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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

小林秀雄の「モオツァルト」

2010年04月15日 | 徒然の記
小林秀雄先生(以下、小林)は、酔って御茶ノ水のホームから落ちたとき、あぶなく遥か下の地べたに叩きつけられるところを途中の櫓に引っ掛って助かったのに、本人はそれほど記憶がなく、深刻な反省がなかったらしい。酒豪のゆえんである。
酔っている小林が、モーツアルトのことを言おうとしているとき、あの文はどうなるのか。
「モオツアルト」という彼の作品は、どう読んでも素面の筆致と思うが、なぜか当方は最後まで読み終えるまえに用事を思い出してしまうので、読後の記憶の薄いことが残念だ。
したがってわずか数十ページが、プルーストの長編のごとく霞のかかった行間に、かなしみは追いつけないのも当然か。
あるときタンノイでモーツアルトを聴いて、よしそれではと、そこはぬかりなく飾っている小林冊子を開いてみると、だいたい以下のようなことが書いてあると読める。

『モーツアルトの旋律は、親しみやすく美しく、わかったつもりでやってみると、何時か誰かが成功するものかおぼつかないほど、実際にそれはむずかしい。何度も旋律をなぞってふと気が付くのは、人間どもをからかうために悪魔が創った音楽だ。とゲエテが評したとエッケルマンの回想にある。
トルストイは、ベートーヴェンのクロイチェルソナタのブレストに興奮し、一章をものして対峙したが、ゲエテはベートーヴェンの曲について、頑固に最後まで沈黙を守り通していた。
ロマン・ロランは、それが不思議で、わけがあるなと研究したところ、新時代の到来を告げるベートーヴェンの曲風が解らないではなかったが、ゲエテの耳はおそらく完全にモーツアルトに成っていて、明晰な頭脳も、入り口の鼓膜の習慣に阻まれてどうにもならなかった、ということであろう。
メンデルスゾーンが、ゲエテに交響曲五番をピアノで弾いて聴かせて反応をみたところ、部屋の片隅の椅子に座って不快そうにしていたが、「人を驚かすだけで感動させるどころかまるで家が壊れそうじゃない、オーケストラが皆でこれをやったら、大変じゃろう」と震駭して、食事の席でまだそのことをぶつぶつ言っているのを見た。
だが、本当はゲーテは、ベートーヴェンの繰り出す和声の強烈な音響に熱狂し喝采していたベルリンの聴衆の耳より、はるかに深いものを、言いすぎかもしれないが聴いてはいけないものまでゲエテは聴き取って、苛立っていたのではなかろうか』
さて、どうやらウサギに餌をやる時間なので、きょうもこのへんに。

※「ワシントンに社用で行ったとき、上司を説得してジャズクラブに入りました」と先日の気仙沼の客が申されていたが、わたしはまだ独身だ、とついでにそれも自慢していたのか。



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J・D・サリンジャー

2010年01月29日 | 徒然の記
サリンジャーが『ライ麦畑』をリリースした51年のころのニューヨークは、アーリー・ハードバップの熱気を『ディグ』などに聴くことが出来るが、そのころ当方は幼稚園にも上がっていなかったのか。
彼は、軍隊でノルマンディ上陸作戦もやっていたとは驚きだ。
日本でその翻訳が出版された64年は、マイルスがウエイン・ショーター、H・ハンコック、ロン・カーター、T・ウイリアムスとベルリン・ジャズ祭に奔放でスリルなサウンドを聴かせ、コルトレーンは、マッコイ、ギャリソン、エルビン・ジョーンズと『A Love Supreme』カルテットのピークを演じていた。
本を読んだその頃、鯛焼きが1個10円で、学校帰りにたまたま一緒に店に入ったのは良いが、「あれっ」とサイフを忘れて彼女に払ってもらった。
「その話は100回も聞きました」と、周囲に言われるが。

サリンジャーを追悼して1961年3月のマイルスを聴く。







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正月

2010年01月01日 | 徒然の記
森より大きなイノシシは出ない。
もしこの庭にイノシシが現れれば、それは現実の縮尺で象のような大きさである。
竜安寺を見たとき、こじんまりしたスケールに拍子抜けした。
二千十年の正月、
タンノイのむこうに、百人のオーケストラを感じ、サラ・ボーンの熱唱を聴けば、
森より大きなイノシシは出る、と
タンノイは言っているのか。




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年の暮れ

2009年12月31日 | 徒然の記
1990年末、日本の土地の総評価額は2350兆円であった。
現在、1150兆円である。
1メートル四方のミニチュアの箱庭が、だいぶ下落してそこにある。
見ると苔もはえて、眺めるぶんにはけっこうだ。
蜘蛛は4億5千年前に出現して、現在3万5千種識別されたらしいが、そのうち9種がこの庭に住んでいる。
年末に聴くジャズは何がよいか......。

よいお年を、御迎えください。




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付近にある豊穣の畑地

2009年12月10日 | 徒然の記
畑地を猫が散歩している。
撮師SS氏の眼は逃さずそれを撮って「どうぞ」と見せてくださったのは先日のことである。
よくみると、それはうちの庭にも出没するタマ之助であった。
そういえば二十代に住んでいた目黒区碑文谷に、当時まだ残っていた畑地の景色もこのようだったが、さかのぼって日本の畑のことが最初に文献に現れるのは、中国の帝室図書館に納められた三国志だろうか。
魏志倭人伝に、次のことがあった。
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯所通三十國
多竹木叢
林有三千許家差有田地耗田猶不足食亦南北市糴
種禾稻紵麻蠶桑績績出細紵緜
出眞珠玉其山有丹其木有豫樟櫪投檀鳥號楓香其竹篠桃支有薑橘椒荷
不知以爲滋味有雉
其人壽考或百年或八九十年其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不妬
いまとあまり変わっていないような気もするが、日本人で最初の宇宙人になった秋山某氏は、何を思われたか地球にもどるとさっそく畑を耕していた。
この写真の畑から近い、当方の二メートル四方の庭に遠征してきたモグラが、箱庭構成の核心である自作の枯山水の真ん中に、突然顔を出したのは最近のこと。





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SS氏の蒸気機関車

2009年12月05日 | 徒然の記
いまでは、東北本線に蒸気機関車を見ることは、まれである。
SS氏は、記念運行の現場を逃さず撮った。
正面のプレートが、どうして鮮明なのか考えたが、線路のコーナーに並ぶ撮影集団のフラッシュの照り返しなのか。
機関車は、黒い煙りの背後に白い蒸気を大量に吹き出させて激しく長く汽笛を鳴らし、団十郎のように一世一代の見得を切った一瞬のことである。
この写真をみて、なぜか数学の教師の言葉を思い出す。
「オレは列車通学だったから、放課後に先生が熱心に質問に答えてくれるのはよいが、最終の汽車が通って行くのが教室の窓から見えて、あのときは、あぁぁ...とあせったね。それでおまえたちに、遅くまで教えないことにしている」
ニューヨークなら、『A列車で行こう』だが、日本では、線路は続くよ、どこまでも...というフレーズを、華々しくアレンジするクインシー・ジョーンズの筆さばきを想像してみる。
演奏は、マイルス・クインテットか、ウッディ・ハーマンにお願いするのが良いのでは。










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メイティング・コール

2009年12月02日 | 徒然の記
新幹線の橋脚の下の小さな秋を、散策途中のSS氏はジャズ風に撮った。
――これはすごいネ。良い腕だネ。
と、感心すると
「いやぁ、そんなァ。褒めすぎだから...」といってSS氏は、ポケットからウーロン茶のボトルを出して、ちゅっと飲む。それとも、呑む、かな。
このシーンに聞こえてきそうなジャズは?
ラウンド・ミッドナイトかソウルトレーン(メイティング・コール)がよいのではなかろうか。
モンクのラウンド・ミッドナイトは、『アット・ザ・ブラックホーク』の演奏があったが、ペッパーの『再会』やウエスの『ソリチュード』も品書きの上位にあり、ケニー・ドーハムの『カフェ・ボヘミア』で聞かせる演奏が印象的で、エヴァンスでは『トリオ65』の陰影がよろしい。
一通り聴いたあとで、バイタボックスで聴くとどうかな?と、ふと考える。




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秋の便り

2009年10月01日 | 徒然の記
颱風の翌日、ポストに一番町の著名な店から秋の知らせがあった。

「そのヴォーカリストのことは知っている」
「おや、どうして?」
「一関に来たとき二言だけ、会話があったので」
「それはどんなジャズ・ヴォーカル?」
「大勢の取り巻きのガードがきつくて、二言だけ生の声を。サウンドはCDで聴くしかない」
「タンノイで聴いたね」
「フフフ」
「Dear Soulsとは、ネーミングがこれから秋に合っている、か」
「彩花と書いてirohaと読んでもらいたいと、マネージャーが」




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2009年08月01日 | 徒然の記
庭の凌霄花を掃き寄せていると、ポストに夏の到来を告げるハガキが届いた。
3行メッセージがあり、hpをつくられたとのこと。
この万年筆の筆跡であるが、どこかで見たような記憶にうーんと考えると、泉鏡花の原稿の字が浮かんだ。
ジャズに造詣の深い一番町のまだ行ったことのないこの店が、セビルロードにあるような佇まいで、ベイシー・イン・ロンドンがさりげなく鳴っていたりするのではないか、などと妄想する。





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アメリカ青年

2009年05月12日 | 徒然の記
陽光すがすがしい季節、街路に自転車を停めた2人のアメリカ青年がやってきた。
近所に事務所があって、ときどき顔ぶれが変わるが、丁寧でフランクである。
「ジュースをクダサイ」
喫茶に入らず、お酒の棚を見たり、気分良く会話しているのが聞こえ、なぜか全部日本語である。
「オー、バドワイザーがある」
「これは、いくらデスカ?」
240円、とおしえてあげると、ひえーと言った。
「アメリカでは、50円デス」
すると、もう一方の青年がキッとした顔で「呑んだの?」と鋭い眼で聞いた。
慌てた相手が、「イヤ、ノンデナイ、ホント」と哀願調に打ち消したが、すべて日本語。
彼等は、どうやら酒の味を知らないから、ウエスの『Tequila』も、想像だけの世界でおわるかそれもいいねと、バックのロン・カーターを探して聴く。





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郵便受け

2009年04月02日 | 徒然の記
春江潮水連海平

衣装棚から、あつらえた服を選ぶと、陽気の春に繰り出すハガキは、
伊達藩一番町の、ジャズを着る店。

おや、ポストにもうひとつ、めずらしく封書が.....。
山形のO氏が、先日のご来訪の思い出を、したためてくださった。



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青葉城下

2009年02月26日 | 徒然の記
冬の朝、ロ短調でシェービングする。
ふと先日のFM番組の記憶が思い起こされて、エッセンスで繋がっていく話に耳をそばだて、時の針が早かった。松岡正剛や、オーディオ・マニア立花氏のとき、伊藤喜多男師など、どのような展開になるのかな、と思う。

この間、伊達藩にいて、所用の合間に激戦のファミレス峠の茶屋で五品690文のお膳をいただいて、また深夜のスーパーにて寿司パック200文処分也に感涙?した。
青葉城の石垣の道を車で走っていると、物陰から間合いを計って白黒の車が登場して驚いた。
そういえば昔のモノクロのテレビ画面に、鞍馬天狗が白刃を一閃のコマーシャルがあった。
『人の噂に、昨日も聞いた、きょうも見た。
風をバッサリ、エスピレチン。
ぴゅー........』
シンプルで、ナレーションが良かった。

マランツ#7はいろいろ試した結果、GE管に落ち着いた。
ジャズの太い音には、よさそうである。



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My Funny Valentine

2009年02月17日 | 徒然の記
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 青丹よし ひなにはあれどそらにみつ すずめのうたの雨の下 ここときけども みればかなしも

「スズメがすごいですね」
定休日に玄関に廻ったお客が言っている。
見ると、冬枯れた木の枝に雀が大挙して、何事かフル・コーラスをさえずっている。
その枝の下の路面は、客の帰った後楽園スタンドのように汚れている。
秋にも、柿の実に野鳥が群がるので、下に停めた車が汚れてガックリだ。
車の上に繁ってあおい、ささやかな陽除けのアーチを満足していたが、いささか激しい汚れに、この秋バッサリ切った。
しかし、スズメは大挙してかよってくる。
雨降りに、傘を差してゴシゴシ、デッキブラシを車の屋根に使いながら、柿本人麻呂の歌をかさねるとどうか...。

到来したエリントンのMy Funny Valentineをタンノイで聴いてみる。





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電話の客

2008年11月09日 | 徒然の記
多くの人の探している、良い音という空気の振動に纏わる話で、最近かかってきた電話の向こうのお客は申された。
「わたしの音の先生は、『マッキントッシュ275』はすでに自分が持っている。あなたは『240』とか、ほかのものがおもしろい、と言うのですが?」
はい、なるほど。240をこれから入れるなら、せっかくですから275のほうが、あとあと良いのでは。
「ヴィンテージ品を購入して、すぐ修理でも困るので、『新レプリカの275』にした場合、あとで後悔するほど音は違いますか?そして、あまりボリュームを上げて聴く方ではないので、275より歪率の有効な帯域で聴く240程度の出力の方が向いているのでしょうか。」
両方聴いて、好きな方にすれば良いでしょう。そして、せっかく購入されるならお宅にふさわしい、新型の弩級アンプもよろしいのでは?
「そこで、自分は、何が良い音なのかまだわかっていない。一足飛びに、最高のアンプを入れて価値が解らないでいるより、経験の段階を踏んで、トランジスタ・アンプなども使ってみたいと思うのですが、初めてとはいえ、誰がみても、あまりにもミスマッチのアンプは避けたいと思います」
オーディオ・ルームにて、没頭して聴かれるのでしょうか?
「リビングに置いて、書類仕事をしながらも聴きたいし、妻は、クラシックを聴きます。」
リアルな音が好きなのか、ふくよかな疲れない音がよいのか、個々人いろいろですが...。
「それは、パソコンのデスプレイで、液晶デジタルとブラウン管の差のようなものですね?」
たぶんこのかたは、遠からず、感心するようなコンポーネントを自宅にセットされているであろう。そして、どれどれ聴かせてもらおうと訪問した人は、再び二、三の質問を受けて楽しまされながら、ポンと入れたスイッチで、すでに豊穣な果実はたわわに鳴り響いているのを聴かされ、顔色なからしめられては、油断である。
電話の最中、遠くでタンノイが、『TAYLOR”S WAILERS』を低く伴奏していた。
タンノイは、すばらしいですよと、言い忘れてしまったが。



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MEMORISE OF BILL EVANS

2008年10月15日 | 徒然の記
水面を境に、両側の世界で人と魚が対峙している。
子供の時、近所の名人の自転車の荷台にゆられ、何処とも知れない遠くに行った。
曇り空の、林の中を蛇行してネズミ色の深い川が流れている。
落ちないように茂みに掴まって、無言で糸を垂らす男の真剣な眼と、アゴに少々残っているヒゲを見上げ、それから流れの白いうきを見る。
目が回りそうになり、あわてて林の遠くを見た。
魚がいっぱい棲んでいそうな川に見えるが、なかなか釣れなかった。
やがて、雨が降ってきた。
大きな木の葉で頭を覆いながら、雨脚をやり過ごす適当な場所を探していると、古びた小さな神社があった。
駆け込んでそこにあった背後の池に、釣り糸を垂らしてみるからと雨の中を男は行った。
大人の手のひらのような大きさで、白い鱗を光らせた魚が、次々と釣り上げられて、あっけなく釣りは終わった。
雨も上がって、木洩れ日の差し始めた帰り道を、男の眼は複雑にやわらかである。
いま、あの川はいったいどこを流れてるのか、わからないのが妙だ。
ジャズを聴く客で、釣りをする人を大勢知っているが、そのとき音楽と釣りは別である。
水面下の世界を考えに考えて糸を垂らし、二つの次元の一瞬の接点に気を集中させる、苦行のような緊張を楽しむあまり、音楽どころではないだろう。
茶道でも、静かな緊張の持続にBGMは流れない。
緊張の緩んだビレッジ・ヴァンガードの休憩コーナーで、オリン・キープニュース氏はエヴァンス・トリオに話しかけていた。
画面左のキープニュース氏は『リヴァーサイド・レーベル』のプロデューサーの立場で「どうかね、WALTZ FOR DEBBYを、あと3テイク入れておきたいのだが」と言っている、あの日曜日だろうか。
ラファロは「おい、マジかよ」という顔だ。
このLPには、ヴァンガードの未発表テイクが一曲収められている。





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