オセンタルカの太陽帝国

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モーツァルト作曲 『音楽の冗談』。

2007年07月23日 18時21分21秒 | わたしの好きな曲

私がクラシック音楽について書かれる文章で、一番好きなのは吉松隆氏と渡辺和彦氏と、そして砂川しげひさ氏です。
とりわけ砂川しげひさ。クラシックという唯一無二の至宝を語るには、超絶頑固な視点でもって対さねばならぬことを、軽妙な筆致でもって教えられました。クラシック音楽を聴ける人間であるということが、実は選ばれた人間だという証しだということなのである。「あたし、クラシックも好きだけど、ポップスもジャズも洋楽も演歌もアンパンマンの歌もよく聴くのよん。音楽の世界に貴賤は無いのよわ」なんてことを臆面も無く言ってのける輩は、到底信用できぬ愚物だ。貴賤が無いわけないでしょう、クラシック様が最高のキングに決まってる。モーツァルト様やヘンデル様の如く千年生き続ける芸術と漫然と対置できる天才人が、そうそう世の中に存在するはずもないのですよ。そんなのせいぜい中島みゆき様とさだまさしとYUKI様ぐらいなものである。クラシック音楽愛好家は意外と多いそうなので、私はより頑固で偏屈な変人な道を追求せねばならぬと焦りますよ。「何よりもクラシックが好き」だなんてポーズでなく言ってのけるのは、真摯にいろんな意味で変態みたいな人しかいないと思うんですよ、ホント。ですから私は感性が重視される趣味の世界の中では、あくまで頑固に頑固に頑固に振る舞おうと思う。クラシック音楽以外の珍味は世に不要だー。おーーっ!!!(←念のため。冗談で言っていますよ)

その砂川しげひささんが著作の『聴け聴けクラシック』か『なんてったってモーツァルト』か何かの中で、この音楽の冗談について、「天才モーツァルトとしては、もっと破天荒にできたはずだ。物足りない」みたいなことを書いていたのです。う~ん、確かにその通りかも。言われるまでは「変で響きがおもしろいのかも」と思ってたんですけどね。
「クラシックは堅苦しい」からこそパロディのしがいがあるってものです。パロディしてこそ元の素材の神々しさが浮き出てくることもある。パロディ作品の方が素晴らしくなる事もある。そもそもクラシックの名曲をもとにしたパロディ作品は本当に数多いのです。私はそもそもダジャレ好きなオッサンなもので、パロが大大大大好きなのです。有名なPDQバッハとかホフヌング音楽祭とかはちょっと感性が合わなくて「ふ~~ん」と思った程度ですが、ハイドンの「四季」とかベートーヴェンの「戦争交響曲」とか「交響曲第10番」とか、ショスタコーヴィチの第九とかピアノ協奏曲とか、チャイコフスキーの「偉大な芸術家」とかシューマンの「謝肉祭」とかサンサーンスの謝肉祭とかブラームスのヘンデル変奏曲とかプーランクの「田園のコンセール」とか、たまりませんですね。で、モーツァルトのはそれらに比べるとどうなんでしょうか。

『音楽の冗談』(A Musical Joke,Ein Musikalischer SpaßK.522はモーツァルトが31歳だった1787年の作。全4楽章、計20分ぐらい。どこがどういう風に冗談になっているのかというと、ただ単調な繰り返しをする部分が異様に(やりすぎなほど!)多いところと、たまにわざと音を外す部分があるところ。確かにジョークです。映画アマデウスでサリエリ楽長が皇帝ヨーゼフに歓迎の行進曲を献呈した悪夢のような場面が思い起こされる。ただし、砂川氏も言っているように、天才なモーツァルトが確かに羽目を外しているはずなのに、思ったよりもぶっとんだ感が小さい。モーツァルトは普段から冗談で他の有名音楽家をちゃかすような言動を頻繁にしているという証言があるので、もっともっとやってくれちゃってもいいはずなのに。音楽自体は可もなく不可もなくで、冗談の意図も分かりやすいのに、ただ「モーツァルトの作だから」「モーツァルトだったらもっとやってくれるはず」という意味で、われわれには不満なのです。やだやだ、マニアって(←自分のこと)。

私がそう思う一番の原因は、モーツァルトが冗談を書くに当たって、名指しで他の作曲家を攻撃していないことですね。映画アマデウスで「バッハ風」とか「グルック風」とか言って演奏して、最後にオナラをぶぅぅっと吹くシーンを見ている身としては、パロディならモーツァルトにはあそこまでやって欲しいと思った。モーツァルトは本来辛辣な性格の人であるはずです。それが、この作品ではモーツァルトの人の良さだけが出てしまっている。ただくどく繰り返すのと、独奏者が張り切って音を外すだけ。パロディにもいろいろ種類があると思いますが、モーツァルトにはショスタコーヴィチの第7番やバルトークの協奏曲とは違って、この作品を大作にする気などさらさら無かったのです。小気味良い珠玉の作品にする気も。それが、モーツァルトのファンとしては残念に思う。

ただ、、、、、、
モーツァルトは何の為にこんな音楽を書こうとしたのか。実はこの曲を書くに当たって、モーツァルトは誰からも依頼されてもないし演奏会の予定も無い状況下でこれを完成させた、ということです。つまり、モーツァルトは当面誰にも聴かせるつもりが無いものを作曲したって事ですよね。(※注意;モーツァルトにはそういう曲が案外多いです) 要は、彼が自分の心にだけ聞かせるつもりだったパロディ。
しかしその構想は思いつきのような物ではなく、実は彼がウィーンに越してきて独立した6年前に、「音楽批評をやってみたい」と書いているのが初見だそうです。父親向けの手紙の中で。
で、この音楽の冗談は1787年6月に完成したと「作品目録」に載っているのですが、研究の結果、彼はそれを1785年に書き始めたのだというのが明らかになっているのだそうですよ。とるに足らないわりには、2年がかりの作品。(※モーツァルトにはそういう例はあまりありません)
ついでに言うと、この曲が「モーツァルトの生涯」の中で重要とされている理由、それは最愛の父レオポルドが死去してまもなく(父の死の半年後に)完成された作品だということです。誰からも新作を依頼されてないのに。つまり「父の死」が契機になったと。
家族ってのは誰にも大切な物だと思いますが、とりわけモーツァルトにとっては父レオポルドってのは特別な特別な特別な存在。この辺りのモーツァルトの伝記は、(モーツァルト自身が躁と鬱を同時に顕していることもあって)涙無くしては読めない。そういう観点から見ると、音楽の冗談だけでなくこの時期のモーツァルトが作曲した曲の全てが、特別な緊張感を孕んでいるように見えてくるのです。
かつて天才が父に対して「愚劣な音楽家たちを小馬鹿にしたい」と述べたことと、父の死で2年がかりのこの作品が完成への助走を得たこと。自分の心の中をさらけだしたい気分に襲われたこと。そして、(一説によると)第一楽章の中に父の作品をパロった部分があるとのこと。天才モーツァルトの複雑な心境が伺い見えてきませんか? レオポルド・モーツァルトは、息子ヴォルフガングにとっては自慢の父だったのです。ついでに言うと、この当時同時進行で製作していた作品も重要でして、数ヶ月がかりで取り組んでいた複雑怪奇な構成の大作歌劇『ドン・ジョヴァンニ』(このオペラには俗物の集成たる人間の群れしか出てこないんですから! フィガロやドン・アルフォンソやパパゲーノは登場しない。しかし複雑さは天才的)、小林秀雄が「疾走するかなしみ」と評したト短調クインテット、そしてこの音楽の冗談に続けて完成されたのが、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」です。実は私、この「アイネクライネなんとやら」って曲が大っ嫌いでして(←馬鹿馬鹿しくて阿呆阿呆しくて)、でもこの曲が音楽の冗談のさらなる冗談だと考えるとすると、なんとか我慢できるのでした。ぺっぺっ。
逆に、ドンジョヴァンニを聴きながら考えると、音楽の冗談でモーツァルトがパロろうと考えていたのは自分自身じゃないのかしら。(父の死と音楽の冗談の間が半年も空いているのは、ドンジョヴァンニがのっぴきならない状況になっていたからです)。
関係ないことを言えば、モーツァルトが父の死に対してした証言はすごく複雑な心境のもとに置かれた物しか無く、伝記を読む者を惑わせるのですが、父の死の一週間後にモーツァルトの家で彼がとても可愛がっていたムクドリが死に、彼はそれに対してとても痛烈な(死に伴う痛みを歌い上げた)詩を捧げているのです。彼は父の死と並んで自分自身の死をムクドリの死にすべて込めようとしたんじゃないか。小鳥と父の死じゃ重みが違うと思われるかも知れませんが、モーツァルトみたいな人はきっと同一視してたはず。ムクドリってとても可愛いので分かる。「モーツァルトの晩年の始まり」とされているのはこの1787年。そして、音楽の冗談はちょうどこのムクドリの詩の10日後の完成なのです。死を諧謔で包むのにちょうどいい日付だと思いませんか。

・・・で、いろいろ述べちゃったんですけど、あたし、この音楽の冗談という曲、意外と好きよ。バカバカしいから。

コメント
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