オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

布瑠部由良由良止布瑠部。

2009年05月21日 00時39分02秒 | 今日の、エウクストロネラ

2009年4月2日 13:32
今日の尊良親王 (建武二年の内裏の千首歌会で、夏の動物を詠んで) 時鳥なきつとかたる人あればけふをはつ音といかが頼まむ」 ・・・ホトトギスを聞いたという人がいたが、たったオレが今ここで聞いたホトトギスのことを初音だということにしてかっこ付けたいです。誰かなんとかしてくれませんか。・・・って解するのが無難だと思いますが、この建武二年の歌会っていうのは建武の新政府が権威見せつけの為に大々的に再建した大内裏のためにおこなわれたものだと思うので、その頃の諸問題噴出の事情を考え、尊良が時鳥を父後醍醐に譬えた物だと思えば、解釈は微妙にひっくり返ったものになります。尊良の焦りの心。 。 ・・・いやちがう、「時鳥」というのは「新政」のことで、古今政治改革を唱える物は数多くいたが、真の新政は後醍醐がやったものが唯一だ、と尊良は言いたいのだと思う。

2009年3月1日 17:10
今日の警言 「意識現象を思うに解釈に苦しむのは、時と場合によって次々と変わりゆくわれわれの意識という活動が、結局何処から起こって何処に去るかという問題です。しかしこの問題もつまり、物には必ず因果応報がなければならぬと思い込む因果律の欲求より起こるのですから、この問題を考える前にまず因果律とは何かを攻究しなくてはならないのです。普通には因果律という物が存在しうる背景には何らかの超常的な大きなものの存在を想像してしまいがちになるのですが、正しくはヒュームの言ったようにある現象が起こるにはただ必ずこれに先立つ一定の現象があるというだけです」 (西田幾多郎『善の研究』)

2009年3月1日 4:25
今日の尊良親王 (建武二年内裏千首哥中に) 夏衣たつ日にかぎる花染の袖のわかれぞしたふかひなき」 ・・・(意);夏にお別れした貴方の花染めの衣の色ばかりが目に焼き付いている。もう貴方を慕っても会うことはできない。・・・なんと! また故・護良を偲んだ歌だ。前の歌と同じ時に詠んだものですね。きっと父・後醍醐が死んだ息子に見せた哀惜が少なかったので敢えて尊良はこう読もうとしたのでしょう。(と、私はそう解釈する)。「日にかぎる」の部分が「その日を限りに」という意味と「陽炎(かぎろふ)」に譬えた弟のことと「翳る」=死と、そもそも「花染の袖」が天皇のことだとして「分かれて太陽を見限る」存在として異端者として抹殺された弟に共感していることを言っているのです。

2009年3月1日 3:46
今日の尊良親王 (建武二年内裏千首哥中に) 〔く〕風の つらさにのみはなさじとや さそはぬひまも花の散〔る〕らむ」(『新葉和歌集』春哥下) ・・・(意);風がまだまだ冷たいので貴方を花見に誘わないでいたが、そんなことしているうちに既に花が散ってしまう。・・・ここでのポイントは「風のつらさにのみ」だと思うのです。何が「のみ」なのか。「のみはなさじ」が「辛さにのみは為さじ」であるべきところ、「身離さじ」に読ませるところも巧みですし、安楽に暮らしている自分の身に対して世の流れが急激に変わっていることを伺わせて、注目すべき歌ですね。建武元年11月に逮捕された弟の身を案じて詠んだ歌ですね。彼が最も愛した弟・護良親王はこの半年後に鎌倉で足利直義によって殺害されてしまいます。

2009年2月27日 9:13
今日の尊良親王 (天皇から遠く離れてしまった頃に、禁中の花を偲んで詠んだ歌) 又やみむなれし御かきも思〔ひ〕やるほどは雲井の花の盛〔り〕を」(『新葉和歌集』春哥下) ・・・「なんか暗号みたいだな~」「どこで切るのや」と思うばかりで読解の自信が無いのですが、敢えてしてみます。「また考えることを止めることが出来ぬ。後醍醐天皇が手づから植えられた(為れた)御垣も見事に育って(熟れて)雲に届くばかりに華々と絢爛に花が乱れ咲いているであろうか」 ・・・会うことのできなくなった弟たちのことを思っているのでしょうか。

2009年2月26日 20:03
今日の警言 『わが闘争』の主要テーゼは簡単である。つまり、人間とは戦う動物である。ゆえに闘う者が結集した国家は戦闘単位でありうる。生きる者が闘うことを中止するならそれは滅亡する運命にある。民族の闘う能力は純粋さに左右される。国家にとって必要なことは外国に由来した汚辱を取り除くことにある。ユダヤ民族はその普遍的妥当性のため必然的に平和主義者であり国際主義者である。平和主義は大罪である。平和とは民族性を抹消することを意味するからである。ゆえに、国家が国家として一番なさねばならぬことは、国民大衆全員を国家主義的にすることである」 (ウィンストン・チャーチル『第二次世界大戦』)

2009年2月18日 13:06
今日の警言 「ピューリタンがもっとも熟読している諸篇、すなわちソロモンの箴言や幾多の詩篇に記されている、ヘブル人が神のみを思い、しかも醒めた目でもって眺めた処世訓の与えた影響は、彼らの生活の雰囲気のあらゆるところから見いだせる。わけても彼らの最も理性的な部分、すなわち宗教的興奮もしくは感情そのものを全て抑制できるという彼らの長所は、すでにサンフォードが正当にも指摘しているように、旧約聖書の影響に由来しているのである。もっとも、旧約聖書の中に見いだせる合理主義それ自体は本質的に小市民的な伝統主義の性格を持つものだった」 (マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)

2009年2月18日 12:00
今日の警言 「あるとき、私の教えている公爵の弟(諄之介、10歳)が、私に刀が欲しいと言ってきました。彼も身分に相応しいそれなりの格好をしたいと思ったのでしょう。私ももっともだと思い、いつものように公爵(=島津忠重、当時15歳)に相談しました。しかし驚いたことに、公爵(15歳)はひどく感情を害した様子を見せました。公爵(15歳)は弟(10歳)が刀を持つことなど全くの問題外だと考えていたのです。どうしてかと尋ねますと、公爵(15歳)曰く、刀を所持するには高潔な人格を備えていることが必要不可欠である。弟(10歳)がはたして適格であるかどうか甚だしく疑問である。・・・結局私の訴えによって諄之介候(10歳)は兄(15歳)から刀を贈られたのですが、兄(15歳)から「武士の魂を持っているかどうかはお前の生涯を通して実証しなければならない。証しのあるまで刀は抜くべからず」と諭され、それ以後、弟(10歳)殿下には目に見えて変化が起こったのでした」 (エセル・ハワード『明治日本見聞録』)

2009年2月16日 9:21
今日の尊良親王 (侍りける中に、春天象を・・・) 花鳥の 色にもねにもさき立て 時しるものは霞なりけり」 (『新葉和歌集』春哥上)  明智光秀の「時は今、雨が下知る~」と対比させるべき。雨と霞。「花鳥」の花とは花園上皇で、鳥が後伏見上皇だという説があります(ウソ)

2009年2月15日 1:13
今日の警言 「革命とは賽を投ずることです。支那はすでに1911年にルビコン川を渡っているのです。戦わなければ滅びる。ナポレオン翁は偉人でしたがイタリア遠征に際してその兵に諭して曰く、貴兄らが国に対する功は大きいが国にはその功に報いる力が無い、金が無い、と。対露一戦は憲政擁護者を喜ばせ天狗にさせましたが、支那において未来を見据えるとき、軽佻な孫文の仲間たちに同調すべきではありません。オゴタイ汗とその仲間たちが大風に押され馬の背に立って鳴鞭噴叫しながら雲飛揚するとき、国家の存亡を前にして兵士たちの衣類が裂けて靴が破れていることに意を介することはしませんでした」 (北一輝『支那革命外史』)

2009年2月15日 0:19
今日の愛される犬 アルキビアデス「お前は誰だ!?」  タイモン「獣だ。お前の心臓など腐ってしまえ。この俺を見つけた罰だ」  アルキビアデス「誰だ。人がそんなに嫌いか? お主も人だろうに」  タイモン「俺の名はミザンスポロス、つまり人間嫌いだ。お前も犬だったら良かったのだ。だったら少しは好きになってやれたぞ」  アルキビアデス「なんとタイモン公、あなただったのか。このような運命にあっているとは知らなかった」  タイモン「俺はお前を知っているが、それ以上のことを知ろうとは思わぬ。太鼓の後ろに着いていき、大地を血で真っ赤に染めるがいい、戦争好みよ。宗教も法律も酷いもの、だとすれば戦争がいくら非道いものであっても誰もかまうまい。戦争などよりそこに貴卿が伴っている貴卿の淫売の方が遙かにおぞましいぞ。天使のような顔でいて貴卿の剣以上に人を破滅させるからな。」  フライニア「腐って落ちろお前の口!」 (シェイクスピア『アテネのタイモン』)

2009年2月11日 19:18
今日の真言 「おん あみりとどはんば うんはった そわか!」。馬頭観音の真言です。意味は「甘露発生尊(=ソーマ酒を作る神。太陽のことらしい)に帰命たてまつります。バカたれ魔は消えちまえ。めでたいね」だそうです。仏尊好きな私ですが、とりわけ好きなのがこの馬頭観音さま。それは彼が旅行者と交易者を守護する仏であり、またとりわけ伊豆の路傍で良くその姿を見たからです。そういえば浜松ではあまり見ないな。出歩き足りないですからな。・・・しかしこの陀羅尼によると馬頭様は太陽と同一人物なんですね。(それは馬頭観音の由来がヴィシュヌ神であるとの説明がなされることもあるからだそうです)

2009年2月2日 10:23
今日の遠野物語拾遺 「これは維新の頃だと思われるが、油取りが来るという噂が村々に広がって、夕方過ぎは女子供は外出無用という御布令が庄屋肝入りから出たことがあったそうな。毎日のように、それ今日はどこ某の娘が遊びに出ていて攫われた、昨日はどこで子供がいなくなった、という類の風説が盛んであった。ちょうどその頃川原に柴の小屋を結んだ跡があったり、ハサミの類が投げ捨ててあったために、油取りがこのハサミに子供を刺して油を取ったものだといって、ひどく怖れたそうである。油取りは紺の脚絆に同じ手差をかけた人だと言われ、油取りが来れば戦争が始まるとも噂された」

2009年2月2日 9:59
今日の警言 (前461年、アルキビアデスのアルゴス急襲に際してアテナイがメロス島の代表に送った使節)  我々は君らの市民に直接語りかける機会を与えられていない。なぜならば、大衆は立て続けに話されると巧みな弁舌に惑わされ、事の理非を糾す暇もないままに、一度限りの我らの言辞に欺かれるかもしれないとの恐れ(それゆえ我々は君ら少数の選ばれた者を招集したのだ)があるからだ。さればここに列席する諸君に、さらに万全を期しうる方法を提案しよう。この会談が一度限りの一方的な通達に終わらぬよう、君たちの一つの論に私たちが一つの弁で答える。我らの言葉に不都合なりと覚える点があれば、直ちに遮って理非を糾して貰いたい。まずはこの点に満足か答えて貰いたい」
(それに対する返事) 「冷静に互いに意志を疎通させる、という貴君らの意図は正道に反するものでなく、文句の付け所が無いが、これから戦争が起こり得るかもしれないどころか、すでに戦さが目下に迫っているという現実の前で今言われたことは、空疎としか思われぬ。まるで貴君らは裁判官のように立ってこの会談に臨んでいるのであり、またこの会談の結末は二者択一でしかありえぬのだ。且つ、仮にわれらの主張が勝ってわれわれが何物も譲らなかったとしたらそれは戦さを意味し、我々が言葉で破れれば隷属に甘んじる他は無いではないか」 (トゥキディデス『戦史』 ・・・実際にメロス島の住人はこの直後アテナイの軍勢によって虐殺された)

2009年2月2日 6:36
今日の警言 「たとえば私は思うんだがね、靴作りは靴を作るとき、丸や四角、もしくはさまざまな形の道具を使って材料の皮を切るね」 「はい」 「その靴作りの職人と切る時に使う道具は別個の存在だね?」 「もちろんです」 「ここで主眼としたいのは意志を持って道具を使う者とその道具との関係についてなのだが」 「はい」 「では聞こう。靴作りは皮を切るとき手も使うね」 「そりゃそうです」 「目で見ながら物を切るね」 「その通りです」 「で、君と私は先ほど使用者自身とその使用する物は別物だと言うことで同意したね。それには君は賛成だね」 「はい、そう同意しました」 「では、靴作りという人間は彼が仕事のために用いる道具と同様に、手や目とも別物だということになるのかね」 「うーーん、明らかにそうなります」
「ではその考えを発展させると、そもそも人間は自分自身の身体とは別物だ、ということになるのかね」 「そのようです」 「人間とはそもそも何なのだ?」 「分からなくなってきました」 「分からないなんてことがあるか。少なくとも身体を使う物であるとは言えるんだよ、君には」 「そうですか」 「人間の何が身体の各部分を使うのか。それは魂(プシュケー)ではないのか。どうなんだ、君」 「まさにそうです」 「魂こそ身体の支配者であるね」 「はい、そうです」 「そしてだね、君。誰も異論が無いことだと思うがね、この点は」 「何でしょう」 「人間とは何か。人間とは魂か、身体の各部分の総和か、もしくはその両方を合わせた物か」 「うむ」 「でも我々は身体を支配する物が魂だと同意した。身体は身体を支配しないからね」 「はい」
「では身体は人間とは切り離されるべきものか?」 「いえ、魂と身体の各パーツが組み合わさって人間という物ができあがっているのでしょう」 「何を言うか君! 2つのうちの一つは支配にあずかっていないのだよ。その二つが一緒になったところで、支配なんてできるものか」 「はあ」 「つまり人間とは純粋に魂そのもの以外の何物でもないといえるのだが、これ以上のはっきりとした証明は必要かね」 「いえ、その必要はゼウスに誓ってありません。いまの先生のお言葉で十分です」 「では、さらに言うけれども、人の身体の調子を気づかう者は、部分を気づかっているだけで、その人自身を気づかっていないことになるね」 「そのようですね」「君は大層美しいが、君のハンサムを恋い慕う者がいても、それは君を恋したわけでなく君の所有する何かに惹かれているだけになるね」 「おっしゃるとおりです」 「君は大層モテモテだが実質君の美しさに惚れるのは間違いなのだ」 「えーーと」 「君を真に愛するとは君の魂を愛することだから。身体の花盛りはたちどころに退散してしまうものだ」 「それはその通りです」 「では断言しよう。私こそ退散しない者だ。君と変わりなく交わる者なのだ。君の美の花盛りが過ぎて皆が去った後もだよ」 「先生っ!」 「いいかね君、君の実情はこうなんだよ。クレイニアスの子アルキビアデスを真に愛している者は実はいない。たった一人を除いては。その例外がこのソプロニスコスとパイナレテの子であるソクラテスなのだ。君はそのことに満足しなくてはならないし、その美も保たねばならないね」 (プラトン『アルキビアデスⅠ』)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ムガル皇帝歴代誌』。

2009年05月20日 04時13分19秒 | 小説・漫画


現在描いているムガル帝国初代皇帝ザヒール=ッディーン・ムハンマド・バーブル・ミールザー

相変わらず宿題が何件も重なっているのに、新規の記事を書いちゃってスミマセン。
絵もなかなか描ける時間を取れないのですが、とりあえずpixivには3点の絵を上げました。で、そこで「インドの帝王シリーズを描こうと思う」と言ってみて、「イランの大帝王シャー・アッバースに「抱いて」と言おうとしたインドの大帝王ジャハーンギールの絵」を描き始めたら、その途端に、さっき本屋に行ったら『歴代誌』シリーズの最新刊、『ムガル皇帝歴代誌』が並んでいて、びっくらこいた。創元社刊、4200円(税別)。
前巻『古代エジプト女王・王妃歴代誌』が出たのは1年前だよ。あれが最終巻だと思っていましたのに、年に1冊ずつ刊行するつもりなのかな。それにしてもどれだけマイナーな道を突き進むつもりなのだ歴代誌シリーズ。そしてなんてタイムリーなのだ。以前私が個人的に「ローマ教皇と聖マラキの予言リスト」を作成していた時(1999年)に『ローマ教皇歴代誌』が、ヘンデルのオラトリオ『ユダ・マカベウス』の記事を書いていたとき(2000年)に『旧約聖書の王歴代誌』が出た事を思い出しました。次こそ『古代オリエント諸王歴代誌』もしくは『神聖ローマ皇帝歴代誌』だッ。

この本の表紙のこの絵は「ムガルの皇帝バーブルに帝冠を授けようとする超大帝ティムール」を描いた物だそうで、当然中央がティムール大帝、左の人物がバーブル帝。それから右側の人物はそれを見守るフマーユーン帝(=バーブルの息子)だそうです。この絵が描かれた年代を大体推定できますね。

「インドの歴史」といっても、よほどの歴史好きでも愛好している人は少ないと思います。ところが本を読んでみると、これが滅法おもしろいんですね。特に「中世」に相当する「デリー=スルタン朝時代」。次々に新しい征服者が現れては新王朝を繰り返していく様子は、アングロサクソンの歴史や三國志・五胡十六国の時代が大好きな人間にだったら堪らないものがあるでしょう。インドの歴史は混沌と暴力と不透明性の連続で、それに人の統制の及ばないカースト制度や酷い暑さや複雑な宗教慣例や強烈なスパイス臭などが組み合わさって、非常に強烈な性格を醸し出しているのですが、それでもなお、一方でインド史は非常な英傑に大変恵まれた世界であるのです。
13世紀~15世紀のデリー=スルタン朝時代がまず大変な英雄時代なのですが、それに先立つ8世紀~10世紀はパーラ朝・プラティハーラ朝・ラーシュトラクータ王国の三國志状態であり、それぞれ個性ある君主が頻出しておもしろい。10~12世紀は南インドにおいて強大なチョーラ王国とチャールキヤ王国の抗争が起こっていて、これも面白い。征服者であるトルコ民族はアフガニスタンの方向から入ってきましたが、アフガニスタンに成立したガズナ帝国の面々は、アフガニスタンなのにインド史の方に組み入れられていて面白い。ガズナの後を次いだゴール朝は逆にトルコ王朝なのに、バグダッドの影響を大きく受けているため、微妙な位置づけです。で、そのトルコ・アフガン民族から侵入された側の古来からのインド民族のことをこの時代「ラージプート」と言うのですが、本には「ラージプートの人々は戦争をスポーツだと見なしていた」とか書いてあって、これまた目を引くのです。
わたくしたちのイメージの中のインドとは、どうしようもないドロドロとしたカリーのような混沌の大地だと思うのですが、意外なほどインドの歴史上の出来事を思い浮かべること、釈迦やアショカ王やラーマーヤナやカーマスートラや大航海時代や植民地時代のインド(セポイの反乱)等の「世界史の教科書で習った」わずかな物を除いては、イメージを重ね合わすことは難しいでしょう。だが、その「新規感」を取り払えば、あの厳格で閉鎖的な身分制度があるにかかわらず、インドの英傑たちのなんと生き生きしていることか。まさにインドは中国史に劣らず、英雄に満ちあふれた世界です。人を見るだけでも、(中国や日本に比べても困難に満ちあふれている世界であるがゆえに)十分に楽しい。
わたくしはこのインドの歴史にかなり前から惹かれておりまして、10年ぐらい前には硬軟に優れた魅惑的なスルタン(=インドでは正確には“パードシャー”(大帝王)といいます)、フマーユーン帝を題材にした拙いホームページまで作っていたことがあります。
残念ながら私の悪いクセで、いつもの如く、一番大事なところに入る直前で制作を放棄してしまっていることが惜しいところですが、その後、大好きな「歴史フリークス」さんのジョンケ欠地王ファンサイトで、「フマユーンの物語」が公開されていることを知る。これを見ると、私の目の付け所は全く間違ってなかったじゃん。ばんじゃーーい。(あとはですね、“神聖ローマ帝国”の小説サイトも作っていたことがあるんですヨ)
そして歴史フリークスさんにはこんな手の込んだ動画まで!(ゲーム動画ですが)。バイラム・ハーンすげえ! ムガル兵すげえ!(騎兵だらけ)。そしてヌコ!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コレン、ガンダムと叫ぶ。

2009年05月03日 11時17分44秒 | 今日の、エウクストロネラ

「エークストネッラ」ってのは、「わたしがふと気になった変な物」「なんでこの人がこんな事を!?」って意味でして、別に名言集を集めているわけではないので、念の為。

2009年2月1日 22:34
◆今日の警言 「やめろ、こんな茶番! 天狗とは三界に家なく自在に飛行するものだ。人であった居所から去った者の名だ。人の世より見れば天狗とはいなくなった者なのだ。人の世に国をつくれば我々は天狗ではなくなってしまう。いないはずのものが居場所をつくるなんてナンセンスだ」(黒田硫黄『大日本天狗党絵詞』)
 
2009年1月30日 23:03
◆今日の警言 「資本主義は生産力を過度に発展させたことによって解決の出来ない矛盾におちいる。競争の激化は中小の私的所有者の大衆を零落させ、彼らをプロレタリアと化し購買力を低下させる。その結果、生産された商品の何割かが買われなくなる。また生産を拡大するための工場という場所の巨大化がそこで働く人々によって社会的役割を希求されることとなるが、その所有者が依然として資本主義的私有のままであるために、資本主義は結局自分自身の土台を掘り崩すことになる。こうした矛盾は、周期的な過剰生産恐慌として表れる。そのとき資本家は自れの作り出した住民大衆の零落によって自分たちの商品に支払い能力のある需要を見いだせなくなり、結果、生産物を焼き製品を破棄し工場を停止して生産力を破壊することを余儀なくされ、一方住民は商品の不足ではなく過剰生産によって失業と飢餓に苦しむ」(ヨシフ・スターリン『弁証法的唯物論と史的唯物論』)
 
2009年1月30日 21:19
◆今日の警言 「日本の兵法は小競り合いに向いている。血戦を主眼としていて謀略は少ない。その国土は勇気ある者を育てるが、命を捨てて敵を砕くことを第一の戦法とするので鉾先は鋭いが作戦は荒く進退の妙は図りがたい。唐山(から=中国)は理と法を重視して謀計の種類が多く、自重を第一義とするゆえ、その軍立ちは堂々としているが血戦においては切り込みが鈍い。両国の軍記を読めば鋭鈍の違いはまざまざと分かるし、寛永の頃、渋田八右衛門と濱田弥兵衛ら9人が台湾において阿蘭陀のゼネラルに捕らえられてそれに仕えた例、また安永中に私が肥前の鎮台館に遊んだ時、長崎在住の唐人61人の叛徒と斬り合って、15人の手勢で討ち取ったことによってみずから知り得た実感である」(林子平『海国兵談』)
 
2009年1月30日 17:36
◆今日のステキな皇帝 「数日後、援軍のサイード・ムハンマド、ミールザー・ドゥグラト、アイユーブ・ベグチクらが700~800の兵と共にやってきた。私たちはすぐさまホジャンド籠城をやめ、出撃してカンディ・バーダームを通り過ぎて3ユガチ進み、夜を待って城壁に梯子を架けてナスーフ城を落とした。メロンの熟するときであった。ナスーフには有名なメロンがあってイスマーイール・シャイヒーと呼ばれていた。皮が黄色でシャグリーン皮に似たざらざらとした良いメロンである。種子はリンゴのようで果肉は4エリクもある素晴らしいもの。匹敵するものは周辺では産出されない。翌日、モグールのベクたちが、「我々は少数です。この一城を獲ったとて我々には何も出来ないでしょう」と上奏してきた。まさにその通りであったので我々は引き返しホジャンドの守備を固めた」(ザヒールッ=ディン・ムハンマド・バーブル『バーブル・ナーマ』、1497年5月)

2009年1月29日 20:55
◆今日の警言 
「西洋の人民の権利が鉄の如しであるとすれば、日本の武士の権力はゴムに喩える事ができます。相対する物に応じて伸縮自在になるのです。下の者に接すれば大いに膨張し、上に接すればとみに収縮します。これを武家の威光といいます。抑圧される小民は気の毒ですが、武家社会においては上下に至るまで利益のある体制です。ただ利益があるだけでなく、この上下関係はよく整斉されていて条理が美しい物です。派閥の中では下の者は卑屈で醜態を見せますが、その下士でさえ表相的な武家の威光を己が栄光と感じているのです。個人の誇りを捨てて自らの醜態も忘れ、別に一個の条理を作ってこれに慣れてしまいます」(福沢諭吉『文明論之概略』)

2009年1月29日 20:31
◆今日の警言 「バーク氏はフランス革命について見るも恐ろしい情景を様々と描き出しているが、にも関わらず、この革命を他の国々の革命と比べてみる時、フランスの革命がごく僅かな犠牲しか払っていないことに人々は驚くであろう。その驚きの気持ちも、破壊の予定目標が人ではなくて原理であったことを反省すれば消えて無くなるに違いない。フランス国民の心は一個の敵の滅亡ではもたらし得ない崇高な征服を求めていた。犠牲となった僅かな数の人々にしても、特別に冷酷無情な復讐心でもって選び出された者はひとりとしてなく、いずれも時の事情によって非運に巡り合ったのである」(トマス・ペイン『人間の権利』)
 
2009年1月29日 1:42
◆今日のポオ 「予言をする者よ! と私は言った。悪なる者! 鳥か鳥の姿をした魔人か、ともかく預言者よ。わが頭上に穹窿なす天に誓って、われわれが共に崇める神に誓って、悲しみと心の重荷に悩む私に切に教えて欲しい。遠いエデンの園で天使たちがさざめきながら「レノア」と名づけたあの美しい乙女を、天使たちが名付けながら久遠の祝福と共に光輝く姿を与えた乙女、あのレノアを、この私の深い魂が脈打つこの胸に抱ける日が来るかどうかを! 鴉は答えた。「カア!(=意;またとなけめ)ペンギン」」(『大鴉』)
 
2009年1月29日 0:32
◆今日の警言 「人間の政府が単なる理性よりももっと堅牢な根底をいかに必要としていたか。そして、自由勝手に行動するという忌まわしい権利を臣民から取り上げる、あの神聖で犯すべからざる権限を主権に与えるために神の意思が干渉することが、公共の平安にとっていかに重要なことだったか。宗教が人類に対しこの善事しか行なわなかったとしても、それだけで、すべての人間が宗教を多少の弊害をさえ含めて深く愛し、採用すべき理由としては十分であろう。美しい宗教は狂信が流させる血よりも遥かに多くの血を節約してくれるのである」(ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』)
 
2009年1月28日 4:28
◆今日の警言 「まず正しい指使いを身体に覚えこませ、正しい拍子を取れるようになり、音符もまず間違いなく弾けるようになったら、初めて解釈に留意させるようにします。そこまでできるようになった時点で、もう小さな誤りでは途中でやめさせるようなことをせず、全体が終わってから注意を言うのです。僕はピアノの稽古というものをあまりやっていないが、この方法を守ってきました。これは音楽家を育成する近道であり、それがまた結局は芸術の主目標のひとつでもあるのです。そしてこのやり方は教える方をも弟子をも退屈させない」(ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、弟子のチェルニーへの手紙)
 
2009年1月28日 3:48
◆今日の警言 「ライオンがしばしば創造主プロメテウスに泣き言を言った。確かに私は美しく逞しい。顎には立派な牙が、手には鋭い爪があって獣類の中では最強です。「なのに私は鶏が怖いのです」。プロメテウスは呆れて言った。「どうしてそんなことで余を責めるのか。お前には最上の物を与えた。そんなものにおじけるとは、それはお前の心の弱さの問題だ」。そう言われてライオンは情けなく思い、悩みに悩んでとうとう死にたいとまで思い詰めるようになった。そんな頃ばったりと象に出会い、象が絶えず耳をバタバタさせて落ち着かなげな様子をしているのを見て、何か悩みでもあるのかと尋ねた。「こいつだ、ちっぽけなブンブンいう奴が見えるだろ。こいつが耳の穴に潜り込んだら僕は死ぬのだ」。それを聞いて、「死ぬのがばかばかしくなった。俺は何と言ってもライオンだし、鶏が蚊よりも強いだけ俺は象よりも幸せなのだ」とライオンは思った。」(アイソポス)
 
2009年1月27日 2:34
◆今日のえっ!? 「私の聞いた所によると、スペインでは自分が本来何の権限も持たぬ土地で、ただ土地が広大であるという理由で、平気で耕作し、種を蒔き、収穫することが許されているといわれている。それどころか、住民は放棄され荒廃した土地にわざわざ労力を費やし畑を切り開いて価値を生み出した者に対して、感謝の念を示さねばならないという。しかしそのような事実はどうというほどのことではない。私の言いたいのは、「人は、自分が利用できるだけの分を持つべし」という法則がいまもなお通用していて、それにより混乱が起こることはまず無いということである」(ジョン・ロック『市民政府二論』)
 
2009年1月27日 1:51
◆今日のダンセイニ卿 「あるとき酒場で人と〈死〉が出くわした。人が機嫌良く入ってきたとき、〈死〉が挨拶もせずワイングラスに顔を沈めて座っているのを見つけて、人は語りかけた。「おいおい、俺たちは昔から仇同士だが、まだ俺は負けを認めてはいないよ」。しかし〈死〉は無愛想にただ盃を見つめながら黙りこくるばかりだった。人間はつとめて陽気に語りかけた。「そんなに落ち込むなよ。いいじゃないか、勝ち負けは時の運だよ」。しかし〈死〉は相変わらず陰気に、気難しく、安酒を啜りながら顔を上げようともしない。人は、獣であろうと神であろうと、陰気にしている者がとにかく嫌いだった。彼は〈死〉を元気付けたく思った。「あんたはディノテリウムを殺したじゃないか。月を消したじゃないか。凄いことさ。あんたはきっとこの俺だって負かすだろうさ!」 けれど〈死〉は乾いた吼え声をあげて泣くばかりで、ひとことも言い返さなかった」
 
2009年1月26日 4:58
◆今日の警言 「愛のはじめは義のはじめである。愛の生育は義の生育である。愛の素晴らしさは義の素晴らしさである。愛の成就は義の成就である。しかしそれは「清き心と良き良心と偽りなき信仰とより出ずる愛」においての場合である。愛は、この世に於いては、そのために命を蔑むとき初めて完成の域に達する。しかし一方で、どこにまたいつなんどき絶対的完成の状態で存在しようとも、愛が存在するのはただ我々の心の中に於いてのみであり、「我らに賜ひたる聖霊によって我らの心に注がれ」、我々の中に存する自然や石の諸力によるものではない」(聖アウグスティヌス『省察と箴言』)
 
2009年1月26日 4:00
◆今日の名宰相 「伊藤さんは李鴻章より智慧があるヨ。けれども李鴻章を見なさい。敗戦国のなんのと人は嗤うけれども、世界という大舞台の上からは李鴻章の方が大モテではないか。伊藤さんの目の付け所と李鴻章の目の付け所が全く違うからだよ。李鴻章のような狸老爺は、なかなか酢でも蒟若でも喰えた物では無いよ。みんな李鴻章を耄碌したと思っているから、だから李鴻章にしてやられるではないか。俺の目から見ると、老いてますますさかんなりというところだよ。あれは今日まで支那一国を背担うて立ち、外国人からはずいぶん手酷い目に逢わされて、段々と練り上げたからのことだよ。李鴻章は今年73だよ。丁度俺と同じ歳だヨ。それでもあれは今度の露国皇帝の戴冠式にのこのこと出掛けて行くよ。ナントえらいぢゃないか」(勝海舟『氷川清話』)
 
2009年1月24日 8:50
◆今日の、なるほど!魚か! 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地が無い。どんなに貧しい人でも、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。しかも気候が素晴らしい。この国はいつも春の如きで、暑さにうだることも寒さを嘆くことも無い。しかし、にもかかわらず、日本人は他のどの国よりも皮膚病が多い。疥癬を病んでいない下僕を見つけるのに苦労するほどだ。この病気の原因を探るには実に苦労した。いろいろ見聞したことから推量するに、唯一の原因は日本人が米と同様に主食としている生魚(刺身)にあると断言できると思う。疥癬なだけに、海鮮食物が元凶なのである」(ヨーハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』)
 
2009年1月24日 6:46
◆今日の名宰相 「若槻礼次郎は旅行中の印象的な一コマを回想している。西園寺が奉天で盛京将軍趙爾巽ら大官を招いた午餐会の席で、駐屯軍の司令官である末座の将軍が趙爾巽に対して何か話しかけるつもりだったのだろう、大声を張り上げて「将軍ッ」と怒鳴った。この蛮声に和やかな宴席の空気が破られた。園公の顔色がサッと変わったかと思うと、「なんだ貴様ッ!」と一喝した。それは昔なら「無礼者、下がりおろう」というような名調子で、まるで名優の芝居を観る様な感じだった。一座はシンと静まり返った。以後、その地方の日本人の中国人に対する態度が一変したという」(岩井忠熊著『西園寺公望~最後の元老~』)
 
2009年1月23日 9:43
◆今日の警言 「もしあなたが隠喩的解釈なしに、アダムの体が湿った土から作られそれに魂が吹き込まれたとか、エヴァが肋骨から作られたとか。世界創造のはなし(ヒストリア)の全てを表面の下にあるものを探求せずに読むならば、奸計で火を盗んで土でこしらえた像に魂を吹き込んだプロメテウスの歌を歌う以上にどれほどの益があるかわかりません。しかし、もし隠喩を無視して、母の胎内で争いあった嬰児とか、レンズ豆のあつもので長子の権利を売ったとか、父親の祝福をごまかして盗んだとか、ダヴィデの石投げで敗れたゴリアテとか、サムソンが髭を剃り落とされた話とかを読むならば、それは詩人(ポエティクム)の作り話を読んでいるのと変わりは無いでしょう」(エラスムス『キリストのさむらいの脇差し』)
 
2009年1月20日 14:04
今日の警言 「党を組んで争うことは元老院においては危険であり、貴族団体においても危険である。しかし、情熱によって行動するのが本性である人民においては、それは危険ではない。人民が統治の中で何の役割も持たないような国家においては、人民は一俳優に対しても、公務に対してそうしたであろうと同じように熱狂するだろう。共和国の不幸は徒党を組んで争うことがもはやなくなることであり、これは人民が金銭で買収されたときに生じる。人民は冷静になり金銭に愛着を感じるが、もはや公務には熱心ではない。統治についても政治上の問題に関心がなくなり、人民は静かに自分の給料を待つだけになる」(シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー『法の精神』)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーバーキル城。

2009年05月02日 21時24分07秒 | ラーメン

この会社に厄介になって2年目ですが、ゴールデンウィークの大変さは体感としては去年の半分ですね。去年はスタッフが5人いても手が足りなかったのに、今年は4人で余裕余裕。むしろ「俺、今帰っちゃっても誰も困らないよね」、と思うくらい ・・・でも、去年の方が楽しかったよ。嗚呼、嘆息。

 

5月28日 蔵前家(細江町中川聖隷三方原病院前)

9度目の訪問。ラーメン(650円)に「白ネギ」(100円)をトッピング。
味はふつうで「麺かため」で。
「白ネギというのはきっと“白髪ネギ”のことだろう」と思っていたら、違いました。普通の輪切りのネギだぞ。前回の青ネギトッピングとの区分けは、、、。

5月25日 蔵前家(細江町中川聖隷三方原病院前)

8度目の訪問。
チャーシューメン(850円)に青ネギ(100円)を追加。味濃いめ。
うーーん、写真じゃチャーシューが見えないですね。この日も赤身っぽいチャーシューだったです。日によって違う。この店ではネギのトッピングでは「白ネギ」と「青ネギ」があるのですが、どう違うのかと。青ネギはポリポリと歯応えがあって美味かったです。このスープは生タマネギでも生キュウリでも合うと思うですよ。私が青春時代を過ごした伊豆下田での「宝来家」では生タマネギの味がしたことを懐かしく思い出すです。次は「白ネギ」だ!

5月17日 リンガーハット(サンストリート浜北店)

皿うどんを食べてみました。

 

5月17日 来々軒(伊佐地町)

6度目ぐらいの訪問かな。
塩忍者(700円)。

5月14日 蔵前家(細江町中川聖隷三方原病院前)

7度目の訪問。

5月11日 らーめんカフェ ワコー(舘山寺町)

4度目ぐらいの訪問?

5月8日 日歩美(旧浜北市中瀬)

2度目の訪問。

5月7日 蔵前家(細江町中川聖隷三方原病院前)

6度目の訪問。
今日は車を店の前ではなくて隣りに停めたのですが、降りた途端に店から噴出してくる猛烈な豚の香りにとても幸せになったのでした。まさに家系のニオイ。山岡家程度で文句言うなや。豚インフルエンザって何ですか。こんなに豚の匂いを愛する私が真っ先にそれに罹ってしかるべきだと思う。でも、周囲が茶とミカン畑なことにほっとする。
チャーシュー麺(850円)を「味濃いめ」にしてキャベチャー(100円)を投入。
やっぱり濃い目が良いわーー
今日はキャベツを加えてみたため、キャベツラーメンの理想型・伊豆の吉田家やじぇんとる麺と心の中で比較しながら食べてしまいました。
近江源氏の六角一族の血を引く蔵前家の一番の特徴はスープがまろやかで優しすぎることで、関東平氏(吉村家)の流れを汲む吉田家のしょっぱい物とは正反対。長泉町のじぇんとる麺はややこっちに近いと思う。
ただし、吉田家もじぇんとる麺もキャベツのもっと中ぐらいの根元の固いゴリゴリした部分を使っているのです。それと比べると、このキャベチャーはキャベツの柔らかい縮れた甘みのある部分を使っていて歯応えが優しすぎてやや物足りない。一方で、吉田家の強いスープにあの固いキャベツ、六角家の優しいスープに柔らかいキャベツ、ちゃんと計算されて加算されているのかな、とも考えました。いろんなサイトの「キャベチャーの作り方」を読んでみると、わざわざ手で揉んで柔らかくして、芯の部分はわざと使わないみたいだな。六角家系のキャベチャーと吉田家の白堅キャベツ、どっちが先に世に現れたのか、私はよく知らないのですが、そもそも「キャベチャー」で画像検索すると本当にいろいろな形態のものが出てきますからね。「六角家」の系統に限った物ではないのかもしれない。吉田家ほどガンコな物は他に無いみたいですけどね。
ま、前回のキャベチャより白かったので私はなんとなく満足。「あなたがキャベツのどの部分が一番好きか」なんて問われてもその答えは本当に人それぞれだと思いますから、理想のキャベチャーを生み出すのは大変な事だと思います。が、「ラーメンとキャベツ」の組み合わせに関して「吉田家もしくは松福が最高」だという私の思い込みは、絶対に他者には譲れない。ともかく、生のシャキシャキのキャベツを鶏油たっぷりの家系の濃いスープに十分にひたして食べる瞬間、それが私の最高の一瞬なのでございます。
チャーシューも以前のと同じ、脂身が絶妙に入った物に戻っていました。この差異が、私が前回「味薄め」を頼んだがゆえだったとしたら、私はスゴイと思います。まだ「油薄め」を注文したことがないんですけど、一度試してみなきゃ。

 

5月2日 麺匠 藤田屋(三方原町)

3度目の訪問。
「土日限定」だという塩ラーメンは、いつも土日が仕事な私にはこれまで食す機会がなかったのですが、今日チャンスが出来たのでそれを味わいに。
「特製塩ラーメン」(1030円)を注文。
少々高いと思ったりはしますが、「特製」には普通の塩ラーメン(730円)に味玉、ワンタン、2種類のチャーシューが盛り上げられています。

この藤田屋は、私の中のラーメンの理想像とは全く正反対の形態美を追求する「佐野実の支那そば党」の一派です。私は本当に佐野実という人間が心の底から大っ嫌いなんだ。
佐野実とその郎党が作るラーメンは、一般には、「最高級の具材を使った高いだけの普通のラーメン」と評されております。ぺっぺっ。
でも、“ラーメン不毛の地”と言われる浜松に何故かその佐野実の弟子の店がふたつもあるのはなぜだと私は思っていますし、そんな大嫌いな佐野実党のラーメンにどうしてか関心を覚えている自分に対してどうしてだと思う。

 

5月1日 山岡家(有玉店)

「ホンモノの家系」たる蔵前家が満を持して浜松に招来されて以来、私としては初めて、「ニセモノの家系」の象徴、山岡家に行ってみました。感無量。このラーメン不毛の地・浜松で家系ラーメンの食べくらべができるなんて。
醤油ラーメンのチャーシューメン(820円)に味玉(80円)をトッピングして、「味濃いめ、他はふつう」で注文。

もともと味の濃い山岡家なんですが、「味濃いめ」はさすがに濃いや。蔵前家は味濃いめにして初めてちょうど良い具合なのですにね。なんだか「いと高い野生の王国というフレーズをしきりに思い起こしました。味の濃いのが好きな私でも驚嘆するほどでした。ただ、「油」の方まで濃い目にしたつもりはなかったのに、味を濃くすると油まで自然に増量されてしまうらしくて、その油の味に中盤辟易しました。が、終盤はやっぱり美味しい印象だったので無問題。同じ家系でも山岡家と蔵前家は完全に差別化がなされることが可能であると思う。当たり前のことですが、嬉しいことだ。
次は「味濃いめ、脂少なめ」にチャレンジしてみよう。
山岡家は脂を少なくすると途端にコクまでもが減少するんですけどね。

山岡家の最大の魅力はこのチャーシューである。味が染みていて最高級に美味い。歯応えも最高。赤身と脂身のバランスと味わいも最高。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする