マラソン讃歌

ランニング日記を中心に様々な趣味活動を紹介します。

「しげじい」のアメリカ旅行記 (1)

2017年06月28日 | その他
「しげじい」のアメリカ旅行記

はじめに
4月13日(木)から24日(月)まで、しげじい(主人公、全盲の社会科教師<非常勤>、退職まであと1年)とチョーさん(同行援護従業者、元外交官、67歳)とで、ナイアガラの滝・ボストン・ワシントンDCの3カ所を男二人で12日間かけて旅行した。
 主な目的は、夢のボストンマラソンへの参加とパーキンス盲学校を訪れること。
 市民ランナーに過ぎない私が、このような海外旅行ができたのは、伴走者で通訳ができるチョーさんがいてくれたから。また、いつもお世話いただいているSさんとHさんが、盲学校の見学、マラソン大会エントリー、現地障害者団体との連絡調整、格安航空券・ホームステイ・ホテルの手配などすべての準備をしてくれたから。
 つまり、私自身は大きな声では言えないけれど、英語も何もできないということ。
出発前は、忙しなくどたばたしていたが、みなさんのお陰で夢が実現することになり、春が来たようにうれしい気分だった。

1.出発
前置きはこれくらいにして、そろそろ出かけることにしよう。
(4月13日(木) 第1日目 天気 晴れ)
 自宅を14時20分に出発し、日暮里駅の乗換えだけ駅員の力を借りてスカイライナーで成田に向かった。チョーさんと合流するまでは一人旅、何があるかわからないので、なんとなく不安だ。成田第2ターミナル駅に降りると、すぐにチョーさんが私を見つけてくれた。これで安心、道に迷うことはない。
 飛行機に乗れることは確実となった。成田空港の出発ロビーでは、チェックインして
発券を受け、荷物の重さを確認した。少しオーバーしていたが大目に見てくれたのか
何も言われなかった。それから、旅行保険を節約して医療費と賠償費だけに限定して
加入したり、ホームステイ先へのお土産に風呂敷や扇子を買ったりした。
 あれやこれやですぐに時間が経ち、いよいよ搭乗となった。飛行機は、何という型の機体かは分からなかったが、窓側に3席、中央に3席、反対の窓側に3席の横一列で9席になっていた。私たちは、運よく中央の3席を二人だけで使えるようだった。後から乗り込んできたお客さんは、乳児や幼児連れの家族らしき人たちが多く、あちらこちらから子どものぐずる泣き声が聞こえた。
 これから12時間も狭い椅子にずっと座り続けなければ成らない。家族でも気軽に外国旅行ができるようになったのだろうが、子連れでは親子ともども大変に違いない。飛行機は、まるでバスのようにふわふわと移動し、空港の敷地内を20分ぐらい回っていた。18時20分突如エンジンをふかして離陸。いよいよアメリカに向けて出発だ。機体の性能が良くなったのか、ほとんどゆれることもなく、安定感と安心感があった。
 やがて、機内はすぐに夕食となり、機内食は、肉・卵・パン・サラダ・デザート・お菓子などが出され、楽しいひと時を過ごした。

2.シカゴオヘア空港
 眠ってしまったのか、いつしか子供の声も聞こえなくなり機内は静かになった。
これより、北海道の東側を掠めて、ロシアのカムチャッカ半島の根元を通りベーリング海峡の上を渡ってアラスカに入った。中間地点の北アメリカ最高峰デナリ山、旧名マッキンリー山(6190m)の上空では少しゆれたが、カナダ上空に入ると安定しロッキー山脈を超えながら東側に沿って南下し、五大湖最大のスペリオル湖を北から南に飛び超えて、
乗り継ぎのため、シカゴオヘア空港に、現地時間 13日15時20分に着陸。広い飛行場を回って、17時45分には空港ビルに到着した。
 米国への入国検査はとても厳しく、上着だけではなく靴まで脱いでから、エックス線透視機械を通された後、両手の指紋と顔写真を念入りに撮られた。靴まで脱いで、指紋も両手とも取られたのは初めてだったが、テロへの警戒が必要だということは理解できるので、仕方がないなと思った。
アメリカ第3の大都市シカゴの玄関口であるオヘア空港は、巨大なハブ空港で、国際線から国内線への乗り継ぎは、専用のモノレールを利用する。途中の車窓からは、広大な駐車場や高速道路が見えているとのことだった。国内線といっても米国は日本の約25倍もある広大な国土を有しているので、国際線並みの多数の路線が集中している。特にシカゴはアメリカ全土の中央の位置にあるのだから無理もない。
 さて、ここで両替をしようと思って銀行の窓口に言ったが、為替レートが、1ドル=124円と高かったのでやめた。しかし、小銭ぐらいわないと困ると思ってチョーさんがもう一度行ってみるとすでに閉店していたとのこと。空港なら遅くまで開いていると期待したのが大間違い、17時きっかりに閉店して閉まっていた。日本なら儲かりそうなら延長しそうなものだが、米国人は客が並んでいても時間で閉めてしまう。この辺が人口過密の中で暮らすアジア人とは違うのかもしれない。
 ナイヤガラの滝に近いバッファロー空港への乗り継ぎ便は18時25分に出るので、
小一時間ほどお土産店やレストラン街を見て回った。シカゴ・カブス球団の帽子が目に留まったが、まだお土産は早過ぎる。
 オヘア空港は、あまり新しそうではなかったが、窓は全面総ガラスとのことで、発着する飛行機や待機する飛行機がよく見えたらしい。案内のアナウンスが直前までなかったので少し不安になってしまった。直前のアナウンスで慌てて駆けつけると、障害者ということで優先搭乗させてくれた。
 
3.バッファロー
今度の飛行機は小型機で通路を挟んで2列ずつの配置。窓側の席は手荷物収納棚が頭上にあり、立ち上がると頭をぶつけてしまう。機内クルーも全員男性で、このあたりは国際線との格差を感じたが、座席がチョーさんと離れてしまったため、よく頼んでくれたらしく、男性スタッフの方が、大変丁寧に接してくれた。
 予想に反してこの小型機はとても性能がいいらしく離陸から着陸まで全く揺れを感じなかった。唯一問題があったのは、隣の座席に無口なご婦人が座ってきたことだ。
 やはりお互いに相手の様子を伺って気まずい雰囲気になってしまった。どうしよう。
何か英語で話しかけて雰囲気を和ませなくては…。これはピンチだ。中3程度はあったつもりの会話力も、今はもはや忘却のかなた何も頭に浮かばない。最近は、日本語も口がまわらずつかえてしまうことが多くなっているというのに…。
 1時間弱、ジュースばかり飲んでもじもじしていたが、なんとか「ナイヤガラの滝の観光ですか?」と聞く事ができた。途切れ途切れながらも会話が進み、親戚を訪問して自宅に帰るところのようだった。相手のご夫人は通じない会話にため息をつきながらもよく付き合ってくれた。
 漸く着陸態勢に入り、最後に街の夜景はきれいですかと聞くと、明かりがきれいですよと言ったので、その気になっていたところ、後でチョーさんに聞いてみると、郊外の空港で下は真っ暗闇だったとのこと。星や月明かりがきれいだったと言ったのかもしれない。
まあ、ぜんぜん通じてなかったということかな。
着陸によって英会話からは開放されたが、周囲の人たちは当然みんな英語を話しているので、なんだか落ち着かない。バッファロー空港では、国内線扱いのためか、たいしたチェックも受けずに外に出ることができた。
 時差が1時間あり、もう20時50分になっていた。やはりシカゴと比べると空港も小さく、人もまばらだった。当然両替もできず、タクシーにも乗れない。30~40分ぐらいで空港玄関前のロータリーに出ると、もうほとんど人影はなかった。気温的には、日本と変わらない感じだったが、夜の10時ごろに知らない街に着いたのだから、心細い分だけ肌寒く感じた。
 歩いてすぐのところにホテルがあると聞いていたので、チョーさんが見回したが見当たらない。しばらく行ったり来たりしていると係員らしき人に出会い、尋ねることができた。するとすぐにわかったらしくホテル循環の無料シャトルバスのようなものに乗せられてしまった。歩いてもすぐと聞いていたので疑問を感じながら乗っているとなんだかとても遠回りをしているようで、なかなか着かない感じだ。一方通行とかそれなりの事情はあるのだろうが知る由もない。バスは、不安そうな二人を乗せて、しばらく走り、結果的には10分もかからないうちにホテルの玄関前に止めてくれた。
 愛想のいい運転士さんにお礼を言って、ようやくホテルにたどり着いた。
 三ツ星ホテルだが、フロントやロビーは小さく、ビジネスホテルの感じだ。フロントにはほとんど客も折らず、事務的なチェックインを済ませて、自分で部屋に行った。部屋はとても広く清潔で、一人ひとりにダブル別途が置いてあった。その高さがあまりにも高いので、テーブルの上に寝るようなイメージだった。
まあ、私たち二人には申し分のない良いホテルだと思った。もう夜も遅い。夕食を食べたかったら、荷物を置いてすぐに食堂に行くしかない。エレベーターで1階に降りると、ホテルの小さなレストランには、沢山の人たちがいて、とても賑やかだった。テーブルはどっしりとした木製のもので、椅子も日本の者よりもダイブ大きい。しげじいの勝手なイメージでは、子どもの頃テレビで見た西部劇の田舎町の食堂という感じだった。周囲の人は、
食事というよりは、飲んで盛り上がっている人が殆どのようだった。まあ、明るい雰囲気でならず者はいないようだった。
こんなとき、英語に堪能な元外交官のチョーさんがいてくれるので安心だ、二人は飛行機で何度も食事をしたので、一番量の少なそうなシンプルハンバーガーと、フレンチポテト(フライドポテト)と、小コーラを頼んだ。ジュージューと鉄板で肉を焼く音がして、熱々のハンバーグとポテトが運ばれてきた。やはりサイズは大きく日本のものの4つ分ぐらいはある。ニューヨーク市のまずいハンバーガーの思い出があったので警戒していたが、
予想は嬉しい方に裏切られて、とてもおいしかった。後で聞いた話だが、ニューヨーク州は、東北地方と関東地方を合わせたぐらいの大きさで、バッファロー市はニューヨーク州の北の外れにある。日本でいうなら東京と青森という感じだ。周囲は広大な酪農地帯、肉がまずいはずもない。また味が良いのは、カナダ国境に接していて、フランス料理の影響もあるという。とにかくおなかいっぱいで満足した。一日1回ぐらいは、生きていて良かったと感じる場面が訪れてほしいものだが、今日でいえば、この夜遅い夕食だろう。
 食事が終わりそうな頃チョーさんがなんだか不安そうな雰囲気。理由は、我々が全くドルを所持していないことだ。チョーさんいわく、カード決済ができるか、チップも現金でなくカードで支払いが可能かということだった。日本円は使えないし、両替もこの時間では無理である。聞いてみるしかないよ。
 しげじいが他人事みたいに言うとチョーさんが、確認に行ってくれた。結果はOK、
初日から無銭飲食せずに済んだ。
さて、寝る前にもう一つ問題を解決しておかねばならない。それは、翌朝どうやってナイヤガラの滝まで行くかということ。チョーさんの提案でホテル備え付けのパソコンのインターネットで調べることとなったが、どう調べても、路線バスも、シャトルバスも、観光ツアーバスも、もちろん鉄道も、可能性があるものは、というよりも、もともと公共機関でナイヤガラに感光で行く便は全くなかった。
 ニューヨークやボストンからは観光ツアーもあるが、ここから15キロ先の滝まで公共交通機関で行く人などいないらしい。アメリカは車社会、自家用車か、レンタカーか、高いタクシーで行くしかないのだ。田舎者の日本人よ、車社会の実態を思い知ったかという感じだった。仕方なく、タクシーを翌朝8時に予約して、就寝することにした。すでに12時をだいぶ回っていて、睡眠時間は5時間もないだろう。
こうして漸く第一日目が、日本で起きた時から通算して、33時間の長い長い一日が終わった。


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