オセンタルカの太陽帝国

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信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

ナーマとナーメ。

2023年02月19日 21時05分37秒 | 今週の気になる人

なんと、東洋文庫からこんな本が出ておった! 右の本。(2023年1月刊)
「文学的・詩的に秀れている」といわれる『バーブル・ナーマ』ならいざしらず、こんなのが日本語で読める日が来るとは思ってもいなかった。訳者は私の持っている『バーブル・ナーマ』と同じ間野英二氏。フマーユーン・ナーマの著者のグルバダン・ベギム氏も優れた文章の使い手としてインドでは名高かったんですよ。(彼女はフマーユーン帝の異母妹)。

が、立派な本なのに、全347pのうちの半分が注釈と解題である。本文短い。実はこれに先だって東洋文庫では『バーブル・ナーマ』も刊行されていたそうなのですが(それはおそらく私の持っている松香堂版と同じ物なのでしょうが。訳者が同じだから)、東洋文庫版バーブルナーマは全3巻だというのです。“図書館から落ちた”で有名なフマーユーン帝も“メロン大好き帝”バーブルと同じぐらい波瀾万丈な密度の高い生涯を送ったと思うのですけどな。フマーユーンナーマは(著者が女性なので)、ロマンス風味過多で語られるのです。短いのも実は彼女は兄の生涯の半分しか描いていない。兄の生涯の悲しかったことの半分は描いたけれど、兄の生涯の悲劇的なことは描かなかったのです。とはいえ、私がフマーユーン帝について知っていることの9割はこの妹が書いたことによるのです。次は『アクバル・ナーマ』ですね。アクバルナーマには決定的なことが書いてあるのだろうか。

左の本は2021年12月刊行で、これもすばらしい本。

先だって、『ムガル皇帝歴代誌』(2009年)という本があったのですが、この本は期待に反して図版が少ない。(全359pのうちフマーユーン帝の記述はたったの6ページである)。にもかかわらず、表紙が、初代バーブル帝(左)、3代大帝アクバル(中)、2代フマーユーン帝(右)で、この本はこの表紙の絵が一番の大価値であったわけです。

インドって言うのは歴史記述には全く重きを置かないわりに、特にムガル朝では絵画表現にははなばなしいものがあったそうで、2021年のこの本にはフマーユーンだけで10ぐらいの絵が載っている。バーブルも10超の絵がある。ネットでフマーユーンの肖像画を検索するとさまざまな画風の物があるのですが、ある時期の肖像画はバーブルとフマーユーンの顔の筆致が同じなので、「これは同じ画家が描いたのだろうな」と思っていましたら、この本で見るとみんな作者が違う。画家が違うのにフマーユーンの肖像画はみんなのっぺりとした目が細いあごの細い信長顔の美男である。フマーユーンってかなりの猛烈君主顔だったのではないか。インド顔ではない。アクバルでいきなり顔が変わる。

イランのサファビー朝のシャー・タスマースブ(右)と印度のフマーユーン(左)
芸術に造詣の深いフマーユーン帝は亡命先のサファビーのもとで美食を学び、パキスタンの砂漠で調理の腕を磨き、回復を果たしたインドの帝国でビリヤニ料理の文化を開花させたといいますよ。

浜松の「BiryBox」というお店で食べられるシンディ・ビリヤニ。

説明書きによると、現在集英社から刊行中の『アジア人物誌』の第6巻(近刊)に「バーブルの最新研究」が収録されるそうだ。これは買いましょう。

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ゲオルク・フィリップ・テレマンについて。

2023年02月18日 06時41分43秒 | わたしの好きな曲

たとえば、ヴィヴァルディだったら≪四季≫、バッハは≪G線上のアリア≫≪ブランデンブルク≫、ヘンデルも≪私を泣かせてください≫≪調子の良い鍛冶屋≫≪メサイヤのハレルヤ≫≪勇者が帰るから見てや見てや≫≪ヘンデルのサラバンド≫とか、≪ラモーのガヴォット≫とか≪パッへルベルのカノン≫とか≪リュリの赤い音楽≫とか≪コレッリのクリスマスジングル≫とか、著名作曲家には名刺的な著名曲があるものですが。
テレマンには有名な旋律のある曲がひとつも無い。

にもかかわらず、テレマンの曲ってどれも密度が高く完成度が高く、聴いていて凄く感銘に打ちのめされるので、聴くたびに「この人って天才だ」と思うわけです。
「代表作がない天才」ってどういうことだ。・・・もちろん『夕飯の音楽集(ターフェルムジーク)』が代表作なのですが、この中にもキャッチーな音楽は一曲も無い。なのにすべての音楽が親和性に溢れ、いずれも傑作なのは疑いがない。テレマンって凄いよね。この人はメロディーに重要性を置かなかったのだ。いや、もちろん音楽なのだから心揺すぶるメロディを多々ちりばめているのに、テレマンは多才な技量でわざとそのメロディを心残らないものにしている(なぜ)。テレマンって生前はヘンデルやバッハの3倍の人気を誇っていたそうですけど、これは、当時の人が記憶に残るメロディーよりも、目の前で繰り広げられる極彩色の音色の饗宴に熱狂していたって事ですよね。もちろんヴィヴァルディもバッハもヘンデルもそれを追求したのだろうけど、(当時は)テレマンの方がずば抜けていたって事で。結果論なのだけれど。時代的にはテレマンが勝ち組だったのですよ。
テレマンの曲はどれもすごい。“侘び寂び”があるのです。少し尖っているのに心地良い音。
カール・フィリップ・エマニュエルの音楽もそれなりに聴いたので、次はゲオルク・フィリップだ!

私が持っているCDは10枚程度。どれもがすごい。大バッハの3倍の曲数があるということですが、そろそろCD(笑)を集めようと思います。

バロック音楽はテレマンがラスボスです。

 

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