オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

浜名湖花フェスタ②

2015年03月24日 05時20分12秒 |   北浜名湖暮らし


少し日が経ってしまいましたが、3月10日のお話です。
舘山寺町の浜松フラワーパークで浜名湖花フェスタが始まるのは3月21日からだと聞いていたのですが、職場に来たフラワーパークの人に「梅は見頃だよ」と言われたので、見に行ってきました。ヒマだからな!





さすがに、桜地帯(ソメイヨシノ類)にはまだ何もありません。
やたらと風が強く冷たい日でした。



フラワーパークの誇る桜畑の中のチューリップ畑もまだこんな感じでした。
これがあと一月も経つとそれはそれは見事な畑になるのですから、すごいですよね。

肝心の「梅の谷」はこんな感じ。











うーん、(私の写真が)微妙。
花の写真の撮り方が分からん。
梅の花は、品種がたくさんあるんですね。(全然覚えられない)


お腹がすいたので、園内のお食事処“花の散歩道”で昼食にしました。



浜名湖新名物・牡蠣カバ丼(1300円)です。
牡蠣をカバの顔にみたてて調理する料理です。カバって意外と獰猛な動物で、ワニや巨大古代ザメを襲って殺すほどなんですって。その流す汗は血のように赤いという。

舘山寺温泉街では牡蠣カバ丼の提供は2月末に終わっていたんですけど、フラワーパークではまだ売られていました。フラワーパークの牡蠣カバ丼の風味は、舘山寺温泉で食べたのと若干違いました。タレの味がクドいのに軽くて爽やか。舘山寺温泉のお店は鰻屋が多いので、タレの作り方が違うせいかな。




浜松フラワーパークは「料金変動制」をとっていまして、花の少ない夏の間は無料、桜が満開になる4月には1000円になるのです。この日は600円でした。つまり梅の価格が600円って事ですな。別に花は春か梅雨時にしか咲く全く花が無いってわけではないのですから、随所に咲く時期がずれている花を少しずつちりばめれば、通年歩き回って楽しめるじゃないかと思うのですが、そんなことは素人考えで、こういうテーマパークは異物が混ざるとインパクトが激減してしまうのでした。フラワーパークの梅の谷には梅と水仙だけ、桜の谷には桜とチューリップだけ、花菖蒲の地帯には花菖蒲とホタルだけをこれでもか!と敷き詰めてあるのでした。だから違う季節にそこに行っても、何も無い。
じゃあ、「無料の期間にフラワーパークに行っても何も無いのか?」というと、一年を通して花が咲き乱れている場所が一箇所ありまして、それがクリスタルパレス。魔太子アモンの支配が長かったのですがアモンが斃れてからは“銀の女王”リンダ未亡人が治めることになった、壮麗なる王宮です。
わたくし、学生時代に浜松東区の蘭の農家さんで長く働いてましたので、蘭という花が大好きで、だからこのクリスタルパレスが(蘭が多いから)大好きなのですが、今は一時的に牡丹にも気を惹かれてまして、パレスの入り口にある牡丹コーナーもまた素敵だと思ってしまったのでした。



さて、このクリスタルパレスの中には浜名湖グリーンファームの出店「カフェ・グリーンローズ」があります。
グリーンファームのHPはいま再構築中なのだそうです。前のはとても味があったんですけどね)
ソフトクリームとかお団子とかを売るお店なのですけど、メニューの中に「ちひろおばさんのカレー各種」があるのです。わたくし、ちひろおばさまのカレーが大好きなのですよね。特にグリーンカレーが。
実はグリーンファームで出会うまでグリーンカレーなんて食べたことが無かったのですが(辛い物が苦手なので)、「辛いのにうまい」というグリーンカレーの魅力にとりつかれてしまい、スーパーでレトルトのグリーンカレーに出会うたびに買い込むのですけど、やっぱりちひろおばさんのが一番で、日々もだえにもだえているという。実は気賀を引っ越し先に選んだ一因に「グリーンファームが近いから」というのがあったんですが、カレーバイキングには行けない事情ができてしまって(通風にはカレーは比較的悪いんですって。)、ますます悶えている。バイキングではない平日に行けば、食べ過ぎないんですけどね。
この日は誘惑に負けて、懐かしい緑色カレーを注文してしまいました。650円。



カレーバイキングとは違い最初からご飯の上にカレーが盛られて出てきます。これは、クミン・ライス!
見た目が若干悪めですけど、記憶にこの見た目は刷り込まれてますからとても旨そうだと感じます。そして実際に実にウマイ! 辛さの中に甘っぽい厚いうまさの要素が充満しているんです。さすがちひろおばさん。私にはこれが緑カレーの味のデフォルトなのですが、これどこかでレトルトで売ってないかしら。夜中に日本酒を横にしながら食べたい。(※日本酒も通風には比較的良くないです)
しかし辛い。たったこれだけの量なのに、私は汗だくです。
メルヘンチックな花の咲き乱れるパロの王宮の中で、汗まみれになっているわたくし。




水晶宮から西の谷に降りる狭い谷間に、“舘山寺桜の谷”があります。
確かこの日は伊豆の河津町で早咲きで知られる河津桜の桜祭りが終わった直後でしたが、我らが舘山寺町の舘山寺桜も河津桜に劣らぬ早咲きの桜なんですって。



確かにもう咲き終わりです。
近くにあった河津桜の方がまだ満開なのは笑った。(南国伊豆に比べたら浜松は北国ですからね)



深いのに淡い感じの赤ピンク色なので「河津桜と似ているね」と、私なんかシロウトだから思ってしまうのですけど、厳密には河津桜は大島桜と寒緋桜の交配種で、舘山寺桜は寒緋桜の変種なんですって。(要は花の形が違う)。わたし、伊豆の河津で働いていた頃、週一で河津桜の原木の所に通ってたんですよ。懐かしい。舘山寺桜の方は、フラワーパークで品種改良された作品だそうです。(舘山寺の裏の方に大木で咲いている「舘山桜」とは別物だそうです)。これに限らず、こういうところでは積極的に新種の開発をしてるんですね。



(※参考)舘山寺の舘山桜(3月30日)。白い。


(※追記;3月30日、フラワーパークの夜桜を見に行きました。たった20日でこんなになってしまうだなんて! ぱっと咲いてぱっと散る。桜もチューリップも、花ってすごいですね)







関係ないですけど、12月27日に見に行ったウィンター・イルミネーション。
夜間入園料は500円ぐらいでしたっけ。寒かった。







さて、話を3月10日に戻します。ついでなので浜名湖ガーデンパークにも行ってみました。



ガーデンパークはフラワーパークと違い、3月1日から花フェスタに参加しているんですよね。







意味なくミニチュア撮影。
フラワーパークもガーデンパークも花の無い時期なのは同じなのですけど、浜名湖ガーデンパークとフラワーパークの違う点は、ガーデンパークは(県が運営する無料公園なのですけど)花の世話を有志のボランティアの方々がなさっているということです。つまり、有料施設であるフラワーパークは桜とか梅とか菖蒲とか「お客さんから金を取れる花」で勝負しなくてはなりませんが、ガーデンパークの場合、どんな花でもいいからお客さんをあっとさせられれば勝ちなんですね。無料の公園なのですからお客さんが文句を言う要素は全くない。今日も本当にボランティアの方々がたくさんいらっしゃって、熱心に世話されてました。花好きのための公園なんですね。
「どの季節に来ても何かしらの花がそこそこあるんだろうな」と思わされます。







とにかく小さな花が多く、なんか接写ばかりしたくなる。





この日は「クリスマスローズ」と「スノーフレーク」が見頃だとのことでした。
地味だ。でもええじゃないか。



クリスマスローズ。クリスマスでも無いのにクリスマスローズ。



スノーフレーク。



青いシクラメン。(写真だと青く見えないですけど)



イギリス(笑)



せっかくなので有料(300円)の展望塔にも上ってみました。
これまでガーデンパークには何度も来ていますが、この展望塔には登ったことが無かったのです。だって有料だから。
さすがに見晴らしが良いです。浜名湖が南から北までぐるっと見渡せます。










ついでなので、近くにあるウォットにも寄ってきました。







ここに来るのは去年の4月以来ですが、前回とどれだけ魚が入れ替わっているのか確かめるためです。
結論から言うと、8割の魚は1年前のままでした。要は去年もいて今年もいるこいつらが浜名湖での定番だとしてもいいのでしょう。
具体的にいうと、トラフグ、コモンフグ、ヒガンフグ、ダイナンウミヘビ、クロアナゴ、ハシキンメ、エビスダイ、エゾイソアイナメ、コバンザメ、ミノカサゴ、マダイ、マゴチ、等々。

いなくなっていた魚は、ハモ!
やっぱりあいつは凶暴ですからねえ、あんな小さい水槽で飼おうというのはムリがある。
「ぱんだうなぎ」も表示が無くなってましたねえ。
それから残念だったのは“砂場のアイドル”ナベカちゃんも姿がなくなっていたこと。

似たようなこんなのがふらふら泳いでいたので、



「ナベカか!?」と思って執拗に眺めていたんですけど、なんか違いますね。
おそらくこいつ(↓)の稚魚ですね。



昨年、特別展示になっていた「沖縄の魚」の狆アナゴと錦アナゴは入り口付近の常設水槽に移っていた。こいつらは浜名湖にいるんでしたっけ。
それから去年は2階にいたど派手ウツボ各種も1階に移ってました。

それから外に出て鰻タンクを眺めに行こうとすると、
「ただいま工事中なので中庭には出られません」の張り紙が。

ががーーーん。私は遙々浜名湖の北から鰻を眺めに来たというのに。
鰻を眺められないとなるとこの施設に来た甲斐がぐぐんと減った気がする。

気を取り直して2階に向かいます。



巨大どうまんは貫禄のあるオブジェ的なボスっぽいものに代替わりしていました。なんだこいつー
それから、ミズダコがいなくなって小さなタコに変わっていました。





鮫肌?
しかし、小さいし、動きません。
これまでウォットにいたミズダコは、何か特別な教育プログラムでも施しているのか、うねうねと動いてこちらの顔を盛んにのぞいてきて、「タコが頭がいいって本当なんだな」って思わせるのが常だったのですが(でも寿命は1年)、鮫肌手長蛸ってどうなんですかね? 動いてくれないとわかりません。



そして、なぜだか猛虎弁。



クラゲ類は充実していました。



ウミウシもいるのが地味に嬉しい。海牛がいる水族館ってなかなかないんですよね。たまに一匹や二匹いる水族館を見ることもありますけど、ウォットのは来るたびに書類が違うのがいる(気がします)。海牛よりも雨降らしの展示の方に力を入れてますけどね。



そして、見てて楽しかった新展示は、シラスウナギの入った瓶。
やっぱりウォットは鰻ですよねっ。ウォットの使命は「浜松人とウナギを親しくすること」にあると思う。鰻は見ててとても楽しい動物だから(そうでもないか。1階の展示水槽にいるウナギはほとんど動きませんから)大量に展示してくだされば良いのに。
でも、シラスウナギの動きはとてつもなく素早くて、ほとんど写真には写りませんでした。
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浜名湖花フェスタ。

2015年03月05日 22時49分19秒 |   北浜名湖暮らし


浜名湖近辺では3月1日から、浜名湖花フェスタというのが始まりました。
浜松人って他の地域の人より花が好きなんですかね?

およそ10年前、現在の浜名湖ガーデンパークで「浜名湖花博(パシフィックフローラ2004)」というのが開かれたんです。これは国際園芸博覧会で、主催は国だったと思う。かなり素晴らしいイベントだったそうで(私は花なんて興味が無いから行きませんでしたが)、花好きな私の叔母が何度も何度も行って、その素晴らしさを語っていた。(現在でも私の喫茶店を訪れるお客さん達がその思い出を語ることが多い)。その5年後、2009年には浜松フラワーパークで「浜名湖モザイカルチャー博」が開かれました。主催はまた国際的な機関で、県が後援していたと思います。私は作り物が大好きなので、かなり興奮して行った記憶があります。あれはすばらしいイベントでした。
で、去年は「浜名湖花博10周年」を記念して、「浜名湖花博2014」が開かれました。これは主催は静岡県でした。が、私は失業中だったので行きませんでした。

とにかく、こういうイベントを開くたびに浜名湖周辺では宿泊客が抜群に増えるそうなのです。私が今の勤務先の喫茶店で働き始めたのは昨年の7月(花博2014が終わった直後)でしたが、「花バブルが終わっちゃったから、また寂しくなるよ」と、皆口を揃えて言っておりました。

でも、「だったら毎年花博をやっちゃえばいいじゃん」と誰かが言ったらしくて、今年から花イベントを毎年やっちゃうことに決めちゃったそうです。
ということで始まった「浜名湖花フェスタ2015」。
主催は浜名湖観光圏整備推進協議会。舘山寺温泉観光協会・奥浜名湖観光協会・舞阪町観光協会・湖西市観光協会・新居町観光協会・三ヶ日町観光協会らの共同体です。
お客さんがいっぱい来るといいですね。

ところが、メイン会場になると思われる浜松フラワーパークと浜名湖ガーデンパーク。
フラワーパークでのイベント開始は3月21日からだというのです。フェスタは3月1日から始まっているというのに、今フラワーパークに行っても何もやってないんですって。じゃあ、どこで何をやっているのか? 舘山寺愛に溢れている仕事熱心なわたくしは、追求してみたいと思いました。ひ、ヒマだからな!

初めに行くべきは舘山寺町の大草山。
ここでは現在、「昇竜しだれ梅園」が開園しています。
ここが、浜名湖での「花戦さ」の先駆けの場所です。



通常、大草山へは「日本初の湖上ロープウェイ」で登山するのが一般的ですが、しだれ梅園へはロープウェイでは行けません。車でないと行けないです。入園は700円。





「昇竜しだれ梅」というのはこういう形状の梅のことです。
わたしの写真じゃよく分からないかもしれませんけど、「龍が空に昇っていく姿を模して」らせん状に幹が伸びていく。
これは、こういう形で育っていく梅の種類であるわけじゃなくて、「盆栽の要領で梅の木を育てるんですよ」とかつて奥山高原を見学しに行ったときに奥山高原の人が言っていた。浜名湖近辺ではこれを育てているのは大草山と奥山高原だけで、舘山寺のしだれ梅の花が散る頃、時間差で奥山高原のしだれ梅が見頃になり、その開花状況が舘山寺の喫茶店には随時同じ書式でファックスで送られてくるので、「大草山と奥山のしだれ梅は同じ経営者が育ててるんだろうな」と長らく思っていたところ、ついこの間、大草山のしだれ梅の佐藤さんと奥山高原のしだれ梅の佐藤さんは別人だ、と事情通の人に教えてもらった。本当かなあ。



たまに大草山を歩いていると、谷影に昇竜しだれ梅を栽培している場所が何ヶ所かあって、「植木の要領で開花状況に応じて時期で木々を植え替えてお客さんに見せているのかなぁ」と思ってたのですけど、今日詳しく見ていたら全然違うようでした。どうなっているんだろ。











全部同じように育てられているはずの木も、よく見ると個性がそれなりに出ているのが面白いと思いました。
期間中に何度も来ている方がいるみたいで、「今日が一番の満開だ」と言っている声が聞こえました。そうでしたか。良かった。あ4、5日経てばもっと花密度が大きくなとも思いますけどね。










さて、舘山寺で昼食といったらラーメンカフェ・ワコーです。
しばらく(経済的な事情で)足が遠のいていたのですが、実は以前は職場から車で5分だったこのお店が、職場が変わったら徒歩2分になったのです。もうね、いきつけの店にして通い詰めたいんですけどね。(金が無くて)
2週間ぐらい前に、以前大好きだったカレーラーメンが食べたくなって一度来たのですけど、しばらく来ないうちに、店内の様子が少し変わり(夏までにお洒落海カフェにする計画みたいだ)、新メニューもいくつかあった。なので今日はそれを食べに来てみました。



ゆず塩ラーメン、700円。
おお、温泉街のラーメンだ。
こういう奇をてらったところがないのがこの店の特徴です。
なぜここをとても好きなのが自分でも良く意味が分からない。



一口啜って即座に心を奪われました。
ひとつに収斂する。ややこしいところがひとつもない。ゆずの香りは心地良くしますが、ゆずのかけららしきものは見えません。味は優しく力強く、おいしい。
麺は低加水めで細い。
一番好きなのはチャーシューなのですね。数日前のジェット家でも同じ事を書きましたが、私は豚の臭いがよくする肉が好きで、この店のがこきゅこきゅする歯触りも含めて一番好きかも。また来よう。


5月15日、また来ました。
今日は「魚貝ラーメン」(800円)注文です。



おお、なんとなく名前から「アサリでも入っているラーメンなんじゃないかな」と思っていたら、違いました。私の写真だと地味な感じですけど、メニュー表の先頭にあり価格も一番高く、一番の押しの作品なのだと思います。



うまい。前にも言いましたが味がストレートに太め。
わざわざ「魚介」ではなく「魚貝」と断っているとおり、この「ぬめっ」とした感じの味が貝の味なのでしょうね。「ぬめっ」と書きましたが、スープや麺は決してぬめっとしているわけじゃなくて(むしろ極めてサラサラしている)、味だけが「ぬめっ」としている。
決して魚貝のみを使っているわけでもなくて、最後まで美味しく、終わりの方は節の味の方をあくまで程よく感じてました。いろいろ手が込んでいるのだと思います。
これで極ちぢれ太麺(そんなもの存在しない)だったら最高なのに!



このチャーシュー。どこかで売ってないかしら。歯触りが(個人的には一番に)たまらんチャーシュー。
一週間前に来たときよりも改装工事がかなり進んでいました。





なんと!
こんなコンセプトになるのか。独り身アル中男性が来づらくならなければいいけど。


話を3月5日に戻しますが、ヒマなので続けて西気賀(呉石地区)にある光岩山長楽寺に行ってきました。ここも花フェスタに参加しています。



ここには以前一度来たことがあります。「湖北五山」には撰されておりませんけど、充分に品格と歴史と伝説と見所を持ったお寺です。



真言宗のお寺なのですけど、なぜか山門に独湛禅師(黄檗宗)の扁額がある。



山門前にはこんな案内が。梅のお寺なんですね。



長楽寺が浜名湖五山から漏れたのは「ご住職がいないから」だと思われますが、現在ではボランティアの方々が寺の維持をしてくださっているのだそうで、かなり詳細な解説をしてくださる。現在寺の本堂として扱われている建物は実は客殿で、前回に来たときに聞いた説明の記憶では、たしか「近藤の殿様が(伝)小堀遠州の庭を眺めるためだけに建てた隠れ家的な建物」と言ってらしたような記憶が。「近藤の殿様」と言われても他の地の皆さまには誰のことやら分からないでしょうけど、浜名湖北部にとっては江戸時代を通してこの地を治めていた名君の家系です。だから扁額は独湛禅師だし、庭に点在する石仏は初山宝林寺と同じ顔立ちなんですね。へー。
・・・と思ったけど、初山宝林寺は「金指近藤家」の菩提寺であり、長楽寺の方は「気賀近藤家」の領内じゃんね。

浜名湖畔には「小堀遠州(流)の庭園」を有するお寺がいくつかあります。
一番有名なのが井伊谷の龍譚寺で、これは井伊家当主の井伊直孝が、古田織部の事件で連座して処罰されそうになった小堀遠州を身を挺して取りなしてあげて、その結果小堀遠州は無罪となったので、お礼として井伊氏の故郷の菩提寺に庭園を造ってあげたという。長楽寺とか本興寺とか実相寺とかの他の「小堀遠州流」のことについてはよく分かりません。実は小堀遠州は龍譚寺庭園を造った頃の井伊氏は既に彦根に去っていて、井伊谷の支配者は近藤氏になっていました。井伊はともかく近藤氏とは小堀遠州との接点は全く思いつきません。
ただ、井伊の祖神の謂伊神社を近藤家はとても保護したと言いますから、かつて人斬り兵部(井伊直政)に斬り殺されそうになったという逸話を持つ近藤秀用の末裔たちも、かつての主家である井伊家そのものには愛着を持っていて、龍譚寺の庭園を各地にコピーしようとしたというところでしょうかね。
長楽寺の扁額が独譚禅師であることから見て、長楽寺の庭園の造り主は近藤貞用なんでしょうかね。(この人は気賀では無く金指近藤家の当主なのですが、金指近藤家は浜名湖五の近藤の本家にあたる)

ともかく、この時期の長楽寺の見所は、「梅のトンネル」。



これは明治の廃仏毀釈運動後、経営難に困ったお寺(まだその頃は御住職がいらした)が、資金調達のために本堂への参道に梅を植えたものなのだそうです。資金調達って、梅を植えて何で儲けるのかってことですけど、最初は「梅の実を売るため」だったんですって。それが今では梅の花の景観そのものがお寺の資金源になっているっているのが、面白いですよね。(※現在の長楽寺は伝遠州流の「満天星の庭」の見学には拝観料(300円)を払いますが、「梅のトンネル」はその外にありますのでお金は掛かりません)
白い梅の外側の緑色の部分は、浜名湖名物・ミカンの果樹園です。梅より蜜柑の方が儲かりそうですけど、蜜柑の花は地味で、花の名所にはなりえません。







しだれ梅と違って、枝が上に伸びています。
なぜか感動します。垂れてない!



このトンネルを登ると、「かつての本堂跡の碑」があります。
この本堂は昭和60年前後まで残っていたそうです。長楽寺は極めて古い歴史を誇る寺で、特に梵鐘は県内で2番目に古い鎌倉時代のものなのだそうです。でもこの本堂は(寺の苦境を反映して)長い間朽ちるに任せたままにされていたらしい。本堂の倒壊の危機に際して特に保存運動も起こらなかったのは、梅のトンネルの下にある近藤貞用(?)造の“満天星の庭を眺めるための”客殿の方が立派で、十分それで本堂の代わりを果たせるとみなされたためでしょうか。
本堂の碑の右側に回れば、「光岩山長楽寺」の山名の由来となった「光る岩」がありますが、今日は敢えて見ませんでした。
(満天星の庭は「光る岩」を借景として作られているそうです。光る岩のところに本堂があるのに「借景」って変な気がするのですけど。誰が誰に何を借りてんだみたいな)


「満天星(どうだん)の庭」。



ついでなので、そこから奥山高原のカナメ神宮に行ってみましたが、全然花が咲いていませんでした。あれ?



なぜか勘違いして「カナメ神宮は花盛り」と思って来たのですけど、家に帰ってから調べたら、カナメ神宮の花の見頃は5月ぐらいだとのことです。
何年か前に、花が凄い頃にここに来たことがあります。
奥山高原のカナメ神宮は、地方によくある「ヘンテコ神社」です。それが「浜名湖花フェスタ」に参加する、と知って違和感を感じていたんですけど、また来ますね♪
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可睡斎と徳川家康。

2015年03月04日 18時39分41秒 |   神君家康


天気がとても良かったので、袋井市の可睡斎に行ってきました。
とても好きなお寺なのですけど、来るのはいつぐらいぶりなのだろう。可睡斎と秋葉山は私にとって何にも変えられない聖地です。もっと頻繁に折りを見つけて来なくてはなりません。私がいま現在こんなに健康なのは、8年前に秋葉様に無心に祈ったおかげなのですから。

行ってみますと、以前には無かった標識が山門前に建っていた。
「徳川家康公深きゆかりの禅寺」ですって。
確かにゆかりは深いが、家康公が何度この寺に来たことがあるのかは定かではない。
よく見ますと、「家康公歿四百年記念」と書いてありますので、今年建てたばかりの物なようです。

今年は浜松市は一生懸命に「家康イヤー」を盛り上げようとしているのですけど、袋井市でも動きがあったのですね。嬉しいですね。
公式サイトを見ると「徳川家康公顕彰四百年記念事業」は「静岡部会」と「浜松部会」「岡崎部会」と「静岡県部会」の4部制になっていたのでした。なるほどね。



「徳川家康公ゆかりの可睡斎ひなまつり」。
「家康とひなまつりに何かまつわる逸話ってあったっけ?」と思ったのですけど、この家康公「ゆかりの」は「ひなまつり」ではなく「可睡斎」にかかる修飾語。



可睡斎は天狗の御真殿にお参りするだけでしたら拝観無料ですが(駐車場代は300円)、ひなかざりや牡丹園を見ようとすると500円かかります。























案外私のカメラ(XQ1)はこういう場所は苦手でした。



でも前回来たときの写真を見返すと、もっとひどかったので、これで良いこととする。









わたし、牡丹の花ってひどく好きかも。




キンキラキンの額の裏側には「明治十九年六月 二品熾仁親王書」と書かれています。
有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王は個人的に好きな歴史人物です。
(ただし本当はこの年のこの月、熾仁親王は一品に昇叙している)
「アリス川」ってのが不思議の国っぽいですよね。その悲恋のアリスの人が征東軍を率いたんです。
15年ぐらい前に「ニセ有栖川宮事件」てありましたよね。
問題は、この額が本堂(本尊聖観音)ではなくて御真殿(秋葉山三尺坊)の前に掲げられていることで。
この寺にとって本堂と御真殿はどちらが本体なのだろう?



記憶が定かで無いのですけど、この見事なお面も以前は無かったような気がする。鼻に何本も掛かっている細い縄のわっかは「三尺坊の願いのこもった念珠」だそうでこの効験は極めて鮮やか、お値段300円だそうです。



なんと4月11日から秘伝の三尺坊像のご開帳が始まるそうで、一瞬「しまった!」と思ったのですが(またしばらく来ないだろうから)、よく考えるとわたし、これ以前に見たことありますね。


さてさて、
前回来たときに私は書きました。
徳川家康が可睡和尚と初めて会ったのはいつでどこだったのかということについてです。

「調べてみると、この逸話は相当胡散臭いですぞ。
お寺には「このお寺が窮地の家康を救った」然と書かれておりますが、家康が仙麟等膳に可睡斎を与えたのは家康の浜松移住後です。つまり、幼い家康をこの寺で救うことは不可能」

この記述は、当時、可睡斎の公式サイトにそういう説明があり、実は現在でもウィキペディアにはその記述に従った文章が残っているのですけど、だいぶ前にその説明はサイトから撤去されており、今回行ったら出世六の字穴前の看板も新しい立派なものに変わっておりました。



無難・・・。
“伝説の一つとして”武田軍に追われた少年竹千代が父広忠と共に袋井のこの穴に逃げ込んだという話はとても微笑ましいので、その記述が無くなってしまったのはとても惜しいです。「出世六文字」もなんか哲学的な説明になってしまいましたね。

で、現在のお寺の見解はどうなっているのかというと、そもそもの見解がなんとかどうとかいうものでなく、もともと御真殿の前にこういう石碑が立っているんですよね。(明治30年の建立)



写真だとさっぱりわからないでしょうけど、可睡斎の由来がみっちり書いてあります。
漢文みっちりなのでこれまでは素通りしていましたけど、今日は敢えて読んでみます。ヒマだからな。

大意
「旧記によると、家康公が幼時駿府で人質になっていたとき、増善寺に等膳がいて家康と等膳の二人は仲良くなった。等膳は石橋氏の出身でその父は五右衛門尉といい、伊勢の国・篠島に住んでいた。家康公が駿府を脱出して国に帰ろうとしたとき等膳に相談し、等膳はその父に相談した。等膳の父は自分の一族の船に商売の装いをさせて清水港に入港した。等膳は家康公を葛籠に盛り、背負って間道を駆け、船に乗せて篠島へ逃がした。家康公はやがて岡崎城に帰ることができ、壮年になって浜松城に移ったとき、等膳が妙見斎の住持として篠島にあることを聞いて、急いで彼を篠島から呼んで感謝を述べた。親しく話し合っているうち、等膳は昏昏としてしまった。公はそれを見て笑って言った。すごく遠い所から来たんだから睡くなるのは当たり前だ。眠ってもいいんだよ。こうして目の前で寝てしまったのも私を子同然に思っていてくれるからだ。無二の絆を感じる。馬を賜て寝たまま帰ってもらいたいが、篠島は遠すぎる。東久野の地に東陽軒の跡があるので、そこに寺を建てて住職となるように・・・(後略)」

・・・なんだこれ。
とにかく私が以前抱いた「可睡和尚は幼い家康をどこで助けたのか?」という疑問のうち、選択肢①.静岡で助けた ②.伊勢篠島で助けた ③.袋井で助けた の中で、①番と②番の両方が正解だったのでした。(明治30年の時点では)。要は篠島に伝わる伝説(※参考)と駿府に伝わる伝説を両方組み合わせたって事ですよね。この伝説だと等膳その人よりも等膳の父とその一族の方が功が大きく、その後石橋氏が大名か高家になってる位でも良いと思うんですけど(そんな事実はない)、明治の時点では松平広忠の事跡は篠島でもそんなに知られていなかったのか(家康の父・広忠も篠島の石橋氏に助けられたことがある)、可睡斎においてはすべてがごっちゃに混じり合ってしまって、昭和末期に「出世六の字穴において、武田軍に追われた広忠と家康が隠れて、その後出世した」というものになってしまったのですね(おそらく)
でもそもそも「少年時代の家康が駿府から逃げた」という事実は無いので、実のところ等膳和尚がどこで家康を助けたのかは結局不明なのです。家康が篠島に行ったことがあるっていうのは本当なんですかね。
「等膳の父が家康の父を掛塚で助けた故事が転化したのか?」とも思うのですけど、とすると家康本人がそんなに可睡和尚に恩と信頼を持つ意味がよく分からなくなりますし。
なお、「武田軍に追われた家康が出世六の字穴に逃げ込んだ」というのはこれとは全然別のエピソードです。おそらく家康30歳ぐらいの頃の話でしょう。
それにしても篠島って伊勢国なのですね。義良親王伝説のある日間賀島と合わせていつか行こうと企んでいるのですが。



以前は崩れかけて危険だった「出世六の字穴」も、今は整えられて中を覗けるようにライトアップされています(入れませんけど)。改めて見ますと、鎌倉の護良親王の土牢のように、地下一階がありそうな雰囲気ですね。





可睡斎側は今後も「徳川家康公ゆかり」を強調していくようです。




せっかくなので、そこから10分の久野城にも行ってみました。
東名高速道路を走っていると大きな看板が目に入るので、場所はよく知っているんですけどこれまで一度も行ったことの無かったお城です。

久野(くの)氏というのは徳川家康の遠州獲りに際して大きな役割を果たした一族で、舘山寺の大沢氏や井伊谷の井伊氏と違い、久野宗能という人は最初から全面的に家康の味方をしたので家康はとても助かった。(とはいえ久野氏の内部では親徳川派の宗能と、親今川派の叔父の宗益の間には内紛があり、宗能留守中にクーデターが起ころうとしたこともあります)。ともかく久野宗能は家康が心から信頼した数少ない遠江武士の一人。



こっちの看板がいつも東名から見える看板ですね。
城で一番高い本丸の位置に立っています。




写真じゃ全然表現できないのですけど、歩き回ってみると起伏に富んでいて、曲輪がはっきりしていて、とても面白い城です。事前に勝手にしていた予想より遙かに大きかったです。





このあたりが「主税(ちから)屋敷」のあたり。下の屋敷。

さてさて、この付近で一番の勢力と言ったら、掛川城にいる朝比奈氏や小笠山にいる小笠原氏です。
大手門も東海道のある南方向では無くて、掛川城・駿府城のある東方面についているのですが、築城当時は掛川城・駿府城は重要な味方でした。たとえば浜松城の場合、浜松城の南側に大手門が付いていて南の東海道に臨んでいるのですが、浜松城の敵(武田軍)は常に北からやってきました。浜松城の戦闘的な主要門は搦め手(玄黙門)だったと思います。久野城の仮想敵とはどちらから来るものだったのでしょう。築城当時はいざしらず、宗能の時期には北からも西からも東からも敵が来ることが考えられましたから、父と兄の死によっていきなり名家の当主となった宗能は大変だったでしょうね。

城の南側に「高見」と題された曲輪があり、太平洋方向を見張るかせるようになっていますが、高見よりも本丸の方が高いので、本丸の方が眺望が良かったはずです。そもそもこのあたりの地形は起伏に富んでいて(丘ばかりで)本丸からでも敵方の動きなんてさっぱりわからなかったでしょう。



本丸から見る東名高速道路。現在は久野城の南に「シンドラーエレベーターの塔」が立っていて、そちらの方が物見の役にふさわしかろう。(でもシンドラーエレベータは眺望塔ではありません)。久野城からは小笠山がよく見えました。反対側の可睡斎のある丘はよくわかりませんでした。



とにかく、歩いていてとても楽しいお城でした。徳川家康史っておもしろいですね。




ついでなので、掛川駅のすぐ近くにある「ジェット家」にも行ってみました。
2012年9月開店のお店ですけど、こんなに家系を愛する私がなぜかこの店にはまだ来たことが無くて、忸怩としていたのでした。
定休日が不定なのだそうですけど、蔵前家と同じく11時から22時まで通しで営業しているのがありがたいです。この日は16時ぐらいに訪問。蔵前家もこのぐらいの時間が一番好みなのです。

噂には聞いてましたけど、店主がかなり不思議な雰囲気です。最初店の人なのか全然別の人なのか戸惑ってしまったくらい。
チャーシュー麺(800円)に海苔(100円)をトッピングして注文してみました。
麺は酒井製麺、海苔も横浜の丸曽根だそうです。

見てますと、本当に丁寧にラーメンを作っています。
こんなに長く麺を揉んでいる店、初めて見ました。

そしてビックリ、ゆで上がった麺を上げるとき、それまでまったく無言だった店主が麺に語りかけ始めたのです。盛りつけるとき、チャーシューにもさかんに語りかけています。それで一気にこの店主が好きになりました。



店主はチャーシューよりも先に海苔を入れました。また、作業台には沢山のチャーシューを入れたドンブリがあるのですが、店主はわざわざ奥から新しい肉の塊を持ってきて丁寧に切り分け、切ったばかりのを私の丼に入れました。(作業台のはいつ使うの?)。そして菠薐草はトッピングしていないのにこの量。とにかく具材の存在感の大きいラーメンです。



スープを飲んでみる。
圧倒的に支配しているのが鶏油。事前にたっぷり入れていた。その奥に控える醤油味。こよなく愛する吉田家の醤油味に似ていてとても好みでしたが、吉田家と違ってそんなにしょっぱくない。とにかくまろやかさを打ち出す初期の蔵前家とは全然正反対の思想でした。



麺は柔らかめ。具材の存在感が大きく、とりわけチャーシューの食いでのありといったら。チャーシューはやや肉臭くシーチキンぽい味わいの物で、好きなタイプでした。海苔も油にとても良く合う。ただし、具材全体がとても見事すぎて、スープをすぐにぬるくしてしまったのが残念だった。ほうれん草の匂いがとても気になりました。
全体的に、最初の一口と最後の一口がとても美味しいラーメンでした。この醤油の強さはまた食べに来たい。でもその後一晩、ラーメンの油が脳にまとわりついていました。後味がずっと引く。
コメント
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