ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

桜吹雪の記憶

2010年06月01日 | 諸子百家
それは桜の花吹雪が小路に舞散って、青い葉だけが残った或る日のこと。
「よし!」とW先輩は当方に何事かうなずくと、向野の校門を出た二百メートル先の木影の食堂に先にたって入っていった。
店内には学生服の先客の三人が、テーブルの湯気の立ち昇るどんぶりにフーフーと箸を動かしている。
そこに言われるまま着席して、いつも食事の手配にぬかりのないW先輩と、ラーメンの匂いに寛いだ気分になっていたのだが。
突然、「隠れろ!」と声がして、ガバッ!と学生服の皆がテーブルの下に低い姿勢になった。
オイオイ、何なの。
窓の外の通りを見ると、人文世界史のU教諭が、何事か考えている様子で通って行くのが見えた。
大所帯の高校の風紀指導U教諭は、その存在を畏敬されている、いささか迫力の漲るギョロ目の、しかし授業のおもしろい人だが、校外の食堂に制服で入ってはいけない決まりになっていることを、初めて知ったのである。
そのU先生という人物は、終業のベルが鳴っても「あと二、三分、合わせて五分で終わりますから、そのまま」と我々の店仕舞いを制止して、めいっぱい話をする人であったが、その論説の情念の根幹は、彼が二十代に遭遇した太平洋戦争の学徒出陣にあるらしく、いまだあの不条理に心の整理おさまらず、どこかで戦いが続いているかのような、悲惨であったけれどもこっけいな話が、毎回の授業を修飾して絵巻物を紐解く習慣になっていた。
その授業から二十数年が経って、たいていのことを忘れていた当方が郷里に戻った或る日、突然、のことU先生から「顔を見せるように」と電話があったと母から伝言された。
はてな?と訝りながら、免許を取ったばかりの運転の車で指定された観光地の建築物を訪問してみたわけである。
受付嬢に用件を告げると、五階の社長室に案内された。
なんと、U先生は大きな社長のデスクに座って笑っているではないか。
先代からの稼業を継がれて、ホテルの社長に収まっていたのである。
「商売は、だいぶ儲けているそうで」などと、こちらが閑古鳥の閑をもてあまして読書三昧の毎日を察知しているように、さっそくこれまで流れた二十年のお話が、授業の続きのように話されていくのを再び当方は聞いた。
「先生の授業は今も憶えています」というとU先生は、それがね、このあいだ大学に進学した夏子ちゃんに路で会って、ガクッときたのは、「先生がもっと教科書中心の授業をしてくださったらわたし苦労しませんでしたのに」と苦言があったと笑って、
新館を建てて、はじめに迎えた若い二人組の女性客のことを言った。
「責任者は来てちょうだい!」
東京からの客が部屋で呼んでいるというので番頭さんと勇んで行ってみたら....。
「私たちが風呂から戻るまでに、この飛んでいるハエを何とかしてちょうだいな!」だって。
いやはや、どんなお褒めにあずかるのかと思ったが、それがこの仕事の始まり。
U先生は、クフン!と昔の授業そのままに鼻を鳴らしながら、インターホンに向かって、ホテル自慢の昼食を社長室に並べさせ、当方に御馳走してくださった。
U先生の用向きというのは、御自分の戦争の体験である絵巻物を綴った原稿を書き上げたので、
自分だけで満足してもどうもね、他人の印象は違って恥を書いてはいけないから、一冊にする前に、やめたほうがよいのか遠慮なく感想をきかせてもらいたい、と申された。
U先生の歴史が原稿用紙の字になった束を預かったが、それは授業で聞いていた絵巻物といささか印象の違ってシリアスなものであった。
太平洋の戦地で若い下士官であったU先生は、占領した半島に空を睨んでいる対空機関砲を持ち場にして、二等兵たちと米軍のグラマン戦闘機相手に戦っていたが、とうとう敗戦の玉音放送を知った。
大事に残していた貴重な最後の弾帯を機関砲にセットして、海の向こうから悠々と現れた敵機に連射をあびせる時の葛藤や、戦地からやっと実家に帰り着いた日の、痩せて紙のように薄くヒラヒラした姿の描写が、忘れていた平和を語って圧巻である。
当方はカセットテープから流れる太平洋の向こうのジャズを聴いて、酒店の店番をしながら原稿を読了し、ちょっと複雑な気分であったが、のちになって上梓した紺色の表紙をながめとうとうU先生の太平洋戦争が終わったのだと思った。
ところで、学生時代いつも御馳走にあずかっていた一方のW先輩は、こちらも給料取りになって最初にお会いしてみると、美大に入ったあと画商に変身したさまざまの面白い体験を聞かせてくださった。
こんどはボクが払いますとレストランに入って言うと、「そうなの」と笑っている。
食事が終わって白山通りを歩いていると、彼は「じゃあこんどはボクが」と、また一軒のレストランに入って御馳走を勧めながら、笑っていた。
H・モブレーはシルヴァーとしばらく共演していたので、セットにして音色を憶えるむきもあるが、マイルスの『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』でサクスを吹いたとなれば、どれどれとその腕前の程をタンノイに探してみたくなる。
写真のアルバムは、問題のベーシストとやっているので、そこはやはり、はたしてどうかなと聴いてみる。




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