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オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

耳の趣味。

2010年07月24日 09時40分14秒 | ラーメン


浜北金比羅宮にあった天女様の彫り物。コワくて気に入りました。
神社のこの部分の事を“海老虹梁(えびこうりょう)”と言うのかな。建築用語はよくわからん。

さぼってちゃいかん。とりあえず記録だけでも。 

8月26日 蔵前家(細江町中川)

40回目。チャーシューメン(850円)にのり(100円)と青ネギ(100円)を増量して味を濃いめにしてみた。濃い目がおいしーい。

8月24日 むつみ屋(浜北大橋通り店)

焙煎にんにくみそらーめん、850円。
強烈な見た目だけど、この黒い焙煎にんにく(まーゆ)が他とは違う感じでなかなかおいしかったですのよ。まーゆ、濃厚すぎてむしろ甘く感じられるくらい。

このお店の一番メニューは週替わりのとろとろの「赤みそ・白みそラーメン」なのですが、ここでの味噌ラーメンはそれになる前の味噌ラーメンのモトなのでしょうか。
とにかく、このラーメンは気に入りました。

8月23日 山岡家(有玉店)

「明日は火曜日(定休日)だから今日行かなきゃな」と思って蔵前家に向かったら、店前に「完売の為早じまいします」の張り紙が。まだ18時だぜ。なんてこったい。
「こんなことなら来々軒に行っていれば良かった・・・」と思うも、そもそも月曜日は来々軒もお休み。だったらなばりかワンタン軒か新しい忍者の店に行ってやれ、と思って三方ヶ原の中心部を目指したのですが、道に迷ってなぜか有玉に出ていました。なので、天日地鶏、海老蔵、ホームラン軒を目指したのですがいずれの店も月曜日は定休。(みんな同じ曜日が休みだったら近所の人はとても困るだろ!)。結局山岡家しか目指す目標がありませんでした。山岡家、来るの1月以来ですよ。

チャーシューメン(820円)に海苔(100円)を追加。油・味・固さはすべて「ふつう」で。

わかりますかこの表面の油? おそらく写真ではよく分からないかと思われますので黒点と矢印を付加しておきましたのですが、褐色の美味しそうなスープの上にこれでもか!という態で(黒点の箇所まで)分厚く注ぎ込まれた透明の薫り高い油の層(豚脂)。この脂の狂暴さが山岡家の最大の特徴なのです。

「今日もかよ、はぁ~」とげんなりしつつ食べ始めてみたのですが、、、、 あれ? 今日のは異様に美味しい。なんか非常にマイルド。いつも「山岡家の一番美味しいのはコレ!」と言い張るものとは別の美味しさが丼全体に充満している! なんだこれ! 言うなれば美女のおちちのような至福ないつもと違う感じに私は目をシロクロさせてしまいました。(いつもの私だったらいつも山岡家のスープを「ミルクのような」とは口が避けても言わない!) そういえば今日のスープはいつもに増して白いし、この調和と口当たりの良さは決して山岡家にはありえない物。いったい私の来ない半年の間に山岡家に何が起こったのだ!?と怪訝さと幸せの入り交じった感じで食べ進めました。この乳白色のスープ、この量の獣脂を混ぜ込んでも全然脳幹に攻め込んでこないし、家猫のようにまろやか。全く奇跡のような一杯でございましたよ。これだから(チェーン店といえども)ラーメン屋通いはやめられませんね。「山岡家ですら油の量は決定的な要因ではない」と認識できた事は今日最大の収穫です。今日の店員の顔は覚えておこうと思う。

参考までに1月に食べた一杯の写真。色が全然違うでしょ。

たたひとつ、残念だったのがチャーシュー。
なんだか赤身の多いパサパサ感のあるものでした。私の絶賛する山岡家のチャーシューはこんなものじゃなーーい。肉が非常に苦手になりつつある(←え?)最近の私は、こんなことならチャーシューメンにしなければよかったと思ったのでした。

8月21日 福太郎(西山町)

お泊まりの仕事前(19時半)に福太郎に寄りました。無性に肉が食いたくって(・・・疲れているから)サービスセット(950円)を注文。ラーメンにミニ回鍋肉丼とギョウザ3個が付くんですが、、、、 どこがミニ丼じゃい!
こんなに食えるか! と思ったんですが、この回鍋肉が非常に美味しすぎて普通に完食してしまいました。「私は小食」「胃が小さい」と言いふらすの止めようかしら。あまりに美味しくってラーメンの感想良く覚えていません(笑)。まー、あれですね、鶏パイタンって、丼のお供のスープとして抜群に美味いですよね。スルリペロリでしたもん。チャーシューおいしい。
以前非常にとてつもなく不潔だった店内が、若干キレイになっていました。

8月18日 来々軒(伊左地町)

新店主になってから7回目。忍バラチャーシュー(850円)を注文。
この日は客が私しかいなかった。「お盆が過ぎたらヒマになってしまいましたよー」から始まり、今日の店主はしきりに話しかけてくるかけてくる。私は常から適当な相づちしか返さないので話しかけても面白くないと思うのですが、そんなことではこの店主はめげない。私、この店主の生活スタイルにかなり詳しくなっちゃいました。暑いのが苦手で食事はほとんど摂らないのだとか。そういえばラーメン屋さんにしてはスラリとしている。でも、睡眠時間は非常に長く取るんですって。
ラーメン屋さんの過酷な労働時間の秘密の詳細を知りたく思っていろいろ聞いていたんですが、そういえば私も前日が午前11時から食事無しで夜1時までの勤務、今日は睡眠2時間だけして朝6時から食事無しで夜の8時半まで働いたことを話してしまって、勝ったような気がしました(笑)。ま、私の忙しいのは年に3回だけですからね。どう考えてもラーメン屋さんの方が大変だ。
この店主からは忍者グループのさまざまな秘密をちょっとずつ聞いてみたいな。とてもおもしろい店主です。
で、このチャーシューはちっちゃいけどウマイぞ。忍バラの“忍”はニンニクのことなんですね。存分に効いています。ラーメンにニンニクは不可欠ですが私は若干苦手。しかしここでは非常に美味しい。このお店のメニューでもニンニクをここまで効かせているのは他にない。

8月13日 来々軒(伊左地町)

新店主になってから6回目。土佐っこラーメン(800円)を注文。
かなり混み合っていて店主が私に話しかけてくる余裕もなく、私は若い店主の手際の良い様子を存分に眺めている事ができた。
土佐っこラーメンってこのお店ではかなり異端のお品書きだよね。魚のダシをラーメンに混ぜ込むのですが、何から出来ているのかよくわからない酸っぱい透明の油の膜が表面に形成され、いつもの美味しい豚骨醤油スープが別の酸っぱい何かに変わる。これは非常に美味しい。

新店主になってから忍者タマゴの切り口が一定になっている気がするんですけど、なんか特別の道具とか使ってるんでしょうかね。(今日の写真じゃ良く分かりませんすみません)

8月5日 来々軒(伊左地町)

久しぶりの来々軒。仕事の業態が変わってからめっきりこのお店に来る機会が減ってしまった。(時間が合わなくて)。でもこのお店の味は私の浜松ライフの基本なんだな。また頻繁に通いたいな。ネギ忍者。
若い店主になってからチャーシューが小さくなったのがひどく残念なのですが、しかし味は前のより美味しくなっている。前のも懐かしいが。それよりも今日の特筆したい事はこの忍者タマゴのかたち。どうやったらこうなるの? おもしれー。
相変わらず若い店主は話しかけるのが好き。

8月4日 蔵前家(細江町中川)

39回目。出ましたまたもチャーシューメンののり増し。これは抜群にうまいなあ。

8月1日 ホームラン軒(旧天竜市山東)

この日は秋葉山にお参りに行ってました。私がこんなに健康になったのは秋葉様のおかげだからな。ついでに光明山(新)にも寄って、初めて光明山竺鋒坊のお使いのイノシシの狛犬も拝む事ができた。ホームラン軒は光明山(新)の近く。
地元の人でとても賑やか。

7月30日 蔵前家(細江町中川)

38回目。昨日チャーシューメンを完食できたので嬉しくて今日も来てしまいました。のり増量。今日も胃は快調。すこぶるウマイ。今日の肉の色も最高じゃありません?
このお店のラーメンのスープはチャーシューメンにすると一番の真価が発揮されると思うのだ。

7月29日 蔵前家(細江町中川)

37回目。ここのところ胃が弱っていてチャーシューに辟易することが多く、避けていたチャーシューメンをこの日は脳髄が肉を欲していたので久しぶりに注文。
た、たべれたよ! チャーシューメンをとても美味しく!
肉うめー! がんばれオレ!

7月23日 蔵前家(細江町中川)

36回目。味ふつう、のりと味玉。

7月22 喜多方らー麺会津めん屋敷(旧浜北市高畑)

近所のおろちょんラーメンの名前がかわっておった。
「メニューが増えたのかね」と思って行ったら、増えたんではなくてメニューの完全一新だった。あんなに個性的だった品揃えが単純化されてる。比較的気に入っていた浜松黒醤油ラーメンとか熊本ラーメンとかど・みその味噌ラーメン(おろちょん)とか無くなってしまいました。まだ、完全制覇してなかったのにな、私も来るの1年ぶりぐらいだからな。
とりあえず「喜多方蔵醤油ラーメン」をチャーシューメンに。(980円)
私の記憶の中にある喜多方ラーメンはなのですが、まさにそのイメージ通りのラーメンが出てきた。味もイメージ通りのあっさりしたもの。それなりには旨い。しかしこれで980円はちょっと無いんじゃないかな、そう思いながら店を出て来た。

7月8 貴長(細江町気賀駅)

4度目の訪問。この塩ラーメンを食べるのは2度目。
やっぱりこれはウマい。前の醤油ラーメンでも感じた事ですが、このお店は麺が細くてやわくて私の好みではない。なのに、この塩ラーメンに使われている緑の麺だけ稲の葉が練り込まれていて、なぜか、柔らかい食感に相まって美味しく感じられるのです。緑麺、サイコー。

7月5日 蔵前家(細江町中川)

35回目。味濃い目にキャベチャーと味玉投入。言っても詮無いことですが、キャベツにはドレッシングなんてかかってない方が美味しくいただけると思うんですけど、ドレッシングで華麗に味付けしてあるのがキャベチャーというものである。

6月9日 蔵前家(細江町中川)

34回目。味普通でノリとホウレンソウ投入。この日は過剰に鉄分を欲するほど疲れてたのかね。

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アレルヤ・ハプティズム。

2010年07月13日 10時46分22秒 |   ヘンデル


<Sinfonia del crollo del muro>

Yokoさんに教えていただいてYouTubeを見に行ってみると、確かにアレッサンドロの(動かない)動画が増えてる! 
4ヶ月前はこんなになかったぞ。
突然アレッサンドロブームでも巻き起こったのでしょうか。
どうも、今年の6月にヘンデルの生地ハレで上演されたものを数多く上げている人がいるらしくて、それが凄いクォリティ。しかしこれってすぐに削除されてしまうんじゃないか。
今の内にいっぱい見ておくことにします。
4ヶ月前は「Handel Alessandro」で検索してトップページに出てくるのは3つぐらいしか無かったですからね。なんとも幸せな事態です。「捜してみたけどひとつも無かった」と申し上げたクッツォーニの素敵なアリアだって今はよりどりみどりです。

一番驚いたのは前の記事でわたくしが、「いつも聴き惚れてしまうのは、この序曲が終わった後、叙唱に続けて祝祭的な豪華絢爛なシンフォニアがしばらく続くところです。このオペラはアレキサンドロス大王のインド遠征を描いているものだそうなので、おそらく戦勝直後のパレードと祝儀を描写した音楽でしょうが、ここの部分がとても好き」「この部分を取り出そうと思って捜してみましたが、 ・・・無かったです」と書いた部分。そこのところがピンポイントにアップされていたことです。上の(動かない)動画!
わたくしはここが非常に好きなんだ。
やっぱり華麗な序曲が始まった後、調子を変えて延々に続く感じなので、ここの部分を愛好する人は世界でも多いのかしらね。
ただし、私の手持ちのCDではこの曲は3分20秒のものであります。そうです、上の動画では後半2分間がカットされているのです。カットされたその後半部分がヘンデル愛好家が実に愛するところなのです。ヘンデルが生きていた頃はまだ「ソナタ形式」が存在していなかった頃です。それでもみんな似たような構造で曲を作ってはいたのですが、ヘンデルは前半かっちり曲を語ってから後半部分で縦横無尽に曲をかき乱し、ヘンデルにしかできない華麗なやり方で伏線を収束させることを得意にしていました。だからヘンデルのオペラの曲は破天荒に暴れん坊将軍でかつ技巧的なものほど非常に長い物が多い。この動画がその曲の魅力の真髄を顕しているとはいえ、冒頭1分半で終わってしまっているのはすこぶる残念な事です。延々と祝祭気分が続く感じの雰囲気が最高なのに。そのうち完全版はあらわれるかしら?
9月の日本ヘンデル協会での上演でもここのところがどうなっているか興味あるところです。(省略されるはずがありません。大事な冒頭ですし)

で、わたくしはこの曲を毎日出勤途中の車の中で漠然と聴いているだけなので詳細を知らず、勝手に「アレキサンダーの饗宴」と呼んでいましたが、正式曲名は「Sinfonia del crollo del muro(壁の崩壊のシンフォニア)」と言うんですって。壁? 何の壁? ベルリンの壁? ・・・だが雰囲気は分かる。


Tempesta e calma sento nell' alma(嵐と凪にいつも心は焦りを)>

ファウスティーナ(=王女ロッサーネ)の第三幕のアリア。
こんなのを何時間も歌わねばならないんですから、歌手の人って大変ですね。
私の大好きなのは[1.10]のあたり。ここんところをアントナッチみたいに揺れながら歌って欲しいわたくしです。
ところで日本ヘンデル協会の紹介のページを見ると、ロッサーネはスキタイの王女って書いてある。前の記事を書いたとき、クイケン盤の解説書(英語)に「ロッサーネはペルシャの王女、(リザウラがスキタイの王女)」と書いてあって「おや?」と思っと思いながらそう書いた事を覚えていますが。(※伝記ではロクサーネはバクトリアの名将オクシュアルテスの娘。バクトリア人は諸民族の混成だけどとスキタイ人とも少なからず重なっていると言ってしまっても良いと思う)


ロッサーネ第一幕第7場<Un lusinghiero dolce pensiero(お世辞は甘い考え)>

かわいらしい。


<第二幕第四場;Alla sua gabbia d'oro (彼の黄金のカゴの中で)>

このオペラのファウスティーナについて、私は「かわいい」「かわいらしい」「なんて愛らしい」しか連呼していない気がします。でも、そんなわたくしが「一番かわいい」と認定するのがこのアリア。
いいよね。
でもこのアリアもこの動画では全体の半分でぶった切られているのでした。本当はこれがこの倍長いんですよー。ヘンデルの至福の「おわらない感じ」が存分に味わえる曲なのですが。
この上演ではこういうバージョンだったのかな。それともこのアップ者の個人的な趣向かな。9月の日本ヘンデル協会の公演でも、全体を2時間に収める計画だといいますから、全体がこのような(アリアを半分だけ歌う)作りにされてしまう気がする。ヘンデルのアリアは後半部分が一番好きな私は淋しく思いますが、ただ、冗長さは完全に払拭されてヘンデルの真の髄だけをさらけ出せるとも思いますから、それはそれでひとつの手なのかな。


<第一幕第九場;Placa l'Alma quieta il petto魂は胸静か癒す)>

ファウスティーナとクッツォーニの競演。
二人のヒロイン、王女ロッサーネ(=ファウスティーナ)と王女リザウラ(=クッツォーネ)に同等の数のアリアを配し、それぞれ違う質の超絶技巧を歌わせる事に苦心したこの“アレッサンドロ”に、しかしながらヘンデルが彼女たちに同時に歌わせた二重唱は、実はこの一曲しかありません。(※最終曲のフィナーレも「Duetto」となっていますが最終的にファウスティーナとクッツォーニにセネジーノと群衆が加わり短いcoro(合唱)となるつくりなので特殊)
その唯一の二重唱。せっかくだからふたりにバチバチと激しいバトルを歌わせたら面白いと期待するのですが、実際には上のようなおとなしめな歌。すこしあとのアリオダンテなどには印象的な二重唱が多々あるし、ヘンデルがその気だったら絶対ふたりの美女に壮絶な戦いをさせたと思うのです。一体これはヘンデルのどういった作戦だろう。

話は変わりますが、この記事でいちいちアリアの題名とその簡単な和訳を載せていますが、わたしは当然イタリア語など解しませんので、コピーした文章をグーグル翻訳につっこんでの全くの機械頼みです。本当にこれで合ってるのかも私は保証できません。ただ、イタリア語って語頭を大文字か小文字にするだけで全く意味が変わる? この二重唱のタイトル、「Placa」をグーグル翻訳するとなぜか「カタルーニャの」となるのです。何がカタルーニャやねん。で、いろいろ調べてみるとスペインではカタルーニャ方言ってのは独自の言語でして、カタルーニャ語では「Placa」は「広場」と言う意味。(※普通のスペイン語では“広場”は“Parque”) 結局意味が分かりません。アレクサンドロス大王とカタルーニャには全然何の接点もありませんし、、、、 もしかしてカルタゴ人が何かした?


<第二幕第二場、Vano amore, lusinga, diletto (空虚な愛、お世辞、喜び)

そして主役の大帝王アレキサンドロス3世の激しい歌。
初演では輝かしいカストラート、“力強くて高い声の”セネジーノ(男)が歌った。
このオペラでの大王はホントに腹の立つヤローだ。
こんなかっこいい歌を歌いながら、「愛はからっぽ」とか唱えてやがる。
みんな必死に、一人だけで遙か彼方に行ってしまった大王に仕えていこうと悶えているのにさ。


<第一幕第六場、No, più soffrir non voglio (いいえ、私はもう苦しみたくない)>

そして我らがファウスティーナ嬢の憎っくきライヴァル、クッツォーニのアリア。
クッツォーニが歌っているのが“王女リザウラ”という役なのですが、この役の正体が良く分からない。王女ロッサーネがスキタイ王女かソグド人王女だったとしたら、役柄としてはそれに対する彼女はペルシャ王女かマケドニアかギリシャのどこかの王女とするのが相応しいのですが、いろいろな本の中に彼女の名前はなかなか見つからないのです。ドラマ的にはペルシャの王女にするのが一番いいよね。
ところが2世紀にアレクサンドロスの戦記を書いたアッリアノスによると、「アジアで最も美しい人」とされたのはペルシャの大帝王ダレイオス3世の后スタテイラ。アレクサンドロスはこの貴妃に紳士的に接し、手を出さなかったとアッリアノスは書いています。(別の箇所でアレクサンドロスの妃としてスタテイラの名が仄めかされてもいますが)。辺疆の王女ロクサーネの美しさはアジアで2番目だそうです。その後、インド遠征から帰ってきたアレクサンドロスは、ペルシャの古都スサで集団結婚式をとりおこない、大王自身はダレイオス3世の娘バルシネとアルタクセルクセス3世の娘パルサティスを同時に娶りました。それからバルシネにはドリュペティスという名の妹がいたのですが、大王は無二の大親友ヘファイスティオンとこれを結婚させて、これにより愛し合アレクサンドロスとヘファイスティオンもめでたく義兄弟となりました。
これらの記録の中に、“リザウラ”に相当する名前を思いつくことができません。架空の人物なのかしらね。ただ、アレクサンドロスは伝記がたくさんあるので、ヘンデルとロッリはいくらでもそれっぽい名前を引っ張ってこられたと思うんですけど。
だがしかし、クッツォーネが歌ったリザウラという役は、たとえ架空の人物だったとしても、とても輝かしく極めて存在感のあるものだったことはいうまでもありません。


<第三幕第四場; L'amor, che per te sento (あなたに感じる愛)>

もう一曲、かわいらしいのを。


<第二幕第五場; La cervetta nei lacci avvolta (締め紐で巻かれる小さな子鹿)>

すばらしい。

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