が多かったようです。話を聞いていると、修善寺では各旅館で強制的に参加させられた人たちがかなりいたようですね。テレビ局のカメラも2社ぐらい入り込んでいて、ものものしい雰囲気でした。

残念ながら問題用紙は持ち帰れませんでした。(直接問題用紙の4択に○を書き込む形式だったため)
でも思ったより問題は簡単。教則本を一度読めば、100点とれるだろうという内容です。ほぼ、受けた人はほとんどが合格したんじゃないでしょうか。(問題は全100問択一式で、80問以上正解が合格)。
試験時間は50分ということでしたが、わたし、普通にやって10分で終わってしまいました。(←念のために言っておきますが、私は極端に暗記というものが苦手でして、私の脳の精度は人として中の下ぐらいです。とにかく忘れっぽいですから)。20分経ったら出てもいいということなので退席。ということで皆さま、以後わたしのことは「修善寺マイスター」(親方)と読んでくださいましね。えっへん。もちろんくれるという「マイスターの表示板」もちゃんと請求するつもりです。職場のデスクにでも飾っておこう。隣町の在住だから役に立たなそうですけど。・・・しかしこれに受かったからと言って、流暢に修善寺の解説が出来る自信もないのですけど。

帰り際に係官の方が私に向かって「どうでしたか?」と聞いてきてくださいました。
なのでいろいろ言いたい事があったのでベラベラ話すつもりだったのに、席に置いてこないといけなかった解答用紙を持ってきてしまっていたことに気付き、慌ててそれを置いてきて再び出口に来たら、その係官は別の人に意見を聞いていた。ちぇっ。なので、ここにそこでいうつもりだった意見を挙げます。

(1).観光地という所は、意外とそこに住んでいる人間よりも訪れる人間の方がより詳しく斬新な感想を持っている物である。だからこういうイベントではマニア的には有名だが、現地の人がむしろ答えにくい設問をするほうが刺激になって良いと思うがどうか。現地の人を優遇してはいけない。
(2).択一式の試験というのがもったいない。多少採点的には大変でも、文章問題・論述問題を多少設けた方が、修善寺に対する愛を無尽に語らせやすいと思う。さらにその方が今後役に立つと思う。
(3).修善寺町内に点在する源頼朝麾下の諸将(安達藤九郎、堀藤次、加藤景廉、田代信綱)の中で出題されたのが加藤景廉だけだった。修善寺は「源氏の里」で売ってるんじゃないの? 田代はともかく、現地出身の人ではない安達や加藤が修善寺に葬られているんだから、源氏政権的に修善寺という地が意味する意味合いをもっとアピールしてもいいと思う。その意味で、歴史に限るのならばこのイベントは伊豆の国市と共同でやるのが良いと思う。(歴史という物は諸事物の連関で語らねば意味が無いから)
(4).問題はもっとマニアックな方がいいと思います。その延長で、観光客向けの問題と業界関係者向けの問題は分離するべきだと思う。今回は「誰でも名人」と名乗っているのでアレなんですが、むしろ観光客向けの問題を100倍難しくして、応募式にしていつでも受け付けるようにするのがいいと思いますね。修善寺というのはそこまで熱心なファンを生み出せる希有な町だと思う。

第一回目の試験だというからここまで言おうと思ったんですけどね。
そもそも「参加する事に意義のある」お祭り的なイベントなのか、どの程度まで脳の中身をさらけ出せば修善寺(私の場合は伊豆に対して)への愛を表現できた事になるのか、それが今でもよく分からない。

さてさて、このイベントは、2004年に中部伊豆4町が合併した「伊豆市」が誕生して、初めて行われるという大きなイベント「修善寺温泉開湯1200年祭」の一環であるのだそうです。つまり、お祭りの主人公は源氏の面々ではなくて弘法大師。
で、町の各所に上のようなポスターが貼られているのですが、、、 コレ、かっこいいですね♪ このポスター、私の部屋にも一枚欲しいです。どこかで売っているのかしら~♪

上の痩せこけた人が当然弘法大師だとして(←見えませんが。弘法大師はどの肖像画が豊富な人ですが、そのほとんどが顔が同じである希有な人なのに)、絵の真ん中にいる2人の武者が、きっと「悲運の総帥」源範頼と「殺生将軍」源頼家でしょうね。かっこいい~~

とりわけ範頼卿、絵の真ん中で凛然と力強く弓を引き絞っているそのお姿。「根が単純で臆病、気が良いだけの凡人」と一般に評されているのとは違って、「弓でバッタバッタと敵を討ち取っていった」武芸の達人としての修善寺的・範頼卿の姿を描いていて、とても惚れます。

しかし、範頼卿が引く矢の先にはひとりの女性が・・・・
・・・・・ま、まさこ妃?

コメント
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