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オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

意見(BlogPet)

2007年10月26日 10時41分00秒 | 自分について言う

きょうは、人材に意見するはずだった。*このエントリは、ブログペットの「歌声喫茶テケリリ」が書きました。

 

 

ペットの投稿ばっかりになっても困っちゃうにゃあ。
がんばらないと。 ・・・人材に意見ってそういう意味?

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韮山城包囲戦が始まった頃の布陣図。

2007年10月24日 23時01分33秒 |   戦国時代

 

以前に書いた、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めのひとつとしておこなわれた韮山城攻城戦の布陣の地図の記事で、「この時の豊臣方の陣容を描いた史料として、韮山城取巻人数書立』『小田原陣之時韮山城仕寄陣取図』という2つがある。それぞれ戦いの前半戦(3月29日~30日)のものと後半戦(4月~6月)のもので、布陣図がだいぶ違う」と書きました。後半戦では豊臣の家臣たちはなかなか落ちない韮山城を取り囲んでおびただしい付城を作りまくり、それを示した図を前の記事では書いたのですが、前半戦の「韮山城取巻人数書立」の図も、私がよく源頼朝伝説について調べるときに枕の本にしている戸羽山翰氏の「史話と伝説 伊豆・箱根」に載ってました。

なので今日はその地図を。

前の地図(後半戦の地図)と見比べてみてくださいね。だいぶ違うでしょう。・・・相変わらず見にくくてスミマセン。白字と赤字はどうもいけないですね。それからゴメンナサイ、うっかり出城の「和田島砦」の位置を間違えてしまいました。以前書いた物の方が正しいです。 

この連合軍の総大将は織田信長の次男である織田信雄です。彼はこの頃、尾張・伊勢で100万石を超える大大名で、この遠征にも破格の15000人の兵を引き連れて来ていました。以前の記事で私は、「(織田信雄は勇猛に先陣に出るような人間ではないので)総大将の陣は、戦線から遠い北条郷の守山砦か願成就院にあったのだと思う」と言った事があるとおもうのですが、これをみると最初は韮山城本城の大手門(正面)に面するように陣取っている事が分かりますね。遠いですけど。しかも、戦いが始まると彼が陣を前方に移動したことがわかる軌線が描かれています。あの無謀だけど臆病者な信雄が激戦の最中に前に! 明らかに彼はこの戦いは一瞬で終わると思っていたのです。(そりゃそうです)
一方、その指揮下にある諸将の陣は城から見て横の方に一列に並んでいます。これらはみな搦め手(横の方)から城に襲いかかっていったように見えますが、戦記によるとそのほとんどは「十八丁畷路」を通って韮山本城の大手門に襲いかかったみたい。当然、一番槍は猛将・福島正則とその愉快な荒くれ部下たちです。残念ながら城を守る知将・北条氏規の抵抗も激しく、最初の日の攻撃は散々に押し返されてしまったそうですが、細川忠興だけが、城の背面にある和田島砦から討ち入り、少しだけ戦果を挙げたそうです。(前にも言った事があると思いますが、細川忠興は伊豆の国市の姉妹都市である京都の長岡京市と、とても深いゆかりのある戦国武将です)。

以前の記事で、この戦いに参加した諸将の兵数を記したのですが、あれは新人物往来社の『戦国の魁 早雲と北条一族に書いてあった小田原戦を諸将のリストから抜き出してそのまま書き写したものです(これは伊達文書を基にした数字だそうです)。でも、この戸羽山氏の本に書いてある数字はちょっとだけ食い違ってますね。参考までにこっちも抜き書きしておきますので、見比べてみてください。そもそ『韮山城取巻人数書立』とあるぐらいだから、人数の記述が本題の資料なはずですね。戸羽山氏が実際にこの『~書立』を参照にしながらこの図を書いたかどうかは不明なんです。そもそも、この史料の実物はどこにいけば拝めるんでしょう? ネットでざっと攫ったところ、毛利家文書に含まれているのかな? 

<韮山方>
北条氏規 3,600

<攻城方>
織田信雄 17,000
織田信包 3,200
蒲生氏郷 4,000
稲葉貞通 1,200
筒井定次 1,500
生駒一正 2,200
蜂須賀家正 2,500
福島正則 1,800
戸田勝重 1,700
岡本良勝 1,200
山崎片家 1,000
中川秀正 ?
森忠政 2,100
細川忠興 2,700

まぁ、史料の違いで少しの差異は当たり前なのでしょうが、山崎片家だけは3,100→1,000になってますね。そういえば『戦国の魁~』でも正確には「山崎片家ら 3,100」となっていたのでした。織田信雄だけは(どうせ動かなかったので)15000人が17000人になっていても、全然戦局に影響はありません。(ていうより多すぎだ)。現在の伊豆の国市(韮山町・伊豆長岡町・大仁町が合併して成立)ですら人口5万人なので、それに匹敵する人数がこの狭い地区にひしめき合っている様子、見てみたかったなぁ。折角ですのでみなさま伊豆長岡温泉に逗留くださったら、観光業的にも嬉しいんですけど。なお、前の地図では「生駒親正 2,500」になっていますが、戸羽山氏の本では「生駒一正 2,200」です。どっちが正しいんでしょう?生駒一正は生駒親正の息子です。一緒に行動していたのかもしれない)

戸羽山氏の本には、『小田原記』に基づいて、最初の日の激戦を詳しく描写しております。まず、福島正則の家老である福島丹波守が、手勢を引連れて十八丁畷口から韮山城の表口に猛攻。それ目がけて城内からは激しい鉄砲の射撃がおこなわれました。実は以前から韮山城には多数の鉄砲が運び入れられており、それは寄せ手も知ってはいたのですが、福島正則はあえて特攻を掛けたのでした。最初の鉄砲の一斉射撃で丹波隊がひるんだところに、城の門が開いて、中から槍の名手として知られる波多野勘解由が、副将・根府川太郎次郎と300の槍隊と共に現れ、散々に丹波隊を追いたてまくってから場内に引き揚げます。この惨憺たる様子を見て逆上した福島正則が、今度は自ら新手の700名を引連れて門に押し寄せます。正則の怒号とともに猛然と壁をよじ登り始めた彼らですが、城内からは整然とした鉄砲の斉射が続き、寄せ手は丹念に打ち取られていきます。すると再び城の門が開いて、今度は大将の北条氏規が大きな槍を構えながらあらわれ、福島正則に一騎打ちを申し込みます。ここで壮絶な一騎打ちがおこなわれたというのですが、結局決着はつかず、福島隊は負傷者を回収して後退しました。残念ながらこの本には福島隊の先頭にいたはずの“槍の”可児才蔵が登場しないのですが、とことん槍と鉄砲尽くしの戦いです。
福島隊が退くと、今度は蒲生氏郷が押し寄せました。これも鉄砲の猛射を受け、死者430、負傷者1000余を出して(多すぎないか?)を出して引き下がります。続いて、蜂須賀、生駒、筒井が順繰りに攻め寄せますが、同じように数百ずつの犠牲を出しつつ退いたそうです。
その翌日、細川忠興が城の後方にある出城・和田島砦に攻撃し、ほんのちょっとだけ被害を与えることに成功したそうです。(前に紹介した小説『虚けの舞』では、このときの細川隊と北条隊の激戦の様子もかっこよく描かれております)。

結局、この最初の2日間の攻撃だけで寄せ手は城へまともにぶつかることをあきらめ(←おい)、やがて秀吉からの命令で総大将の織田信雄は解任され、韮山城の周囲にたくさんの付け城を築いて包囲するだけの、後半戦へと移っていきます。

せっかく諸隊が揃っているんだから、こんな小さな城、城の正面からばかりでなく四方八方から同時に攻め立てればいいのに! と思うんですが、それは素人の考えるあさはかはことなんでしょう。正面すらこれなんですから、他の地点にどんな迎撃策が施されているか分かったものではありません。彼らは石垣一夜城に包囲された小田原城と同じ手法で圧迫感を与えつつ、着実に弱所を絞り上げていく方法を採ったのです。

この韮山城攻城は、山中城攻城と同時に行われ(実際には山中城攻めの方が一日早かったですけど)、豊臣諸将にとっては秀吉にアピールするための絶好の機会と思われたはずです。山中城も凄く堅い城だと思われていたため、うまいことすれば韮山城を早目に落とし、さらに山中城攻めに加われ、功績も2倍だ♪と発奮していた武将も多かったと思う。しかし、実際には造りが見事な山中城がたった一日で落ち、一方でそんなに難しい造りだとは思われていなかった韮山城が3か月も落ちなかった。最前線である小田原城包囲に取り残された諸将の焦る様子が見えてくるようです。織田信雄がこの時点で総大将に任命されたのは(4年前の小牧・長久手の戦いでの信雄の栄光がこの時点まで続いているとは思われませんので)、彼に落ち度を作らせるための秀吉の意地悪だったと思うのですが(※山中城攻めの大将は秀吉の後継者の豊臣秀次だった)、秀吉の命令で織田信雄、蒲生氏郷、細川忠興が小田原へ呼び出されていく姿を見て、残された者たちはどう思ったでしょう。「貧乏くじだー」とやる気を失くしたでしょうか。かえって発奮したでしょうか。
大軍を率いていた三将がいなくなった時点で、単純計算で3分の1弱の軍容になってしまったはず。
どんな気持ちで、彼らはこんなにたくさんの付け城を黙々と作ったのだろうと想像してしまいます。・・・けっこうやる気いっぱいだったかもしれない。

 

 

カメラが故障し、これまで撮り貯めた写真も全部パーになってしまったため、ブログに飾る写真が無くなってしまいました。困った。なので今回は苦肉で『信長の野望・天下創世』に出てくる武将の絵でごまかします。前回掲げた『信長の野望・革新』の武将絵と比べても、顔がそんなに怖くなくて、これだったら包囲された氏規の身になってもおしっこちびっちゃうほどにはならないですね。
天下創世… 実はこのゲーム、戦闘システムが気に入らなくてほとんどやりこんでなかったんです。今回、武将絵を眺めるために引っ張り出してきましたが、シナリオが異様に少なくて(3つ)、一番遅いシナリオでも「信長包囲網」(1570年)なんです。とりあえずあと欲しいのは福島正則と細川忠興・・・ ところが細川忠興が登場するのは1578年なんです。とりあえず彼が出てくるまでゲームを進めてみようと思ったんですが、、、 思ったよりこのゲームおもしろくね? というより展開が変すぎない? 戦いが下手な私でも織田信長で始めて最初の3年で近畿を制覇してしまいます。(ネットで検索すると、やり方によってはたった1年で全国を制覇するのも可能らしい)。しかし、戦闘をついつい自動戦闘に頼ってしまう(めんどくさいこと嫌い)クセが祟ってか、戦闘だけはどうも勝ちパターンがわからない。攻略サイトなんかをみてみると「このゲームは戦闘がとても簡単」、「どんな強い敵が相手でも必ず勝てる策がある」、「CPUがすごく馬鹿」、「常に相手の1/3の兵で攻め込めばよい」、「何度かやればコツはすぐわかる」とあるんですが、私、何度やってもうまくいかないんです(笑)。ほんとヘタクソ。ま、おいおい忠興が出てくるのを待とう。

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星ぼしの荒野から。

2007年10月19日 21時47分04秒 | ラーメン

11月14日 石本家(三島店)

石橋山から箱根を通って帰宅する途中、国道一号線から箱根の坂を下りきったあたりで、石本家の新しい店舗があるのを見付けて、どうしても寄りたくなってしまいました。そういえば今日が開店日だったな。石本家は沼津インターの近くにあるのですが、近いワリにはなかなか行かないところで、家系好きの私としては歯噛みをしておったのです。その3号店?ができた。(2号店は御殿場)。私の家からは三島も沼津もそんなに変わりませんが、ここは来やすい。
開店日なので、店員さんが異様に多いです。出された水にひとくち口をつけただけで「おつぎしますねー」と言ってくれます。壁にはおなじみの「ラーメン心得十箇条」。タバコ吸うなとか最初にコショウを入れるなとか有名な店はうまくないとか、それはごもっともなのですが、初めて来たときは一番シンプルなやつを食べろとかレンゲで麺を食べろとか早く食えとか、余計なお世話です。私はチャーシューメンが大好きだし猫舌なんだよ。大体この店のシンプルとは、普通の豚骨醤油なのかアッサリ中華そばなのか、焦点がわかりません。
食べたのは豚骨醤油のチャーシューメン(950円)。
うをっ、石本家ってこんな味だっけ。朝の山岡家のとは別系統です。舌の上で一口目に味が複雑な変化をしたような感じがした(なんだそれ)のがおもしろかったです。一本線の上に様々な味がして、醤油味の印象が強かったですが、豚骨味のドロドロが控え目すぎな感じもするな。「スープに毎日豚ガラ450kg、鶏ガラ400羽」とか書かれていましたが、鶏の味がいいかんじ。
壁には、「本日の湯切り担当」がホワイトボードに書かれていました(笑)。(今日の湯切り担当は店主さんでした。でもその場面は場所の関係か見えなかった)。別の場所に店長さんの名前も張り出されているのですが、店主さんとは別の人でした。つまり、今日は開店日だから沼津から店主さんが来ているって事ね。これからどんどん味が変わっていくのでしょう。

11月14日 山岡家(富士店)

ふたたび山岡家へ向かいました。
山岡家へばかり行ってますが、それは私の活動時間が深夜だからです。私は朝にラーメンを食べたくなる事が多いのですけど、その時間に食べられるのはこのお店しか無いのですもの。家の近所にできたら便利なのに、と思いました。この日は朝6時ぐらいに行きました。
今日はたくさん食べられそうだな、と思ってチャーシューメン(820円)にしたのですが、前回「次来たときは“特製味噌ラーメン”にしよう」と思ったのに、すっかり忘れて普通のラーメンにしてしまいました。ついでに、「脂少なめにして味わいの違いを確かめよう」と思っていたのに、それも忘れていました。
でも、今日のスープはとても甘く溶け込んでいて、すごく美味しかったです。ネギも心なしか多かった。山岡家、大好き。

11月3日 山岡家(富士店)

この日もラーメンが食べたいと思ったのですが、明け方だったので山岡家に向かいます。
すると、期間限定という事で、「スタミナラーメン」というメニューが。
身体が弱り切っている時分だったので、それを食べてみる事にしました。
普通の豚骨醤油のスープに、大量のニラと特製唐辛子とニンニクと温泉タマゴが入っていて780円。ニンニクと唐辛子は普段でも卓上に壷が備えられていて、いくらでも普通に自分で入れる事はできるのですが(したことありませんが)、ニラと温泉タマゴをトッピングしたときは100円ぐらい安い設定になってました。元気が出そうな組み合わせですが、果たしてどれが一番効果が出るんでしょうね。
一口目、このスープと唐辛子はすごく良く合うなぁ、と思いました。
いろんな味がクルクル変わるところが面白い。
半分ぐらいで、(唐辛子がスープに溶け込みきったので)「辛すぎる」、と思いました。
私は酒飲みなので辛い物は大好物なのですが、ラーメンに限ってはどうも辛い物は良かったり悪かったりです。(お酒と一緒に食べると変わると思うんだけど)

10月27日 山岡家(富士店)

山岡家の普通レベルがどの程度だったか思い出すために、富士店に行ってみました。
・・・・・あれ? 浜松店と同じくらいとんでもない量の油が投入されてる、、、
これが普通だったのか。
今日は体調が良くなっていたので、大変おいしくいただきました。
山岡家ってこんなにうまかったっけ? と思うくらいおいしかった。

10月22日 山岡家(浜松店)

数年前にたまたま通りがかって「美味しい!」と思ったことのある旧浜北市於呂の「笑喜家」が閉店したという情報があったのですが、今日前を通りかかったらちゃんと営業してましたよ。しかしちょうどそのとき昼の2時半(笑)。また来なければ。
というわけで(喘息でまたダウンしてしまったので数時間置いて)、数年前に実家の近くにできたという山岡家へ。私は富士市にある山岡家が大好きなのです。浜松にはどうも私の好みそうなラーメン屋は(べんがら横町を除いて)少なそうなのですが、山岡家が一軒あれば全然満足です。行ったのは夜中の2時頃でした。
しょうゆラーメン、590円。
出てきたのを見て。油の量がなんだか異様に多い! 脂多めで頼んだ記憶はないんですけど。茶色のスープと透明の脂が綺麗に層になっています。うをーー、うまそうだ!
結果、病み上がりの私にはこの脂の量は厳しく、何度も挫折しかけました。でもスープは異様にまろやかで美味しかったです。次回来る事があったら「脂少なめ」にしましょう。いや、あのおにいちゃんだったから偶々油が多かっただけなんですかね。悩ましい所です。

10月20日 天下一品(浜松店)

生活費の工面のために浜松まで来ています。
すでに金貸し会社ではお金を貸して貰えなくなったわたくしですが(←人)、そんな私にも融通してくれる人がいるというのは(親ですけど)、ありがたいことだ。親不孝者でごめんよー。ということで、天下一品のラーメンを食べに、浜松中区の柳通りというところまで行きます。
静岡県内にある天下一品は、この一店舗だけなんですって。以前富士市に住んでいた頃、人に「天下一品行こう」と誘われた事があるんですが、10年ぐらい前には富士にもあったのかしら? ネットで検索してみると、この浜松店はいまいち評判が散々なんですが、そもそもわたくしは本当の天下一品のラーメンを、関西で一度きりしか食べた事がないので、あんまり気にしない事にします。京都の味と違おうが、別の店とは違う美味しさがあればいいんだ。
スタミナラーメン、630円。
ちゃんとアッサリラーメンとこってりラーメン(=スタミナラーメン)がメニューにあるんですね。夜中の1時半なのに客がぼちぼちです。さすがです。
出てきた物を見て、ちょっと量が少ないな。しかしひとあじすすってみて感激。とろーりだー! これが食べたかったんだ! 私が食べた神戸の店ののと記憶が同じだー!(くどいようですが過去一回しか食べた事がないので、私の記憶は怪しい物ですけど)。獣臭いくどい香りがひどく心地よいです。体調が万全なら長靴いっぱい食べたい気分でしょう!
しかし、実はこの日、ひどい喘息と軽い風邪に襲われていまして(虫歯もね)、半分ぐらいでギブアップしてしまいました。残念だー、残念だー。チャーシューが堅めで分厚く、私好みだったです。このドロドロしたスープが心なしか玉子のおじやの風味がして、心癒されたです。また来てちゃんと味わいたい。

10月19日

血迷いはさらに続く。
富士市の吉原にある「第一旭」というお店に行ってきました。
特製ラーメン(並)、600円。
サイトの写真を見て「味が濃そうだなぁ~」と期待して行ったのですが、店に入って、狭っ。大体12席ぐらいでしょうか。私が行ったのは夜中の12時直前でしたが、満席でした。メニューも「特選ラーメン」のみ。(大か中か小を選べる)。トッピングもありません。これは、期待が高まります。
スープはすごく濃く、醤油の味もとても強いのですが、後に残るような味のインパクトはありませんでした。しかし、スープが熱く、それが上の顎の裏側に醤油の味を押し付けて行くように通り過ぎていくのです。おいしかった~。麺も細麺でしたが、噛みごたえがあって良かったです。ただ、ほんと後味が残らないですね。
それから、並盛で頼んだだけなのに、ちょっとしたチャーシューメン並にチャーシューが入っていて、嬉しかったです。安い。ただ、おかげで10日ほど前から患っている虫歯が激しく痛み出して、難儀しました。私にはラーメンのリハビリが必要そうだ。

10月19日

今度は血迷ってラーメンを食べに行ってきました。
一匹の鯨、醤油豚骨ラーメン(690円+チャーシュー130円×2)。
3ヶ月振りのラーメンです。たしか前回来たとき、「これが最期のラーメンになるのだろう」と泣きながら食べていました。人間ってなかなか消えてなくならないものだなぁ。今日も「うまいなぁ、うまいなぁ」と泣きながら食べていました。
久し振りに食べたので、「あれ? こんな味だっけ?」と思うくらいスープが甘くてトロトロしていたです。しかし食べ進めていくにしたがって下の方に堪っているドロドロの部分が舌に絡むようになり、最期まで楽しめました。ほんとに、いろんな味が同時にするから美味しいんですよね、豚骨醤油は。新鮮な春菊も相変わらずウマイ。
チャーシューはちょっと変わったのかな? 厚さはそのままですがプルプルとろける感が増していました。
半年前は、普通に週に2回ここに食べに来ていたんだよなぁ。悲しくて泣けてきます。
おっと、言い忘れていましたが最近の主食はもっぱらチキンラーメンですので、ラーメンを全く食べていないってわけでもないです。

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ムー。

2007年10月18日 23時41分28秒 | 小説・漫画

ムラムラして、ムーを買ってきてしまいました。690円。うーー、これが今の私の何日分の食費かと考えると頭が痛くなってきてしまいますが、後悔はしていません。隣りに並べてあった同じ学研のブックス・エソテリカシリーズの『クトゥルー神話の本』(1680円)はまだカマンガマン。この本はまだしばらく本屋に並べられているでしょうから、いいんです。

ムーってすごいですね。
私もご想像に違わず、中学高校生時代はかなり熱心に読みふけっていたムー少年でしたが、あの頃読んでいたムーと今日買ってきたムーは、書いてある内容並びに体裁が、一片違わず同じです。これはすごいことだと思う。ムー読者が求めている物が確固たる基盤に基づいたものであるということを意味しますし、ムー読者は同じ事を繰り返し繰り返し読まされても文句を言わない、ということなんですね。(もちろん私のように、一巡読んで離れてしまう人も多いんでしょうが。)

今月号のクトゥルー神話の特集は26ページでしたが、当然ながら予想していたとおりの当たり障りのない内容でした。(ライターは東雅男氏)。同時発売された『クトゥルー神話の本』の紹介本になっているので、珍説や新説は無いし、珍しい図版やヘンテコリンな神々についての詳細な解説もありません。H.P.L.の作風についてのアウトラインと彼とオカルティズムとの関わり(この辺りが学研の傾向ですよね。ブラヴァツキー夫人とクトゥルー神話を絡める書き方って、他の社ではしますっけ? 詳しく知らないけど)。それから、おなじみコリン・ウィルソンですね。この人が出てくるとうさんくさくって、一気に文章が輝きを減じるんだ。

ただ、文章にはムーらしさが存分に現れていまして、お気楽に読むのは楽しいです。例えば冒頭の導入部分の文章。今年の5月に学研が、『魔道書ネクロノミコン(完全版)』という本を出したんだそうです。これが4千円もする高価な本だったのに、アマゾンの売り上げランキングで17位という売れ行きを見せたとか。驚いたムーが独自に調査してみた所、原因は、「秋葉原の某本屋で店員が書いた手書きのポップが秀逸で、それがネットで評判をよび、予想外の売れ行きに繋がった」ということが判ったのだとか。その繁華街の一店舗の企業努力(紹介文)とアマゾンでの売り上げは相容れないものではないかと思うんですが、ムーでは、「魔道書という背徳の響きと、ネットでの評判とオカルト知識の浸透、ニンテンドーDSという大衆ゲームとの融合、そして秋葉原で美少女フィギュアと並べられてこれが売られているという事実が、現在の日本の混沌とした世相を示している」と続けるわけです(笑)。ムーにかかるとなにもかもがオカルト現象の証左となるのです。


当のポップの画像。何も変哲が無いじゃないか

この『魔道書ネクロノミコン』って、10年ぐらい前に1000円ぐらいでハードカヴァーで出てたやつの改訂版ですよね。読んだのが遥か昔ですでに内容を覚えていないのですが、確かコリン・ウィルソンが書いた中篇小説『ロイガーの復活』に酷似しているとして話題になったんじゃなかったんでしたっけか。(魔道書ネクロノミコンの著者はジージ・ヘイですが、当のコリン・ウィルソンがかなり長い序文を付けていました)。私の読んだのは完全版じゃなかったんですか。(たしかその後文庫にもなったと思うんですけど)、完全版は4千円もするんですか(笑) ゲホンゲホン。
このネクロノミコン完全版は何が完全版なのかというと、ジョージ・ヘイが魔道書ネクロノミコンの続編として書き上げた『ルルイエ異本』が収録されているとか。そしてそれにこれまたコリン・ウィルソンが詳細な序文を付けているのだそうです。こういう体裁に対して、ネットでざっと攫ったところ「魔道書ネクロノミコンの方は過去2回発売されてるんだから、抱き合わせでなくてルルイエ異本だけ安価で売れ」と極めて評判が悪いみたいです。あたりまえですね。一応ジョージ・ヘイの著作であるのに、コリン・ウィルソンの解説の方がボリュームを喰ってるのも悪印象みたい(笑)。ただ、、、 個人的にはコリン・ウィルソンの解説付きのルルイエ異本、読みたくなってきてしまったぞ。ネクロノミコンの方がネームバリューがあるのでこういう体裁になったと思うんですが、手垢の付いたネクロノミコンの名前などより、本屋でいきなり『ルルイエ異本』が並んでいるのを見た時の方が、ファンは何倍もびっくりすると思うんですけど。
『ルルイエ異本』という本はなかなかやっかいな本です。試しにグーグルで「ルルイエ異本」で検索してみれば、それぞれ全然別の事が書かれている事からも判ると思います。基本設定では「未知なる著者によって人類以前の言語で紀元前300年頃に書かれ、中国方面で流通している」ということですが、要は生みの親であるH.P.L.があんまり具体的に書いてないんですよね。信者には必須の呪文「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがふなぐる ふたぐん」はルルイエ異本の中の語句だと思ったんですが、いま聖典の『クトゥルフの呼び声』をめくってみたら、この呪文とルルイエ異本との関係は明記されてないですね。H.P.L.はルルイエ異本について、どの作品で言及していたんですっけ?
問題なのは、このルルイエ異本という素材を、H.P.L.の後継者であるオーガスト・ダーレスが使用してしまった事です。「謎の中国人が売りつけに来る」とか「価格は10万ドル」とか「人の皮で装丁されている」とか言う設定は、ダーレスの『ハスターの帰還』で語られている事です。純粋なファンにはこのダーレスが勝手にやったことは蛇蝎の如く嫌われていまして(私は好きなんですけど、おもしろいから)、ダーレスが付け加えた設定は、無視する事が慣例になっております。だから、サイトごとに書いてある事が違うんですよね。なおかつ「ルルイエ異本」という題名にはインパクトがあって扱いが容易であるので、ダーレスの影響は排除した上で、いろんな作者が様々な要素を付け加える事も多い。「ナポレオンはイタリア語版のルルイエ異本を所持していた」という記述も目にした事があるんですけど。参考までに、ゲーム『クトゥルフの呼び声』の「キーパーコンパニオン」に載っている解説。「この本は伝聞でのみ伝えられている本である。オリジナルは粘土板だが、破壊されているとか現存しているとかさまざまな噂がある。紀元前300年頃からオリジナルを書き写したさまざまな形態の写本があるといわれ、それらは中国の海岸沿いの人里離れた場所に隠されているという事である。また、英語とドイツ語に翻訳されて、こっそりと国外に持ち出されたこともある。この本に書かれている内容は、父なるダゴンと母なるハイドラのこと、クトゥルフの落とし子のこと、クトゥルフの血を引くゾス=オムモグとガタノソアのこと、ルルイエが海底から隆起するのはいつか、暗闇で待つシアエガのこと。オリジナルの粘土板に対して中国語の写本は不完全なもので、さらに有名なドイツ語版である「リユー写本」は「翻案と分析」に近い。しかしリユー版に於いてシアエガの情報が追加されている」

こういう謎の書『ルルイエ異本』に対して、コリン・ウィルソンがどういう解説をつけているかが非常に興味がありますね。『魔道書ネクロノミコン』は文章自体はそんなにおもしろくなかったんですけど。ただ、研究家のターナー博士が「ネクロノミコンを英語に翻訳したジョン・ディー博士(実在の人物)」というH.P.L.の記述に着目し、大英博物館に収蔵されているジョン・ディーの暗号文書(ロガエスの書)がネクロノミコンそのものに違いないと断定して、コンピューターを駆使して解読をする、という経緯が面白かったんです。コリン・ウィルソンはその過程を小説にまでしちゃいました(ロイガーの復活)。ルルイエ異本の場合は、どんな物語を用意しているんだろう? 2006年にぶんか社から出た『クトゥルー神話ダークナビゲーションブック』という本には、この『魔道書ネクロノミコン』について、「この本がウィルソンの悪戯であったことについては、ロバート・プライスが編集・発行している同人誌において、ウィルソン自身がネタ晴らしをしているが、日本の読者の中には未だにこの本に書かれていることを全て真実だと信じている向きも多い」と書かれているのですが、発売元である学研のムーは、大まじめにこのコリン・ウィルソンの説を取り上げているんですよ。冗談であるのは分かり切っているのに、ムーのこの姿勢がステキなんです。ただ、何度読んでもコリンウィルソンの書いている事は意味不明です。ムー経由で解説してみると、「ロガエスの書は“天使の言葉”であるエノク語(ジョン・ディーが作った文字)で書かれていたが、まったく意味不明なしろもので、コンピュータを駆使しても8ヶ月掛けて「普通の読み方では読めない」と分かっただけだった。コンピュータ技師のラングフォードはふと、奇怪なエノク語が用紙のマス目に接触している文字と接触していない文字があることに気付き、これは二進法なのではないかとひらめいた。そこでこれまでの分析結果に新たな情報を与え、文字連続の整理、統計による分析、言語学に基づく推測などを加えた結果、ついにネクロノミコンの復元に成功したのである!」 ・・・・なんだそれ。ネクロノミコンの復元そのものよりも、16世紀のジョン・ディーが「天使の言葉は二進法」と考えたということの方が、すごい発見だという気がするな。大体そんな風に原稿用紙のフチ線に接触しているかしていないかで判断できるのなら、アルファベットだって線の下に出る文字と出ない文字で、二進法の文字になっちゃうじゃん。おもしろいなぁ。

まぁ、ネクロノミコンはさておいて、コリン・ウィルソン版のルルイエ異本はどうなっているんでしょうね? ムーの記事からは断片的な情報しか読み取れません。引用。「衝撃的な魔道書ネクロノミコンから13年を経て、ウィルソン、ターナー、ラングフォードのトリオと編者のジョージ・ヘイは、その続編たる『ルルイエ異本』を世に出した。同書の巻末は、その間に解読に成功したという第19章「彼のものどもの隠れ場」から、第29章「アルハザードのト占」までの11章が「ルルイエ異本」と題されて収められている」。・・・・は? 「最後の第29章はネクロノミコンの著者のアルハザードが、迫り来る死を前にして記した訣別と予言から成り、なるほど全編の締めくくりにふつわしい内容である。その一節にいわく--、『前兆は星辰の中にあり、容赦ない恐怖が余の骨にまで入り込み、余の最期は間近い。しかしアル・アジフは失われる事がない。西の大洋の彼方に住まいする、大いなる力の守護者の手に渡っているからである。この書物は長い歳月に耐え、多くの者には隠され、ごく少数の者にのみ明かされる。余の著書の秘密の中に、賢者は救済の鍵を見出すであろう--愚者はおのれの破滅の鍵を開くであろう』。これによるとジョン・ディー博士はおろか、原点の著者であるアルハザード自身が、ネクロノミコンを「救済の鍵」すなわちサバイバルマニュアルとして執筆していたらしいことが察せられる」 ・・・ど、どこが? 全体的に意味不明なんですよね。ルルイエ異本について書いているはずなのに途中でネクロノミコンの説明にすり替わっている事もおかしい。ルルイエ異本とネクロノミコンが同一の物だと言っている事もおかしい。コリン・ウィルソンがどういう意図を持って書いているのか、ぜひとも実物を目にして確かめてみたいんです。(でも高いんですよなぁ)

学研はこれにつづいて11月に、『ヴィジュアル版謎シリーズ クトゥルー神話の謎と真実』(980円)と、ドナルド・タイスンの小説(?)『アルハザード』(上下巻、各2940円)を出すそうです。学研大好き!(たぶん買えないけど)

 

今月号では、この特集記事以外に、「グーグル・アースの怪」、「日本のフリーメーソン」、「南米パタゴニアのネッシー=ナウエリート」、「ニコラ・フラメルの生涯」、「モントーク計画の真実」、「特選!! 恐怖の都市伝説」等の記事があって、あまりのおなじみぶりに泣けてきてしまいます。モントーク事件なんて、まだ取り上げてるのか。そうそう、最近は別冊附録としてあすかあきおの漫画(なんと50ページ!)が付いてるんですね。今回は「古代エジプトの恐竜オーパーツ」という「えっ!?」と言いたくなるタイトルです。個人的には、「古代出雲“国譲りライン”の謎」という記事が面白かったです。古事記の「国譲り」にまつわる神社、出雲大社(大国主)-美保神社(事代主)-諏訪大社(建御名方)-香取神宮(フツ主)-鹿島神宮(武御雷)は地図で見ると一直線になっているんですって。しかも西端の出雲大社にあるオオクニヌシの像は拝殿の正面に対してそっぽを向く形で西側を向いて立てられており、一方東端の鹿島神社の御神体も、正面の北側ではなく東を向いておかれているのだそうです。へぇ~~。ただ、伊豆住人としては、事代主の在所が美保神社とされていることに納得がいかない。たしか事代主は国譲りの後、天津神らにことわって伊豫の大三島に移り、それから海を渡って三宅島に引き籠もり、そこから下田・田京を経て、現在は伊豆の三島におはしますんですよ。国譲りの神々の中で一番物わかりが良かったがために一番安住出来ずに各地を彷徨ったかわいそうな神様。その軌跡も地図に書き入れてくれなきゃ、この記事では片手落ちになると思う。
それから、諏訪大社の暴れん坊な御神体が、どっちの方角を向いているのかを、知りたいと思いました。

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テケリ=リ! テケリ=リ!

2007年10月17日 21時58分59秒 | 今週の気になる人

日記に書く事が無くて困っています。
外は良い天気だし、本は沢山読んでいるし、音楽もたくさん聴いてるし、ニート・借金生活は佳境をむかえているんですが… 書く事が無い。困った困った。…そうだ、3ヶ月車に乗っていなかったので、バッテリーがあがって動かせなくなっていました。どなたか近くに住んでいる方、助けてください~(笑)。

こういうときこそどうでもいいことを書いてみます。
まず、わたしのかわいいペット、テケリリの名前の由来について。

◎歌声喫茶テケリリ占い(10月16日):モーツァルト運下降中
  ショスタコーヴィチが音楽としてのモーツァルトの物だと感じられた時期がありますでしょう

・・・お前って奴は、、、

◎歌声喫茶テケリリ占い(10月17日):感動運上昇中
  感動をすると極北レベルがアップ

・・・わぉ。さっき、ガンダム00第2話見て感動しました!

◎歌声喫茶テケリリ占い(10月18日):音楽運そこそこ
  ニート・音楽は佳境をむかえているんでしょう

・・・しくしく

◎歌声喫茶テケリリ占い(10月19日):生活運上昇中
  生活があがって動かせなくなっていますでしょう

・・・そうだよ! 動かせなくなってるんですよ~(泣)

「テケリ・リ!」という語については、遥か以前に解説した事がありましたよね。ポオが長編小説の中で意味ありげに使用し、結局解答を与えなかったものを、のちにクトゥルー神話を創始したH.P.L.という作家が多様展開したものです。そういえば、また最近クトゥルー神話関係の書籍の発売が非常に活発になってきているんだそうですね。(果たして何度目のブームかしら?)※参考;最近の出版事情) …今の私には到底買えませんが、でもムーぐらいは買っておきたい。真ク・リトル・リトルのシリーズが私の手持ちが数巻抜けているので、私がふたたび金持ちになる頃(←笑)まで売れ残っているといいんですけど・・・。
でも、私のペットの「歌声喫茶テケリリ」の名が、その「クトゥルー神話」に由来しているのかというと、それは違うのです。

これは、『蓬莱学園の冒険』という、クトゥルー神話とは全然関係の無い別のゲームに登場する、パロディ地名だったのでした。
蓬莱学園とは、生徒数10万という架空の高校を舞台にしたラヴコメゲーム。私が高校生だった頃登場して、かなり話題になった作品でした。残念ながらゲームとして私が楽しんだのは1回か2回でしたが、舞台設定が楽しくて楽しくて、大好きでした。かつてはファンサイトもいっぱいあったのですが、いま検索してみるとほとんどが活動が終わっていますね。さみしい。ともかく、蓬莱学園という学校には「普通のものはなにひとつない」というのがウリで、歌声喫茶テケリリのみならず、何十年も経った今でも懐かしく思い浮かべられる破天荒なものがてんこ盛りだったのでした。

蓬莱学園も資料がいっぱい出ていますので、「歌声喫茶テケリリ」がどれに出ていたのかすぐに思い出せなかったのですが、いろいろ本棚を漁って出てきたのが『なんでもかんでも蓬莱学園』という本。1994年の本ですが、これは混沌とした蓬莱学園の基本ガイドブックとして出された一冊でしたっけ。この中の「蓬莱学園の買い物上手が通い詰める四つ星商店」という稿の中に、歌声喫茶てけりりが紹介されています。引用。

「宇津帆島において繁昌している店は数多い。しかし、それらが本当に生徒に愛されているのか、あるいは「絶海の孤島という制約条件で、一業種一店舗という異常極まりない独占状態が存続するため、生徒は否応なしにその店を利用せざるを得ない」(80年度宇津帆島全誌より)のか、専門生徒でも判断が付かない。したがって、ここでは、最近できた店の中から、人気・実力トップのお店を初紹介。

まずは「歌声喫茶てけりり」。一生徒によって作られたこの店は、特に学園祭などに置いてその店長の美貌で多くの客を集めた。だが、客引きの美しい女性(店長自らではあるが)に誘われて店内に一歩入った途端に、そこには一種の異空間が待ち受けているのだ!
まず、「ストレス解消には歌うのが一番!」とニッコリ微笑む店長の声は、なんともいえぬシブイ声。実はこの美貌の店長は男だったのだ! そして店内の様子も、店の名前から想像出来るように、ちょっと変わったお客が多い。24時間オープンのこのお店は、常に妙な盛り上がりを見せている。歌われている歌の数々も、どことなくおどろおどろしいものばかりであるが、こうした雰囲気の好きな人にはたまらないはずである。
材料にこだわる100%バナナジュースや、カレー入りのヘレニズムコーヒーといったメニューはあいかわらず健在。お手軽な猟奇を求める方は、ぜひ歌声喫茶てけりりをのぞいてみられることをお薦めする」

・・・今となってはこの店のどこが異常なのかわからないですよね?
店長が女装の快男児ぐらい? 申し訳ないですが私は同性愛には非常な差別主義者ですので言葉が無いですが、まぁ、美人な店長ならばいいですね。でもここに1994年という微妙な年代性が感じられて、おもしろくはあります。
「店の名前から想像出来るように」という語句から、この時代にはテケリリが何なのかが皆周知だったということがわかりますし、逆に100%バナナジュースのどこにパロディの要素があるのかが、わたしにはわからない。(バナナの皮と身の間のスジの部分には麻薬成分がある、といわれていた時代でしたっけ? つまり皮や乾燥させた葉も含めた100%ジュースってことか)

いま見つかったのは、この「なんでもかんでも蓬莱学園」という本だけでしたけど、その他にも学食横町の設定を扱った資料集があったような気がしますね。(生徒数10万人を誇るこの学校では、昼休みの時間に生徒が集中するこの学食横町が、戦場となるのです)。暇を見つけてさがしてみまーす。もちろん「ただ女装の店主がいる」というだけでは話にならないので、実はこのお店は猟奇の世界への入り口になっているんですよね。たぶん。そういう期待を込めて、私は自分のペットにこの名前を付けました。

蓬莱学園に登場するペンギンとしては、これ以外に、テロリスト組織である“黄昏のペンギン”(略してたそペン)が有名です。私が今蓬莱学園で遊ぶのなら、絶対所属したいであろうと思う団体です。1990年代は、「テロリスト」という語句は現在とは違う意味を持っていたんだよなぁ~~。スーパーファミコン版蓬莱学園では、たそペンのメンバーは常にペンギンのきぐるみを来てテロ活動に邁進していました。(※参考;いまさらなゲームを攻略する人さん。下の方にいろとりどりのペンギンがいます)。残念ながらペンギンの着ぐるみはスーファミ版だけの特殊設定みたいです。もちろん学園の各地にも、巨大な白色のペンギンがうようよといるんだと思います。

コメント (2)
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