オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

時が未来に進むと誰が決めたんだ。

2013年03月05日 14時11分49秒 |   浜松グルメ


伊豆旅行記…
なんとかつづき書けないかなー(脳が止まってしまった)
面白いことがいっぱいあったんですよ。と、いつも言ってますけど。
いっそのこと、また同じルートで旅行にもう一度いくという方法もあり得る。そのくらい私は伊豆の国が大好きなのです。

こんど、衝動買いで車を買い換えることにしました。今の愛車“ガウガメラまで何マイル?”号は10年乗った機体でして、この車は私にとっての伊豆の思い出でしたから(その前のフォードのレーザー“黒い貴婦人”(ヘンリエッタ=マリア嬢)号も伊豆で10年乗ったんだっけ。)、新しい車が来る前にこの車でもう一度だけ伊豆に行ってみたいな。ムリかな。
でも、新しい車というのが「シャ〇専用オーリス」という車でして、私は無類のガンダム好きですから1月に「これが発売されるらしい」というニュースを聞いて即決してしまったんですが、伊豆の試される大地をこれで疾走するのも待ち遠しい。私の復活の日は間近だと思われます。
マグネットコーティングされた“ガウガメラまで何マイル?(クリスティーナ・マッケンジー嬢号)”よりも面白い車だといいんですけど。

一方、私の食生活、また変な変化を遂げています。
あれほど食べていたラーメンにほとんど興味を感じなくなってしまって、ほとんど食べていない。
一月以降来々軒には一回しか行っていないし、蔵前家も3回ぐらい。
うなぎ家も焼き鳥家もカレー屋も全く行かなくなってしまった。一体何を食べて生きているのだと自分でも疑問に思うのですが(コンビニ食オンリー)、ラーメンに関しては私だったら嗜好がそのうち復活するでしょうから、記録だけはちゃんととっておかねば。

しかしながら、何に対する興味も失ってしまったのかというと、決してそうではなくて、今の私の最大の関心事は“お茶”なのです。
ほんと、毎日毎日お茶ばっかり飲んでいる。

わたしが住する静岡県は、世界に名だたる「お茶王国」です。
小さい頃からそうと気づくことはなかなかありませんでしたが、他地域と較べてもお茶と接する機会は甚だ多いということは良く聞きますし、じっさい近所のスーパー等でもお茶コーナーの充実振りには目を見張るものがありますよね。当然ながら、全ての静岡人はお茶の10種類や20種類ぐらい飲み別ける能力ぐらい、自然に持っていると思います。
でも、ではあらゆる静岡人がお茶に特別の関心を抱いているかというと、残念ながらそうでもなくて、「そりゃお茶は好きだけど、別にどのお茶でもいいよ。おいしければ」という人が大多数であると思う。恥ずかしながら私がそうだったのでした。お茶なんて高くっても安くっても一緒じゃん。高いお茶って何の意味があるの?

…そういう認識が、静岡人として生誕し40年経った今になって、劇的にくつがえされようとしている。
お茶ーーー。すごく面白い。

思えば20年前。
大学生になったわたくしは、「サークル活動」に異常な意欲を抱いていた。
中学生だったときは「テニス部」、高校生だったときは「美術部」だったのですが、ちょうど『蓬莱学園の冒険!!』というゲームにのめりこんだこともあり、「学園生活ではクラブに1つしか入れなかったが、大学では絶対にクラブに4つ入るっ!」という熱意を涌き起こしていたのでした。
(ゲームでは最大のクラブ数が4つで、クラブに入ることにより事件が巻き起こる仕様だったから)

そして選択したクラブは「芸術部」「鉄道研究会」「民俗学研究会」、そして「茶道部」の4つ。(全部文化系なのが笑える)。
茶道部にどういういきさつで入ることになったのかさっぱり覚えていませんが、私が主体的に身を置いていたのが「芸術部」で一日のほとんどをそこの部室で過ごすことになっ手いたのに対し、でも「他の場所にも積極的に参加したい」という気持ちも強かったこともあり、他の芸術部員が全く属していない茶道部にもよく行っていた。ほんと、どういうきっかけがあって私は茶道部に入ったんだっけね? そこに「戦闘的お茶民族である静岡人の誇り」が大きく関わっていたことは言うまでもありませんが、「部員のほとんどが女子であった」というのも関係あるかもしれませんね。今でも私、“文化系女子”が大好きですから。
大学生の女子というのはだいたい薄着で、九州人は美女が多く、お茶というのはかがんでする動作も多いものですから、うら若い思春期のわたしもなかなかどうしようかと思ったことも多く、好意を示してくれる女性も幾人もいて、楽しい体験をたくさんしたのでしたが、一方私の大好きだった人は芸術部にいたマンガの得意なかわいい女の子だったので(笑)、別に何が起こったわけでもなかった。私のお茶は「裏千家」でした。
この茶道部において、わたくしは延々「いろいろな作法の順番」ばかり覚え込んでいた記憶があるな。今となっては「おちゃわんの拭き方」(いーり)とか「棗の拭き方」(こ)とかぐらいしか覚えてませんが、帛紗とかちゃんと畳めるだろうか。学校の場でおこなわれるのは裏千家が圧倒的に多く、お店で出てくる抹茶も裏千家風であることがほとんどなのだそうです。
が、大学を卒業してしまうと、「茶道」に接する機会が全くなくなりますね。
その後、煎茶が盛んな静岡県に帰ってきたわけですが、ながらく「抹茶」と「煎茶」が「同じ物」という認識が、わたくしにも無かったりしたのでした。
コメント (2)
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