オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

セクシーボイス・アンド・ろぼ。

2011年09月02日 10時08分38秒 | 今日の、エウクストロネラ

懐かしいモザイク博。2009年。



2011年9月09日 05:23
◆今日の認
「ローマの人々が考えるには、国家に危険があったときは栄光ある人民があまねく鎧兜をつけ、各人が各々の義務を果たすべきだ。それで十分だ。しかし、カミルルスは手練の名将の例に漏れず、違った考えを抱いていた。たとえ意気溢れた優れたローマ市民といえども、確かな仕組みと形を整えない限り迂闊はできない。とくに一国を守護しなければならぬような危急の事態には、航海で目に見えない隠れ岩に一番注意しなければならないのと同様に、蜂の巣を突ついたに等しい大衆に打ち物とらせるなどということは決してしてはならないのだ」 (ニッコロ・マキャベリ『ローマ史論』)

2011年5月13日 0:31
◆今日の鮪
「時間が私に重たくのしかかった。私には十月革命の占める範囲と重大さについての知識がひとかけらもなかった。他の市民達と違い、私が革命に役立てるかも知れない、という考えは全く思い浮かばなかった。そして「アメリカに行く」という考えが私の脳裏に根付き始めた。(中 略) 一人の賢明な友人が無益な警告をしてくれた。「君は歴史から逃げようとしている。そして歴史は決して君を許すまい。帰ってきたときに君は理解されないだろう」。このような言葉には全く耳を傾けず、2,3ヶ月でまたソヴィエトに戻るくらいのつもりでいよいよアメリカに旅立った」 (『プロコフィエフ自伝』)

2011年5月12日 23:55
◆今日の外
「最も酷い皮肉は、ドイツ軍がクラウゼヴィッツの「兵力集中」なる戦略原則を墨守して、西部戦線で勝利を逸したことであろう。ナポレオン戦法をクラウゼヴィッツの歪んだ解釈で学んだドイツ人は、ナポレオン流の広く絡め取る投げ縄方式、すなわち「敵の注意を自然に散漫に導く手段」の本質と価値を把握し得なかったのである。クラウゼヴィッツを至上と考える指揮官たちは孤立することを恐れた。膨大な物量をもって前進することなく、彼らは本能的に隣接部隊と密着して前進しない限り、危険に陥ることを危惧していた」 (リデルハート『ナポレオンの亡霊~戦略の誤用が歴史に与えた影響~』)

2011年5月12日 23:30
◆今日の正
「治世の一年目に良いと思われる君主は、第二年目には馬鹿にされる君主となる。王たる者が人民に感じさせる愛は男性的な愛でなければならず、そこには畏敬の念がまじっていなければならない。ある王が「良い王だ」と言われている時は、その王の治世は失敗しているのである」 (ナポレオン・ボナパルトがオランダ王ルイ・ボナパルトに)

2011年5月12日 3:00
◆今日の人
「あほくさいことを夢中で考えている間は大きな快楽が脳内に満ち溢れていたが、妄想に飽き考えを止めてしまうと、うらぶれた空しさに満たされる。ところが、かれがはだしでエルサレムに行って植物以外何も食べず、聖人たちがしたよりももっと過酷なことをしてやろうと考えている間、心は慰めに覆われるばかりでなく、その思考をやめた後さえも、心は充足し、快活であり続けた。かれははじめのうちはそのことをじっくりと考えなかったし、その違いを慎重に検討することはなかった」 (聖イグナティウス・デ・ロヨラ『ある巡礼者の物語』)

2011年5月12日 2:37
◆今日の発
「舜のときには賞も罰もしなかった。それだけ徳が広まっていたのである。夏王朝になると、賞は与え、罰は与えなかった。これは王の教化の賜物とといってよい。殷では罰だけ加えて賞は与えなかった。王権の威を知らしめようとしたのである。周の王朝になると、賞と罰を共に用いた。それだけ徳が衰えてしまったのである。(中 略) 勝って大勝しても恩賞を与えてはならない (『司馬法』)

2011年5月11日 3:37
◆今日の術
本当の愛は女とは何の関係も無いものだ。ぼくに言わせれば、貞淑な婦人や愛らしい娘に愛おしみを感じるとかなどと君が言っているのは、愛なんてものじゃない。蠅が牛乳にたかるのは牛乳を愛しているからじゃない。蜜蜂は蜜を愛しているわけじゃなく、農夫や料理人が牛や鳥を暗いところに置いて肥らせるのは、牛や鳥を愛しているからじゃない。人がごはんやおかずにほどぼの食欲を感じるのは人間の持って生まれた本性で、それはそれで結構なのだが、その欲望が常軌を逸すると大食とか美食とかいうものになる」 (プルタルコス『愛についての対話』)

2011年5月11日 2:50
◆今日の鳥
「悟りの真理そのものとなった仏(自性仏)や、悟りの境地を味わっている仏(受用仏)は、世界の秘密を自らの身で満喫しさらにそれを周りのものどもに教え諭し広げる喜びに満ち溢れているから、自らの眷族と共にそれぞれ三密を説きたまいます。「三密」(=行い・言葉・思い)の奥義そのものが「密教」です」 (弘法大師『弁顕密二教論』)

2011年5月11日 0:39
◆今日の重
「復讐は必ずしも、特定の機会に生じた憎悪の感情やそれをする人の悪い性格からなされるものではありません。時には「あの人は必要な時には力に訴えることをも辞さない」という実例を示して、他人がいたずらに自分を傷つけないようにすることが必要なのです。従って、復讐の相手に対して深い怨恨を抱いていなかったとしても、その人物に復讐することはまったく正しいのです」 (フランチェスコ・グイッチャルディーニ『訓戒と意見(リコルディ)』)

2011年5月10日 23:11
◆今日の槍
「ギリシア人は攻防に有利な地形を捜し求めた。険しい断崖や急坂・河の堤防・深い森、その他自分を守ってくれるような自然の砦でない場所には決して布陣しなかったし、地形次第で陣形も変えた。一方ローマ人は、その軍団全員が一度にキャンプできないような場所には決して陣を張らなかったのです。ローマ人にとっては自然の側が彼らに従う物であり、彼ら自身が地形に従うものではないと考えていたのです。(中略) わたし自身はローマ人の行き方にあやかりたいと思っております」 (ニッコロ・マキャベリ『戦術論』)

2010年8月24日 20:31
◆今日の警言
「禹は(働きすぎて)股の毛は抜け落ち脛の毛は擦り切れ、顔は日に焼けて真っ黒になってとうとう出先で死んで会稽に葬られた。奴隷の苦しみもこれほどではなかったという。朕が思うに、天下を治める者が偉い というのは自らの身を痛めつけ心を擦り切らせ常に旅の地に身を宿し門番と同じ物を食い奴隷の仕事をすることなのか? それはただの愚者だ。賢人が天下を治めるのは天下を自分たちの都合の良い物に作り替えていく事だ。賢人は必ず天下を安んじ万民を治める事ができる。自分の身すら益する事ができぬ者が天下など安らかしめることなどできるはずがあるか。このことを朕(=二世皇帝胡亥)は韓非子から聞いたのだ。だから朕は欲を広げ、己の心を恣にしたいのだ」(史記~李斯列伝~)

2010年7月29日 22:10
◆今日の警言
「敵の正面に対して軍が直進することは、敵の物理的・心理的バランスを強固にするものであり、それは敵の抵抗力が強化されるということである。陸軍の場合、我が方のそのような直進運動は敵の予備兵力・補給組織・及び増援兵力の存在する方向へ敵を後退させることになる。その結果敵の当初の戦線は後方へ駆逐され、損耗によって弱体化したとしてもさらにその後方に新しい兵力の層が形成される。この方式では直進運動は敵に対して衝撃を与えるどころか、相手に手強い緊張を強いるのがせいぜいのところである」 (リデル=ハート『戦略論~間接的アプローチ~』)