小林秀雄先生(以下、小林)は、酔って御茶ノ水のホームから落ちたとき、あぶなく遥か下の地べたに叩きつけられるところを途中の櫓に引っ掛って助かったのに、本人はそれほど記憶がなく、深刻な反省がなかったらしい。酒豪のゆえんである。
酔っている小林が、モーツアルトのことを言おうとしているとき、あの文はどうなるのか。
「モオツアルト」という彼の作品は、どう読んでも素面の筆致と思うが、なぜか当方は最後まで読み終えるまえに用事を思い出してしまうので、読後の記憶の薄いことが残念だ。
したがってわずか数十ページが、プルーストの長編のごとく霞のかかった行間に、かなしみは追いつけないのも当然か。
あるときタンノイでモーツアルトを聴いて、よしそれではと、そこはぬかりなく飾っている小林冊子を開いてみると、だいたい以下のようなことが書いてあると読める。
『モーツアルトの旋律は、親しみやすく美しく、わかったつもりでやってみると、何時か誰かが成功するものかおぼつかないほど、実際にそれはむずかしい。何度も旋律をなぞってふと気が付くのは、人間どもをからかうために悪魔が創った音楽だ。とゲエテが評したとエッケルマンの回想にある。
トルストイは、ベートーヴェンのクロイチェルソナタのブレストに興奮し、一章をものして対峙したが、ゲエテはベートーヴェンの曲について、頑固に最後まで沈黙を守り通していた。
ロマン・ロランは、それが不思議で、わけがあるなと研究したところ、新時代の到来を告げるベートーヴェンの曲風が解らないではなかったが、ゲエテの耳はおそらく完全にモーツアルトに成っていて、明晰な頭脳も、入り口の鼓膜の習慣に阻まれてどうにもならなかった、ということであろう。
メンデルスゾーンが、ゲエテに交響曲五番をピアノで弾いて聴かせて反応をみたところ、部屋の片隅の椅子に座って不快そうにしていたが、「人を驚かすだけで感動させるどころかまるで家が壊れそうじゃない、オーケストラが皆でこれをやったら、大変じゃろう」と震駭して、食事の席でまだそのことをぶつぶつ言っているのを見た。
だが、本当はゲーテは、ベートーヴェンの繰り出す和声の強烈な音響に熱狂し喝采していたベルリンの聴衆の耳より、はるかに深いものを、言いすぎかもしれないが聴いてはいけないものまでゲエテは聴き取って、苛立っていたのではなかろうか』
さて、どうやらウサギに餌をやる時間なので、きょうもこのへんに。
※「ワシントンに社用で行ったとき、上司を説得してジャズクラブに入りました」と先日の気仙沼の客が申されていたが、わたしはまだ独身だ、とついでにそれも自慢していたのか。
酔っている小林が、モーツアルトのことを言おうとしているとき、あの文はどうなるのか。
「モオツアルト」という彼の作品は、どう読んでも素面の筆致と思うが、なぜか当方は最後まで読み終えるまえに用事を思い出してしまうので、読後の記憶の薄いことが残念だ。
したがってわずか数十ページが、プルーストの長編のごとく霞のかかった行間に、かなしみは追いつけないのも当然か。
あるときタンノイでモーツアルトを聴いて、よしそれではと、そこはぬかりなく飾っている小林冊子を開いてみると、だいたい以下のようなことが書いてあると読める。
『モーツアルトの旋律は、親しみやすく美しく、わかったつもりでやってみると、何時か誰かが成功するものかおぼつかないほど、実際にそれはむずかしい。何度も旋律をなぞってふと気が付くのは、人間どもをからかうために悪魔が創った音楽だ。とゲエテが評したとエッケルマンの回想にある。
トルストイは、ベートーヴェンのクロイチェルソナタのブレストに興奮し、一章をものして対峙したが、ゲエテはベートーヴェンの曲について、頑固に最後まで沈黙を守り通していた。
ロマン・ロランは、それが不思議で、わけがあるなと研究したところ、新時代の到来を告げるベートーヴェンの曲風が解らないではなかったが、ゲエテの耳はおそらく完全にモーツアルトに成っていて、明晰な頭脳も、入り口の鼓膜の習慣に阻まれてどうにもならなかった、ということであろう。
メンデルスゾーンが、ゲエテに交響曲五番をピアノで弾いて聴かせて反応をみたところ、部屋の片隅の椅子に座って不快そうにしていたが、「人を驚かすだけで感動させるどころかまるで家が壊れそうじゃない、オーケストラが皆でこれをやったら、大変じゃろう」と震駭して、食事の席でまだそのことをぶつぶつ言っているのを見た。
だが、本当はゲーテは、ベートーヴェンの繰り出す和声の強烈な音響に熱狂し喝采していたベルリンの聴衆の耳より、はるかに深いものを、言いすぎかもしれないが聴いてはいけないものまでゲエテは聴き取って、苛立っていたのではなかろうか』
さて、どうやらウサギに餌をやる時間なので、きょうもこのへんに。
※「ワシントンに社用で行ったとき、上司を説得してジャズクラブに入りました」と先日の気仙沼の客が申されていたが、わたしはまだ独身だ、とついでにそれも自慢していたのか。