2009年4月2日 13:32
◆今日の尊良親王 「(建武二年の内裏の千首歌会で、夏の動物を詠んで) 時鳥なきつとかたる人あればけふをはつ音といかが頼まむ」 ・・・ホトトギスを聞いたという人がいたが、たったオレが今ここで聞いたホトトギスのことを初音だということにしてかっこ付けたいです。誰かなんとかしてくれませんか。・・・って解するのが無難だと思いますが、この建武二年の歌会っていうのは建武の新政府が権威見せつけの為に大々的に再建した大内裏のためにおこなわれたものだと思うので、その頃の諸問題噴出の事情を考え、尊良が時鳥を父後醍醐に譬えた物だと思えば、解釈は微妙にひっくり返ったものになります。尊良の焦りの心。 。 ・・・いやちがう、「時鳥」というのは「新政」のことで、古今政治改革を唱える物は数多くいたが、真の新政は後醍醐がやったものが唯一だ、と尊良は言いたいのだと思う。
2009年3月1日 17:10
◆今日の警言 「意識現象を思うに解釈に苦しむのは、時と場合によって次々と変わりゆくわれわれの意識という活動が、結局何処から起こって何処に去るかという問題です。しかしこの問題もつまり、物には必ず因果応報がなければならぬと思い込む因果律の欲求より起こるのですから、この問題を考える前にまず因果律とは何かを攻究しなくてはならないのです。普通には因果律という物が存在しうる背景には何らかの超常的な大きなものの存在を想像してしまいがちになるのですが、正しくはヒュームの言ったようにある現象が起こるにはただ必ずこれに先立つ一定の現象があるというだけです」 (西田幾多郎『善の研究』)
2009年3月1日 4:25
◆今日の尊良親王 「(建武二年内裏千首哥中に) 夏衣たつ日にかぎる花染の袖のわかれぞしたふかひなき」 ・・・(意);夏にお別れした貴方の花染めの衣の色ばかりが目に焼き付いている。もう貴方を慕っても会うことはできない。・・・なんと! また故・護良を偲んだ歌だ。前の歌と同じ時に詠んだものですね。きっと父・後醍醐が死んだ息子に見せた哀惜が少なかったので敢えて尊良はこう読もうとしたのでしょう。(と、私はそう解釈する)。「日にかぎる」の部分が「その日を限りに」という意味と「陽炎(かぎろふ)」に譬えた弟のことと「翳る」=死と、そもそも「花染の袖」が天皇のことだとして「分かれて太陽を見限る」存在として異端者として抹殺された弟に共感していることを言っているのです。
2009年3月1日 3:46
◆今日の尊良親王 「(建武二年内裏千首哥中に) 吹〔く〕風の つらさにのみはなさじとや さそはぬひまも花の散〔る〕らむ」(『新葉和歌集』春哥下) ・・・(意);風がまだまだ冷たいので貴方を花見に誘わないでいたが、そんなことしているうちに既に花が散ってしまう。・・・ここでのポイントは「風のつらさにのみ」だと思うのです。何が「のみ」なのか。「のみはなさじ」が「辛さにのみは為さじ」であるべきところ、「身離さじ」に読ませるところも巧みですし、安楽に暮らしている自分の身に対して世の流れが急激に変わっていることを伺わせて、注目すべき歌ですね。建武元年11月に逮捕された弟の身を案じて詠んだ歌ですね。彼が最も愛した弟・護良親王はこの半年後に鎌倉で足利直義によって殺害されてしまいます。
2009年2月27日 9:13
◆今日の尊良親王 「(天皇から遠く離れてしまった頃に、禁中の花を偲んで詠んだ歌) 又やみむなれし御かきも思〔ひ〕やるほどは雲井の花の盛〔り〕を」(『新葉和歌集』春哥下) ・・・「なんか暗号みたいだな~」「どこで切るのや」と思うばかりで読解の自信が無いのですが、敢えてしてみます。「また考えることを止めることが出来ぬ。後醍醐天皇が手づから植えられた(為れた)御垣も見事に育って(熟れて)雲に届くばかりに華々と絢爛に花が乱れ咲いているであろうか」 ・・・会うことのできなくなった弟たちのことを思っているのでしょうか。
2009年2月26日 20:03
◆今日の警言 「『わが闘争』の主要テーゼは簡単である。つまり、人間とは戦う動物である。ゆえに闘う者が結集した国家は戦闘単位でありうる。生きる者が闘うことを中止するならそれは滅亡する運命にある。民族の闘う能力は純粋さに左右される。国家にとって必要なことは外国に由来した汚辱を取り除くことにある。ユダヤ民族はその普遍的妥当性のため必然的に平和主義者であり国際主義者である。平和主義は大罪である。平和とは民族性を抹消することを意味するからである。ゆえに、国家が国家として一番なさねばならぬことは、国民大衆全員を国家主義的にすることである」 (ウィンストン・チャーチル『第二次世界大戦』)
2009年2月18日 13:06
◆今日の警言 「ピューリタンがもっとも熟読している諸篇、すなわちソロモンの箴言や幾多の詩篇に記されている、ヘブル人が神のみを思い、しかも醒めた目でもって眺めた処世訓の与えた影響は、彼らの生活の雰囲気のあらゆるところから見いだせる。わけても彼らの最も理性的な部分、すなわち宗教的興奮もしくは感情そのものを全て抑制できるという彼らの長所は、すでにサンフォードが正当にも指摘しているように、旧約聖書の影響に由来しているのである。もっとも、旧約聖書の中に見いだせる合理主義それ自体は本質的に小市民的な伝統主義の性格を持つものだった」 (マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)
2009年2月18日 12:00
◆今日の警言 「あるとき、私の教えている公爵の弟(諄之介、10歳)が、私に刀が欲しいと言ってきました。彼も身分に相応しいそれなりの格好をしたいと思ったのでしょう。私ももっともだと思い、いつものように公爵(=島津忠重、当時15歳)に相談しました。しかし驚いたことに、公爵(15歳)はひどく感情を害した様子を見せました。公爵(15歳)は弟(10歳)が刀を持つことなど全くの問題外だと考えていたのです。どうしてかと尋ねますと、公爵(15歳)曰く、刀を所持するには高潔な人格を備えていることが必要不可欠である。弟(10歳)がはたして適格であるかどうか甚だしく疑問である。・・・結局私の訴えによって諄之介候(10歳)は兄(15歳)から刀を贈られたのですが、兄(15歳)から「武士の魂を持っているかどうかはお前の生涯を通して実証しなければならない。証しのあるまで刀は抜くべからず」と諭され、それ以後、弟(10歳)殿下には目に見えて変化が起こったのでした」 (エセル・ハワード『明治日本見聞録』)
2009年2月16日 9:21
◆今日の尊良親王 「(侍りける中に、春天象を・・・) 花鳥の 色にもねにもさき立て 時しるものは霞なりけり」 (『新葉和歌集』春哥上) 明智光秀の「時は今、雨が下知る~」と対比させるべき。雨と霞。「花鳥」の花とは花園上皇で、鳥が後伏見上皇だという説があります(ウソ)
2009年2月15日 1:13
◆今日の警言 「革命とは賽を投ずることです。支那はすでに1911年にルビコン川を渡っているのです。戦わなければ滅びる。ナポレオン翁は偉人でしたがイタリア遠征に際してその兵に諭して曰く、貴兄らが国に対する功は大きいが国にはその功に報いる力が無い、金が無い、と。対露一戦は憲政擁護者を喜ばせ天狗にさせましたが、支那において未来を見据えるとき、軽佻な孫文の仲間たちに同調すべきではありません。オゴタイ汗とその仲間たちが大風に押され馬の背に立って鳴鞭噴叫しながら雲飛揚するとき、国家の存亡を前にして兵士たちの衣類が裂けて靴が破れていることに意を介することはしませんでした」 (北一輝『支那革命外史』)
2009年2月15日 0:19
◆今日の愛される犬 「アルキビアデス「お前は誰だ!?」 タイモン「獣だ。お前の心臓など腐ってしまえ。この俺を見つけた罰だ」 アルキビアデス「誰だ。人がそんなに嫌いか? お主も人だろうに」 タイモン「俺の名はミザンスポロス、つまり人間嫌いだ。お前も犬だったら良かったのだ。だったら少しは好きになってやれたぞ」 アルキビアデス「なんとタイモン公、あなただったのか。このような運命にあっているとは知らなかった」 タイモン「俺はお前を知っているが、それ以上のことを知ろうとは思わぬ。太鼓の後ろに着いていき、大地を血で真っ赤に染めるがいい、戦争好みよ。宗教も法律も酷いもの、だとすれば戦争がいくら非道いものであっても誰もかまうまい。戦争などよりそこに貴卿が伴っている貴卿の淫売の方が遙かにおぞましいぞ。天使のような顔でいて貴卿の剣以上に人を破滅させるからな。」 フライニア「腐って落ちろお前の口!」 (シェイクスピア『アテネのタイモン』)
2009年2月11日 19:18
◆今日の真言 「おん あみりとどはんば うんはった そわか!」。馬頭観音の真言です。意味は「甘露発生尊(=ソーマ酒を作る神。太陽のことらしい)に帰命たてまつります。バカたれ魔は消えちまえ。めでたいね」だそうです。仏尊好きな私ですが、とりわけ好きなのがこの馬頭観音さま。それは彼が旅行者と交易者を守護する仏であり、またとりわけ伊豆の路傍で良くその姿を見たからです。そういえば浜松ではあまり見ないな。出歩き足りないですからな。・・・しかしこの陀羅尼によると馬頭様は太陽と同一人物なんですね。(それは馬頭観音の由来がヴィシュヌ神であるとの説明がなされることもあるからだそうです)
2009年2月2日 10:23
◆今日の遠野物語拾遺 「これは維新の頃だと思われるが、油取りが来るという噂が村々に広がって、夕方過ぎは女子供は外出無用という御布令が庄屋肝入りから出たことがあったそうな。毎日のように、それ今日はどこ某の娘が遊びに出ていて攫われた、昨日はどこで子供がいなくなった、という類の風説が盛んであった。ちょうどその頃川原に柴の小屋を結んだ跡があったり、ハサミの類が投げ捨ててあったために、油取りがこのハサミに子供を刺して油を取ったものだといって、ひどく怖れたそうである。油取りは紺の脚絆に同じ手差をかけた人だと言われ、油取りが来れば戦争が始まるとも噂された」
2009年2月2日 9:59
◆今日の警言 「(前461年、アルキビアデスのアルゴス急襲に際してアテナイがメロス島の代表に送った使節) 我々は君らの市民に直接語りかける機会を与えられていない。なぜならば、大衆は立て続けに話されると巧みな弁舌に惑わされ、事の理非を糾す暇もないままに、一度限りの我らの言辞に欺かれるかもしれないとの恐れ(それゆえ我々は君ら少数の選ばれた者を招集したのだ)があるからだ。さればここに列席する諸君に、さらに万全を期しうる方法を提案しよう。この会談が一度限りの一方的な通達に終わらぬよう、君たちの一つの論に私たちが一つの弁で答える。我らの言葉に不都合なりと覚える点があれば、直ちに遮って理非を糾して貰いたい。まずはこの点に満足か答えて貰いたい」
(それに対する返事) 「冷静に互いに意志を疎通させる、という貴君らの意図は正道に反するものでなく、文句の付け所が無いが、これから戦争が起こり得るかもしれないどころか、すでに戦さが目下に迫っているという現実の前で今言われたことは、空疎としか思われぬ。まるで貴君らは裁判官のように立ってこの会談に臨んでいるのであり、またこの会談の結末は二者択一でしかありえぬのだ。且つ、仮にわれらの主張が勝ってわれわれが何物も譲らなかったとしたらそれは戦さを意味し、我々が言葉で破れれば隷属に甘んじる他は無いではないか」 (トゥキディデス『戦史』 ・・・実際にメロス島の住人はこの直後アテナイの軍勢によって虐殺された)
2009年2月2日 6:36
◆今日の警言 「たとえば私は思うんだがね、靴作りは靴を作るとき、丸や四角、もしくはさまざまな形の道具を使って材料の皮を切るね」 「はい」 「その靴作りの職人と切る時に使う道具は別個の存在だね?」 「もちろんです」 「ここで主眼としたいのは意志を持って道具を使う者とその道具との関係についてなのだが」 「はい」 「では聞こう。靴作りは皮を切るとき手も使うね」 「そりゃそうです」 「目で見ながら物を切るね」 「その通りです」 「で、君と私は先ほど使用者自身とその使用する物は別物だと言うことで同意したね。それには君は賛成だね」 「はい、そう同意しました」 「では、靴作りという人間は彼が仕事のために用いる道具と同様に、手や目とも別物だということになるのかね」 「うーーん、明らかにそうなります」
「ではその考えを発展させると、そもそも人間は自分自身の身体とは別物だ、ということになるのかね」 「そのようです」 「人間とはそもそも何なのだ?」 「分からなくなってきました」 「分からないなんてことがあるか。少なくとも身体を使う物であるとは言えるんだよ、君には」 「そうですか」 「人間の何が身体の各部分を使うのか。それは魂(プシュケー)ではないのか。どうなんだ、君」 「まさにそうです」 「魂こそ身体の支配者であるね」 「はい、そうです」 「そしてだね、君。誰も異論が無いことだと思うがね、この点は」 「何でしょう」 「人間とは何か。人間とは魂か、身体の各部分の総和か、もしくはその両方を合わせた物か」 「うむ」 「でも我々は身体を支配する物が魂だと同意した。身体は身体を支配しないからね」 「はい」
「では身体は人間とは切り離されるべきものか?」 「いえ、魂と身体の各パーツが組み合わさって人間という物ができあがっているのでしょう」 「何を言うか君! 2つのうちの一つは支配にあずかっていないのだよ。その二つが一緒になったところで、支配なんてできるものか」 「はあ」 「つまり人間とは純粋に魂そのもの以外の何物でもないといえるのだが、これ以上のはっきりとした証明は必要かね」 「いえ、その必要はゼウスに誓ってありません。いまの先生のお言葉で十分です」 「では、さらに言うけれども、人の身体の調子を気づかう者は、部分を気づかっているだけで、その人自身を気づかっていないことになるね」 「そのようですね」「君は大層美しいが、君のハンサムを恋い慕う者がいても、それは君を恋したわけでなく君の所有する何かに惹かれているだけになるね」 「おっしゃるとおりです」 「君は大層モテモテだが実質君の美しさに惚れるのは間違いなのだ」 「えーーと」 「君を真に愛するとは君の魂を愛することだから。身体の花盛りはたちどころに退散してしまうものだ」 「それはその通りです」 「では断言しよう。私こそ退散しない者だ。君と変わりなく交わる者なのだ。君の美の花盛りが過ぎて皆が去った後もだよ」 「先生っ!」 「いいかね君、君の実情はこうなんだよ。クレイニアスの子アルキビアデスを真に愛している者は実はいない。たった一人を除いては。その例外がこのソプロニスコスとパイナレテの子であるソクラテスなのだ。君はそのことに満足しなくてはならないし、その美も保たねばならないね」 (プラトン『アルキビアデスⅠ』)