オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

メンデルスゾーン『弦楽のための交響曲第9番ハ短調』。

2006年08月31日 11時47分16秒 | わたしの好きな曲

    

天才少年メンデルスゾーン。
すごいですね、この人の小さい頃は。
その神童ぶりを示した小さい頃の無数の音楽と、その“天才少年”が成長してできたおっさんの彼の音楽を聴き比べるのが好き。ちゃんと天才少年が別の物になってしまっています。すごいなあ天才の人は。
とりわけ天才少年の彼の作品として聴きごたえがあるのが、、12歳から14歳にかけてたてつづけに書かれた13曲(14曲?)の弦楽のための交響曲、通称“練習交響曲”です。そのアダ名の通り、“神の手”を持った彼が、小さいうちにやりたい事を全部やってここに詰め込んでおけ、と考えて暴れ回ったかのような感があり、なのに全13曲の各曲とその構成にまったくスキの無いところがすごい。

少年メンデルスゾーンの天才少年なさまを示すエピソードは、挙げるときりがないのですが、相当、彼は自分の余り溢れる才能を鼻にかける嫌な少年だったみたいです。それは仕方が無いことなのかしら。小林秀雄の『モオツァルト』の冒頭に出てくる「べエトォヴェンの第五交響曲をピアノで弾いてみせて老ゲエテにぶつぶつ言わせたエピソード」も、12歳前後の(つまりこの交響曲群を書いていた前後の)話らしいです。小林秀雄の本にはその時のメンデルスゾーンの年齢が書いてなかったので、もっと青年っぽい頃の話だと思ったぜ。やな少年だ。で、この交響曲集にも、その時期のメンデルスゾーンが自分の才能に酔いしれている様子が如実に表れていて、でもそれがとても良い形で結晶化しているんですよねぇ。メンデルスゾーンはロマン派に分類される作曲家かと思うのですが、ここに見る少年メンデルスゾーンは明らかに古典派の大家であり、ハイドンとモーツァルトとベートーヴェンをきちんと取り込んで、さらにちゃんと進化させている。(まだベートーヴェンは生きている頃でしたけどね)

この13曲の中で「傑作」と呼んでもいいのは、後代の「メリュジーヌ」を思わせる暗い雰囲気の単一楽章作品の第10番ロ短調、きっちりかっちりが心地良い第11番ヘ長調、鮮烈流麗無比な第12番ト短調の3曲だと思うのですが、私がそれ以外に好きな物に、第8番ニ長調と第9番ハ短調の2曲があります。全13曲の練習交響曲の中で、この2曲の付近でメンデルスゾーンの作風が劇的に進化する様子が、手に取るように目に見えてくるからです。すごく気持ちよくなれます。(第7番も捨てがたいけれど)

特に、今日挙げようと思った第9番ハ短調。
これは正直言って、「ドギツさ」を狙っています。クドイほどの打撃音が頻発する。喩えて言うならば、「ベニヤでできた階段を、鉄の靴をはいてスキップで駆けのぼる」、そんな感じですかね。だけど、終始そんな感じなのに、しまいまで聴くのは苦痛にはならず、視聴後の感触も(爽やかではないが)イヤでは無い。これはセンスがとても良く、インパクトを最上限に活かすことに成功しているということです。言い換えれば、交響曲というワクの中に、奔放に暴れ回るようとするものの芽を全部押し込めてしまっている。まさに職人わざ、古典派作品の最終形態をみごと実現できていると思います。

各楽章(全4楽章)の特徴を詳しく挙げていきたいところですが、全部同じ書き方になりそうなので、やめた。要は、ハイドンっぽいところが支配的かと思ったら、モーツァルトっぽくもあり、ベートーヴェンの最良の部分ってこんな感じだよね、と思ったら、いやいやシューベルトの若い頃の作品かも、と納得してしまったり、要するに、そう言う感じで手が込んでいてとても刺激的だということです。
第3楽章のメヌエットで、超強烈な叩く感じのメヌエット旋律のあとに、スイス民謡から取ったというトリオ旋律が出てくるのですが、これがとても懐かしい感興をもたらしてくれるもので、とても気持ちが良い。
それから、この曲だけでなくすべての作品で少年メンデルスゾーンは、曲の締めくくりの部分(コーダ)に一番持てる限りの力を注いだと思われるのですが、この曲のそれはとても手が込んでいて、感心してしまいます。
第7番から第9番までの三曲は古典的な4楽章で構成されているのですが、これ以降の作品は、楽章制的な安定感を壊していく方向に行く(10番=単一、11番=5楽章、12番=3各章)そうです。

 

13歳頃のメンデルスゾーンの肖像を私は2つほど目にした事があるのですが、本によれば「後期ゴシック時代の天使のような」と言われているそうですが、そんな彼が(才能に関しては)とんでもない厭な性格の少年だったとは。しかし、彼は才に満ち溢れていると同時に実家がとんでもないお金持ちだったのに、そっち方面では性格的な嫌な噂を(私は)聞いた事がないので、ほほえましい風景だとは思う。

  
≪すばらしい若書き交響曲を書いていた頃の肖像画2つ≫
でも彼はすごい金持ちのぼんぼんだったので、もっとあるかもしれませんね、肖像画。

 

☆ヤーコプ・ルードヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン=バルトルディ作曲
弦楽交響曲全集(全13曲)
(1821~23年作曲)
コンツェルト・ケルン、1994~96年
(テルデック-DasAlteWerk、1997年) 3枚組 

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願成就院の足利茶々丸の墓。

2006年08月27日 22時53分00秒 |   北条早雲


願成就院の裏手にある守山八幡宮。
源頼朝旗挙げ祈願の地です。願成就院よりも遥か前からあったんでしょうね。
このお堂(舞殿?)の後ろに長い石段があり、その上に本殿がある。



守山の展望台からの韮山平野の眺望。
山木攻めのとき、頼朝は裏山の木に家来を一人登らせて、山木からの火が見えるかどうか報告させたといいますが、それは多分ここなんでしょうね。(一番景色の良いポイント)

『吾妻鏡』 (文治5年6月6日)
北條殿が奥州征伐の成功を祈るため、伊豆国北條の地に、伽藍の営作を企てられた。吉日を選んで立柱上棟をし、供養をおこなった。名付けて願成就院。本尊は阿弥陀三尊ならびに不動多聞の形像である。これらは、かねてからこの日のために用意されていたものであり、北條殿はその地に赴き、周辺設備の荘重化と儀礼を丁重におこなうことを指示した。

『吾妻鏡』 (文治5年12月9日)
願成就院の北のあたりに二品(=頼朝)の宿殿を建てようとして土地を掘り起こすと、古い額が出てきた。それには「願成就院」と記されていた。夜空に輝く星の遠近は測りがたいが、一度光った物の跡は消える事がないのである(※よくわからないけれども、要するに、北条氏が建てた願成就院の付近から、大昔の同じ名前の寺の遺物が出てくるなんて奇蹟だ、と言っている)。後略・・・・・

伊豆韮山の北条氏屋敷に隣接している願成就院は、北条時政が創建した北条氏の菩提寺なのですが、名前がすごいですよね。「願いがかなう寺院」。恋人岬とか喜望峰とかしあわせ教団とか、そういうネーミングの元祖でしょう。しかし、この場合の「望み」とは「奥州藤原氏を征伐する」ことであります。この時点ではまだ“反逆者”源義経は奥州で生きていましたから、言い換えればここは「義経死ね死ね寺」である、ということもできるわけです。伊豆の人はノンキだからなぜか(ゆかりもないのに)義経の事を必要以上に好きであるように感じますけど(有名人ですからね)、伊豆ってのは本来そういう場所なんですよぉ。
で、時政は奥州攻めには加わらなかったみたいですけど(義時は出陣した)、見事、奥州は征伐されて大願は果たされたわけなので、このお寺のご利益も抜群というわけだ。

しかしながら、その後の歴史の中に登場する願成就院について、わたくしがいつも涙を流しながらでないと本を読めないのは“悲運の鎌倉公方”足利茶々丸のことです。足利茶々丸は、初代堀越公方であった足利政知の長男ですが、父と養母になぜか邪険にされ、父が死去した直後に(←茶々丸が惨殺したという説もある)「茶々丸は気が狂っているので家督を継ぐ権利が無い」と周囲に言いふらす継母と弟を斬り殺し、2代目堀越公方にぶじに就任したのもつかのま(←公方になれなかったという説もある)、興国寺から邪悪で陰険な伊勢新九郎長氏という男が攻めてきて、あっけなく殺されてしまったのです(←この時死なずに別の場所に逃げたというウワサもある)。
このとき足利茶々丸は最初は住居の堀越御所(父政知が北条屋敷の故地に建てた寝殿造りの御殿)にいたのですが、そこは防御に向いていなかったのでひとしきり戦ってから裏手の守山に逃げ、そこから願成就院に下りて、態勢を立て直そうとしたところを敵勢に激しく攻め立てられ、無惨にも斬り殺されたとも、みずから自害したともいいます。
願成就院には「茶々丸の首洗いの池」というものもあります。


河村恵利のマンガに出てくる茶々丸は、こんな感じ。

茶々丸さまも、戦いのさなかに一度山に登って、それからこのお寺に下りてきたときは「戦神・八幡大菩薩と願いのかなうお寺の両方が揃ってるんだから、このオレ様をどうにかしてくれ」と願ったと思うんですが、結局願いは北條早雲(=伊勢新九郎)の方が聞き届けられて、茶々丸の方はどうにもならなかった。・・・・・いや、茶々丸はここでは死ぬ事をまぬかれて「下田の深根城で死んだ」とか「下田でも死なず三浦半島へ渡った」とかいう伝説もあるわけですから、「願成就院で死んだ」と思わされているのは、仏さまのおはからいのおかげなのかな。よくわかりません。

さて、この戦いの記録を読んでいてついつい思ってしまう事は、「なんで隣接する願成就院に行くのに、わざわざ一度山に登るんだよー」ということです。戦国時代直前のお寺の事ですから、少しは防御の構築がしてあったんでしょうか。願成就院に逃げるのは分かります。「広い御所の探索→広い寺の境内の探索」でかなり時間が稼げますものね。しかし、なぜその間に山を登る?
いや、むしろ山に登った方が良いんです。堀越公方が住んでいた堀越御所は、戦乱の室町中期では不思議に思えるぐらいにまったく防備がなかったらしい。そのかわりに背後の守山は堅い岩肌をいかした堅砦がわりになっていて、とりわけ現在の展望台があるあたりは、両側が切り立った石切場状(?)で、何かあったらここに逃げ込めば、しばらくは持ったんですって。狩野川の流れも絶好の堀でした。
でも、早雲が攻めてきたっていってもせいぜい百数十~数百名だし、山は広いんだから、真珠院の方角とか、狩野川を渡って江間に逃げるとかせず、わざわざ近い願成就院に行ったのか?
でも、現在の展望台のある手前の部分が主郭になるのですが、ここにのぼる口は2つしかなくて(知られてないのがもっとあるんでしょうですけど)、それを地図上に---で示しておきました。多分、北条氏邸の奥の登り口からのぼって、自然に願成就院におりちゃったのかなぁ。いや、さすがに背後の城なんだから、反対側に抜ける道もあったはずですね。
私が推測するに、冷酷残忍無比な茶々丸さまは、やばい事態になって背後の山に逃げるとなった時に、そこにいた家臣全員に向かって、「お前ら全員、オレの盾となれ。オレが山を登って逃げ出せた頃を見はからって、お前らは一丸となって敵に突入して死ね」という命令を出したんだと思う。でも、根は寂しがりやの茶々丸さま、守山は吾妻鑑の頃から怪異の起こる山だというし、暗い山道をのぼっているうちに寂しくなって、やがて賑やかな方に向かってフラフラと歩いていってしまったんだと思いますね。

というわけで、(一説では)願成就院が茶々丸の終焉の地だとされているのです。


茶々丸公の墓所。
墓石には、「延徳4年4月10日 成就院九成居士」と刻まれています。

さて、数年前に私が初めて、このお寺に愛する茶々丸君のお墓を拝みに行ったとき、その墓所のあまりに異様な雰囲気に、ビックリしてしまいました。
そこはまるで不思議空間。

このお寺には、同時に創建者・北条時政公のお墓もあり、寺の入り口付近にあるそれは、小綺麗に整えられた立派な威厳のあるものだったのですが、一方で寺の裏手にある茶々丸公のお墓の方は・・・・・ 周囲が・・・・・
おかしな石像にぎっしりと取り囲まれていた・・・・・

あからさまに、後ろにある茶々丸よりも手前のメガネのおっさんの方が目立っている、、。

なんでもこのお寺では、開山八百年記念事業として、「平成の五百羅漢製作」というものをおこなっており、その分野ではとても有名なんだとか。(ネットで検索してみると、さまざまなバリエーションのいろんな像があって、ひとつひとつ見る分にはとても楽しいものです)

しかしながら、大量に並んでいるとやっぱりコワイ。
茶々丸さまの墓石のある斜面の付近は、こんな感じです。

なんでも、現在でも申込みは受付中で、写真を持って行けばお寺の一角の製作場で作ってもらえるそうですし、望めば自分で彫ることも可能(彫り方を教えてくれる)そうです。
代金は、一式10万円で、永代供養つき・・・ 高いのか安いのか分かりません。

しかしながら、もちろん死んだ家族の供養のためにこれを彫ってもらっている人が多いのですが、中には(生きた)自分の姿や、お手製のファンシーなイラストをもとに彫ってもらっている人もいるようです。もちろんそういう人たちは、何か願うことがあってわざわざこの寺にモニュメントを残すのですね。願成就のこころ、まだ現在でも健在です。お願いは叶う気がしますね。なむなむ。


この池が「首洗いの池」かな?
しかしやはり、石像の方が目立つ。

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手軽にできる絶体絶命。

2006年08月26日 22時52分35秒 | シルクロード日記

きのう、ギルドの強い人たちにつれてってもらって、新登場したばかりのロック山に、ロック鳥見学に行ったんです。ロック山は噂にたがわず恐ろしいところでしたが、艱難辛苦の末に出会ったロック鳥は美しかった~~

しかし、強い人たち数人に守られながら行ったのにもかかわらず、6回ぐらい死亡し、経験値は10%ぐらい減少してしまったのでした~。あはははははは。すごい恐ろしい場所だったのです。ただ「自動追跡」にして付いていくだけの私ですらそんなに死んだのですから、前線で戦っていた人たちはもっとすさまじく死亡、死亡。

ロック山は、以前つれていってもらった「飛行船乗り場」から飛行船に乗って行くのですが、その渡し賃はなんと500円。(やすっ)。黄河の渡し場でボートに乗って渡るのと、同額なのです。
しかし、飛行船を降りて一歩外に出ると、不気味な雨がしとしとと降っていて、わたくしどもの難多き前途を象徴しているかのようであったのでした。

今回の道程は、飛行船の南側乗り場から一番近くの「嘴の峰」(地図右下)に登り、そこにいるロック鳥を拝み、そこから湖畔の「風の村」に向かい、そこからさらに次の村である「羊飼いの村」まで行く、というものでした。
さすがにロック山エリアは広い。一日じゃ回れないみたいです。

写真からじゃわからないかも知れませんが、一番小さな小峰である「嘴の峰」ですら、とっても激しい傾斜です。すごい坂。よくも馬はかっぽかっぽずり落ちずに登れるものだ。道の途中に、すごい角の生き物とか、羽の生えた生き物とかがいます。すげー。
生き物を見ている限り、ロック山というのは天国と地獄が一緒に現れた場所のようです。

そしていましたロック鳥!
神々しい! ・・・・でも小さい。実はこれはロック鳥の子供だそうで、名前は「守護鳥ロッキー」というんだそうです。何を守護しているのかというと、ロック鳥の巣です。で、小さいのにこいつ強い。私たちの強い人たちが4人で総力で戦っているのですが、みなさん死にまくりです。(私も追われて2回死んだ)


巣。

ロック鳥がいろんな色で輝いています。これはロック鳥が自分で輝いているのではなく、戦っている人たちの魔法の効果でいろいろな色になっているのですが、しかし、虹色に輝いて飛ぶ小ロック鳥の姿に、神々しさを感じて、惚れました。
で、ようやくのことでロック鳥を倒し、一息いれようとしたところ、間髪入れずに次のロック鳥が現れ、みんなで一目散に逃げたのでした。(ここで私は逃げ遅れて死んだ)

ロック鳥以外でツボに入ったステキな生き物は、この羽が生えた人たちです。空中に静止しながら静かに羽ばたく姿が、素敵
しかし、私は一撃で馬ごと殺され、顔が地面にめりこんでる(笑)

あまりにも傾斜が急すぎて、一度死ぬと変な格好になります。こんな嬉しそうな恍惚の顔でも、実は死んでるんですよ  死んだ時の画像はあくまで平地で死んだ時の状況にあわせて設定されている為、こうなるんですね。

角の生えたヤツのジャイアントです。
ぶ、ブルーだぁ。(←※ブルーとはルーンクエストというゲームに出てくる、世界で一番邪悪な生き物のこと)。この大きさは、ブルーの中でも大物中の大物、“混沌の地”ドラストールの王者ラルツァカークだあぁぁぁ。…って、ラルツァカークはユニコーン頭のブルーだったか。でも、つくづく恐ろしいところです、ロック山。しかし、こいつはとても強いとわかっているのに、皆さんひるまず、見かけるたびにつっこんでいきます。すごい。しかし、つっこんだ先に大きいのが2体いたりして、もうメチャメチャでした。

かっこいいね。

景色はいいんですけどねぇ。
草むらの中で、人知れず私は死んでいる。

ほんと、景色はいいんですけどねぇ。
牧歌的なのに死活の地、ロック山。ここを越えていかないと、西アジアを目指せないんですよねぇ。はぁ。

今回の目的地、「羊飼いの村」にはなぜか処刑台があり、今回はここで解散となりました。
近いうちに第2回目が企画されるそうですよ(^-^)

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『炎環』。

2006年08月25日 21時05分26秒 |   源頼朝

    

ブックオフでようやく『炎環』を見つけたので買ってきました。百円♪
これは、源頼朝の弟の阿野全成とその周辺を描いた、連作短編集です。

一つ目の「悪禅師」の主人公が阿野全成、2つ目の「黒雪譜」が梶原景時で、3つ目の「いもうと」が阿野全成の妻の保子、最後の「覇樹」が北条義時が主人公です。
わたしとしては、阿野全成と梶原景時の話がおもしろかったかな。北条義時についてはちょっと前に同じ作者の「はじめは駄馬のごとく」というエッセイ集を読んでいて、書いてあった事が一緒だったのでむにゃむにゃでした。それから、だいぶ前に読んだ『北条政子』は、明らかにこの連作の一篇ですよね。テーマが同じです。この『炎環』が直木賞をもらったこの作者の出世作で、それに対して『北条政子』が数多いこの作家の一番の代表作だと思いましたけど。一緒に読んだ方がいいです、うんうん。

さて、この小説に出てくる阿野全成ですが、、、、、、
私の中のイメージの彼とは全然違いました、、、。全然“悪法師”じゃなく、とても洗練された精神の持ち主だった・・・。

 

 

 

・・・・・すんません、下のユゴス星に思いのほか時間がかかってしまったので、時間切れ~。続きはあとで書きます。でわっ。

コメント (2)
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『ユゴスの星より』。

2006年08月24日 23時18分40秒 |   ゲーム本

 
                    ≪ヒマラヤの雪おとこ≫

ぶーぶーぶー!!
冥王星が無くなってしまうんですって。
なんてこったい。冥王星がなくなったら、困る人がたくさんいるんじゃないですか?
私と同趣味の人だったら、まっさきに思い浮かべるのは、ヒマラヤの雪男の事だと思います。ヒマラヤの雪男は冥王星から来てると信じている人はいっぱいいると思うのです。それが冥王星がわれわれの地球と同じ惑星じゃないとなってしまった場合、ヒマラヤの雪男に対して感じていた同胞意識が、激しい混乱をきたしてしまうことはまちがいありません。たとえ太陽系から無くなるわけじゃなかったとしても。水星には透明のスカイフィッシュが、金星には金色の肌の美女がいて、火星には美女デジャー・ソリスがいる。同じように土星(サイクラノーシュ)にはたくさんの猫とフジウルクォイグムンズハー様が、天王星には高貴な人々が、そして最果てたる冥王星には雪男がたくさんいたことになっていたのに。そういうわれわれの小さい頃からの認識が、たった一日の決議で覆されてしまうのは、正直言って腹立たしいことです。

・・・・な、なんの話なのかというと、私が小さい頃から好きだったハワード・フィリップス・ラヴクラフト(H.P.L.)という小説家とその仲間たちの書いた物語に、そういう内容の一連の作品があるんですよ。私は冥王星については詳しくはないのですが、C. W. トンボーが冥王星を発見したのは1930年2月18日。でも天文マニアでもあったHPLはその前年から知られざる惑星ユゴス星を舞台とした長編詩を書いており、いろんな雑誌に断片的に発表されたそれが完結したのは、冥王星の発見の一月前である1月4日だったのでした。まだ発見されてはいないけれども当然発見されるべき天体として、多くの人たちから冥王星は期待されていたんですよね。つまり冥王星は、発見されるべくして発見されたものなのです。(それがあまりにも常識はずれな天体だったために発見されるのが遅れたのだけど)。冥王星の発見のニュースが届いたとき、HPLは同主題の次の作品「闇に囁くもの」(※バーモント州にいるヒマラヤの雪男=カニが出てきます)にとりかかっていて、そのニュースに大歓喜したというのでした。・・・・この「闇に囁くもの」は、東京創元社のHPL全集の第一巻に収録されていて、だからわたくしどもにとってはとても思い出深い作品なので、そのエピソードもとても愛しているのに、それが、今日になってたった一日で全部変えられちゃうなんて、ふざけてる。
だって、私は(天文ファンじゃないから)そんなことが議論されているなんて知ったのは今日の朝のワイドショーですよ。何年も前から激しく議論されていた、なんてことを聞いていたら少しはしょーがないなー、なんて思うかも知れないけれど、私は今日のニュースを見ていて、大事な事が一部の人々の恣意的な独善的意見によって一瞬で変えられてしまったように感じた。冥王星は惑星としてはかなり風変わりで、さまざまに問題があるということは聞いた事はありますけど、だからこそ「宇宙って不思議だなー」と小さ心に思えるんじゃないですか。子供にとってもいい教材だと思う。それを「小さいから排除」だなんて、ふざけているると思うのです。
・・・で、テレビで松本零士が出てきて、同じように(というか別の口調で)怒っている姿を見て笑ってしまいました。

 

さてさて。
連作詩「ユゴス星より」と小説中篇「闇に囁くもの」は表裏一体の作品だと思うのですが、読んで得られる感慨はまったく正反対です。前述したように「闇に囁くもの」は、HPL入門者が最初に手にする事になるだろうもののひとつなのですが、多分一巻目に収録されている4編の中の最後のコレを読んだあと、読んだ人の8割は2巻目に手を伸ばさないだろうね。そんな、入門者に対するカベ的作品なのです。なにが凄いって、描写がやたらとくどいんです。意味も無い(←なんてマニアは言っちゃダメだぞ!)綿密な情景の描写が延々と続く。なにしろ冒頭で「目に見えることはなにひとつとして起こらなかったのだ」という一文で始まるこの小説は、町に住んでいる物好きが山の中に、変な事ばかり言っている男を訪ねるはなしで、本当にもしかしたら何にも起こらなかったのかもしれないんですよね。それを作者得意の圧倒的な筆力で延々120ページ、ただ読者に「何か怖ろしい事が裏で起こっているのかもしれない」と錯覚させるために、細々とした描写の見事な積み重ねがなされているんですよね。慣れない人にはこれは多分苦痛だろうけど、2度読めば存外おもしろい。その分、その場にあることはもらさずきっちりと描写し、読者に思う存分夢想をさせるのが、この作品なのです。

一方、「ユゴスの星から」。
これは正直言ってさっぱりわけわからん。単行本で47ページに及ぶ長詩で、一定の形式に従って36のパートに分かれているのですが、これが最初から最後までがひとつの物語になっているのだろうと思って読み進めると、3つ目の詩ぐらいで眩惑されてわけがわからなくなる。・・・どうやらこれは、一つ一つの部分が独立した物語で、それぞれの前の部分と後ろの部分は関係がないらしい、と気付くのは10つ目ぐらいです。情報量が少なすぎるので、これが繋がっているのかバラバラなのかも分からなかったのでした。そうだと知って良く眺めてみると、HPL独自の豊富なイマジネーションのイメージの羅列です。彼の中篇作品の作品メモみたい。それで、きっとどこかにユゴス星とはなんなのか書いてあるパートがあるに違いない、と思いながら最後まで読んでみても、結局そんな部分は無いんですよね。HPL作品ではおなじみの「宇宙の中心でフルートの音に合わせて踊っている巨大な邪神」や「エジプトからやってくる黒いファラオ」や「港町でおこなわれている魔宴」などのイメージが次々と出てきますが、これらはユゴス星とはまったく関係ないですもんね。作品中に「ユゴス」という単語が出てくるのはたったの2回で、それは大した意味のない場所で使われます。では、標題の「ユゴスの星より」とは何なんだろう? と思っていると、はっと気付く事があります。そういえば、何回も何回も、激しく寂しい場所の風景の事が語られている。そういえば4つ目の詩で、「そういえば小さい頃のことを思い出した。小さい頃に見た風景、異形の灰色の野、それはわれわれの世界ではなくてユゴス星から来たやつらの世界だ。そして、よく考えてみれば私の姿は彼らとそっくりだ」というのがあるのです。最初は、これはHPL作品での定番、「怪物たちから命からがら逃げ出したと思ったら、実は私もその怪物だった」のパターンの一つかと思っていたんですが、そういえば各詩のタイトルに「思い出」とか「帰郷」とかいう言葉を冠しているものの多い事に気付く。要するに、この36の詩は怪物である主人公が宇宙を飛び回って見ている光景で、特に固有名詞が付せられていない寂しい光景をうたったものは、主人公の故郷のユゴス星の風景なのね。港町とか古びた教会とかが頻出するので、(怪物もたくさん出てくるけど)、地球上の事だと思っていました。そこまで気付いて、ようやくこの脈絡のない壮大な詩の意味が分かってきました。わ、わかりづらいわいっ。「闇に囁くもの」とは作品中情報の質が、全く違うのでした。

≪闇に囁くもの≫より
彼らが主として集まっている目下の住まいは、まだ人間に発見されるにいたっていないほとんど光のない惑星で、これは太陽系のそれこそ端にあって    海王星よりも遠く、距離の点では太陽から九番目に当たる。この惑星は、すでに推察しているとおり、ある大昔の禁断の文書の中に「ユッグゴトフ」という名で秘教的にほのめかされているものである。そこはまもなく、精神の霊感通信をうまく成功させようと努めて、奇妙にも思考の思念の念波をこの地球に向かって集中してくるその現場となるだろう。その思念の念波の滔々たる流れに天文学者たちがいち早く気付き、その結果ユッグゴトフを発見するにいたる、ということになっても私は驚かないだろう。そのときは宇宙人が学者たちに、そうさせたいと思ってそうなるのだから。だが、ユッグゴトフはむろん、飛び石にすぎない。宇宙人たちの本体は、風変わりな準備の整った、底の知れない深みに住んでいるが、そこはいかなる人間の想像も遠くおよばないところだ。われわれが全宇宙的実在の全体だと認めているこの地球という時空の小球体は、真の無限の中にある一個の原子にすぎず、そしてその無限は彼らのものなのだ。その無限から、現代のいかなる人間も受け取りえないほど大事なものが、やがて私に解明されることになっているのだ。

・・・上の文章、怪しげな宗教のものみたいですが、この作品が第二次大戦開始の何年も前に書かれたものだということをご勘案くださいね。しかもこれは、やがて宇宙人に誘拐されることになる真面目なおっさんが、変になりはじめる頃、語っていることなのです。

≪ユゴスの星より≫
XVII.或る記憶
星月夜 段状の果て無き岩高地
リンと鳴る 鈴の家畜の
毛深き群れに 微光を散らす
奇妙なる野営。
南方遥かに傾斜して伏す大平原
終わり無き時の冷えて石化せる
太古の大蛇のごとく
終極に鋸歯の壁影を落としたり。

稀薄なる冷気のうちに ふと戦慄を覚ゆ
此は何所にして如何に来たるか覚えざり。
野営の炎を背に受けて外套の人影
立ちて我に近づきて 我が名を呼びたり。
其の頭巾の下の死せる顔を見
希望失しけり    全て解りける故に。

この前後の詩はこれとは全く関係がないので、このエピソードに関して与えられる情報はこれがすべて、ね、まったくわけわかんないんでしょ? でも、作者はこれで「イメージせよ」と言っているのだ。そしてこれが30連も続くと、情報は自然に蓄積されて、全体が巨大な伽藍になっているのだ。「ユゴスの星より」はそういう作品。・・・・ていうより、この作品、私の手持ちの本では「ユゴスの星より」となっているんですが、英題は「Fungi from Yuggoth」(ユゴスから来た黴)なんですよね。カビ? その原題を知ったら、タイトルに意味が無いことは一目瞭然だ。

 

で、
私は上に描いたピンク色のモジャモジャを「ヒマラヤの雪男だ!」と常に言い張っているんですが、私がそんなことを言うのは、「闇に囁くもの」でそう描かれているからなんですよね。「どこが雪男なの!?」「おかしいんじゃないの?」と思われる人もおられるかもしれないですが、HPLはいろんな作品で繰り返し繰り返し、「宇宙の外にあるものは地球の原則にとらわれない」、「関係無さそうにみえること同士の関連の重要性」、「人の理解の埒外にあるものを目撃してしまった場合、その伝聞はあらぬ方へ向かっていく」ということを語っているので、これでいいのです。意外と本当に雪男やネッシーはこんな姿かも知れませんよ(笑)。人はだれも、ヒマラヤの雪の中にもしゃもしゃの大きな蟹がいるなんて思っていないから、「もじゃもじゃな物が立っていた」「おおきかった」「毛むくじゃらだった」「飛ぶように早く駆けた」「ピンクだった」「白かった」「あれはきっとサルだ」、なんて言ってしまうんですよ。あれはきっとサルだと思ったのは網膜の以上と状況のいたずらが生み出した錯覚で、本当はカニかカビなんです。

で、ちょっと困っているのが、絵にしてみようと資料を漁るとき、本によってイラストによって、若干再現イメージの食い違いが大きく出てくることです。ま、HPL自身が謎めかしてイメージしずらい描写で妄想を喚起しようとしてした結果なので、当然のことなんですけどね。
でも折角なので、いろんな本のミ=ゴの絵をコピーして、コレクションしてみました。
みて、みて! くらべてみて!

 
一番有名なゲーム「クトゥルフの呼び声」はこれまで4回日本語訳が出版されていますが、その都度イラストが違います。
左が93年d100版(2回目)のゲームのルールブックのイラストで、右が04年d100版(4回目)のもの。その以前の初日本語訳のものは、シルエットのみでした。
でも、こりゃ虫だ! どうみてもカニじゃなくて虫だよおかあさーーーん!

  
左のが、若干ルールの仕組みが違う2004年度d20版ルールブックのもの。この本はとてもイラストに力を入れているのですが、これはとても夢幻的。(でもこの本、ここの部分に誤植があって、“星の精と彼方よりのもの”と書かれてしまっているのでした)。右は、88年に出版された『クトゥルフハンドブック』に付せられた草ナギ琢仁のイラスト。この当時はイラストが少なく(ネットも無かったし)、変なのしか無い時期だったので、その中ではこの絵が一番大好きでした。

 
同じ「クトゥルフ・ハンドブック」に載っていたアメリカ産ゲーム用メタルフィギュアの紹介写真。左の方には「おいしそう」、右は「キノコだといわれても納得できる」というコメントが付されていた。そして、この2つの写真を見て私は、姿はいろんなバリエーションがあってもいいんだ、と思ったのでした。


88年版の傑作シナリオ「ユゴスからの侵略」に付いていたイラスト。このシナリオ、タイトルもとてもそそるんですよね(^-^) 臨場的なのもイイ。

 
カードゲーム『クトゥルフ・ホラー』の中の一枚。もう一枚、ミ=ゴの別イラストがあったのですが、そのカードどっかにいってしまいました(笑) この姿だったら、雪の中にいたら大きな人型に見える。右のは、朱鷺田祐介の『クトゥルフ神話ガイドブック』(2004)の中のイラスト。


学研の『クトゥルー神話大全』の中の矢野健太郎のイラスト。ちゃんとカニに見えますね。これはこれでなかなか、、、、 じゅるり。

・・・・・・で、この手のイラスト集としては元祖的存在で、でもミ=ゴに関しては一番変なイラストが載っている名著『サンディ・ピーターセンのクトゥルフ・モンスター・ガイド』を堂々と掲げようと思ったんですが、その本だけいくら探しても見つからなかったのでした。しくしく、おかしいなぁ、何週間か前に部屋のどこかで見た記憶があるのに。あの絵はおもしろいのに。

コメント
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