オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

逆さまが好きな。

2009年10月17日 11時10分32秒 |   源頼朝


永井路子の「北条政子」をそのまま漫画にしたような少女マンガです。

よかったよかった、私はもう旅行記を書くのをあきらめてしまったのかと思った。
9月8日~10日にかけてした安房半島旅行記の3回目です。1回目2回目も読んでネ。

さてさて、鋸南町勝山にある頼朝上陸地までようやく辿り着いたわけです。

残念ながらこの日は曇天で、岬に立って遠くを見晴るかしてもほとんど何も見えない。
私が一番気にしていたのは、「房総半島から伊豆半島はどのくらい見えるか」ということでしたが、三浦半島すらぼんやりとしか見えない。残念。

波、、っていうか潮の流れはけっこう荒いみたい。

さて、鋸南町の頼朝上陸地といったら、「頼朝様とツノ無しサザエ」の伝説が有名です。
はるばる安房の海岸に着いた頼朝様は、喜び勇んで小舟から砂浜へ飛び降りたのですが、たまたまそこに活きたサザエが転がっていて、その角が頼朝様の足を貫き、重傷を負ってしまったのだとか。怒りに狂った頼朝様は、「以後この海岸の栄螺には角を生やす事を禁ずる」と命じたという。そのサザエを見てみたく思って、行く前には「伊豆の港町みたいにその場でサザエを焼いて食べさせてくれる店が道路沿いに何件もあるんじゃないかな~」と気軽に考えて行ったら、そんなお店は無かった。(シーズンオフだしね)
「だったらば」と、伊豆での海岸町暮らしが長い私でありますので「こういう町だったらば、サザエの殻なんてのは適当に道ばたにいくらでも投げ捨てられているモノ」と思い直して、適当にそこら辺を歩き回ってみます。
こんな感じ。

ツノが、、、、 ある(笑)
あれですかね。ツノのないサザエは「頼朝様の栄螺」として希少価値があったりして神棚などに飾られて、こんな風に道路端に転がしたりしないものなのかも。一応、ネットで検索したらこんな感じだったんですけどもね。

 (※参考);http://gaia-gear.at.webry.info/200907/article_6.html

また勝山海岸でのこの「サザエ伝説」と並ぶ、「頼朝様に与えられた変な名字伝説」のことですが。
上陸するときに手伝ってくれた村民に、頼朝様が感激して「あなたに安房一国あげます!」と叫んだところ、聞き間違えた村民が、「粟一石なんてすぐになくなっちゃうから、それよりも、私たちにありがた~い名字をください」と答えたという。それを聞いた頼朝様は「そうか、バカだなぁ」と言ってそれを姓として与えたという。
というもの。
・・・・・われらが頼朝様はそんなに意地の悪い君主じゃなかったぞ。
伊豆にだって以前に紹介した大鍋・小鍋のようなエピソードがあったりもしますが、逆にむしろ彼とは伊豆韮山の餅売り婆の伝説とか吾妻鏡の土佐坊昌俊の母の逸話とか、受けた恩は決して忘れず篤く報いるお人だったのです。悪意で応じるような事は決してしない。この昔話はどこかでねじ曲げられているように感じます。大体、安房を目指した理由の大きなもののひとつは、「ここには頼朝の幼馴染みの安西景益がいた」からじゃないですか。人の土地を勝手にあげてはいけない。
たとえば、ネットで検索すると、「ある村人が神社に「房総の将兵が左右から加わって頼朝公を助けてくださいますように」と祈願したということを聞いて、のちに頼朝が喜んで“左右加”の姓を賜った」とか、「村人が舟で上陸したばかりの頼朝に、東国一の駿馬を奉った。頼朝はこれに対して“馬賀”という姓を与えた。この馬がのちの池月である」とかいう物も散見できます。

この「そうか」と「ばか」が有名な例ですが、竜島七姓と言われる「菊間・柴本・中山・久保田・鰭崎・生貝・松山」も頼朝が名付けたものだそうで、これがどういう意味を持つ由来なのかも知りたいですね。

さてさてさて、それはそうと一番大事なこと。
「ここって本当に頼朝様が上陸した場所なのか?」を次に考察してみたいと思います。

コメント (4)
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モザイカルチャー世界博。

2009年10月13日 08時22分18秒 | 遠州の歴史

近くの浜松フラワーパークでやっている「浜名湖立体花博」を見に行ってきました。

モザイクという手法は室内装飾のために古代の世界各地で使用されていたもので、シュメールで都市文明が開花したウルク期には、コーン・モザイクと呼ばれる円錐形の釘状の彩色土器や石(釘の頭の部分を彩色している)を使って神殿などの建築物が装飾されていました。ウルから出土した紀元前2600年から紀元前2400年頃に遡るとされる「ウルのスタンダード」は、持ち運びできるサイズの箱状の木材の各面に、貝殻や赤い石灰岩、青いラピスラズリを埋め込んだモザイクで、軍隊の行進や饗宴の場面が描かれています。マケドニア王国の宮殿のあったギリシアのアイギナ島では紀元前4世紀のモザイク画が発見されており、ヘレニズム様式のヴィラ(別荘)の床を飾っていた物と思われます。19世紀末にイングランドのヒエロスムス・モザイク伯とその息エーギル・フランチェスカ・モザイク=エロエッセン伯の親子によって、近代モザイク技術は格段の進化を見せました。かつて一度1712年のウクライナでモザイクテクカルティエ展が開催されたことがあったのですが、1888年にモザイク伯はヨークで再びそれを復活し、2000年からは3年に一度、世界でモザイク技術の顕著な土地を選んで、モザイカルチュアを降臨させる試みを行うこととなりました。モザンキ博が開催される前の1年の期間をかけてその土地には、「モザイ」と呼ばれる謎の生き物が大量に訪れ、大地を踏みしめる光景が見られ、それが大々的な大海嘯への前触れになります。
今年のモザイ博は4回目で、(第一回モントリオール、第二回モントリオール、第三回上海)、浜松という町が選ばれたのは20世紀初頭に始祖モザイク伯の次女が、山葉寅楠の次男と婚姻を結んだという故事によります。

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ショスタコーヴィチ作曲 「弦楽四重奏曲第8番ハ短調 作品110」(第2楽章)。

2009年10月08日 17時05分13秒 | わたしの好きな曲

ふとニコニコ動画を見ていたら、「初音ミクでショスタコーヴィチ」を見つけました。
あまりにも完璧すぎて笑った。
ここまでできるのかー。
この曲に求められるものをここまで表現できるとは、さすが初音ミクだと思います。

(※参考;本物)

 

 

ついでに、

祝典序曲

私は携帯電話の着信音は5年くらいこの曲です。
共産主義万歳! スターリン主義万歳!

コメント (2)
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魔女メディア。

2009年10月07日 22時49分36秒 |   ヘンデル

野放図に中途半端な未完成記事ばっかり増やしてて申し訳ありません。っていつも言ってる気がしますが、どうしてもこの溢れるパッションを押さえきれなくて。そもそも私は何一つ完成させる気がないんですから、逆にこれが私の正しい姿だと思えてきた。

さてさて、ずっと前から「ヘンデルはテーセオが最高!」と叫んでいる私ですが、どうしてもヘンデルの数々の名作の数々に埋もれてしまって、どうもテーセオはまだまだマイナー作品であるのです。だから私は何度でも声大きくテーセオの魅惑を叫ばねと思っているのですが。だってねー、「一番すごい」と言ってるのに誰もそれを知らないんじゃ、他の作品の魅力を続けても意味無いもん~。かくいう私は5年ぐらい前に伊豆のブックオフで1800円ぐらいで売られていたマルク・ミンコフスキの輸入盤CDを繰り返し繰り返し聴いているんですが、最近じゃ輸入盤CDは以前より遙か容易に新品を買えます。(HMVとかアマゾンとか)。まーともかく今私が一番頻繁に車の中で聴くのがこのテーセオなので、この感情を抑えきれなくなって、「いろいろ調べてやるっ」と発憤していたら、なんか知らないうちに自分がこの作品について書いていたことを発見した。なんのことはない、私がいまこの作品について伸べたいことは、ほぼ寸分たがわず2年前に書いたことと同一でした(笑)。なんだこりゃ。

要は、「5幕もあるのに(通常ヘンデル作品は3幕)、CDは2枚(通常はヘンデルオペラはCD3枚)、つまり凝縮力がすさまじい」ということと、「嵐の形容が素晴らしい」ということですね。

ちょっと意気消沈しましたが、「テーセオはいまでも容易に聴けない」ということには相変わらず変わりはないので、ここではネット上に無数に転がっている動画を拾ってきて、ここに掲げてみようと思います。みんな! 聴け! 聴け! 暴虐なこの音の嵐に酔いしれろ!

<序曲>

まずは序曲から。、私はこの序曲が大好きなんですよね。戦争を描写しているとされます。
最高傑作だと思う。(特に中盤以降のヴァイオリンの部分が。ヴィヴァルディだったらあと少しだけ存分にヴァイオリンに引き延ばして歌わせるんですが、ヘンデルだとこのように唐突にオーケストラの肉厚の総和に引き戻してしまうんだ。この感じが好き
この映像の指揮者はヴォルフガング・カッチュナーという人で、正直知らない人なんだけど(※有名な人です)、音の具合はミンコフスキの解釈と凄く似ていて、とても申し分無い。

<魔女メデア>

作品のタイトルは「テーセオ(=英雄テセウス)」なのですが、物語の本当の主役は悪魔のような女・魔女メディアなわけです。このちょっとした映像を見ていただくだけでも、その迫力は分かることでしょう。
歌手はマリア・リッカルダ・ヴェッセリングというメゾソプラノ。凄いですわ。
2つ目のは彼女の自己紹介みたいなアリアですね。(第3幕の終曲で物語が「転」に入る部分ですが)

Sibillando,           (適当訳すれば)
Ululando,            呪え、叫べ、稲妻で打て、
Fulminate,            私を嘲った敵を。
La Rival, che mi Scherni;   すべての種類の疾病が
Ne a punirla, vi stancate   激しい苦痛が彼女にくだることが
Ch' il tormento,        裏切りを味わった私の幸せなのだ!
Fa' contento          祟られよ、吠えよ、雷で焼け焦げよ!
Questo Cor, ch ella tradi,
Sibillando,・・・

みたいな感じなのかねえ。この劇ではメデイアは一方的にテセウスに恋する役で(その恋い焦がれ方が凄まじいのがこのオペラの見所なのだが)、一方でテセウスは一度もメデイアには愛を語っていず(?)、ここも勝手に愛し合うテーセオと王女アギリアに憤って彼女が歌う歌なので、「一体誰がどこで誰を裏切ったの?」と悩んでしまうのです。実はこの劇では語られない前段として「コリントで英雄イアソンに裏切られて怒り狂ったメデイア」の物語が前提としてあるんですね。「愛によって鬼女になった女」がメデイアなのです。冒頭の“Sibillando”は現在のイタリア語では「魔女・予言者」を意味するのですが、当然古代ギリシャの「シビュラ」から来ているので、誇り高く「私は巫女よ!」ぐらいに考えるのがいいのかもしれない。(すみません、私はイタリア語が読めないのでエキサイト翻訳頼り)

別バージョンのシビランド。変なオペラ映画風の映像。恐くない魔女メデイア。
英雄テセウスといったら怪優ミノタウロスだから(笑)

<頑張って訳しますからね>

魔女メディアの真骨頂。
[2:15]の所が聴きどころ。
でも「Morirò, ma vendicata」って何て読むんだろう。
だって、イタリア語読めないもん。

この金色の優男が英雄テーセウス。魔女にのしかかられてる。

 

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