オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

クニガティン・ザウムの苦悩と偉大。

2008年07月23日 23時43分35秒 |   ゲーム本

続けて買っちゃいました。(2200円)
コリン・ウィルソンの『魔道書ネクロノミコン』みたいな疑似魔法本かと思っていたら、全然違いました。クラーク・アシュトン・スミス風のいろんな後継者の掌編を集めた短編集でした。(スミスの手になるものはリン・カーターによる改作を含めて6編)。おまけみたいな形で最後に魔道書っぽい呪文集が付いています。いげ いげ てぃす どぅる いはな!
私はスミスのコミカルな『七つの呪い』を最も愛しているので、大満足です。
それはそうと、巻頭に研究者によるヒューペルボリア大陸の地図なるものが付いていて、架空地図マニアの私は一瞬喜ぼうかと思いましたが、なんかイメージと違うんです。私は勝手にヒューペルボリアをスカンジナビア半島、もしくはモスクワ大公国のあたりにあると想像していましたが(だってクラーク・アシュトン・スミスの盟友ロバート・アーヴィン・ハワードの『コナン』シリーズではハイパーボリア国がそのあたりに設定されていたから)、この本ではどうもアイスランド? グリーンランド?みたいな雰囲気。北の失われたトゥーレとか想定しているのかしら。エイボンなだけにブリテン島かもしれない。…ま、私の違和感なんてどうでもいいんですけど。
意外なことに、クラーク・アシュトン・スミスの白眉と言われる『白蛆の襲来』を私はこれまで読んだこと無かったんですねえ。自分自身もそのことを知りませんでした(笑) どうもハワードの『妖蛆の谷』とかと混同していたみたいです。良かったです読めて。あと、リン・カーターの『シャッガイ』とか『ナスの谷にて』とか、はたまたブライアン・ラムレイの『シャッガイからの昆虫』とか、私は読んだことあったんでしょうかねえ?(自分でも分かりません) 先だっての『マレウス・モンストロルム』はエンターブレインからの出版でしたが、今回の本は新紀元社なのにその元ネタがたくさん入っていて嬉しいです。

気力があったら、ちゃんとした感想文を書きたいと思います……
そうそう、改めて『魔道師エイボン』と大瀧啓裕の『クトゥルー5巻』の巻末解説を読み直したんですが、土星にいるというお茶目なフジウルクォイグムンズハーって、ツァトゥグアの親縁っていうよりは大いなるクトゥルフの実兄じゃん。道理で強いわけです。いくい・どろ酒・おど袋んく。

コメント (2)
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八幡大菩薩新義由来。

2008年07月13日 09時11分27秒 |   ゲーム本

全然気力が無くなってしまっていて、すみません。
喜ばしいこと。先日、4回目のお給料をいただきました。3回目までは(研修期間だったので)失礼ながら絶望しか抱かないぐらいの額だったのですが、4回目のお給料はいきなり6まんえんもアップしていてびっくらこきました。ま、月に4回もお泊まりがある仕事ですからね。これでワーキングプア脱出だぜ。借金もバリバリ返せますぜ。月10万程度返していけば、2、3年で全額返せる計算です。
唯一の不満は、ヒマなお仕事なのに拘束時間がやたら長いことです。私は昨年の無職期間に一生分の夏休みはいただいたつもりであるのでそんなに文句は言わないつもりでいるですが、でもツライ。逆に唯一の楽しみは、傍らに例の可憐な「洞窟の乙女」がいてくれることです。この子と話をしているときが一番楽しい。相変わらず冒険の日々を送っているようです。私はこの子の輝かしいほほえみを拝む為に毎日仕事に行っているようなものだ。ベタ惚れなのです。でも彼女には多分恋人がいるので、変な勘違いはしないように注意しないといけません。なにしろ、干支が同じなんですよね(笑)
うーーん、思えば私も見事に立ち直ったものだ。われながらよくやったと思いますぞ。
あとは時間さえあれば! ラーメン行脚は写真が溜まりすぎて整理できていないので、しばらくお休みです。2度目の洞窟巡りも2週間前に敢行しているんですけどな。しくしく。

…さて! ということで、2月に発売されてただ指を加えて悔しく見ていただけの御本を、ようやく買えました! 4500円。うるうる。

私は小さい頃から、カタログ的な本が好きな子供でした。
昆虫の図鑑とか恐竜の図鑑とかウルトラ怪獣大図解とかサメのカタログとかウミウシの写真集とか。この本は、クトゥルフの呼び声というゲームに出てくる怪物をカタログ的に集大成した本です。凄いぞ。

ゲームに関しましては、『クトゥルフの呼び声』というのは完全にパターン化された遊びです。
まず事件が起こって、探索しているうちにその事件の背後に何がいるのかが分かってくる。その「背後の黒幕」が「世界を海の下に沈めてしまおうとたくらむダゴン秘密教団」だったり「人類の間にスパイを潜入させようとしているヒマラヤの雪男(=蟹に似ている)」だったり「身近な所から世界征服をたくらむ黄昏のペンギン」だったり「何を考えているかよく分からない星の智慧派」だったりするのですが、その「敵の正体」というのが結構パターン化されているので、ゲームで遊ぶ人たちは「ななな、なんだってー」「ふふふ、やっぱりそうか」などなどと反応をして楽しむゲームなのです。要はゲームで一番重要となるのはその「敵の正体」と「どんな怪物が出てくるか」なので、これまでのルールブックでも、「神話的生物」、「神話的存在」は一番のページを割かれて紹介されていたのでした。これ以上に詳しい説明は必要あるのか?ってくらいに。

この本において、私のしていた期待は半分がっかりさせられ、それを遥かに上回る歓喜に満たされます。まず書式において、これまでのルールブックでの書き方と全く同じなのです。解説文こそやや詳しくなっていますが、おおむねの紹介物件は文章そのものはこれまでのものと大差ない。しかしながら、この本が一番力を注いだであろうことは「これでもか!」というくらいに項目数を増やすことだったのです。聞いたことの無いような、、、 というよりいろんな作品で目にしても、まさか特別な存在だと思わなかった物に、わざわざ名前を付けてある。
例えば、私の大好きな小説にHPLの『エーリッヒ・ツァンの音楽』という作品があるのですが、あそこで彼が弾いていたヴァイオリンの音色は「トルネンブラ」という「外なる神」だったんですって。なんだそりゃ。(私もかつて“ヴァイオリンの鬼神”パガニーニを題材にして小説を書いたことがあるのですが、その正体もそれだったのだと今だったら言える)。ハワードの『黒い碑』に出てくる「黒い碑の上にちょこんと座っているヒキガエルみたいな神」は当然の事ながらツァトゥグァかと思っていたんですが、あれは「ゴルゴロス」という別の神なんですって。
また、フジウルクォイグムンズハー(土星にいる神。クラーク・アシュトン・スミスの短篇に出てくる。ツァトウグアの親戚という設定)やリリス(HPLのレッドフックの恐怖に出てくる)などという、わざわざ紹介しなくてもよいものまで取り上げられています。能力値まで付いてる! そういうところがおもしろいんですけど。…でもフジウルクォイグムンズハー様、、、 あんまり強くないです。(もちろん神だから人間じゃ太刀打ち出来ないですけど)・・・・(ウソでした。ちゃんと読まずに書いてました。能力値だけ見たらフジウルクォイグムンズハーはツァトゥグアよりもダゴンとハイドラよりも強い)
いくつかのブログ様で話題になっている「きれいなクトゥルフ」、わたしもこれには大笑いしましたよ。

一番嬉しかったことは、私の偏愛するニャルラトテップ様の記述が異様に充実していたことでした。ヘンテコな神々がたくさんいるクトゥルフ神話の中にあって、ニャルラトテップさまだけが「唯一本当の人格を持っているのは彼だけ」とルールブックにも明記されているんですよね。神なのに人格って何よ、と思いますけど。
知らない人へ。ニャルラトテップとは神々のメッセンジャー役を務めている小物の神です。が、大災厄が訪れる時必ずその場にいるので(メッセンジャーであり監視人ですから)、「雑用係だけど実は一番強大な力を持っている」とも言われています。矛盾に満ちた神なのです。ステキ。HPLの夢幻的作品『ナイアルラトホテプ』では人類の滅亡の場に居合わせるのはこの神であると予言されています。
とにかくニャルラトテップ様は、「千の姿を持つ」と言われているのに、これまでのルールブックでは「闇をさまようもの」「暗黒のファラオ」「黒い男」「顔のないスフィンクス」「吼える木」「膨れる女」ぐらいしか紹介されていなかったのでした。ニャル様を生み出したのはHPLで、それを愛し継承したのは弟子のロバート・ブロックだったのですが、彼らが生み出した姿のバリエーションがそれぐらいだったんですね。「膨れ女」ってのはケイオシアムの『ニャルラトテップの仮面』に出てくるんでしたっけ。かくいう私も「暗黒のファラオ」のイメージが強すぎて、ニャルラトテップの絵を描く時は常に黒い服の男の絵なのです。

今回のこの御本に出てくるニャルラトテップさまのお姿は、その数43! 千には及ばないですけど、やっぱりこの充実ぶりには目を見開いた!
例外はいくつかありますが、そのそれぞれに出典的作品・モチーフがあってすごい。とはいってもゲームの隆盛している現代、そのほとんどが同社のゲーム作品からの引用からというのが悔しいのですけど(というよりは、ゲーム者達からニャルラトテップは異常に愛され活用されていると喜んで見るべきか。大いなるクトゥルフやハスター様はここまで充実していないのですから)、それをひとつひとつ見ていくのは楽しいです。ニャル様は、メソポタミアではバズズで古代ヨーロッパでは角を持つ男(ルーンクエスト!)、アステカでは戦神テスカトリポカ、エジプトでは暗黒神セト、ドルイド教ではウィッカーマン、ヴードゥ教ではサムデイ男爵。珍しい所では、リスト・フランツに作曲の源泉を与えたのはニャルラトテップ様の顕現である“赤の女王”だという記述がありました。

そして、我らが日本では。
「悪・心・影」っていうんですって。
記述を抜き書きしてみますね。


新月と最も暗い夜にしか、この化身を招来することはできない。この化身を知らずに召喚する人々の前に、悪心影は目に見えない姿で顕現し、周囲の闇と融合して、新たな犠牲者につきまとう。
悪心影の恐ろしい顔に加え、ニャルラトテップの日本での化身は暗黒将軍と呼ばれる堂々とした風采のカリスマ的な日本人男性の姿で現れる。暗黒将軍は、日本の歴史において最も激動の時代における紛争の多くに責任があった。化身の顔は、過去に織田信長として知られていた男の物である。信長は、戦国時代に、血にまみれながらも日本を再統一した戦国大名である。現代では、この人間の顔でビジネススーツを着て会議室で日本の財界人と一緒に座っている。彼を殺すと悪心影の奇怪な姿に戻る。また、この「信長の亡霊」は超右翼主義者に帝國日本の再興を約束し、彼らを使ってさまざまな問題を起こしている。

20世紀以前には、悪心影は混沌と戦争の神として崇拝されてきた。崇拝者はその召喚の怒りが敵に向けて解き放たれることを望んでいた。しかし、この神の性格が予測できないものであると知られるようになったため、この習慣は廃れてしまった。現代では「仏陀の涙」や「ダグバ」のような堕落した仏教の宗派に所属する狂気のカルティストたちによって崇拝されている。

なんと!! 信長はニャルラトテップ様だったのかー!!!
信長の姿の時の能力値も載っていまして、STR(筋力)が12(=並の人間並み)、CON(頑強度)は19(=ちょっと頑丈)、SIZ(体格)は11(=平均身長より少し低い)、INT(知性)は86(神並み)なので泣ける。この「悪心影」に限らず、ほとんどの顕現でニャルラトテップ様のINTは86だそうです。(例外はある)
クトゥルフ神話の中の織田信長と言って思い出されるのは、数年前に出された朱鷺田祐介氏による素晴らしい『比叡山炎上』と、学生の頃に読んだ栗本薫氏の『白銀の神話』。栗本薫氏のは異色すぎるから(織田信長の正体は八岐大蛇=北斗多一郎でした)置いておくとして、『比叡山炎上』ではどのように書かれていたのか、気になって引っ張り出してみました。

思い出したけど、この本でも「悪心影」についての簡単な解説があったんですね。見たことがある気がするわけです。もともと「悪心影」というのは『Secret of Japan』という未訳の本に収録されていたものだそうで、織田信長は日本での暗黒神ニャルラトテップだとし、そのエッセンスを少しだけ取り入れたのが「比叡山炎上」みたい。他にどのような日本の秘密が書かれていたのでしょうかその本には。
しかし、『比叡山炎上』の素晴らしい所は、真相がいくつか用意されていていて、創作者が好きなのを選べるようになっていることだったのでした。
つまり、「信長の正体」について10個もの説が並べてあり、そのうちのどれを選ぶかによって物語が全く別の物になるように作ってある。中には「信長はチベット仏教の魔術師説」や「蜂須賀党(ビヤーキー)を統べる美濃(ミゴゥ)の首領」と言ったものから「普通の人間説」、もちろん「ニャルラトテップの化身説」もあります。どれもが解説は簡単ですが、歴史的整合性に無理が無い(笑)ところに日本の歴史のおもむきぶかさを感じますね。
そしてそして、さらに秀逸なのは、織田信長だけでなく、羽柴秀吉、明智光秀についても同様に10個ずつの真相の選択肢が用意されていることです。この3つを組み合わせることによって膨大なバリエーションの奇想天外な物語を生み出せるようになる。おもしろいのは、信長と同様、秀吉、光秀にも「実はニャルラトテップ」という結末が用意されていることです。3人とも「実は同じ神の別の顕現で、同時に別の存在として出現していた」という物語も可能だったりして。
個人的には明智光秀、もしくは森欄丸、はたまた黒人の弥助あたりがニャルラトテップだったと思うなあ。私は根が単純だから。勝手な言い分ですが、織田信長はニャルラトテップにはふさわしくない。ニャルラトテップって常に脇役・傍観者でなくてはならないですし。もちろん徳川家康はツァトゥグアです。

クトゥルフ神話を知らない人へ。
次の動画を見てください。これを見て「クスリ」ともできなかった人は適性が無いと思うので、いくら「有名な話らしいから読んでみたい」と思っても、やめておくのが無難だと思います。東京創元社の「HPL全集」では第一巻の冒頭にこの中篇が置かれていまして、耐性を図るための試金石となっていたんですよ。

『ダゴン』もあるでよ。

コメント (5)
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