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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

須川岳への342街道

2008年09月20日 | 徒然の記
話題の342号線は、標高1627mの須川岳(栗駒山)を登攀するめずらしい国道である。
九十九折りの難所を持ち、紅葉の景観は言語道断?の絶景であると、たいていのことに驚かない人々も、口をそろえて賞賛する。
この須川岳を撮り続けた某写真家の作品を、ジャズを聴きながら眺めるとき、耳と目からすばらしい。
その長老写真家の脳裡には、年期の入った須川岳秘図が完成されて、草花の群棲地を熟知し、季節と光のタイミングを心得ていること、余人の及ぶところではない。
大自然への憧れが、技巧を越えてそこにある。
しかし、時代は高山植物保護の監視が厳しくなって、カメラのリュックを背負って藪を分け入っていると、なにかと不都合な視線があって、撮影を止めてしまったのであろうか「ハッセルブラッドが欲しい」と話さなくなったのがマズいというか、惜しまれる。
オーディオも、『マランツ#7』や『是枝アンプ』と、欲しい呪文を言わなくなったらどうか。
この342号線は、道程のすべてがはじめから舗装されていたわけではなく、祭畤の手前の一か所だけ、ブナやシラカバの森林を300Mほどぶち抜いて直線の滑走路に造られたらしい。
どこに飛ぶのか滑走路の両側に、頭上高く森林の枝の延びた静かな森のトンネルが、342号線のなかで一番スポットといわれている。
天気の良い日、ここまで車を飛ばしてラジオのジャズを聴きながら、弁当を賞味するのが秋の行楽だ。

☆ちなみにモーツァルトのK342はオッフェルトリウム「声を張り上げて賛美せよ」であるのは偶然?。



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ジャッキー・マクリーン

2008年09月17日 | 徒然の記
みちのくは早くも秋を聴く路である。
国道342号線は、むかし義経が遠駈けした街道のひとつであるが、いま鹿が道を跨いでいる、貸し切り状態だときいて、車を走らせに行った。
れいの恐るべき地震ナマズが須川岳の麓で寝返りを打って陥没した路は、秋田の横手まで延びる途中、依然として通行止めになっていた。
「こいつはなかなかいけるね」
コンビニで買った弁当を、古代の荘園跡で食べながら、青く伸び始めた稲のうえを風が渡っていくのをながめる。
「相撲取りはいちにち2食ときいて、自分も2食にしたら缶コーヒーがあんなにうまかったとは。びっくりした」
隣の席の話に、おもわずむせて顔を見ると、バイクでころんで折れかかった前歯の唇がまだ痣になっている。
往時の平泉に、中国から輸入された珍宝の荷がゆっくり馬の背にゆられ、須川岳の崖路をやっと越えて342街道を進んでくる。
ひと休みしたのは、この骨寺荘園に造られた別当の館ではなかったか。
そこに義経も駈けつけて、頼んでいたブルー・ノート4106番巻を受け取った。つまり、現代なら...。
『ジャッキー・マクリーン』が、B・ノートに録った「レッド・フリーダム・リング」は、ビバップやスイングの約束はそれとして、あたらしいジャズの境地を楽しんでいる。
アルフレッド・ライオンも調整卓のまえでニッコリだ。


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HaNG ON RAMSeY!

2008年07月18日 | 徒然の記
渋谷と横浜を結ぶ東横線は、そのころ地面の高さを走っていて、踏切だらけの沿線は信号機の音が喧しかった。
駅前通りの某『古書店』をのぞくと、たまにレコードもあり、ついでに買ったLPが『HaNG ON RAMSeY!』である。
古書店であろうが、昔のカッティングはすばらしい。
この店のちょうど目の高さにあった古代船の高額なイラスト図鑑が気になって、ふと手にとっては満足していたのであるが。
あるとき、裏表紙に貼った値段が下がっている、と気が付いたが、予算というものがある。
なんというのか見るたびに値段は下がっていて、いささか気を回した当方、最初の値段から半値になったところで店主の前に図鑑を差し出した。
大勢の客の出入りに忙しいなかで、謹厳なメガネの店主は、どこを見ているのかわからないような人であったが、多様な書物の陳列が倦きさせなかった。
1965年、ラムゼイ・ルイス・トリオによる、ハーモサ・ビーチのナイトクラブで、客の入れ換えも出来ないありさまの熱狂の演奏をたまに聴くと、その古書店を思い出す。



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タンノイ・ヨーク

2008年07月16日 | 徒然の記
まったく音の無い世界を、想像するのはむずかしい。
高校生の頃「一緒に行こう」とレコード店に誘う同級生がいた。
鯛焼き1個15円であった学生の身分には高価な映画のサントラ盤を2枚買って、そのうちの1枚を貸してくれるという奇特な人である。
彼が、オーディオ・セットからノイズがするというので、ある雪の積もった冬の日、バスに乗って遊びに行った。
農家の離れで、一泊していくことになった。
布団に入って気が付いた。
その家は、まるで耳にすぽっと穴があいたようにシーンとまったく音がしない。
柱時計の音も、山の音も風の音も、獣の声ひとつしない。
ジーという耳鳴りと心臓の鼓動が聴こえるだけの、おそろしく哲学的な真空の闇である。
彼は、このような世界にこれまで生きてきたのか。
目が覚めると、声がして、障子戸から朝日がもれていた。
真の無音とは、耳の奥の、鼓膜の傍を流れる血管の音を聴く世界だったかと驚いた。
珈琲を片手に、ボリュームを絞った無音のタンノイを眺めていると、これまでのさまざまの音楽のフレーズが思い浮かんでサランネットから透けてくるようだ。

☆このスピーカーはレクタンギュラー・ヨークといって、これまでのロイヤルの傍にあるが、二台並べると音が良いと試した人は言う。





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その後のテテのあるじは、

2008年07月05日 | 徒然の記
とぼけたなかにもどこか不敵な、それでいてやわらかい笑顔を浮かべ当方の傍に座っているその人物について、
『隠れジャズ喫茶・テテ』のご主人は、あるときふいにROYCEを訪ねてきた。
彼が持ち込んでテーブルに並べた数葉の写真の威力が良い。
JBLの音響装置が備わった根城には、全国各地の歌枕ジャズ喫茶を踏破したあかしとなる「そんなにジャズ喫茶があったの?」と思う膨大なマッチ・コレクション。そして天上まで整然と並んだLPとCDのストックが彼のこれまでを雄弁に語って壮観だ。
このようなJBLジャズの化身の、とうとうと理を述べる御仁にも、タンノイのどこ吹く風のように鳴るコルトレーンの音色と、いつまでも名字を一字間違えて言う当方に次第にタジタジとなって、世の中は広いと、結論してもらえたのが幸いである。
それからは、忘れた頃にお便りが届くが、このところ世間を騒がせた日本最大?の激震に見舞われた当地のニュースに、破壊されたかの聖地およびその傍らにある異教の黎堂を思い浮かべられたらしく、一葉のハガキをくださった。

『お久しぶりです。今回の大きな地震、お見舞い申し上げます。被害はありませんでしたか、貴重なアナログレコードとオーディオシステムは大丈夫でしょうか、心から心配しております、加えてROYCEさんはお酒のほうもあるので大変でしたね。少しは落ち着いたと思いましたのでお便りしました。今後とも頑張ってください。
私は今年二月には胆のう炎になり、昨年六月の脳梗塞に加えて最悪の日々を過ごしており、現在リハビリ中です。人生も末期ですがJAZZへの情熱はまったく衰えておりません。七月はスティーヴ・キューントリオに行きますし、アナログ中心に集めております。ホレスパーランが良い。今年もお伺いできるか解りませんが私の一番好きな街「一関」に一日も早く行きたい思いで一杯です。その時は宜しくお願いします』

かの人物のジャズの深さがしのばれる、いささかも末期らしくないハガキである。








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at Basin Street

2008年06月14日 | 徒然の記
小学生の頃、特別史跡『毛越寺』の拝観料に、石ころの多い街道を手のひらに握ってきた20円を置いた。
だだっ広い庭園の先にぽつんと建っている、破れかけた宝蔵庫の縁台に近寄ると、鍬を持った老人が野良仕事の帰りに、煙りを鼻から噴いて休んでいた。
麦藁帽の下の窪んだ眼には、大泉池が映っている。
「あの先の、国道を造ったとき、掘り返した土の中から鳥の形をした大変な物が見つかったのじゃ」
見知らぬ老人の物語る思い出が子供には何の事かわからなかったが、このころニューヨクでは、クリフォード・ブラウンとマックスローチの五重奏団によって『WHAT IS THIS THING CALLED LOVE』などが吹き込まれていた。
この毛越寺と称される区角については、地元の人は知っていることだが、平安期のころ回廊の付いた伽藍建築が3面も豪華に並ぶ威容が辺りを払って賑々しいところである。
パリに倣えばシャンゼリゼか、南大門は凱旋門、北上川はセーヌ川、伽羅の御所はルーブル宮、柳の御所はヴェルサイユ宮、中尊寺はモンマルトル、柵の瀬橋はミラボー橋といった比肩が、外国人にはわかりやすい。
なぜ『奥の細道』に毛越寺の記述がないのか疑問に思っていたが、芭蕉が訪れたころ、大泉が池のある浄土庭園は葦の生えた草原に放置され、情趣を見いだせなかったからなのか。
あと一句のために、もったいないことであった。
いずれ往時の建築がすべて復元され甍を並べることがあれば、現在の平泉の風景は、だいぶ趣のかわったものになるが、浄土庭園をこのままの景色で楽しんでいたいと思う、そうとう浮世離れしている平安期の傑作である。

☆テレビ画面、震度6の表示が2か所に繋がって、ぬあんとこれは驚いた、あいだに挟まれている空白表示が当方の場所であるが。



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金賞蔵

2008年05月31日 | 徒然の記
つね日ごろ、いろいろのアルコールを飾棚に、囲まれて漠然と生きている。
その或る日の昔、昼食後の油断を突いて「こんちは」とやってきた隣町の営業人は言った。
「これが清酒鑑評会で全国金賞をとった清酒です」
へえへーっ、金賞のそれを、どうやって造ったの?と尋ねたが、いまひとつ話がむずかしい。
ポラロイドカメラを渡して「これでその現場を撮ってきて」とむりやり頼んだ。
戻ってきた写真に、緑色のタンクが静かに写っていたので、初めて見る御物に感激した。
「超特選純米大吟醸」というそうだ。
あれからだいぶ月日もたって、ことしは、地元の多数の蔵が金的を射止めたと聞かされ、タンノイの奥のマイルスも興奮。
そのとき、久々に水戸のタンノイ氏が登場されて、地元の室内楽団のことなど解説してくださった。
水戸芸術舘の吉田秀和氏のことや、小澤征爾氏の話をうかがうと、タンノイ・ロイヤルで弦楽を聴いてみた。
「管球マニアの制作発表会があり、アルテック銀箱でそれが大変良い音で、自分も○○の御認可を得てWE300Bのアンプを早くオート・グラフに繋いでみたいものです」と申されると、シングルとプッシュプルの音楽表現の差について、本当のところはどうなのか、そのときの会では聴き漏らしてしまわれたそうである。
金賞蔵のタンクが、プッシュプルで映っているのが興味深い。





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屋根

2008年05月03日 | 徒然の記
屋根は陽除け雨避け、とはいえ、空に描かれた伝承文化である。
「隣家の屋根の葺替えをします」と棟梁が来て言った。
翌日、いなせな若い衆達が空に駆け上がって、手際よく分解と組立てを始めたのを見た。
長方形の鋼板を二列合わせた接合部を、大型の万力でギュッ、ギュッとかしめつつウエイトリフティングのように弾みをつけて降下していくのが見える。
10時と3時にいっとき静かになるのは、親が呼んでも中休みの珈琲タイムで、そのとき廊下のウサギも思案顔に隠れた姿を現し、いつも松の枝から覗き込むカラス・ギャングとは一風違う光景に驚いている。
棟梁が、作業の終わりにヒモの先に吊るした磁石で道路を探るのは、落ちた金貨か古釘なのか。
翌日、塗装師の親方が店舗に現れてリーチイン・クーラーを開け「ザ・ゴールド」を掴むと、言った。
「お宅のモスグリーンの屋根を見て、ぜひ塗り替えてみたいという意欲に駆られています」
高い場所で恐縮だが、だいぶ傷んでいるので望むところ。
「どうぞお願いします。こんど富籖が当たった、その時に」
すると塗装師はにっこり名刺を手渡して去った。
塗りたてペンキのうえに桜の花びらが散らないように、季節のタイミングは大切だ。


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宿場町

2008年04月04日 | 徒然の記
さきほど通った道の傍らに、芭蕉行脚の路と書かれた碑柱があるのを見たが、切れぎれの旧街道に、何者かが、旅人の記憶を残そうとしている。
旅人を音楽に置き換えるとタンノイはさしずめ宿場町にあたるだろうか。
さて、宿場町に顔を出して、旅の人の偉業を拝聴しようとする。
外出から戻ると、季節のはがきが届いていた。


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音の茶室

2008年02月26日 | 徒然の記
建築集団を束ねる高清水町のT氏は、アンプ制作でも多くの管球を蒐集し、大胆に緻密に趣味の時間を構築されている。
「アンプの音色は真空管だけが決めているのではありません」と申されて、トランスやコンデンサーでけっこうな違いが出てくることを微妙な比喩でこれまでも当方に伝えようとされてきた。
そういえばT氏の知人とおぼしき人がお見えになったとき『2A3』アンプの音楽を非常に気に入っている話ぶりであったので、それはT氏が制作されたアンプにほかならず「そんなに良い?」と、さまざまのジャズレコードに、あれこれ思い巡らした。
300Bや845のデバイスに結論を急ぐことは、脂の乗った旨味を食べる前から棄てていると、玄人好みの逸品アンプの楽しみを申されたいようである。
もちまえの積極的な奉仕の気分の旺盛なT氏は、ピアノ演奏室の改築や、オーディオルームの改造に、関東方面まで広げあしげくかよわれている。
「それはちなみに六畳間の工事でいくらでしょう」とたずねると、音響研究の有名な諸先生のデータから紐解かれるので、こちらはじっと腕を組み小一時間待った。
そしてその日、参考額は答えが返ってこなかった。ロイスのコンクリート壁面をT氏はさわりながら、このうえの防音を後回しになさったのかもしれない。
誰に気兼ねなくガンガン鳴らせる六畳間は、利休の時代から夢の茶室であった。



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謹賀新年

2008年01月01日 | 徒然の記
2メートル四方の小さな庭に
野鳥の運んでくるタネで、妙な植物が生える。
木は大きくなると、小さくハサミを入れる。
ときにアマガエルを狙って
ウワバミが何処からともなく出現する。
球根が、モグラに食べられる。
庭も芝居をする。
子供の頃、ごんちゃんという腕のたつ庭師がいて、
家の松の木を眺めてキセル煙草をふかしていた。
あるとき入れ歯を飲んでしまったと噂が聞こえ、
分厚いレンズのメガネの人はどうなったのだろう。


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トゥオネラの白鳥

2007年11月18日 | 徒然の記

どこかに忘れた憧れを呼び戻そうとする、静寂のなかに息づいている呼び声が聞こえてくるこの写真は、先日の客人がもってきてくださった作品の1枚だ。
当方も、伊豆沼に遠征したことがあって、はたしてこのようなシーンが、あの沼のどこにかくれていたのかと、びっくりした。
腕におぼえのある人々が、ちょっと刀の鍔をパチンと鳴らしてみせた感じが楽しい。
まだほかにも、大勢の腕利きのひとたちが控えているので、オーディオ装置だけではなく、絶景のフレームを見せていただきたいものだ。
ラックスの38FDというアンプでジャズを聴くこのドラマーは、カメラとスティックを自在に操って、あるときはロイスで控えめに珈琲を飲む。
この日は、棚から抜いてきたというソニー・スティットのアルバムを、写真と一緒に楽しませていただいた至福の一時。

☆わかりきったことを申すようなれど「白鳥の写真」についてこの一枚を選んだ感想を。絵は寒鴉枯木、歌は雪月花、ゲージツは真善美破。
この写真の「真理」は、左上の民家の灯りにあって、蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」とちがい一軒であるところ自然の闇と白鳥との関係に絶妙のバランスを見せる。「善」は三羽の鳥の物語る平安。「美」はめずらしい光の角度ともろもろのタイミングという、真善美のそなわった佳品と感服しました。
もし、家が3軒並んでいたら、黒沢明なら二軒をつぶすのではないでしょうか。



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Swing Low, Sweet Cadillac

2007年10月18日 | 徒然の記
『タンノイ』に耳をかたむけ、薄いグラスでビールを飲む。
はるかミュンヘンの群雄割拠のビール王国を思い出つつ、日本のキ○ン・ザ・ゴールドを、飲んでいる。
このビールには当方だけ知っている薬効がある。

ガレスピーの『Swing Low, Sweet Cadillac』を聴きながら、ふと思い出した。
当方の住む町の、御近所のワニ皮サイフ長老が言った。
「あのぅ、この銀色の缶ビールだが、おたくで買ったものではないけれど、中身が入ってないのをどう思いますか」
ふむっ?大正時代の口頭試問だな。
それはまだ見たことがないほど、完全密封でいい仕事をしているカラッポの缶ビールだった。
商品としてより骨董的価値が高い。このまま持っていたほうが良い気もするが念のためメーカーに問い合わせましょう、と預かった。
陽射しのやけに眩しい日、銀色メーカー社員が押っ取り刀でやってきて、申された。
「原因はいま、調べさせていますが...これを」と、汗を拭いて代わりに出した缶は中身の入ったのが5本に増えている。
「ご近所の偉人の問い合わせだから...」と言うと、すかさず「では、私もご一緒にまいります...」
彼は軽く腰をあげて、スイングしている。
当方は、それを押しとどめ、念のためにその1本の味を冷やして診たのであった。
そういえば先日、長老の奥方が見えて、鰐皮の主は今イシの手術をしているそうだが。
ROYCE開店のとき、一番最初にやってきて、もぞもぞと赤い包みを開き、高麗老舗の『朝鮮人参』の箱の封を切って、ワシ掴みにわけてくれたひとである。

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カレラ・ジェンセン・ビンヤード

2007年05月28日 | 徒然の記
連休の或る日、15年ぶりに里帰りされた静かな人物が登場した。
ミネルバのふくろうを肩にとめたバッカスのように、お酒の話には逸話がついている。
酒は、パッケージを見て、年代や産地を推量し、これまでの経験から、味と酔い具合と、一緒に呑んだ友人の顔や会話を思い出すタイムマシンのようなものである。
容器がなければ色の付いた水であって、いちいち呑んでみなければわからないが、古い年代の酒は変容しており、記憶の書き換えをせまられるものである。
当方は、その堪能で好奇心の強いお客に促されるように、いろいろなめずらしい酒をカウンターに並べるはめになった。
変色したラベルは時代と履歴を語っている。
中国の酒についても強い関心をみせて、一緒に味見をしたかったが、竹の葉を漬け込んだ壷酒は1本しかないので封を切らなかった。
キャプテンズテーブルは久しぶりに味を見ると濃厚なコクと香りで大変良かった。
10年前のリープフラウミルヒは三本どれも味が違っていたのは多少変容したからである。
強烈なセメダイン状の香りに驚いてクラッときたが「いやーなるほど」と客が言い、当方も負けずに「大変なものですね」と応じた。我慢競べのようだが、古い酒の意外な味を飲んだときの視線が宙を漂う表情と感想を聞くのは、タンノイの音楽に似て楽しいものである。
きくところによると、若い頃クラブのバーテンを経験されて、そのときの知識が素養の一端となっておられるのであった。
現在は、伊達藩の城下町にそびえるホテルの責任あるポストで活躍されている。
さて数日して、そのお客の知人と名乗る人から、いま巷で話題騒然の『あのワイン』を調達してほしいとオファーがあった。それはロマネ・コンティと呑み比べてだまされるといわれる『カレラ・ジェンセン・ビンヤード』である。
ロマネ・コンティは五十万両でも手に入らないのか、かってドイツ軍がフランスに攻め込んだとき多くのシャトーが目標にされて、酒とは恐ろしいものだ。
電話のヌシは軽いテンポで、前述の友人の話に聞いた酒の話題に触れ「こんど遊びに行きます」と申されている。
そのカレラ・ジェンセン・ビンヤードはカリフオルニア産で、ロマネと比べると値段は非常に安いが、味がどうもそっくりで、これはぜひ「確かめねばならぬ」と多くの粋人バッカスが囁くのであろう。
「ウーン、そうですね。顧客のために2本お願いしますか。取り寄せてください」と、あっさり申されるので伊達藩は、やはり伊達ではない。
きけばこの人もまた別の老舗ホテルの責任ある立場の人である。
無事に納品できるか躊躇したが、思いのほかスムーズにいったようで後日お礼の電話があった。
あのワインはいったいどのようなバッカスのために栓が抜かれるのであろう。
ロマネ・コンティに似ているというその味は、どのようなものか。

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TURRENTINE BROS.& MAX ROACH

2007年04月08日 | 徒然の記
当時新進タレンタイン兄弟の1960年NY録音に、トミー・フラナガンやマックス・ローチのサイドメンが耳を捉える。
エバンスと違って、暗記するほど聴いてはもったいない「通」のジャズである。くれぐれも、たまに聴くのがよいと、思う。
『Let’s Groove』が小さなスピーカーで流れているとき、ドアが開いた。
「先日、VOLVOを修理に出し、代用に軽を借りましたが、これが一日走ってもガソリン代が千円で済むのに驚きました」
ボルボもラテン語でいちにち走り回るという意味だった。
「妻は、ずーっとそれにしなさいと言いまして、店は0万で譲ってくれるというが、VOLVOの車検修理代より安いので感心して『今、手持ちがないから貸しておいて』と外車は預け、しばらくこれに乗っているわけです」
それで、その客人がいつものVOLVOでないわけを知った。
「3日まえのこと、懇意のオヤジさんの所に寄りました。すると、なーに、そんなら倉庫に2台入っているから、好きな方をもっていけ、代金はいつでもいいから。と、なんとも世はさまざま...」
和漢朗詠集の気分のような。
「昨日も立ち寄った-はなちゃん-が店をはじめるとき、言ってきかせたのです。――客はみなりや様子で判断してはいけない。だれが『福の神』か、うっかりしたら、福は逃げて行く。誰でも大事に接するのがいい...」
「いま、アワビを15トン仕込んでいますが...収穫が楽しみです。このベンツのバックルは社長に貰ったものです」
「それでは、きょうはコーヒーご馳走になっていきます」
....

杜甫の詩に「人生七十古来稀なり」とあるような、眼が離せない古希の人だ。

山風にとくるこほりのひまごとに打ちいづる波やはるの初花
-朗詠集-


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