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ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

秋の古都

2012年11月01日 | 巡礼者の記帳
11月になると、風の冷たい古都は静かに月見坂の紅葉が輝いている。
この月見坂には例年5月におこなわれる、義経が弁慶たちと平泉に落ち延びたシーンを歴史絵巻に再現した行列は、沿道の観光客の感動的に賑わう藤原祭であるが、いまはまぼろしのように静まり返っている。
どこからあれほどの人が集まったか、つかのまに、祭の行列はアッピア街道のローマの祭のように行進し、体格の優れた駿馬のなかにはダダをこねて行列から抜けようとする馬もいて、騒ぎが祭を盛り上げるのがいっそう素晴らしかった。
芭蕉も、現代に居合わせれば、このときばかりは行き交う旅人の多さに驚いて、違った俳句を詠んだか。
同じ5月に、京都御所を出る葵祭りの牛は、牛車を引いて8キロを賀茂川路にそって上鴨神社へと行進するが、この賑わいも年の暮れに行ってみたら、誰も居なかった。
葵祭りに行列の出発する御所は、歴史的に紫式部や清少納言の勤務していた建物である。
源氏物語の「雨夜の品定め」には、雨の夜に宿直の衆がふと思い出を回想するくだりが千年の昔をいまに伝えて、意外に深刻な内容に驚かされる。
「石上私淑言で宣長は、見る物、きく事、なすわざにふれて、情の深く感じることを阿波礼と言うなりと。小林秀雄はこの心の動きを「思うに任せる時は心は外に向かい内を省みることは無いが、心にかなわぬ筋の時は心は内の心を見ようと促される。これを意識という。宣長のあわれ論は感情論であるというよりは認識論とでも呼べるような色合いを帯びている」と松岡正剛の千夜千冊にあって、森鴎外、夏目漱石は源氏物語を完全に無視して感想の記録が残っていないそうである。これはこれで意外に雄弁だと思う。
この静かな秋に、長野県から男女の客が北の八百年の古都を訪ねて、ベンツのカブリオレで登場した。
いなせな御仁は視線を水平よりややうえに向け、6時間走ってきたが車のクッションが硬いと言い、きょうは市内に宿泊して、あしたは『平泉』に落葉を踏みに行く、と。






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リンホフの客

2012年10月19日 | 巡礼者の記帳
萩が花 尾花葛花撫子の花 女郎花藤袴 朝貌の花
この季節に憶良が万葉集に残した山里の花詩は日本で秋の七草と言われる。
街道343号線の早朝の光線は、秋そのものであるが、古代から今も変わらず野の花は咲いている。
そのとき、筑波山に魅入って『リンホフ』を長年向けてきた人物が訪ねてきた。
「いまやっと温泉で14日の修行が終わったばかりです、やれやれ」
下山直行して、無精ひげを撫でながらタンノイを聴く御仁は、なんとかいう俳優のようであるが。
リンホフの名機を駆使し、トレーラ―ハウスまで乗り回して、春夏秋冬の筑波山と対峙してきたいきさつをきかせていただいた。
「ハッセルは象形が少し尖って写り、リンホフのほうが好みですね」
タンノイとJBLのことをいっているようにも聞こえて、おや、と思った御自宅では、タンノイモニター15とウエスギに灯を入れる御仁の、心象風景は永遠の筑波山か。
雨の夜には、マーラーを大音量で聴くと、爆音に二階天井方向から山の神様も「ドンドン!」
そこで当方も、久しぶりにベートーヴェンの第九四楽章をベルリンフィルによって大音量で聴いてみた。
すでに巷におなじみの九番四楽章であるが、我々の知っているオーディオ一般と、違った次元の異音で鳴っている、映画館のオーケストラの遠慮のない鳴りを思い出す。
ベートーヴェン氏から、書き上げた譜面を渡され復習った演奏家が、ここの音符の再現が難しいと正直に言ったところ、
「音楽がそのように鳴りたがっているのに、あなたの個人的事情にかまっていられない」と答えたベートーヴェンの心象をいまタンノイで聴く。
写真の、完璧に透明なフレームに無限に収まっている風景のように、我々も音楽を聴きたい。
写真家K氏は、長針が12時を指すと、
「弦楽四重奏曲も好みですが、タンノイを堪能しました」
と申されて、故郷の筑波山に戻っていった。




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秋の便り

2012年10月09日 | 巡礼者の記帳
K氏の著作『古代東北仏教史』という焦茶色の本が母屋で目に留まったが、以前むにゃむにゃとスケッチした陸奥国分寺の塔の位置が、海から見て本堂の右か左か、左右両方か、素人とはいえ錯誤があってはと気にし、本書に納められている膨大な発掘図からやっと知ることができたのは幸運であった。
そのうえ、P310ページに、なんと、あの釈迦堂の御仁の研究書のことが触れてあって、以前、知人と金色堂を拝観した折、切符の受付は他人任せで本を読みふけっている御仁の姿を心配していたが、なんとなく整合性があるとわかった。
以前、テレビ画面で、韓国沖から古代沈没船の遺留品が水揚げされたとき、荷札の『興福寺』という記名から、船をチャーターしていたスポンサーがわかったが、一歯の高下駄や大量の宋銭も揚がっている。
まだ見つかっていないが、平泉のチャーター船も、付近にあるのではないか。
荷札に吉次とあれば、歴史の彼方からそのとき姿を現すか。マルチ・モーダル運輸が彼の仕事であった。
そのとき、寺院に絵画を納めた友人の見学に来て
「ついでにジャズを聴きに」
と客は言っている。
ほかの客の相手をして喫茶に戻ると、タンノイ最高!と壁にサインが残っているが、早計ではないか。喫茶を間違えることもある。
秋のハガキが、一番町から届いた。




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りょうのしゅうげ

2012年10月01日 | 巡礼者の記帳
夕刻、伊達藩から遠征する客があった。
静かな姿勢の御仁は無駄口開かず「新宿のブルーノートでジャズを少々」などと、タンノイのジャズを道中の物語りにされるらしいが、
「この音はスピーカーを加工しているのですか」、と独り言があった。
昨年までいた任地の東京と比べ、おにぎりのお米が大変美味しいと。
そういえば当方も伊達藩に遠征のとき、半額処分で山盛りの寿司パック、三パック籠に入れた覚えがあって、外で待ち構えていた怪しい青年も関係者なのか嬉しそうだったので覚えている。
当方の理解では、気に入ってスピーカー幾つも部屋に入れることは無駄であり、気立てのよい置物が一対あればそれでよい。
この世界には、タンノイでもアルテックでもJBLでもない、あるいは、そのどれをもひとつに兼ね備える理想の装置があるのだろうか。
このお客のように、転勤の合間に各地の音を聴取してゆくなら、いつか理想の音が見いだせるのかもしれない。
母屋にて、聞き覚えの声にテレビ画面を見ると、平泉の『柳の御所』擬定地から古代の大堀跡が映し出されているのが見えた。
それは大槻街の五間堀よりだいぶ巨大な堀跡が、陽光にまぶしく八百年の眠りから覚め、深い人工の傾斜を露出させている。
このように柳の御所の発掘が進めば、いずれ区画や建造物の構造も姿を現し、そのとき堀を渡る幾百万人の観光客のなかにまぎれてみたい。
昼食の弁当も缶類も月産百万個単位の流通である。
セロニアス・モンクとコルトレーンがセッションした記録のジャズランド盤であるが、56年にマイルス五重奏団を退団したコルトレーンが、翌年モンク六重奏団でおこなったクラブ『ファイブスポット』の不思議な演奏を聴いた。
当時、新機軸のモダンジャズの解釈に期待と怪しみを持って現存するセッションの写真を見ると、モンクの付けようのないそのサングラスの構えに見蕩れる。
そのうえモノラルカッテイングであるはずが音像が混わらない、不思議なハーモニーが聴こえる。
この音楽で笹野田峠を突っ走ろうとするのは、あぶない。当方の見解では剛の者である。

いまでも黄金のカルテットと言われるマイルス五重奏団
トランペット   M・デイビス
テナーサクス  J・コルトレーン
ピアノ      R・ガーランド
ベース     P・チェンバース
ドラムス     F・ジョーンズ

新境地を探して1957年に参加したS・モンク六重奏団
トランペット   R・コープランド
アルトサクス  G・グライス
テナーサクス C・ホーキンス
ピアノ     S・モンク
ベース     W・ウエア
ドラムス     A・ブレイキー

そこに並んでいるのはみな、おなじみの固有名詞であるが、エルビンジョーンズ、マッコイタイナー、J・ギャリソンと自前の楽団を駆動させるコルトレーンの関連文脈を眺めていると、『令集解』の巻物を見ているようだ。

2010年にニューヨークを訪れた観光客が約4870万人
2009年の京都観光客数は約4690万人。
2010年ディズニーランド入園者数は年間1690万人





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マルチ・モーダル・ジャズ喫茶

2012年09月23日 | 巡礼者の記帳
「モーダル・ジャズとは、コード進行よりもモード (旋法)を用いて演奏されるジャズで、御承知のようにマイルス・デイヴィスは、モーダル・ジャズで商業的に最も成功したアーティストであり、あの『カインド・オブ・ブルー』で完成された」
ここまでを雑誌で読んで、
モダン・ジャズにも、むかし偉大な革新のエポックがあったのか、と感心しつつ、楽器演奏しない当方には気にもならず、あたりまえにレコード盤に針を乗せる。
「こんにちは。人を待つ間、ちょっと珈琲を呑めますか?」
入り口で柔和な女性が尋ねている。
あなたにジャズはどうかな?
と内心思ったが、水沢でパラゴンのジャズを聴いたことがあるという。
以前、ジャズの神様って誰?質問したところ
「それ、C・パ―カーでしょ、あたしアダレイのほうが好き」
といった油断のならない客もいた世の中である。
官庁広報の解釈によれば、マルチモーダル・インタフェースとは、貨物や人の輸送手段の転換を図ること。つまり、自動車や航空機による輸送を鉄道や船舶による輸送で代替する。
朝集殿にて国土交通省政策統括官もモーダルシフトの推進事業をかように発布したものである。
それって、さまざまな客に、こだわらずに休憩時間を提供して、いろいろなジャンルをタンノイで鳴らすのが、マルチモーダルインターフエイスかや。

「ビバップをはじめとするモダンジャズでは、コード進行やコードの分解に基づくアドリブ・ソロ各奏者の即興が行われてきた。ハード・バップに至っては、メロディーが洗練された一方で、コードに基づく一音階のうち元のフレーズから外れた音が使えないという状況が出て制限が増した。その大きな理由は、コード進行だけでなくメロディーでの進行感も出そうとしたことである。
そこで、コード進行を主体とせず、モードに基づく旋律による進行に切り替えたものがモード・ジャズである。バッキングなどの和声の面では多少困難にはなったものの、ソロプレイにおいては一気に自由度が増し選択肢も増えた。
欠点は、コード進行によるバッキングやメロディーによる劇的な進行がない事である」
先日の水戸の御仁は、我々はモード演奏でもビバップ演奏でも、始めから終わりまで集団のテンポは変えない、と言っている。
掲示の写真は、ハイヒールがポイントにクールストラッティンのマルチモーダルジャケット。






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『ジャズの明日へ』 koji・murai

2012年08月21日 | 巡礼者の記帳
治ったアンプの音に気をよくして、100ボルトと117ボルト電圧の違いなどを大音量で試していると、突然、油の乗った髭の客が、入ってきた。
「妻の実家が花巻なのでね、ちょいと」
川向こうの音を楽しんでいるそうであるが、ふらっと寄ったこっちでまさか、タンノイでエレクトリックマイルスを聴くとは思わなかったぁ、と憮然と帰っていった、その御仁の面影がだれかに似ている。
しばらく考えていたが、10年ほど前の電話のことを思い出した。
ジャズ喫茶にも、さまざま電話が来る。
「おたくでは何を聴かせてくれるの?」というのはかなりエライ人。
「その後、装置は変わりましたか?」とは、さらなる夢を追う人。
ジャズとオーディオ状況を一方的に立板に水で10分くらい話される杉並S先生クラスになると、ジャズの演奏を聴いているようで一人聴くのはもったいない。
或る日、「いつかジャズヴォーカルを聴きに寄りたい」という電話があった。
「何を聴きたいのか?」と尋ねると「シロものがいいですね」と柔らかい御言葉。サラやエラやビリーやダイナ、カーターでもマックレーでもない白人ヴォーカルのこと。
この『シロモノ』について、千葉の大先生をはじめ辣腕の人に核心を尋ねたが、四谷『いーぐる』でマスターの聴かせてくださった『クリス・コナー』については、大先生「まさか、あそこであれが鳴るとはねー」と絶句し、その審美の基準なるものにますます当方は混乱した当時を思い出す。
あるとき、母屋のテーブルに一冊のジャズ本が乗っていて、一関図書館で見つけてきたらしい。
どれどれと一読して驚いた。Mという人物の著作になる、『ジャズの明日へ』という本が、夜道に手を引かれるような懇切なジャズの歴史の解明もさることながら、それまで気になっていた女性ヴォーカル陣も続々登場して、名乗らなかった電話のヌシのフィーリングとどうやらそのものである。
おわりにつぎのようなことが書いてあって、ひとつの解も納得した。
『普段はとっちらかった音楽聴取をしている僕にも、夜中に一人でウイスキーなど呑みながらよく聴く、ごく私的な定番アルバムがいくつかある。たとえばジューン・クリスティ。実は僕は彼女のハスキ-なくせにあたたかい声がすごく好きで、古いLPを集めたりもしているのだ。なんだか石が飛んできそうだな、こういうこと書くと。』
図書館返却の日が迫り、近所の本屋にもなく、2丁ほどアウトラインをコピーしたところ、喫茶でそれを見た宇部の御医者殿も江刺の校長殿もそのコピーをずうっと手から離そうとせず、泣く泣く見逃したが、もうRoyceには、記憶しか残っていない。





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ジャズを聴かずに本を読むか

2012年08月19日 | 巡礼者の記帳
サングラス。チョーアメリカ製を、夜のドライブにかけているのがバレ母屋で取り上げられてしまった。
水戸のアーチスト集団が立ち寄ったとき、アンプ故障につき、当方のブリテンサウンドは沈黙していたが、それが良かったかおかまいなし水戸節は鳴る。
「アドリブは自由だが、リズムは途中でも変えない」
「先日もらったワインはおいしかったネ」
「あの壁のデカイサインは誰でしょう」
新しい御仲間がいて、やはり先生とよばれる髭の御仁である。
その後
治ったアンプの音をみるため大音量でマイルス『OLEO』を鳴らしていると、いつのまにかサングラスの男がかってに入ってきて「いや、すばらしい」と背後で言っている。
いつも通っていた神保町『響』のマスターもピーターソンをよくかけていたと、このタンノイ、JBLのような低音だと見当違いなことを言っているのだが。
いろいろあれこれ反応する客なので、サングラスをはずしたころに、本当は何が好きなのか尋ねてみた。
「わたしは、なんといっても、バット・パウエルです!」
そんならそうと、早く言いなさい。
先日、吹奏楽のライヴCDをわざわざ聴かせてくださったシャコンヌ氏が、奥方と現れて、ワインのご研究中である。





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タンノイ・ヨークの客

2012年08月15日 | 巡礼者の記帳
ご自宅にて、タンノイヨークを聴いておられるという男女の訪問があった。
「父が大切にしているスピーカーですけれど」
明るいご婦人が言うと、傍らの男性がニコニコ「そのとうりです」と言い、しばらくタンノイを楽しまれて時が過ぎた。
―――普段聴いているのは、どういう音楽です?と尋ねてみた。
「おもにジャズなんですよ。家と比べたいので、CDをお願いできませんか」
背後の棚に行って、久しぶりにCDをセットしてボタンを押す。
突然、針の音もなくコルトレーンがフワ~ッと鳴ったのが聴こえた。
「きゃー、リアル」
声のあった方向に、男性もおやまあとうれしそうにご自宅のスピーカーと同じ音のかたちを眺めていた。
いぜん、サクスを持ち込んだ客の演奏を思いだした。

『オダリスク』そっくりの女性が、トライアスロン姿も小粋に、凜々しくフロントガラス前にいて、まもなく川崎の柵で打上花火がはじまる、夏がきた。





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謎のカナダ人

2012年08月01日 | 巡礼者の記帳
夕日を背にして、Royceに外国人が入ってきた。
「わたしはカナダ人です、妻は日本人ですが」と、外人は言い、むかしビッグバンドを背にジャズ・ボーカルを唄っていた、とのたまったうえ、カウント・ベイシーもカナダの生まれであると言った。
カナダ人は、たしか、オスカー・ピーターソンもそうである。
ビールを飲みたいと注文をいう外人は、ソフアに寛ぐ横顔がどうも記憶の誰かに似ており、完璧な日本語をあやつりながら折り目正しくフランクに、テーブルの冷気で曇った瓶を傾けて、おだやかに会話を楽しんで「一緒にどうですか」とまで言っている。
返事の代わりに女性ボーカルのLPをターンテーブルに置いて、安全運転のカートリッジ針を慎重に乗せた。
ついでに、似ている誰かを棚のジャケットからしらべると、それは、アンディ・ウイリアムスではなく若き日のトニー・ベネットであった。
グラスを傾けながらタンノイを聴いている外人は、ジャケットを手にとって、
「めずらしい。よくこんなものがありましたねえ」と喜んでいる。
あなたの日本人の奥さんはトニーのフアンだったかもね、と偵察をいれると、カナダ人は困ったようにご機嫌で、折り目正しく、スピーカーから聴こえている歌手の絶妙な喉越しが日本女性であることを知ると、おやまあ、と言い
「英語の上手なひとだ」と一緒にサウンドを心中で伴奏している様子であったが、突然、あれっ!と言った。
「この人は、ひょっとして、素人なのかな?」
発音は異常に上手であるが、プロならやらない唄い方であるようなことを言って、唄う外人が言うからには、そうなのかもしれない。
「わたしも日本に来たとき、言葉の意味を知らずに日本語を楽しんで聴いていたので、わかります」
そのカナダ人は日本に永く住んでいるのか、日本人より日本人ぽいといっては意味不明かもしれないが、まあ、ドナルド・キーン氏のような例である。
この御仁がステージで唄う時にカナダ人に変身するところを、ぜひ聴いてみたいものだ。
ちまたに有名な『カナダの夕日』という曲は、ヘィウッドが作曲した、バンクーバーの西公園から眺める太平洋の異常に鮮烈な赤い夕日のことである。
あの絶景は、見たひとにしか伝わらない気温や地形のなせる自然現象であるが、当方が初めて寮住まいした鷹番町の窓から良く見えた近所の工事現場の夕日も、なかなか良かった。
空腹のせいであったか、アンサンブルから鳴っていた「カナダの夕日」が印象的だ。
羽田から飛んだルフトハンザは、しばらく地平線の太陽を追いかけるように千島列島の上を飛んでいたが、やがて機内にポーンと音がして、機長が「長旅お疲れさまです。まもなく左の眼下にマッキンリー山がみえますからね」と言っていると通訳があった。
そこで大勢で左の窓に寄って覗いたが、白い尖った峰が、まことに小さく見えて、まもなく地上はアンカレッジやバンクーバーである。







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Circle In The Round

2012年07月02日 | 巡礼者の記帳
夜半のどしゃ降り豪雨には驚かされた。
母屋の屋根が、ドラムでも敲いているように、猛烈乱打で、おまけに落雷が近所に落ちて、耳元で10本のトランペットが鳴ったと、夢うつつにびっくりした。
ゴロゴロとバスドラムが、周囲を長時間鳴りまくって、もはや異常気象である。
夜が開けたら、きょうは『Circle In The Round』を聴こう、と啓示がひらめいた。
マイルスのトランペットに、ジョン・コルトレーン、ハンク・モブレイ、ウェイン・ショーター、ビル・エヴァンス、ウィントン・ケリー、ハービー・ハンコック、ジョー・ザヴィヌル、ポール・チェンバース、ロン・カーター、デイヴ・ホランド、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ジミー・コブ、トニー・ウィリアムス
などの面々が『Round Midnight』『Teo's Bag』『Side Car』『Splash』『Two Bass Hit』などを奏して、集中豪雨のマイルス六重奏団の演奏にタンノイも豹変の2枚組み。
おなじみとはいえないが、規格外の演奏で本番カッティングから外された型破り。
先日、車の運転の業務を長年にわたって修めた御仁がハッピーリタイアしますといって、少し笑った。
これはいろいろエピソードもあるかと耳を待っていると、かたくなに口が固く、かわりに「母親が、押し入れの奥の箱に昔残していたワイン」といって、古いラベル瓶を十数本見せてくださった。
それで、芭蕉のかわりは無理でも一句詠む

この道や 幾人ときて 葡萄酒の待つ



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スタックス・スピーカーの客

2012年06月24日 | 巡礼者の記帳
マッシーアイアンが青い空に振り抜いたはるか上空を、音もなく米粒のような機体が白い糸を引いていくのが見える。
あの先には松島空港がある。
その日登場した御仁は、あくまで柔軟な上品さを漂わせて、タンノイは知人の音を知っているが、すばらしい、ともうされている。
横浜からお見えになって、ご自宅ではマランツ♯7Tにスタックスのコンデンサースピーカーを愛用していると、フルトベングラーの第九を取り出されて
「先の所だけでよいので、これをお願いします」
オーディオが好きでたまらない風情がアンプやプレーヤーやスピーカーに次々視線を走らせては、思いついた要点を言葉にする人であった。
おもいきり音量をあげて清流を飛び跳ねているようなウイーンフィルを鳴らすと、
「ほほう、ボスコフスキーであるなら70年代ですね」
音楽の遍歴が言葉に似合っている人である。
次に、レイ・ブラウンのベースがドウンと床を這って、オスカーピーターソンのピアノがロンドンハウスの一角で静かに鳴り始めるお馴染みのLPを聴くと、すぐジャケットを確かめて二三の曲名を言い、楽しそうである。
「これは良い。タンノイ・スピーカーが欲しくなってしまいました」
雑司ヶ谷宣教師記念館に社屋のあったスタックスの製品は、どれも個性的に凝っていて、駄作がない。
当方もそのコンデンサー・ヘッドフォンを持っているが、そこで聴こえるような音が、ほんとうにスピーカーで鳴るなら理想だと思い、確かめるまえにタンノイを選んだが。
その人は、大型の衝立状の装置によって音楽をこれまでも聴いてこられたわけである。
現実にそのような、コンデンサー・ヘッドフォンで聴こえるあの瑞々しい真に迫った音響が部屋で鳴っているというのか。
コンデンサースピーカーとタンノイの違いを聴きとって、御仁だけがその答えを知っている。
「では、川向こうというところにも、ちょっと寄ってみようと思います」
あくまで上品に去っていった。
すると、入れ替わるように釣竿のコレクションに余念のない青年がやってきて、その友人が言う。
「わたしはJBLを聴いていますが、そこに重ねたハードデスクに音楽データをいれるのですか」
新しい時代の会話が、音楽のデバイスのことを指しているとわかるのに、少々時間を要した初夏である。





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『サムホエア・ビフォー』

2012年06月17日 | 巡礼者の記帳
棚のレコードは、さきごろの大地震で三度もゆかに散乱し、こうなったらとりあえず拾って棚に戻したままである。
ぐちゃぐちゃの並べ順のせいで、忘れていたレコードにいろいろ手が伸びるようになった。
席に並んでタンノイを聴く男女の客は、横浜育ちです、と女性が申されているが、会話がときどき関西弁になる。
一緒の男性の関西弁がうつったものというから、あるいは密着した生活をされているご様子である。
当方も、自由が丘の改札口を出たところで、関西弁の男に道をきかれ、思わず「あっちヤ」と言葉が出た。
関西弁とは、おそろしいもんヤデ。
「サラ・ボーンは何枚か持っているわ。よく聴いたのはティボリガーデンかしら」
女性は、背筋のとおった姿勢でジャズをたんたんと話しているのをみて、ふと、池波正太郎の『剣客商売』に登場する、佐々木三冬を思い出した。
三冬は、田沼老中の隠し子で書物問屋・和泉屋が持っている根岸の寮に、老僕の嘉助と暮らす、井関道場の四天王の一人などという女剣客である。
モデル業のようなこれほど一貫して姿勢の良い客はめずらしいので、ジャズも真っ直ぐに聴いておられるかもしれない。
1961年のサンデイ・アット・ビレッジヴァンガードからレコードを変え、1966年キースのライブ『サムホエア・ビフォー』を聴いて、あれっ、と一瞬思った。
ピアノ・トリオライブで、ドラムスが同じポール・モチアンであるせいか、ニューヨークからロサンゼルスのシェリーズ・マン・ホールに、そのまま演奏は移動したかのようである。







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インターモデュレーション

2012年06月15日 | 巡礼者の記帳
「アマゾンから来ました」と本を届けてきた。
むかし黒海がアマゾン海とよばれていたころギリシア神話に、アマゾネス女族が住み果敢に騎馬で弓を構えて男どもを蹴散らしていた。
米アマゾンドットコムは書籍等売上が3兆7千億くらいか販路を拡大し、報道では大目付が140億ほど請求した件が、どうなったか宙に浮いている。
「まえのところで、遠くからきたのねと言われました」
――アマゾネス?と聞かれなかった?
「切らなくとも、それほどでもありません」
??
アマゾネス嬢は、一言残して次に向かった。
ジム・ホールとエバンスのデュオを聴いていると、大気はいよいよ梅雨に入ったらしい。
そのつぎに登場した新人女性がチラシを出して、東北にチェーン展開中の業務をカウンターで説明する。
襟元に明るい陽射しを飾った中堅の黒服女性が、ドアのところで後輩の仕事を頷いていた。その女性が、喫茶を見たいという。
「父が、酔って帰宅すると、箸を振ってカルロス・クライバーがお気に入りでした。子供の頃から何度もそれを見ていました」
少女は、父の心をながめている。
そう言われて、箸を振ってカルロス・クライバーになったタンノイの音像が気になった。
ぶるるんと快速にうなって、オーケストラはいま騎馬民族の荒々しさである。
「父の聴いていた音とはほんとうに、違いますね」
そういってオーケストラ全体を仰ぎ見るように、やがて黒服の女性は話しだした。
自分は娘が一人居るが、など、いろいろお尋である。
それが、ギリシア神話のアマゾネスを現代に彷彿とさせる騎上の姿に見えなくもない。
後輩は、先輩の仕事ぶりを目の当たりに体得した。
ジム・ホールとのデュオは、四年前のアンダーカレントがジャケットの印象にあるか、どちらがどうというのもおもしろい。








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マッキントッシュXRT-26の客

2012年06月03日 | 巡礼者の記帳
窓の外で、鳥が空中にヘリコプターのように止まって、街路樹の虫を狙っている。
おだやかな陽射しのなかに、刻々と昆虫世界はいそがしい。
子供のころの記憶の初めにある漫画は、家に誰かの持ってきた『冒険王』や『漫画王』があったが、いっぷう変わっているタッチで内容も奇想天外なものは、ラブレーのガルガンチュワ物語といって強烈に記憶に残っている。
あのような高尚?な翻訳漫画はどういう編者の意図か、ガチョウの首を掴まえて跨って、どんどん話は進展していくのだが、発想も色彩もほかの日本漫画とは一線を画していた。
自分で買った杉浦茂の、さらに一時代前のことである。
そのときこんにちはと入ってきた客は、漫画の中から現れたように、どこかフワッとして言っている。
「じつは、まえに珈琲代を忘れて帰ってしまいまして、すぐ来ようと思ったのですが」
業界用語では「無銭飲食」であるが、当方にも目黒でその経験がある。
忘れるほど、他に気を取られていたのであった。
その御仁は、2か所ジャズ喫茶をはしごして来たそうで、なんでもご自分の手に入れたスピーカーと聴き比べるためであるらしい。
そうとうな自信ではないか、とそのスピーカーのことを尋ねてみた。
『マッキントッシュ XRT-26』という奇抜なフォルムのそれは、昨日たまたま電話を頂いた杉並のS先生の御友人が、ステレオ・サウンドに登場されたときに引っ提げていた銘器と同じである。
それはどのようなあんばいで聴こえるのか、ご自宅の音の満足度を、客人の口元をながめて待っていた。
すると『大橋純子』のCDを取り出して、13番をお願いしますとは、ゴルゴの呼び出しのようだが。
タンノイで唄う大橋純子は、中高域の張った小股の切れ上がった歌唱に、ところどころサビをきかせ、なるほどおみごとである。
するとその客は、むにゃむにゃと、ジャズ喫茶全般の感想を述べると、また漫画の世界に帰っていった。
江刺の方角であると申されている。






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蝶よ花よ

2012年05月30日 | 巡礼者の記帳
「休日メンテナンスのお呼びがあって、管理棟の会議の方はいまからでは間に合いませんね」
どこか嬉しそうに見えなくもない関が丘の哲人、ジュースのストローを置くと、時事片々を話し、携帯の画像を開いて洒落た映像とモールス信号を聴かせてくださった。
御仁はモールス信号がわかる、などというと、新聞によれば趣味でも怪しまれるご時世だが、ほんとうなのか試してみることにした。
トン・トン・トン・ツーって、なんですか?
「ほんにゃ、えーと、それはローマ字では『V』ですね」
Royce開店の時、えーっと500円あれば大丈夫でしょうか、と登場されたことで有名な哲人であるが、
モールスがわかっていると驚いた。
ベートーヴェンの5番『運命』の開始はモールス信号の『V』である。
当時連合軍の勝利を符丁するこの音符は、日本の『ニイタカヤマ、ノボレ』とおなじくで、トスカニーニが大戦中好んで指揮していたということだが。
そこに、以前電話をいただいていた北海道の客人がタクシーで到着した。
お話をうかがうと、大きなパイオニアの箱を鳴らし、駐屯地の前で音楽喫茶を開いておられるそうで、戦後に生まれた我々にもかかわらず、どこかしらミリタリー色とおぼろげにつながっているうえ、団塊の世代とは拾った命の発露と言えないこともない。
いまでは何事もなかったように、にこやかにタンノイのまえにいて、あの芭蕉先生ですら、隠密の嫌疑があるミリタリー色とはなあ。
平泉のホテル武蔵坊で『あきよし敏子』さんのディナーコンサートが6月17日に行われると熱心な支配人からご案内をいただいて、また、『南郷サマージャズフェステバル』のポスターが届いた。
青森の夏は、また暑くなりそうである。




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