オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

眠ってもよい。

2009年02月19日 10時28分41秒 | 遠州の歴史

室内ぼたん庭園のタダ券をいただきましたので、可睡斎に行ってきました。
このお寺に来るのは昨年(・・・いや一昨年か)の火祭り以来ですから、一年ぶりですね。

可睡斎というのは西遠・袋井市にある曹洞宗の大寺で、とりわけ徳川家康がこのお寺を保護して、大きな権限を与えたために江戸時代を通じて大いに栄えました。遠江でもっとも大きなお寺。三河・遠江・駿河・伊豆の全曹洞宗を束ねる「東海大僧録」の位を与えられたばかりでなく、家康は明治5年に北の霊山・秋葉山に住まう大天狗の正一位秋葉山三尺坊大権現に山を出てこのお寺に移住するように命じていますし、またお寺の住職にはいつどこでも子供のように勝手に眠っても良いという許可を与えています。(「可睡斎」という名前の由来)

私の家から袋井市までは30分ぐらいなのですが、そこに向かって車を走らせている途中、見たことのあるような景色を通りかかりました。おお、ここは、以前一度(夜に)見に来た「源朝長の首塚」のある友永郷だ。源朝長とは源頼朝のお兄さんで、平治の戦いで無為に死んだ人です。折角なので、寄って昼間の写真を撮っていきます。この墓のある積雲院とは可睡和尚つながりですし。

源義朝、源朝長、源義平。
・・・う~~ん、うまく撮れない(前の格子が邪魔で)
さすがにお寺には笹竜胆の御紋(=一般的に源氏の紋所とされる)が随所に踊っています。

山門のところにある石灯籠が印象的でした。(あそこの部分にあるハートマークが)
それにしても、のちに可睡和尚となる仙麟等膳は、確か可睡斎に入る前に家康からこのお寺を与えられるんですよね。当時の西遠においてこのお寺の位置づけはいかがだったんでしょう。

死んだ朝長の6人の兄弟たちを供養する石仏(ウソ)。

根元に「楠の木 大垣市青墓町」の標識があります。なにか謂われが?

前に「源朝長の刀と源朝長直筆の書き付けがあったが、刀は江戸時代に失われた」ことを書きましたが、市無形文化財の「源朝長公御祭礼」ってのもあるんですね。これが話に聞いた「遠州大念仏の祖形」となったものでしょうか?
にしても、茶畑に囲まれて家は密集していて、同じ遠州でも浜松と比べて桃源郷みたいなところですね、袋井。真夜中に来た前回は分からなかった。

そんなこんなで、そこから10分、可睡斎に向かいます。

可睡斎は大きなお寺ですが、建物の内部の拝観には500円かかります。が、わたしはこれまで秋葉山三尺坊が祀られている「御真殿」(拝観料がタダ)にしか興味が無かったので建物の中には入ったことが無かったのですが、今日はタダ券があるので堂々と入れます。室内ボタン庭園は瑞龍閣という建物の中でやっているといいます。


(これは入口・総受付の萬松閣)

おお、花の見分けには不案内なわたくしですが、牡丹ってなかなかいいものですね。個体の個性の差が大きくて。
事前にしていた期待より花の数がやや少なかったようにも感じましたが、この牡丹庭園は1月1日から5月31日までのかなりの長期間、花を入れ替えながら開催しているそうです。何度も見に来たくなるです。

また、これと並んでつるし雛も華やかに飾られていました。
つるし雛っていうのは伊豆の稲取が有名な伝統芸能ですが、私が住んでいた伊豆の長岡でも最近熱心に展示を行っていて、聞いてみると「稲取のが一番有名ですが、もともとは伊豆の各地で作っていたもので、決して私たちが稲取のまねをしてるんじゃないんですよ」と主張してました。ま、ともかくも伊豆のものなんです。とにかく作るのに手間がかかるそうで、売っているのを見ると小さい物でも2千円とか。
ところが浜松に越してきてから、なぜだか遠州でもこのつるし雛飾りがさかんなことにびっくりしたんです。静岡つながり? 実を言うと私が働いているお店でも2月の1日からつるし雛飾りを盛大に飾ってまして、わざわざ遠くから見に来るひとが沢山いる。伊豆の吊し雛にはひとつひとつの人形に意味があるのですが、なんでも浜松にも教室があって、敢えて伊豆のとは違う創作的な飾りを作っているのだとか。で、この可睡斎の飾りはウチで飾っているものとは若干流派が違うようなのです。・・・流派? 流派があるのか。

 

この可睡斎は私にとっては天狗のお寺なんですが、上のように「ぼたんの寺」としても有名ですし、またもうひとつ有名なものがあります。「日本一のトイレ」のあるお寺としてです。
日本一のトイレ。
ゆっくり見ていたら、おばちゃんたちを引きつれた若いお坊さんがやってきて解説。
勝手に男性トイレだと思っていたら、男女両用でした。そうか、お寺ですもんね。

ぼたん庭園や大トイレ以外にも、お寺内をすみから見て回れます。
宝物殿もありました。りっぱな絵の屏風もたくさんですし、厳かな高祖廟や歴代住職の廟や。

このお魚は「魚鼓(ぎょく・ぎょこ)」といって、食事の合図のために鳴らすもの。木魚の原型だそうです。またインドでは(弘法大師も言ってる)、魚は居眠り、怠けの戒めの意味があるので禅宗のお寺によく釣り下げられているそうです。

秋葉山三尺坊を祀る御真殿にも内側から行けるようになっていまして、(可睡斎の本尊は聖観音菩薩でそれは本殿に飾られているのですが、お寺を鎮護する三尺坊さまが別にいて、それが鎮座している御真殿という建物が本堂の奥の高いところにあるのです)、なんとそこに至る途中にこんな立派なエスカレータが。わお!

さてさて、最後にこのお寺と徳川家康との関係を考察してみたいと思います。
可睡斎が創建されたのは室町時代初期の応永年間で、開祖は恕仲天(にょちゅうてんぎん)といいますが、繁栄の礎が築かれたのは、家康の師だった“可睡和尚”仙麟等膳(せんりんとうぜん)が11世の住職になってからです。
当然、「可睡斎」という寺名が付いたのはその可睡和尚の時代ですが、それ以前の東洋軒と呼ばれていた頃のこのお寺がどれほど繁盛していたのかという情報はいくらググっても出てこないです。(誰も興味がないから載ってないだけで、図書館等に行けば一発で分かると思うんですけどね)
とにかく、家康の時代に大きくなったんです。

ウィキペディアに気になることが書いてあります。

「徳川家康が、幼い頃、武田信玄の軍から逃れたとき、仙麟等膳によって父と共に匿われた」

武田信玄が駿河・遠江に進出を始めたのは今川義元が死んだ以降ですから、幼い頃の家康が武田信玄と戦ったはずなどないので(ましてや松平広忠が!)、ウィキペディアに特有の誤情報といえるのでしょう。事実、可睡斎の公式サイトにはそんなこと書いてありません。こうです。

「11代目の住職仙麟等膳和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまいました」

・・・・ん?
だとするとその時の敵は誰? 織田信秀軍?

実を言いますと、可睡斎の境内に立っている看板には次のように書かれています。

「武田信玄との戦いで、遠州森・袋井方面に攻めてきた武田軍に追われ、この寺のほら穴に逃げ込んで命拾いをした」

・・・いったい、家康とこのお寺との間に因縁ができたのはいつの時点の話なんじゃらほい。


家康が逃げ込んだという穴のある奥の院付近。奥の院は数年前に火事で焼けて再建されたそうです。
さすが火の神(=三尺坊権現)を祀っているお寺ですから、たまにはそういうこともなくっちゃね。

調べてみると、この逸話は相当胡散臭いですぞ。
お寺には「このお寺が窮地の家康を救った」然と書かれておりますが、家康が仙麟等膳に可睡斎を与えたのは家康の浜松移住後です。つまり、幼い家康をこの寺で救うことは不可能なのですが、実のところ等膳が何年にこの寺の住職となったのか正確な年代が分からないので、浜松で20年間信玄に苦しめられた家康が、武田軍からアジール的に幾度か逃げ込むと言うことはあったかもしれない、無かったかもしれない。武田軍は信仰は篤かったけれども、敵地の寺社は平気で焼き払いましたからね。(この点には異論もあるそうです。武田軍は決して寺に手を出さなかったという説もあるらしい)
で、ネットで調べてみますと、仙麟等膳が家康を救ったエピソードが伝わる寺には、この可睡斎のほかに2つあるというのです。
ひとつは仙麟等膳の出身地と伝えられる伊勢の国の近くにある篠島。(※愛知県に属す)
もうひとつは、家康が人質時代を過ごしていた静岡で、そのころ等膳が住職をしていたという増善寺。
篠島の逸話は、例えばこのブログさんを参照して欲しいのですが、実際に家康が幾度となくこの小島に渡っているという記録があるそうで、信憑性がある。さらにこちらさんには篠島の妙見斎で仙麟等膳に侍していた小坊主・のちの士峰宋山が竹千代の遊び友達になったとか、仙麟等膳の父も竹千代の父の松平広忠や伯父の松平信定を保護したとか、いろいろと興味深いことが書かれていますぞ。
一方静岡の方にはこんなことが書かれています。うーーん。

結局の所、たまたまお寺にちょうどいい大きさの穴があったので適当に「家康逃げ込み伝説」が生まれ、それに付け加える形で家康に寵愛された仙麟等膳の逸話がすべて「このお寺で起こったこと」とされたとしか思えないです。・・・いや別に、本当に等膳が、篠島と駿府と袋井で計3回家康の危機を救ったのかもしれませんけどね。家康の生涯は窮地の連続でしたから。

一方で、家康の三尺坊好きは本当のところであったようです。
可睡斎ではなくて秋葉山に伝わる伝説なのですが、立派な息子を得ることを望んだ三河国主・松平広忠がわざわざこの山に登って祈祷した結果、生まれたのが竹千代だという逸話があります。
のちに浜松を侵略した家康は早々に、北からの脅威・武田信玄に対抗する必要上、春野の天野氏を取り込み、同時に秋葉山の修験者たちを手勢に加えます。とりわけ家康に諜報員・外交官として重宝されたのが新潟栃尾から来た修験者・茂林光幡(もりんこうは)。

 

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饐えて冷めきった鉄を叩いて延ばして粘りを与える。

2009年02月14日 23時13分39秒 | 今日の、エウクストロネラ

せっかく始めたのでまとめページ。

2009年1月6日 6:12
今日の警言 「ライオンは生まれついての怠け者。食料さえ十分にあれば、怠惰な生活をいとも簡単に受け入れ、木陰なんぞでこれ幸いとばかり、いくらでもうたた寝にふける。トラはそうはいかない。彼らには求めるものが遥かに多いのだ。神経系統が無為を嫌い、長時間くつろぐことを許さない。どんなにたらふく食べさせようと、駄目なものは駄目なのだ。檻に入れるとすぐに退屈して落ち着かなくなり、中をうろうろと歩き始める。それだけに、檻で飼うのが困難をきわめる動物だ。動物園では気を使う」(ライアル・ワトソン『ネオフィリア』)
 
2009年1月6日 5:57
今日のポオ 「これに対してなんと言っていいかわからなかったので、僕は大きな声を張り上げて、「エジプト人が蒸気のことを知らないのは遺憾だ」と言った。エジプトの伯爵は驚き呆れて僕を見たが、何とも答えなかった。だが例の無口な男が肘で僕の肋骨をぐいと突き、おい、これでお前は自分の程度をすっかり暴露してしまったのだぞと言い、現代の蒸気機関はソロモン・デ・カウスを通じてヘロの発明から借用したものに他ならぬことを知らないほど、お前は実際馬鹿者なのかと言った」(『ミイラとの論争』)
 
2009年1月5日 0:04
今日の弘法大師 「魚という動物は、みな心にむさぼりの心があり、怒りの心があり、とてつもない愚かさがあり、かつ欲深い生活をしています。魚の王は鯤という怪物で長さ数千m、海中を我が物顔に泳ぎ回り、大口を開けて食べ物をあさっています。彼らが吐き出す波は離欲の為に船出している者や慈悲を求めて航海をしている者も沈めてしまいます。魚類は気ままで、泳いだり潜ったり、志に一定の決まりがありませんし、貪婪で心根も素直ではありません。彼らは後の世で受けなければならない地獄の苦痛をまるで考えずに、この世の価値だけを追い求めているのです。次に鳥たちはどうでしょう。鳥という動物は、おもねりといつわり、ざんげんとへつらい、そしりあいと陰口、おしゃべりとかまびすしさに満ちていて、常に周りの顔色ばかり見て取り入ったり、平気で悪事をはたらいたりしています」(空海『三教指帰』)
 
2009年1月4日 23:32
今日のサン=ジュスト様 「道徳的な自然は、革命を遂行するに当たって肉体的自然より多くの顧慮を図るべきだろうか? 理念というものも物理法則と全く同じく、その法則に逆らうすべてのものを破壊していかなければならないのであろうか? そもそも道徳的自然、つまり人類を総体的に変革していく大事件というものが、血によって行われてはならぬわけがあろうか? 世界を動かしていく精神は、物理的な領域において火山の爆発や洪水を必要とするのと同じように、我々の腕を必要としている。人々が疫病で死のうと革命で死のうと、それは大したことではないのではないか?」(ゲオルク・ビューヒナー『ダントンの死』)
 
2009年1月2日 9:01
今日の名将軍 「テーバイのエパミノンダスの言ったことだが、敵勢の思惑と兵法と自らの情勢を的確に見抜くことほど必要で重要なことはない。エパミノンダスほどの人をもってもそのような洞察は難しいものだったが、しかし彼はその能力では賞賛に値する人間だった。というのも歴史上何度も起こったことだが、合戦が長引いて夜になって小休止に入ったとき、勝っている方が負けたと勘違いし、負けた方が勝った気になったりするものだからである。かような勘違いのおかげでせっかくの幸福を失ってしまうことがある。ブルートゥスとカッシウスの場合がまさしくこれで、ブルートゥスは戦いの上で勝っていたのに味方のカッシウスが押し込まれているのを見て、自軍が総崩れになったと思い込み、武運が尽きたと勘違いして自ら命を縮める始末になってしまったのである」(ニッコロ・マキャベリ『ローマ史論』)
 
2009年1月2日 8:27
今日の警言 「劇場で人気役者が舞台から引っ込むと、観客は次に出てくる役者には目もくれず、そのセリフも退屈なおしゃべりとしか思わない。それと同じように、いやむしろそれ以上の軽蔑でもって、人々は誇り高いリチャード王に対して眉をしかめてみせたのだ。彼の名を叫ぶものはおらず、彼の帰国を歓迎する声はもちろん無かった。それどころか彼の聖なる頭上にごみが投げつけられ、彼はそれを寛容な悲しみをもって払い落としていた」(ウィリアム・シェイクスピア『リチャード2世』)
 
2009年1月2日 0:48
2度離縁された妻 「呉起は妻に組み紐を編むように頼み、その編み方を詳しく指示した。妻が編み上げた組み紐は、それは素晴らしい出来だった。呉起は妻に尋ねた。「なんと素晴らしい。本当に私の言ったやりかたでこんな物ができたのか?」 妻は答えた。「材料の使い方は同じはずですが、やり方に私なりの工夫を加えてみたんです」。それを聞いて呉起は悲しそうに「私の命じたやり方でやったわけではないんだね」と呟いて、妻に離縁を告げて丁重に実家に送り返した。妻の父は驚いて呉起に考え直すことを訴えた。それに対し、彼は「私の家では嘘は申しません」と答えた」(『韓非子』)

2009年1月1日 23:52
今日の名宰相 「のちに楚の宰相となる呉起が妻に組み紐を編ませた。出来上がった紐は呉起が指示した寸法に足りなかったので、彼は妻に作り直すように命じた。妻は素直に「わかりました」と答えてやり直し始めたが、できたのはやはり寸法が足りない物だった。呉起がなじると妻は言った。「だって最初に縦糸を掛けてからそれに合わせて横糸を編むんですから、途中で直すことなんてできないんですっ」。呉起は激怒して妻を離縁した。彼女は憤然として自分の兄に訴えた。するとその兄は答えた。「呉起は法律を学んでいる。それは国を救うためにである。彼はまず自分の妻で統治のやり方を測ってみようとし、そしてお前は応えられなかったのだ。お前ももう復縁しようなどとは思わないことだ」(『韓非子』)

2009年1月1日 8:18
今日の警言 「侯爵夫人、あなたが面白半分に、もしくは慈悲の心から、世間からやくざと呼ばれている連中を身の回りに集めたとして、このやくざが貴女に卑劣なことをし始め、やがてあなたにもそれを無理強いし、結果、貴女がまじめな人々から爪弾きされそうにしたとしても、この場合悪いのは貴女の方ですよ。まじめな人々は自分のしなけりゃならないことをしているんだし、やくざどもにしてもやはりそうなんです」(ドニ・ディドロ『ラモーの甥』)

2008年12月31日 10:15
今日の名宰相 「孔子は聖人ですが、弟子の子路は師をまわりくどいと批判しました。孟子は賢人ですが、当時の人々はやはり孟子の言うことをまわりくどいと評しております。まして司馬光となれば、そうした印象を帝に与えてもいたしかたありますまい。物事をより深く考える人ほど、まわりくどいように見えるものです。どうぞそのように考えて、陛下も司馬光に接してくださいますよう」(北宋の神宗の側近・呂公著が司馬光を評して)

2008年12月29日 9:52
今日の警言 「あなたの敵は、攻略し、自分の欲しいものを略奪するために、司令官のように振舞います。野戦の指揮官が陣を張り、城と兵力をよく偵察し、最も手薄なところから攻撃するように、人類の敵もまたわれわれの周囲を廻って、われわれのすべての徳、対神徳や枢要徳や倫理観を順々に調べ上げ、永遠の救いのために最も弱く無防備なところを見出し、そこからわれわれを攻撃し、われわれを虜にしようとします」(イグナティウス・デ・ロヨラ『霊操』)

2008年12月28日 9:15
今日の大往生 「きちんと座って正しい心で己を観察し、大きな慈悲の心を持って巨大な家のようにし、智慧を鼓となし、覚悟の念を杖のようにして鼓を打ちながら、自分の中のもろもろの煩悩に言いましょう。おまえら、知れ! すべての煩悩は妄想なのだ。もしわが身に善事が起こってもそれは法王(=仏)のおかげであり煩悩の結果ではない。速やかにオレの身から出て行け。出て行かないのなら殺してやる。・・・こんな風に言えば、どんな煩悩の賊だって、自ら消滅してしまうはずです。あとは自分で自分を防護する心を起こし、放逸しなければいいのです」(源信『往生要集』)

2008年12月27日 0:03
今日の名宰相 「自分の軍隊が災禍に遭っている場合と同盟国が災禍に遭っている場合、どちらがより重大事か。「同盟国を救うほうが大事である」とヴァータヴィヤーディは言う。「信頼に足る友邦というものは、遠くにいても無報酬で我々のために働いてくれる。背面の敵・見えない林住族長に対しての牽制は、窮地においての最大の助けなのだから」。「それは正しくない」とカウティリヤは言う。「征服者が強大な力を持っているときのみ友邦は友情を示すのであり、そういう時は敵ですら友情を示すふりをする。だが、切羽詰った戦争や、捕虜や宮廷内部の謀反の場合は同盟国の力は全く当てにならない。大災害が同時に起こったときや敵軍が多方面に展開したとき、普通は誰もが自己の利益を追求するのである」。」(紀元前4世紀チャンドラグプタ帝の宰相チョーナキヤ『アルタシャーストラ(実利論)』より) 
 
2008年12月25日 22:28
今日の真言 「おん べいしらまんだや そわか/あり なり となり あなろ なび くなび」(多聞天の真言)。意味は「名声のある尊天に帰依復命したてまつる。めでたいね♪」「富める者よ、芸に秀でた者よ、讃歌によって踊る者よ、火の神よ、歌の神よ、醜い歌神よ、めでたいです♪」。多聞天とは別名毘沙門天ですが、武神・軍神です。読みによってヴァイシュラヴァナになったりマイシラマナヤになったりベイシラマンダヤになったりするらしい。名前の意味は「みんながよく知ってる偉い人」という意味で、それを縮めたのが多聞・普聞ですってさ。有名人。上杉謙信が崇拝したことで名高いですが、謙信がかぶっていた兜の前立てになっているのは毘沙門天じゃなくて飯綱権現。飯綱権現は別名飯綱の三郎という天狗で、三尺坊大権現と同じ狐に乗って憤怒の表情で剣を握る姿をしているんですよ。でも謙信の飯綱信仰も名高いですが、知切光歳によると「謙信は飯綱山よりも戸隠山への尊崇のほうが厚かった」といいます。でも戸隠山の守り神も飯綱大権現なんだそうです。
 
2008年12月25日 21:05
今日の捻ってしまった文章 「・・・このように西洋開闢以来5840年間の学問の興廃と得たもの失ったものの流れを見てきました。しかし諸学科が興ったと言っても、概するところその種類は五種類です。その1は「レイデンキュンデ」といいます。自然作用の原因を規則立て、その真偽虚実を知る学問で、仮に「知理義学」と訳します。その2は「ゼーデンキュンデ」といいます。禍福報恩のことを知る学問で、道徳・宗教学・政治学の総称です。第3が「ナチウルキュンデ」で、諸物の性質を知るための方法を探る学問、即ち視学・分合学・称水学・器械学等を含みます。その4は「ボーヘンナチウルキュンデ」。五感では感じ取ることの出来ない諸物の性質を知る学問です。ウェーゼンキュンデ(←?)。精神学・世界学・鬼神学がこれに属します。第5が「ウヰスキュンデ」といい、諸物の形状・距離を測る学問です。算学・度学・ホーケテレキュンデ・星学を含みます。総称して「数学」と訳します。その他にも文章学・物産学・年代学等さまざまな分野がありますが、すべて上の五学のうちの一派と分類できます。ヒーストリア(歴史学)は事物の外表を記す学問ですが、それと合わせて内面のことも記すならば、すべての原因を明らかにできるのだから、ゲシキイニデスといい、もしかしたらこれを6つめの学問とすることができるかもしれません」 (高野長英『西洋学師ノ説』)
 
2008年12月24日 14:12
今日のあれっと思った警言 「ルソーの権威がどんなに私に尊敬の念を引き起こそうとも、おお、偉人よ、死刑を正当化した点で私は汝を許さない」 (サン=ジュスト『革命の精神』) ・・・“死の大天使”サン=ジュストって死刑には反対の論者だったんですね。・・・って、すんません、サン=ジュストのふたつ名って”死の大天使”じゃなくて”革命の大天使”でしたね。うろ覚え。有名な演説「人は罪無くして王たりえない。国王こそ反逆者であり主権の簒奪者である。従ってルイは王として統治するか、死ぬかのどちらかなのだ」の文章はレトリックに満ち解読に労力が必要なのに、日本語で全文を読める資料は無い、と誰かが言ってました。確かに中央公論社版世界の歴史ではその部分は「ルイは人民を謀反者として告発した。しかし革命と人民は彼こそが謀反者だと明らかにした。従ってすでにルイは既に裁かれており、この裁判こそが無意味である。あらゆる王は謀反者であり、権力強奪者である。国王が罪無く統治することなどありえない。ルイはそれ以前も以後も市民ではなかった。彼を裁くということは彼を市民扱いするという重大な過ちを犯すことでないか」となってます。ここは本によって表現がかなり違いそうですね。市民扱いもなにも、ルイは革命後はシトワイヤン(市民)カペーとなっていたはずですけど。そもそも”恐怖時代の大天使”サン=ジュストが有名なのは日本と限られた周辺だけみたいで。ベルばらにサン=ジュストが登場し重要な役を占めたのは池田理代子と親しかった木原敏江が大プッシュしたからだと聞いたことがありますが、その木原敏江がサン=ジュストの生涯を描いた漫画『杖と翼』が昨年文庫化されました。しかしその頃わたしは金欠の極みにあったので2巻までしか買ってないや(全4巻)。
 
2008年12月22日 7:26
今日の変なヤツ 「・・・13歳で私はバイロンを理解するだけに成熟していたのだ。『マンフレッド』があるのに『ファウスト』などという名前を口に出せる人間には言うべき言葉はない。ただ流し目をくれてやるだけだ。ドイツ人にはおよそ偉大さということを理解する能力が無い。その証拠はシューマン。私はこの甘ったるいザクセン人に対する憤懣から、これに対抗するマンフレッド序曲を自分で作曲してやった。それを見てあのハンス・フォン・ビューローは言ったものだ。このようなものはまだ見たことが無い。これは音楽の女神への暴行だ」 (ニーチェ「なぜ私はこんなに利発なのか」という文章より)
 
2008年12月22日 7:11
今日の警言 「権利の問題として主張されている世襲制は子孫に対する侮辱であり、詐欺である」「王位の世襲権の愚劣さを示す最も自然な証拠のひとつは、自然がこれを認めないということだ。事実自然はしばしば人類に対してライオンの代わりにろばを与えて、世襲制を笑いものにしようとしている」 (トマス・ペイン『コモン・センス』)
 
2008年12月20日 9:30
今日の警言 「戦争は早く終わらせようと急ぐほど長くかかる。なぜなら、一番必要なことは準備を万全に整えることだが、それを惜しむと簡単だったことも困難になってしまうからである。節約しようとした1日の代わりに1ヶ月以上失われることがままある。仮にそうならなくても、作戦の省略化はより大きな混乱の原因となる」 (F.グイッチャルディーニ)
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微笑む魚。

2009年02月11日 23時52分54秒 | 遠州の歴史

以前書きかけた記事の再掲です。
きれいな魚を求めて、また浜名湖の「ウォット」という施設に行ってきました。
この施設はだいぶ広いくせにそんなに種類は豊富では無いいわゆる小水族館ですが、でもその割りには愛すべきキャラクターは盛りだくさんで、とてもお気に入りなのです。ミノカサゴちゃんとかアイナメちゃんとかウナギちゃんとか。
この施設は私のお店から15分のところにあり、思い立ったらすぐいけるところが嬉しいですね。今回行くのは3回目。

まず、最初に目につくのは小さな水槽でグルグル泳いでいる不思議な魚、エゾイソアイナメ。
何が不思議かというとそのかたち。
べろっとした下半身をしていて全体的に流線型。わたくしの大好きな深海魚、ザラビクニンによく似ています。

形が似ているものの、ザラビクニンと決定的に違うのは、ビクニンは(サケビクニンにしてもザラビクニンにしても)ほとんど食べられないのに対し、(以前にビクニンを食べたことのある人の記事を見つけてビックリした、と書いたことがありましたね)、エゾイソアイナメはすごく美味しいといわれていること。別名ドンコとも呼ばれますので、その美味を知っている方も多かろうと思います。鍋にしても唐揚げにしてもウマイらしい。

・・・が、このエゾイソアイナメという魚はちょっと調べただけではよくわからなくなる魚です。まず、ネットで見る写真がみんな上の写真と印象が違うんですよね。ほんとに同一人物?
さらに、その名に反して、アイナメの仲間でも無いというのです。そりゃ私が魚類図鑑で知っているアイナメとは全然姿が違うんですが、そもそもそのアイナメもネットで検索すると写真ごとに見た目が違うんです。・・・魚に詳しい人って、どうやって魚の種類を見分けているの? ま、詳しい人にはアイナメなんて普通の魚、見分け間違いようもないんでしょうけど。
で、エゾイソアイナメはどうしてチゴダラの仲間なのにアイナメの名前が付いているの? 鮎ぐらい美味しいの? むしろ鮎よりも美味しいという意見も。エゾアイナメとは別の魚なのかしら。(※学名が違います)
深海に住んでいるのがチゴダラで、それより上にいるのがドンコだという意見もあるのですが、どちらにせよエゾイソアイナメも深海魚の一種ですよね。このウォットに展示されていると言うことは遠州灘もしくは浜名湖に生息しているということですが(※浜名湖には深海域は無い)。

でも、泳いでいるさまを見ると、なかなか可愛い魚です。存在感もあります。
ウォットでは、小さな子供のイヌザメと一緒に飼われています。

さてさて、
今回ここに来た一番の目的は、耳の生えたお魚、ウナギたんです。
つい先だってどこぞで書いたことですが、半年前に初めてここに来たとき、数十匹のウサギたちが一斉にしている不思議な仕草を見たのです。新浜松住民となった私にとってその頃一番関心を持っていたウサギちゃんに対して、いろいろ本を読んだりして勉強していたんですが、そんな変な習性を持っているとはどんな本にも書いてあらず、とっても面白いと思った。で、面白い写真もいっぱい撮れたのでこれは是非とも記事にしようと思ったのですが、、、、、
パソコンが白化して写真が全部消えちゃった。
で、12月ぐらいに「もう一度あの面白い写真を撮ってみよう」と思って再び赴いたのですが、その日はとても晴れていたのに太陽光線の具合があまり良くなかったのか(ウサギの飼育水槽は野外にあるのです)、真っ暗に淀んで何も見えない。真っ黒な水の向こうに無数に蠢いている何かが見えるだけです。行った時間が悪かったのかね。、、、いや、あのときも行ったのは今回と同じ太陽が真上から降り注ぐ正午過ぎだったんですけども。
というわけで、今日は3度目の再挑戦。

エゾイソアイナメの水槽を通り過ぎて外に出ると。
やったーーー、今日はウサギ水槽の水が透き通っている。
・・・が、しかし、あの珍妙な仕草をしていたのは2羽だけでした。残念。

おわかりになるでしょうか。
水槽の中に何本かの細い縄が張ってあるのですが、ウサちゃんたちはそこに引っかかってブラブラ揺れているのです。前に来たときはここに10本ぐらいのウサちゃんたちがぶらぶら揺れていたんですよー。ちょうど身体の半分ぐらいのところで綱を引っかけてゆらゆらしている者もいれば、しっぽの先の方でバランス良く支えてゆらゆらしているものもいる。その様子がとても気持ちよさそうなんです。疲れているからただぶら下がっているだけなのかと思いきや、どうもそうではなくて、引っかかって水流にブラブラするのを楽しんでいるかのよう。
例えば川でのウサギ猟は細長い魚籠を夜に沈めておくと、朝になるとウサギが入り込んでのんびりしているのでそれをとらまえるというものですから、ウサギが狭いところが好きというのは私もよく知っていましたが(実際水槽の底の狭い所にはウツボ水槽のように数十尾のウサギが見える)、このようにただ無意味にぷらんぷらんするのも好きとは知らなかった。

で、ときたま水槽の窓からのぞき込んでいる私の方に身体を伸ばしてきて、ニターって笑うんですよ。
また10匹ぐらいでこれをやっているのを見たいから、また来よーっと。

底の方にも100羽前後のうさぎちゃんがいるんですが、さすがに良く見えません。でも変なことをして遊んでいるのが結構いますよ。

このウォットにはこのウサギの他に、アナゴさんやウミヘビもいまして、見比べると楽しい。ウミヘビってチンアナゴに似てますよ。あとウツボも揃えて「長いものシリーズ」をしてくれると楽しいのに。ウサギを展示している水族館はそうは無いので。

そして最後は!
浜名湖の王者、ドーマンガニで締めましょう。
ドーマンと言っても伊勢志摩県民と浜名湖県民以外は何の事やらわからないでしょうが、一般には「ノコギリガザミ」と呼ばれている丸々コロコロとした重量のある蟹のことです。

かっこええ!
見た目もさることながら、これが非常な美味だというのです。そしてさらに注目すべきは、時期にもよりますが味以上に高価であるということ。私の勤めている店ではこの蟹、一匹2まんえんで出すんですよ。タラバじゃないというのに。いっぴきですよいっぴき! 手のひらに乗るサイズなのに、伊豆での超巨大なタカアシガニ(足を広げると2m)と等価です。(※浜松でのドーマンの相場はピンからキリまでなんですが、平均は1まんえん。でも2せんえんぐらいで食べさせてくれる店もあるようです)。しかもタカアシガニより遥かの美味であるという。

さすがにこれはさすがの私でも尻込みしていますので、まだ食べたこと無いんです。話のタネに食べてみたいなあ~~
聞くところによると、今年はこのドーマンガニが豊漁だということです。

ドーマンガニもなかなか水族館向きの生き物で、延々じっと背中を見せて動かないこともあれば、絶え間なく貫禄見せながらのたりのたりと動き回っているときもある。見るたびに雰囲気が違うので、見に行くことが楽しい生き物です。なんたって1まんえんのカニだし。可児才蔵。
ついでに言うと、FFシリーズの『トカゲ王の島』に出てきた巨大蟹はこのドーマンガニですよ。間違いない。カニは技術点10 体力点11。倒したら366へ進んで美味しいマンゴーとカニ味噌が食べれる。ジュルリ。

んで、この「ドーマンガニがどうしてドーマンなのか」というのがここしばらくのわたくしの疑念なのですが、浜名湖と陰陽道との結びつきは全然見つけられないわけです。ドーマン=芦屋道満でしょ?
しかし、さっきウォットのサイトを見たら、こんな記事を見た。

「甲らが丸いので「甲丸」、胴が丸いので「胴丸」、これがなまって「ドーマン」というような名前がついたようです」

えっ!? ええええーーーーっ!?
だったらぽっちゃりした人やどらえもんだってドーマンじゃんっ。ていうかコーマンじゃん。その理屈で言ったら円盤人や海苔巻博士やあんぱんまんはカーマンかいっ。そんなはずがあるかい。

やっぱり私のような歴史好き・郷土愛好家にとって、ドーマンと聞いて思い浮かべるのはこんなのですね。

ニコニコ動画の最古の動画の一つ(であるのかもしれない)だそうですね。いぇーーぃ。
この頃のニコニコ動画のことはあまり知らないのですが、、、、 なんだこりゃ。いぇーぃ。
ドーマン! ドーマン!

コメント
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