魔人の鉞

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再び「イエスはユダヤ教より仏教に近い」

2024-06-17 15:58:22 | 日記
以前紹介した「イエスはユダヤ教より仏教に近い」長谷川洋三 2009年 考古堂。

イエスはユダヤ教の神を批判的に見ていた。イエスの神とユダヤ教の神は違う神なのではないか?

十戒で神はモーセに率いられた「イスラエル人をエジプトから脱出させ、カナンの地へと導いたことまでは良いとしても、そこに先住している異民族を追いだし、その文化を破壊せよと命令するとなれば、その神は天智創造神でもなければ、普遍的に認められ得る神でもないと言わざるを得ない。」136p

「精霊なる神が人間に内在しているなら、人間に原罪などあるはずもない。したがってイエスの場合は人間が『完全なる者』になる可能性があることになる。」162p

ヨブ記という旧約の一篇があり、完全な信仰者であったヨブが神の試練にあい、家族や財産を失う。一時は神を疑ったヨブは最後は再び神の絶対性を受け入れ、後半生は財産や子供を授かって幸せに暮らしたという物語です。
これについて著者はこう言います。「前半生の不幸の原因が彼にあったわけではない。殺された家畜や、死亡した息子や娘が神とかかわる関わり方についての記述はなく、それを巡っての洞察や哲学もない。その欠陥は神の絶対性を揺るがすほどの致命的なものではないか。」200p

「イエスがユダヤ教徒は否定的に連続していると観る筆者は、キリスト教の経典『聖書』から『旧約聖書』をはずすべきではないかと考える。」
私は浅学ながら賛同します。ユダヤ教のヤハウェなどという嫉妬の神、エリコの虐殺を指示する神がイエスの神と同一であるはずがありません。

イスラムのアラーも、慈悲遍き神と自称しているが、「人間は神の奴隷」であるとし、救済は神の胸先三寸です。神はどんなことでも自由自在で、人はまったく逆らえずその奴隷に過ぎません。1400年前の経典は一字一句改訂を許されず、その解釈の調整で間に合わせています。これではイスラムの復興など到底あり得ません。教義には明確に書かれていないが、棄教は死罪、神への批判も経典への批判も死罪です。

ヤハウェとアラーは確かに同一神のようで、人間を奴隷扱いしますが、アラーの方が民族に寛容で慈悲深いらしい。しかしイエスの神は確かに別の神で、民族を超えた愛の神です。人間の中に精霊が住み、人も完全な者となる可能性があります。「一切衆生悉有仏性」に通じます。

長谷川氏の言うように、キリスト教はユダヤ教と決別すればよい。天地創造も処女出産も不要、イエスが神の独り子ではなく皆が神となれる可能性を持っています。人間を神の奴隷から解放できます。
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