サッカールーの何でもござれ

サッカーとオーストラリアに関するサッカールーのエッセイです

U-22とU-20の結合

2007-08-06 20:51:55 | Weblog
中国での国際大会は参加した意味がよく理解できないメンバーだったが、U-20とU-22の結合を考察してみたい。

まず過去の例を振り返ってみよう。1999年のワールドユース組(WY)はタレントが多かったので、WY組がそのままU-23になったようなもんだった。高原、稲本、本山、酒井など。それにトルシェがユース、五輪、A代表と3つのカテゴリーのすべてを兼任するという今では考えられないような体制だったので、結合はかなりスムーズだった。

2001年のアルゼンチンWY組の選手といえば、茂庭、那須、森崎兄弟、石川、駒野、山瀬、前田、佐藤寿人などである。この大会では日本は1次リーグ敗退だったので、2001年WY組というと評価が低い印象がある。

この次の2003年WYは菊池直哉(!!)、徳永、今野、成岡、坂田、山岸、平山などである。この大会では日本はベスト8になり、QFでブラジルに負けてGKの川島が号泣していたのをブラジルの選手に慰められた。

さて本題である。2001年組はともかく、2003年組から2004年のアテネ五輪の代表になった選手といえば、菊池、徳永、今野、平山の4人である。菊池は有望だったわけだ。菊池のことはよく覚えていないが、徳永、今野はアテネでも主力だった。平山はいまいちだったけどね。

そして2007年U-20から2008年U-23に主力として入れそうなのは、多分梅崎と森島くらいだろう。それにU-20とU-23の結合といっても、もう予選が始まってしまうから時間がない。

こう考えていくと五輪前年にユース年代から有望な選手を五輪代表に引き上げるのは珍しいことではない。今のU-22を見ていると、U-20をベースにしてU-22のましな選手を”オーバーエイジ”としてU-20に加えたほうがいいチームができそうにも見える。

U-20とU-22の結合が遅いことで川渕キャプテンも怒っているようだが、逆説的に見ればこれまでユース世代をU-22に混ぜてこなかったことが起因しているようにも思える。

とにかくカレン・ロバートがはずされて森島が入れば、かなりましになるでしょう。

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